『「丹生」を追う』のこれから #丹生 #朱 #辰砂 #水銀 #Hg

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『「丹生」を追う』はどこまで!?
 こんな面白いこといつまででもやり続けたい。
 とは言っても体力的にも限界はあるだろう。それを考えればやはり ゆっくり急ごう!!

 「これまで」をふまえて「これから」を考えてみたい。

▼思いつくままに「これから」を列挙してみる。
 
(1) Webページ『「丹生」を追う』の充実を図る。
 まずはすぐさま可能なことからはじめてみよう。
・参考文献等の紹介
・参考になりそうなページのリンク集
・関連施設、研究機関等の一覧

 ぜひぜひ情報をよろしくお願いします。<(_ _)>

▼次はやっぱりこれだ!!

(2) 『「丹生」を追う』旅に出たい!!
(a) 奈良・桜井市、宇陀市
(b) 伊勢
(c) 大分・宇佐
(d) 全国各地の丹生神社・丹生の地名が残るところ
(e) 全国の水銀鉱山跡
等々
 あげればきりがなく候補地が出てくる。
 これまでに行った場所も、繰り返し訪れてみたい!!
 ゆっくり ゆっきり 急ごう!!

▼元々の興味に焦点をあててみよう。

(3) 「水銀(Hg)文化」を追跡する!!
 先の『邪馬台国は「朱の王国」だった』(文春新書 蒲池明弘著)に、蒲池氏はたいへん興味深いことを書いていて( ゜o゜)ハッとさせられた。

高校の化学の授業で習った元素の周期表では、水銀は80という原子番号を与えられ、79番の金のすぐ右に置かれています。水銀と金が隣り合っていることに“世界の秘密”めいたものを感じてしまいます。(同書 p174より)

 (゜o゜)ゲッ!!なんということだ。
 恥ずかしながら、私はこの事実を意識的にとらえていなかった。
 「周期表を物質探検の地図帳に!!」とあんなに繰り返し主張してきていながら(^^ゞポリポリ
 
 それだけではない。水銀(Hg)はきわめて不思議な金属なんだ。
 人類が最初に目にした金属単体かも知れない。
 金属文化を語るなら、まずは「水銀文化」を語る必要が。
 金属Hgにこだわる 物質探検の一部として 追跡をつづけよう。!!

 蓮根の植え替えから39週目の大賀ハス観察池。冬至の朝はあたたかった。水面にはくっきりと花茎の姿が映っていた。

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『「丹生」を追う』のこれまで(5) #丹生 #朱 #辰砂 #水銀 #Hg

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▼はじめて東大寺二月堂修二会(「お水取り」)を見た(2012年)感動はなかなかこれだけではおさまらなかった。
 「お水」とは!?
 そして「お水取り」の「お水」はどこから!?
 「お水送り」とはどんなものなんだろう!? この目で確かめたい!!
 2013年春、ついに若狭に「丹生」を追って旅に出ていた。

●•若狭に「丹生」を追う。(1)

●•若狭に「丹生」を追う。(2)

●•若狭に「丹生」を追う。(3)

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▼「お水取り」「お水送り」と2年連続して見て、「ばっかり病」は少し沈静化したかにみえた。
 しかし、まだどうしてもくすぶるものがあった。
 「お水取り」を見たと言っても、修二会・火祭りの方を見たのであり、3/12深夜から3/13明け方に「若狭井」で行われる「お水取り」本番は見ていなかった。 
 これがぜひとも見たい!!この気持ちは抑えることが出来なかった。
 2015年春、再び修二会に向った。今度は3/12に。

●東大寺修二会「お水とり」を見た!!(1)

●東大寺修二会「お水とり」を見た!!(2)

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▼さらに「ばっかり病」はエスカレートしていった。
 2016年春。
 とんでもない旅を思いついた。
 3/2若狭の「鵜ノ瀬」から送られた「お水」は、10日を経て奈良の「若狭井」で汲み取られる。
 これをひとつの旅で体験することはできないだろうか!?

 この旅で「お水取り」の起源に関する「仮説」はよりリアルになってきた!!

●若狭の「お水送り」へ!!

●若狭から奈良の「お水取り」へ!!

●「お水取り」とは!?

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▼32年前の生徒の夏休みの自由研究にはじまった「丹生」を追う旅は、「お水送り」「お水取り」まで来た。
 思えば遠くまで来たもんだ!!
 しかし、「ふしぎ!?」の謎解きは終わったわけではない。
 まだまだ「序章」すらはじまっていないのかも知れない。

 私の「丹生」巡礼の旅はまだまだ続く!!

