2020年・『燐寸(マッチ)一本 化学の元!!』はどこまで!? #2020年 #マッチの歴史 #マッチ棒 #清水誠

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▼私には何年もかけて追いかけている言わば「道楽の科学」というものがいくつかある。
 それは自分自身が動くことにより、その「ふしぎ!?」を追究してきた!!
 
動けば必ずあらたな「発見」があり、次なる課題が見えてきた!! 
だから、まず動く!!
この無手勝流探究 こそ 我が作風としてきた!!

 ところが、今年 2020年はそうは行かなかった。
 ずっとずっと「籠り」の暮らしが続いている。

▼今度、動ける状況になったとき、すぐさま再始動できるように!!
 いくつかの「道楽の科学」について「現在地」と「これから」をまとめておきたい。
 まずは、

●『燐寸(マッチ)一本 化学の元!!』

 である。
▼どこまで来ていたのだろう!?
 そうだ!!

 マッチの祖・清水誠を追っていたのだ!!

●2019年9月9日  マッチの祖・清水誠を金沢に追う!! 
 
 年が変わって、今年2020年のはじめだ。 今度は神戸に清水誠を追っていた。
 
●2020年1月6日  ・マッチの祖・清水誠を追う!!(2)~神戸編(その1)
         ・マッチの祖・清水誠を追う!!(3)~神戸編(その2)~

▼再び訪れたマッチ専門店「マッチ棒」でストップしてしまっていた。
 そこで見せていただいた『マッチラベル博物館』、あまりに気に入ったので、後日 古書店で手に入れた。
 さて次だ!!
 今度動き出したとき どこへ行くかだ。

(1) 東京都 の「清水誠 顕彰碑」に行く。「新燧社」跡?

(2) 日本燐寸工業会(神戸)を訪ねる。

 少し清水誠を離れて、ずっと疑問に思っていることがあった!!この謎解きにも道をつけたいな。

(3) ファラデーは「ロウソクの科学」のとき、ロウソクに何で火をつけたか!?  
         
 まだまだこの「道楽の科学」はつづくのである。

(つづく)

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マッチの祖・清水誠を追う!!(3)~神戸編(その2)~ #マッチ #燐寸 #清水誠

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▼諏訪山の金星台「金星過日測檢之處」碑に「清水誠」の名前をみつけて大満足だった!!
 でもせっかく「神戸」(元町)にいてこれだけで終わらせるのはモッタイナイと思った。
 すぐ近くに「清水誠」の名前を確実に見られる場所があった。それが

マッチ専門店『マッチ棒』…神戸観光スポット「北野工房のまち」にある。マッチ情報発信基地!!

 である。
 ここには「マッチ」に関わる情報のすべてがあった!!
 めずらしいマッチもここなら入手できる!!

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▼こんな場所が、金星台のすぐ近くにあるなんて少し因縁を感じる。
 今回は、「清水誠」「新燧社」(しんすいしゃ)(あとで知ったのだが「燧・ひうち」=火打ち石の意味らしい)に焦点を絞って店内に入った。
 いきなり目に入ったのが「マッチ年表」の清水誠の写真だった。
 それに前回訪問したときには気づかなかった「肖像画」もあった!!

 再び「マッチの歴史(「マッチの世界」 日本燐寸工業会)」から引用させてもらおう。
●1875 (明治8)年 4月、清水 誠、東京霞ヶ関、吉井友実卿私邸において黄りんマッチの試作に成功。
●1876 (明治9)年 9月、清水 誠、4月に東京三田四国町に設立したマッチ製造所「新燧社(しんすいしゃ)」を東京本所柳原町に移転し、安全マッチの本格的製造を開始。
 
(゜o゜)ゲッ!!1875(明治8)年と言えば、「金星観測」の翌年ではないか!!

