「日本理科教育史」をプロットする!!(53) #科教協 #科学教育研究協議会 #全国研究大会のあゆみ #お楽しみ広場

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「科教協」のホームページより、繰り返し

◆ 科学教育研究協議会 全国研究大会のあゆみ

 を見せてもらっている。実に興味深い!!面白い!!
 それは戦後の「日本理科教育史」とも見えてくるのだった。
 
▼今年の全国研究大会の案内も出されている。

●科学教育研究協議会 第69回全国研究大会 埼玉大会・8月4日~6日

▼参加したときは、まずはいちばんの楽しみとしてきた「お楽しみ広場」の紹介もあるようだ。
 考えてみると実に多くことを、この「お楽しみ広場」より学んできた!!
 ここで手に入れた「教材」も多い!!

 まさに、ここは「教材の宝庫」だった!!

▼そもそもこの「お楽しみ広場」とはいつごろ始まったものなんだろう!?
 参考になりそうな文献をひっぱりだしてきた。

◆『科学実験 お楽しみ広場』(本間明信・小石川秀一・菅原義一[編集] 新生出版 1992.8.10)

本間明信氏は「まえがき」のはじめに次のように書いていた。

 科教協「お楽しみ広場」の起源は1977年の岩手大会の開会行事にあります。10m以上もある北海道の昆布やスッポンの骨格などが紹介されました。
 以来「お楽しみ広場」は全国の教師たちを集めています。最も新しい実験が紹介され、普通のルートで手に入らない材料がその場で安く買えました。やがて、教科書会社・教材会社なども情報を集めに来るようになって、かつて「お楽しみ広場」でしか手に入らなかったものが、「おもての」ルートでも手に入るようになりました。学校だけの必要でなく、供給が需要をつくり出す日本全体の流通の大変化がその背景にあります。歴史のなかで、これほど情報の流れが速くなった時代もめずらしいのではないでしょうか。

 だとすると、私がはじめて参加した1978年の「松山大会」の前年ということになる。

(つづく)
 

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「日本理科教育史」をプロットする!!(52) #科教協 #科学教育研究協議会 #全国研究大会のあゆみ

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▼大賀ハス「あこがれの4日間」【第5日目】2023/07/27 09:00
それはまるで電磁石のスイッチを切ったかのように、残っていた花ビラはパラパラと一斉に落ちた!!

 「あこがれの4日間」の【第5日目】とは変な話だ。
 【第4日目】2023/07/26 に落ちてしまうはずだった花ビラ・雄しべはまだ果托についていた。
 【第5日目】の07:06にもまだの状態だった。「ふしぎ!?」だ。
 この連日の猛暑の影響だろうか!?
 「水栽培池」の水不足と関係があるのだろうか!?

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▼「日本理科教育史」をプロットする!! を久しぶりに再開したいと思っていた。
 その「可能性」について述べたものの、どこから再スタートしたものかと迷っていた。
 まずは、私にもわかることからはじめようと思う。
 私は、ずいぶんたくさんのことを「科教協」から学んできた。
 「科教協 」=「科学教育研究協議会」にはホームページがあった。

◆科学教育研究協議会

▼そのなかに、「全国研究大会のあゆみ」というページがあった。
 それは、「科教協」の「歴史」そのものをよく語っていた。

● 科学教育研究協議会 全国研究大会のあゆみ 

▼私がはじめて参加した「全国研究大会」は「松山大会」だった。

●1978(昭和53)年 25回 愛媛・松山市 テーマ:自然科学をすべての国民のものに-たのしい授業で理科ぎらいをなくそう-

(つづく) 

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「日本理科教育史」をプロットする!!の可能性(3) #日本理科教育史 #等身大の理科教育史 #教材史 #現代理科教材発展史

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▼繰り返し「これまで」を見てみる。

◆「日本理科教育史」をプロットする!!