 しかし、 『「丹生」を追う』のこれまで は いったんここまでとする。

(了)

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『「丹生」を追う』のこれまで(4) #丹生 #朱 #辰砂 #水銀 #Hg

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▼ネットの時代、SNSの時代になっても私の『「丹生」を追う』はつづいた!!
 ネットを活用することによって入手できる情報も広範囲に及んだ。
 また同時に、ふだんの生活では考えられないよう専門家たちとの交流もはじまった。
 とても有用な情報が次々と集まりはじめた。それは感動ですらあった。

 たとえば、非常に興味深い地図をネットで知り合った地元のKUMAさん紹介してもらったことがある。

◆産総研 「地球化学図 Hg」

である。
 ここに、先の『丹生の研究』の「丹生の分布ならびに参考地点」の地図を重ね合わせるとみごとに重なるのである。アタリマエのことであるが、感動であつた!!
丹生(硫化水銀)=朱の産地は、水銀の産地でもあるのである。
中央構造線との重なりもみごとである。そうだ活断層と水銀の産地のつながりこれもまた興味深い事実であったのだ。
▼2011年になってやっと自由に動ける時間が出来た。
 『「丹生」を追う』を再開できると思うと、ワクワク気分だった。
 まずは最初のターゲットは 奈良・「東大寺の大仏」だった。

 あの巨大な大仏を目の前に見ながら、 例の『古代の朱』(松田壽男著 ちくま学芸文庫)の次の一文を思い出していた。

水銀五に対して錬金一の割合でアマルガムをつくり、これを仏体の表面に塗る。そのあとで炭火で水銀を蒸発させてしまうと、純金が銅の肌にくいこむように、しっかりと附着する。なんとすばらしい化学の応用ではないか。これをアマルガム鍍金とよぶ。(上記書P35)

 どれほどの水銀が必要だったのだろう。
 その水銀はどこから!?
 水銀公害は!?

▼「東大寺の大仏と水銀」!!
 このテーマをより興味深いものにしてくれる情報を手に入れた!!
 それは、Twitterで知り合った作家・寮美千子さんの論文だった。

◆「東大寺修二会「お水取り」の起源に関する仮説」(寮美千子)

 実に興味深い仮説である。みごとな謎解きである!!

▼どうしても「東大寺修二会「お水取り」に行ってみたくなった。
 ついに2012年の春、実際に行ってみた。

●ついに東大寺二月堂修二会(「お水取り」)に行った!!

●ついに東大寺二月堂修二会(「お水取り」)に行った!!(2) 

 1261年のあいだ一度も休むことなく続けられているこの「不退の作法」に魅了されてしまった。
 「韃靼」の響きが長く長く耳に残った。

 これが以降、「お水取り」に通うはじまりとなった!!

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(つづく)

 蓮根の植え替えから38週目の大賀ハス観察池。
 厚い雲が冷え込みを緩和してくれたのか、氷は張っていなかった。

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『「丹生」を追う』のこれまで(3) #丹生 #朱 #辰砂 #水銀 #Hg

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▼完全に「丹生ばっかり病」を発症した私は、自らの浅学無知は省みることなく「古代史」に興味を持ちはじめていた。

◆朱(丹生)を追え(3)(「地下茎」第42号P9-11)

 少しでも関係しそうに思うと新聞の切り抜きをやっていた。
 そして、大胆にも持論を力説していた。(^^ゞポリポリ

 「邪馬台国は朱を産出した中央構造線上にある!!」
と。
▼けっこうアクティブでもあった。
 さしたる知識もないまま「丹上山」へ向かい
 「丹生の朱土」も発見していた!!

 今なら、さしずめまずはネット検索だろうと調べてみたら次のページをみつけた。

◆神戸の北端 丹生山に古代の赤「朱土・辰砂」を訪ねる

▼アクティブさはさらに加速していった。
 そして、ついには四国に「中央構造線に丹生を追う」旅に出たのであった。

◆ 丹生(朱)を追え (「地下茎」第45号P13-16)

この報告の最後には次のように記していた。

* このあと、『ついに発見!池田でA.Tを』『本場(?)の藍畑へ』
『ついに見たぞ!朱の製造遺跡』と続きます。乞うご期待!!

しかし、その後、その報告はされることはなかった。

▼歳月が流れた。
 私は「丹生を追う」のこれまでを短い「科学よみもの」にまとめた。
 これが、当時の私の到達点でもあった。

◆科学よみもの『古代の「朱」が語るもの』

でもここで終わらなかった。
まだ続きがあった。

(つづく)

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『「丹生」を追う』のこれまで(2) #丹生 #朱 #辰砂 #水銀 #Hg

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「情報は発信するところに集まる!!」
はそのころからの真実だった。
 私は取り憑かれたように「丹生!!」「朱!!」とことあるごとに叫びまくっていた。

◆朱(丹)を追え(2) (「地下茎」第41号P7-11)

 不思議なもので、そうして語っていると、今まで気にもとめなかった新聞記事やテレビ番組が気になりだした。
少しでも「丹生」「朱」「水銀」などに関係する言葉がでてくれば反応した。
 「丹生・山田の里」の記事を今も残していた。
▼こういうときに同じ不思議を追う先行者がいるということはうれしいことだ。
 同じように「丹生」を追う人がいた。それも半端ではなかった!!
 私よりかなり先を行っていた。
 奈良の中谷隆夫さんである。