▼「日本理科教育史」のなかで、かなり大きなウェイトをしめているのが「教材史」である。
 さすがモノにこだわる「理科」である。
 自分でも、ひとつのモノ=「教材」にこだわった「現代理科教材発展史」を試みていた。

◆現代理科教材発展史「スライム」

◆現代理科教材発展史「究極のクリップモーター」

▼その他にもいくつかの教材についてふれていた。
#液体窒素
#過熱水蒸気
#立春の卵
#鉄と硫黄
等などである。

 もっともっと他にもいっぱい追いかけたいが、ひとりで取り組むには限界があった。
 「これまで」にも多くの人に協力してもらったが、「これから」もよろしくお願いします。
 また、多くの人で協力して取り組むからこそ、意味あるとも言えます。
 さあ、あなたもはじめてみませんか!?
 
 今こそ、その歴史をプロット(「記録」)しておかねば消失してしまうモノがいっぱいある!!

▼こんなこと考えていると、かならず思い出す一文があった。
 それは森山和道さんの「ネットワークと教育」のなかにあった。

 マルチメディア時代──とは、10年に一度しか閲覧されない資料を、どんどんどんどん蓄積していく時代なのかもしれない。

そういう風に考えていくと、別に教育現場にコンピュータ・ネットワークなんか必要ないんじゃないか──そんな風に思えてくるかもしれない。しかし、それは違う。各人が全く違う目的で蓄積したデータベースや、全く違う目的のために造られたネットワークがシームレスに繋がっていくのが「ネットワーク時代」である。全く違う知識・思考方を、全世界規模で共有することができるのだ。

例えば、それぞれの教師が自分の授業ノート・データベースを構築し、公開する。それは巨大な授業のデータベースとなるだろう。それだけで、全く違う授業が生まれるかもしれない。

(つづく)

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「日本理科教育史」をプロットする!!の可能性(2) #日本理科教育史 #等身大の理科教育史 #自分史 #サークル史 #理科の部屋30年史

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▼まずは、「これまで」をページ化してみた。

◆「日本理科教育史」をプロットする!!

 「これまで」に書き込んだ「記録」にリンクしながら、これまでの流れをふりかえって見た。

▼やっぱり、ぜひとも「記録」しておきたかったのは、等身大の「日本理科教育史」だった。
 そんな意味では、まず最初にくるのは、「自分史」だった。
 拙い歩みながら、自分がどんな「理科の授業」をやってきたのか。
 どんな「実践」に向き合おうとしてきたのか。
 その視点から見た「日本理科教育史」は!?

▼やがて、小さな小さなサークルから、多くを学んでいた。
 私のは場合それは

◆地下茎舎(ひめじ理科サークル)の歩み

 であった。

▼その歩みは、やがて次なる【理科の部屋】へとツナガッテいった。

◆【理科の部屋】30年史年表

 今、ゆっくりゆっくりふり返りながら、「これから」をみつけていきたい!!

(つづく)

 

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「日本理科教育史」をプロットする!!の可能性(1) #日本理科教育史 #等身大の理科教育史 #自分史

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▼私には、相矛盾する2つの「持病」があった。
・「ばっかり病」
・「あれもこれも病」
 である。「ばっかり病」を発症すると、自分ではコントロールできないまでに「○○ばっかり」になってしまう。
 無手勝流でモノ・コト・ヒトを追いかける。
 そうかと思うと、まったく別のモノ・コト・ヒトに興味が出てきてしまう。
 もうここまできてしまうと、この「持病」とうまくつきあっていくしかない!!
 その「持病」発症の一例として、とんでもない一大プロジェクトがあった。

◆「日本理科教育史」をプロットする!!

 である。

▼この「持病」は、間欠的に発症することが多かった。
 このプロジェクトはどこまできていたのだろうか!?
 最近話題にもなった「鉄と硫黄の化合実験」についてプロットしていた。

・「日本理科教育史」をプロットする!!(48) #鉄と硫黄 #化学変化 #舎密開宗 #宇田川榕庵 #田中実
・「日本理科教育史」をプロットする!!(49) #鉄と硫黄の化合実験 #化学指導ノート #三井澄雄 #田中実
・「日本理科教育史」をプロットする!!(50) #鉄と硫黄の化合実験 #三井澄雄 #ファーブル #化学の学校 #オストワルド #光学 #ニュートン
・「日本理科教育史」をプロットする!!(51) #鉄と硫黄の化合実験 #大竹三郎 #理科教室 #理科実験法の再検討 #教材論

 (51)の最後に、「さて、次はどんな定番実験をプロットしてみるかな。」と書いたのは2021/08/07であった。
 それからほぼ二年の時間がすぎてしまったことになる。

▼そもそも、こんな大風呂敷のプロジェクトにはどんな「ねらい」があったのだろう。
 少し、あとづけの部分もあるが こんなところであろうか。

(1)等身大の「日本理科教育史」DBをつくること!!
(2)「これから」に参考になる「歴史」を編むこと!!
(3)できるだけ多くの人の共同作業として取り組むこと!!

▼ひとりが取り組む作業としては、限界がある。
 それよりなにより、それでは面白くない!!
 遠大すぎると最初からあきらめてしまうのは モッタイナイ!?
 今、自分にも可能なことこからはじめたいものだ。
 キーワードは「自分史」!!

●「日本理科教育史」をプロットする!!(1) #日本理科教育史 #自分史

(つづく)


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「日本理科教育史」をプロットする!!(51) #鉄と硫黄の化合実験 #大竹三郎 #理科教室 #理科実験法の再検討 #教材論

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▼今一度、ふりだしにもどって「鉄と硫黄のダンゴ」実験は、日本理科教育史のなかでいつごろどのようにはじまったのだろう!?
 その「記録」が『理科教室』(当時新生出版刊)に残っていた。

●1974年10月 「鉄・いおう反応の新しいやり方とその意義について」(大竹三郎 『理科教室』1974年10月号 P68)

 その記事によれば、大竹三郎先生たちは1962年に今も教科書にある「鉄といおう反応のやり方」をすでに提案していた。
 そして、それから12年ほどたっていた。
 たいへん興味深い記述があるので少し引用させてもらう。

  しかし、12年ほどたってその間、わたしが見聞きしたことを整理してみると、つぎの2つの点で、なお現場の先生方には不満があるらしい。   1つは、生成物の硫化鉄が、塊状のままでは磁石に吸引されないが、粉状にくだいてしまうと、やはり吸引されてしまうということ。もう1つは、たしかに自発的な発熱は顕著だが、はじめにバーナーで加熱することで何人かの子どもは、発熱がそのためだと主張し、なかなか先生の説明に納得しないということ。 

そして…!!


▼これらの取り組みをまとめたとても参考になる本が出ていた。

●1980年10月『理科実験法の再検討~教材論的研究~』(大竹三郎著 明治図書 1980.10.5)

 ここに、これまでの「鉄と硫黄の化合実験」の歴史、教材としての意義等のすべてが語られていた。

▼実に教えられることの多い、名著中の名著だ!!
 特に感銘をうけ、しばしば引用させてもらう部分を今一度あげてみる。

 わたしは、現在、学校で実施されている多くの実験が、なお教材として仕上げられていないと考えます。これらの実験が授業の課題にピタリ答えられるように、その内容、形式ともに仕上げられなくてはなりません。ところが、わたしたちは、もうこれ以上、変えようとしても変えられないものと受けとめています。とくに長い歴史をもった伝統的な実験に対してそうです。(同書 P119より)

 なんと示唆的でしょう!!
 定番実験こそ、吟味を重ねる必要があると言っているのです。

▼大竹先生の指摘はさらに具体的です!!
 