◆奈良の博物学・水銀ものがたり(第1部) 中谷隆夫著

◆水銀利用の歴史にちなんで(第2部) 中谷隆夫著

 今読み返してもワクワクドキドキしてくる迫真のドキュメントレポートだ。
 中谷隆夫さんは、奈良の桜井市にお住まいだった。あるとき、お家の前に大きな穴があいた!!
「どうして!?」からはじまる水銀ものがたりは面白すぎる。
 今から考えてみると、このあとの私の「「丹生」を追う」は、このレポートに大きく影響を受けたと言える。
▼シロウトのこわくて面白いのは、専門家からすると、とんでもないことをツナゲテ考えてしまうことだ。

昭和59年(1984年)5月30日午前9時39分!!

 私が「丹生」にはまる2年前だ。
 山崎断層系断層・護持暮坂断層が動いたのだ!!(「山崎断層地震」)
 最初の「仁豊野」(にぶの)は、この断層の近くにあった。
 
 「断層」→「断層破砕帯」→「ガレ場」→「熱水性鉱床」→水銀鉱床(朱、辰砂)

 (゜o゜)ゲッ!!なんというヒヤク!!

▼そのヒヤクを先行者は強く否定されなかった。
 むしろ話は、もっと豊かに膨らんでいった。

 「断層」と言えば、超一級の断層があった。
 中央構造線だ!!

 中央構造線と水銀鉱床の関係についても「水銀ものがたり」にはふれられていた。
 
 話はますますふくらんでいく。
 ならば「中央構造線へ…」

(つづく)

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『「丹生」を追う』のこれまで(1) #丹生 #朱 #辰砂 #水銀 #Hg

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▼なんでもゆっくりな私には、ゆっくりゆっくり長く時間をかけて追いかけているいくつかの不思議がある。
 もう時間が経ちすぎて、最初の「ふしぎ!?」すら忘れてしまいそうなものもある。
 最初は夢中で追いかけたものの、その「序章」にもいけなかった物語もある。
 また「序章」ははじまったものの、いつまでも「序章」のあたりをウロウロして次の展開が見えてこない物語もある。
 このまま放置して終わるのは、少しモッタイナイ!?
 そんな気分になったりするのは、ポンコツ度増してきている証拠かも知れない。(^^ゞポリポリ

▼そんな長時間かけて追いかけてきた「ふしぎ!?」に

◆「丹生」を追う

がある。
 このページをつくったときの「まえがき」に次のように記していた。

 もうどれほどになるだろう。古代の朱(硫化水銀)=丹生を追いはじめて・・・。 「活断層と水銀」「水銀の歴史」「金属と人間の歴史」「鉱山の歴史」「自然と人間」「古代の政(まつりごと)と朱」「…」といくらでも知りたくなる、調べてみたくなることが飛び出してきそうな、不可思議な物質「丹生」。

 ここは、シロウト人間がいつもの無手勝流で、この「丹生」を追いつづけるものがたりのページである。 (01/02/04 (日))

 こう書いてからでも17~18年の時が流れようとしていた。
▼そもそものこの「ふしぎ!?」のはじまりはこうだ。
 今から32年ほど前(1986年)の、生徒の夏休みの自由研究にはじまる。
当時勤務していた学校の校区に「仁豊野」という地名のところがある。その地名は「二(丹)+フ(生)+ノ(野)」に由来するというのがその自由研究の主旨だった。郷土研究家に聞き取りをそれをまとめたものらしかった。
「丹」が生まれる地だというのである。
 丹とは硫化水銀=朱である。
私は、面白いと思った!自分でも確かめたくなってきた。それ以来「丹生」を追うことをはじめたのである。

 そのときの驚き・感動の顛末を「記録」していた。

◆朱(丹)を追え 1 (「地下茎」第40号P6-9)

▼今、自分で読み返してみてもワクワクしてくるのだ!!o(^o^)o ワクワク
 そのときの感動が32年の時空を超えて蘇ってくるのだった。

 それを契機に私は2冊の貴重な本を手に入れた。

●『丹生の研究~歴史地理学から見た日本の水銀~』(松田壽男著 早稲田大学出版刊 1970.11.15初版)
 当時も高価であったが、今古書で調べてたらとんでもない値段がついていた。
 手に入れて以降、今日まで、ずっと「丹生を追う」バイブルとしてきた。

●『古代の朱』(松田壽男著 ちくま学芸文庫 2005.1.10)
 先の自由研究のネタ本だ。当時は廃刊になっていたが、2005年に「ちくま学芸文庫」として再刊された。
 前著『丹生の研究』のエッセンス!!まだ手に入るハズ!!

(つづく)

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