やはり、自分の中に、それだけの必然性がなくてはなりません。そうした必然性は、果実の熟するのに似ていて、ある期間の熟成を待たないと、具体的に現れてこないようです。それもなにかのきっかけが必要です。わたしの場合実験改善の必然性も、新しい実験の発見も、そのきっかけは、授業における子どもの発言です。また、授業をした先生のつまずきです。もちろん、わたし自身によるその経験です。こうした諸条件が整っていないときは、鉄・硫黄の反応に見たように、いくら本を読んでいても気づかずに通ってしまうのだと思います。(同書 P120より)

 納得です。(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン

 さて、次はどんな定番実験をプロットしてみるかな。

(つづく)

 

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「日本理科教育史」をプロットする!!(50) #鉄と硫黄の化合実験 #三井澄雄 #ファーブル #化学の学校 #オストワルド #光学 #ニュートン

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▼「鉄と硫黄の化合実験」という定番実験の歴史についてもう少しくわしくみていこう。
 参考にさせてもらったのは前回につづきこれだった。

●1977年2月 『化学指導ノート』(三井澄雄著 むぎ書房 1977.2.28)
[6]「鉄とイオウの化合実験」物語 (同書 P160)
(2)銕和硫黄(鉄はイオウと化合する)

 ここでは、『舎密開宗』からはじまり、これまでにこの定番実験が出てくる文献がくわしく紹介されていた。
 紹介されている順番にあげてみる。

●1935年 『化学講座実験法』(大幸勇吉著 共立社)
 「室温に於いても鉄と硫黄と化合することを示さんには次のようにする。…」
 三井先生も実際にこの方法で挑戦されたようだ。


▼次にあげてあるのが、あのファーブルの本だ。

●1961年 『ファーブル 化学のふしぎ -混合・化合、元素-』(ファーブル著 市場泰男訳 さ・え・ら書房)
 
 三井先生は、この20年ほど前に田中実先生からその英訳をお借りして読まれたそうだ。
 私はまだこの本をみたことがなかった。ぜひ見てみたいものだと思っているが。

▼次はあの有名なオストワルドの『化学の学校』だ。

●1959年5月 『化学の学校 下』(オストワルド著 都築洋次郎訳 岩波書店)
 『化学の学校』原著の初版 は1903年!!
 
この実験は、同書の「五八 鉄 二」の最後(同書p112)と「五九 鉄 三」の最初(同書P113)です。
 その部分を少し引用させてもらいます。

先生 -鉄とイオウは非常にたやすく結合します。鉄屑とイオウ粉とをその化合比32:56の割合にまぜて、一部分をとって乾いた試験管で熱します。

生徒 あ、全部真赤にもえている。
 
先生 そうして硫化鉄ができます。もう一つの部分を水でうるおし、壺の中へ入れて放置します。明朝どんなものができているか、見てみたい。(中略)


 五九 鉄 三
生徒 あの混合物から何が出てきたか、よくみました。まるっきり黒い塊です。これも硫化鉄ですか。 
先生 自分でたやすく検査できます。硫化鉄については、どんなことをご存知ですか。
生徒 塩酸を加えると、硫化水素を出します。試してみてもよいですか。うへ、これは完全に硫化水素です。
先生 ごらんのように、両元素は常温でも結びつくことができるのですが、ただその変化は緩慢です。しかし結果がわかる程度の早さです。この実験を君にやらせたのは、ゆるやかな反応にも親しんで貰うためです。
生徒 しかし、混合物を小試験管で熱したとき発生した熱はどこに残っているのですか。(後略)

 
 
 このあと「発熱反応」についての問答が続きます。
 まったく驚きです!!もうここまで出ていたとは!!

▼これで驚いていると、もっとびっくりすることがあった。
 もっと古い例があがっていた。

●1983年11月『光学』(ニュートン著 島尾永康訳 岩波書店)

 三井先生は旧版をあげておられたが、私は新版を参照した。
 原著の初版は、なんと1704年だ。

 三井先生が田中実先生に教えられ、しらべたと言うところがあった。
 第三篇の最後にある「疑問三十一」の中に出ていた。
こうである。

 粗大な硫黄でさえも、これを粉末にし、等しい重量の鉄のやすり屑と少量の水を混ぜてペーストにすると、鉄に作用して、5,6時間もすれば触れられないほど熱くなって炎を発する。(同書P335より)

 なんとこんな昔からよく知られていたのか!!
 驚くばかりである。
 
(つづく)

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「日本理科教育史」をプロットする!!(49) #鉄と硫黄の化合実験 #化学指導ノート #三井澄雄 #田中実

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▼「定番実験」のルーツをたどることは最高の教材研究となるだろう!!
 ・実験のねらいはどこに!?
 ・実験の留意点は!?
 今一度、自分の「記録」をみておく。

●5-1 鉄と硫黄の化合


▼私の追究はいつも無手勝流だ!!
 しかし、いつもヒントをもらいキーになる本や人に出会う。
 この場合は次の本だった。

●1977年2月 『化学指導ノート』(三井澄雄著 むぎ書房 1977.2.28)

 この本に、このときまでのすべてが書かれていた。
 次のタイトルで

[6]「鉄とイオウの化合実験」物語 (同書 P160)


▼ここにすべてがあった!!
 なかでも (1)はじめに の文章は三井先生自身の「鉄とイオウの化合実験」出会いからはじまり、なぜ「定番」になったのかがくわしく語られていてとても参考になる。少し長くなるが引用させてもらう。

[6]「鉄とイオウの化合実験」物語

(1) はじめに

 「鉄とイオウの化合実験」と私の最初の出会いは、もうかれこれ20年もまえのことになろうか。当時、東京化学サークルでは教材整理の原則を検討するとともに、その具体化の第一歩として中学1年の「水の化学」の学習プランづくりを行なっていた。その検討の中で、化合の実験として、反応の前後の物質を、生徒があいまいさなしに、感覚的にしっかりつかまえることのできるものを選びたいと考え、鉄とイオウの化合実験を使うことにしたのである。「これを使うと、単に鉄とイオウとをまぜただけの混合物の場合には各成分がルーペで見わけられたり、磁石でよりわけるこができるが、化合すると、全然べつのものに変化することが、磁石を使って、かなりうまく実験的に証明ができる。塩酸を加えて硫化水素を発生させれば、なおさら新しくできた物質の性質を強く印象づけるこができる」からである。このときが、私と「鉄とイオウの化合実験」との最初の出会いであった。


▼物語は続いていた。

(2)銕和硫黄(鉄はイオウと化合する)
 宇田川榕庵の『舎密開宗』にこの実験が出ていることを、三井先生は1973年9月の初めごろ、田中実先生から教えてもらっている。
 この頃、田中実先生は前回ふれた『舎密開宗』の現代語訳にあたられていたのである。
 このあとも、田中先生とのやりとりのなかで、この実験の歴史について語られている。
 実に興味深い!!

(3)鉄粉さがし

(4)鉄粉工場見学

も実に面白い!!

(つづく) 

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「日本理科教育史」をプロットする!!(48) #鉄と硫黄 #化学変化 #舎密開宗 #宇田川榕庵 #田中実

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▼私には相矛盾するふたつの持病がある。
 「ばっかり病」と「あれもこれも病」である。
 今さらなげいてもはじまらない。これらの持病とうまくつき合っていくしかない。
 
 今年の夏、「夏の創造」という大げさなプロジェクトをかかげた。そのなかでいくつかの課題(宿題)を設けていた。
 そのひとつが

(3)「日本理科教育史」をプロットする!! を続ける

である。しばし、これに集中してみようと思う。


▼最近、中学校理科から、「化合」という用語が消えると話題になっていた。
 驚いて、あの実験はどうなるんだろう?と、教科書を取り寄せ確かめてみた。
 あの実験はあった!!

【実験】「鉄と硫黄の混合物を加熱したときの変化」

 として。
 やっぱり定番実験だ!!
 私としては、さらに発展させてた、「鉄と硫黄のダンゴ」実験が気に入っていた。

【実験】「鉄と硫黄のダンゴ」実験


▼この機会に、この定番実験が、日本理科教育史のなかでいつごろ、どのように「定番」となっていったのだろう。
 しばし、それを可能な範囲で追いかけてみたいと思う。
 日本の科学史で「化学」と言えば、これだ!!という本があった。
 『舎密開宗』である。

●1837~1847年 『舎密開宗』(宇田川榕庵著)日本で最初の「化学書」!!

 貴重な資料だ。それはわかるがこのままでは私には歯が立たない。
 アリガタイことに現代語訳が出ていた。

●1975年 『舎密開宗―復刻と現代語訳・注 』(講談社 宇田川 榕菴 (著),田中 実 (著))

 マッチを追いかけていたときに、かなり思いきって手に入れていた。
 こんなときにこそ見なければ…。


▼ここに、この定番実験はすでに出ていた!!

 「銕和硫黄 第二百七章」

 現代語訳ではこうだ。引用させてもらう。

 第二百七章 鉄は硫黄と化合する    鉄くずに適当量の硫黄を加え、水で練って泥状にすると、自然に発火する。  …

 (『舎密開宗―復刻と現代語訳・注 』(講談社 宇田川 榕菴 (著),田中 実 (著))P308より)

 驚きデアル!!

(つづく)

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「日本理科教育史」をプロットする!!(45) #200℃の水蒸気 #過熱水蒸気 #三態変化 #古川千代男

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「200℃の水蒸気ってあるのかな!?」
 「何言ってんだ、水の沸点は100℃で、そこで水蒸気になるんだよ!!」
 「それ以上は?」
 「えっ ?(゜_。)?(。_゜)?」

 三態変化の学習で今やアタリマエの定番実験として教科書等にも載っているあの「過熱水蒸気の実験」!!
 この実験が、日本の理科室に登場したのは
・いつごろ?
・誰によって?
・どんな<ねらい>をもって?

 だったのだろう。しばし これを追ってみよう。

▼「歴史」を追う前に、自分の授業の「記録」をみてみる。

6 低温の世界・高温の世界

 えらくあっさり自分で答え言ってしまっていたんだ!!
 でも考えてみると
 「水(水蒸気)でマッチに火をつける!!」
 って、とても「ふしぎ!?」で面白い実験だ。

▼では、その「歴史」を追ってみよう。
 最初にことわっておくが、これは今の時点で私の知る範囲での話で、別の「歴史」があるかも知れない。
 別のあるいは追加の情報がある場合はぜひ教えていただきたい。<(_ _)>

●1973年2月 「三態変化の範囲を広げよう」古川千代男(『理科教室』1973年2月号P56)

●1976年4月10日 『やさしくて本質的な理科実験2』(高橋金三郎・若生克雄共編 評論社)
11. 200℃もある水蒸気 (古川千代男 P48~) 

●1981年8月 「100℃以上の水蒸気」古川千代男 (『理科教室』1981年8月臨時増刊号『楽しくわかる実験・観察』P44)

▼古川千代男先生は、後に次の著書に、この実験誕生の「物語」を詳しく語られていた。

●1989年5月 『物質の原子論―生徒と創造する科学の授業』 (プロジェクトサイエンスシリーズ)(古川千代男著 コロナ社 1989.5.10)

「4.6 200℃の水蒸気」(p75)にこの「物語」が語られていた。
あまりに興味深いので、しばしこの「物語」を引用させてもらおう。  
「物語」はこんな「問題」から始っていた。

問題 水は100℃で沸騰し、すべて水蒸気になる。さて、水蒸気を100℃以上にすることは可能だろうか。200℃というような水蒸気は存在するのだろうか。予想を出し、その根拠を明らかにしてみよう。 (同書p75より)

 「200℃の水蒸気は存在するのか?」と問われた生徒たちはどう答えたのだろう。
 生徒たちはすでにエタノールと加熱したときの温度変化を調べ、「沸点」の存在、そのとき加えた熱エネルギーが何に使われたかを知っている。
 しかし、ほんとうの意味での「沸点」「分子運動」が見えていたわけではない。
 古川千代男先生は次のように語っていた。
 

 生徒の意見を聞いてみると、確信を持って200℃の水蒸気の存在を予測できる者はほとんどいない。考えてみたこともないというのが本当のところのようである。100℃以上にならないという確信を持っていることが多い。水は100℃で沸騰するという知識は信仰の域に達しているとしか思えない。2,3の物質の沸点測定や解説くらいで打ち破れない。(同書p76より)

 ではどうするか。それが次なる課題である。
沸点以後も熱を加え続けるのである。そうすれば、「分子運動」はより活発になり「200℃の水蒸気」も可能なのかも知れない。生徒と一緒に実験方法を考えていった。
 その方法の前に、ここでぜひ引用させてもらいたい一文があった。
コラム風に囲みで書かれていた。
 実はこの一文を紹介したくてながながとこの本の引用をさせてもらっているところもあった。

 素朴で原理むき出しの実験を  現在、高校で行われている実験の中心は定量実験である。数値を得て法則性をみるとというだけでなく、一つ一つの手順がそのものがきちんと量を測定しながら行われるものが多い。当然。複雑で時間もかかるようになって、結局何を目的にしていたのかラビリンス(迷宮)の世界に入ってしまう。  定量実験の前に、余計なものをできるだけ省いた、目的がミエミエの実験がもっとあってよいし、そういう実験こそ生徒にやらせたい。その後に、つまり原理がすでにわかった後に、定量実験をやり、法則化してこそ、使える法則になりうると思う。たぶん、原理や法則を先に解説し、その検証として実験をやらせることが多いために、こうなりやすいのだろうが、もっと「発見」のための実験こそ、生徒に考えさせ、計画させ、実施させたい。 そうすると素朴で一目みて納得のいく実験がつくられると思う。(同書p75より)

「素朴で原理むき出しの実験」!!心に留め置きたいコトバだ。
 「物語」をつづけよう。
 具体的にはどのようにして、「200℃の水蒸気」をつくり出したのだろう?
どんな実験装置を考えついたのだろう。
 せっかく100℃の「水蒸気」をつくり出しても、すぐに冷えて湯気(水滴)になってしまう。そうさせないためには「水蒸気」の再加熱することが必要であった。
 どんな方法を考えたのだろう?
(a)水蒸気丸底フラスコを通して加熱  
(b)水蒸気の通るガラス管を加熱
(c)銅板を巻く
(d)銅管を手に入れた
段階を追って進化していった。
そして、銅管を手に入れることによって、実験装置は飛躍的に進化した。
 ここでまたたいへん興味深いことが語られていた。

 ちょうどその頃、船具屋さんの家庭の生徒がいたので、船舶用のエンジンの銅パイプを探して欲しいと頼んでみた。家の近所の船舶エンジン修理工場にあるとのことでさっそくたずねてみた。新品は高いが中古ならやすくしてくれるというので、2mほどわけてもらった。  生徒たちの家業を知っておくのも大切なことだと思う。それぞれの専門で使っている器具や道具など大変便利なものが多い。配線に使う圧着端子など早い時期に教えてもらったのも、熱に強い磁器のソケットを手に入れたのも、生徒の家庭からだった。教科書に載っているような古いものではなく、最新鋭のものがある。商売なのだから当たり前なのだろうが、家庭との連携というのは生活指導だけのことではない。(同書p78より)

「それぞれの専門で使っている器具や道具など大変便利なものが多い。」
「最新鋭のものがある。商売なのだから当たり前なのだろうが」

教材開発にヒントを与えてくれる示唆的なコトバだ。
銅管を入手して、実験装置はさらに進化した。
 熱効率をあげるため銅管をらせん状に巻きそこを集中的に加熱するようになった。
 これで安易に「200℃の水蒸気」は実現したのだ。
 そして「200℃の水蒸気」でマッチに火をつけるというあの驚異の実験も可能になったのである。

 そして、今、三態変化「定番」実験として教科書にもアタリマエのように登場してくるようになったのだ。

 すぐれた教材(実験)には必ず興味深い「物語」がある!!

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