「マッチ棒」さんに「清水誠」「新燧社」についていろいろ教えてもらった。
貴重な本まで見せてもらいながらほんとうにくわしく教えてもらった。
東京の「紀功碑」のある場所までくわしく教えてもらった。深謝!! 
今回、二種類の「新燧社」商標のマッチも手に入れた。(「銅板枝桜」と「桜花神佛燈火用」)

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▼教えてもらったのは、それだけではなかった。
 今回特に印象深かったのは、商標ラベルの歴史であり、燐寸産業現況だった。
 ここでしか聞けない貴重なお話ばかりだった!!
 「マッチの歴史は文化である!!」
 のコトバに感動した。
 ついつられてこれまでの拙い取り組み「燐寸(マッチ)一本 化学の元!!」のいったんを語ってしまっていた。

 お話を聞いたあと、「マッチ棒」特製の「マッチセット」あらためて手に入れた!!
 きわめて貴重な資料に見えてきた。(姫路市で生産されているものが多いのにあらためて驚く。)

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▼店内にはまだまだめずらしいものがいっぱいだ。
 いくら長居をしてもあきない!!
 何度みてもそのつど「発見」がある。「マッチ」ファン必見のスポットだ。
 
 諏訪山「金星台」「ビーナスブリッジ」~北野工房のまち「マッチ棒」をあらたな観光スポットに!!
 
 「マッチの祖・清水誠」を追う旅、さて次なる展開はどこへ!?
 続けて神戸で「日本燐寸工業会」を訪問するか。
 東京へ向かうか。
 まだきめてはいなかった。
 そのときまで

(つづく)

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マッチの祖・清水誠を追う!!(2)~神戸編(その1)~ #マッチ #燐寸 #清水誠

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▼私はすでに「マッチの祖・清水誠」を追う旅をはじめていた。
 なんでもゆっくりな私はさらにスピードダウンをしていた。前回の旅は清水誠・生誕の地「金沢」であった。
 昨年の9月9日(2019.9.9)のことただった。

マッチの祖・清水誠を追う!!(1)~金沢編~ #マッチ #燐寸 #清水誠

 もうそれからでも、はや4ヶ月の月日がたとうとしていた。
▼今回の目的地は「神戸」だ。
 まあ、言わば、地元である。いつでも行けるという思いが逆に次なる展開を遅らせてしまったのかもしれない。
 なぜ「神戸」なのか?
 清水誠がいかにすぐれた科学・技術者であったかを物語る「記録」が残っていた。
 ときは1874(明治7)年。
 清水誠はフランスに留学していた。なんとその年、文部省が海外留学制度を全廃したという。
 そんなときフランス政府が清水誠を工芸大学院金星経過測検員に招聘したのだ。
 清水誠は、フランス金星観測隊員として星学士ジャンサンとともに10月3日横浜に着き、12月9日海軍士官ドラクロワ率いる神戸支隊で諏訪山での観測を成功させた。写真撮影をし、15枚もの連続写真を撮ったという。
 そのときの記念碑が、諏訪山の金星台に残っているという。
 そして、うれしいことにその碑には「清水誠」の名前も記されているという。
 「清水誠」を追う私としてはそれを見のがすわけにはいかなかった。

 恥ずかしながら同じ県内に住みながらも「諏訪山」には一度も行ったことがなかった。大まかな場所も最近、人に聞くまで知らなかった。
 JR元町駅で降りた。
 あとはひたすら山にむかってあるいた。この点、私にも神戸はわかりやすい!!
 「海に向かうか」「山に向かうか」の二者択一しかなかった。
 やがて山にぶつかった。
 そこに「諏訪山公園案内図」の大きな看板が立っていた!!
 看板には「金星観測記念碑」「金星台」の説明もちゃんとあった!!

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▼案内図によれば高度90mのところに「金星台」がある。
 急な階段、坂道だが「目的地」がはっきりしているから足取りも軽い。
 坂道がつづいていたのに急に広々として平らな「広場」に到着した!!
 「金星台」だ!!
 広場の北に円柱の「金星観測記念碑」が!!(案内図説明によれば、安政の大地震(1855年)のとき破損した生田神社の鳥居を再利用したものらしい。道理でみごとな円柱だ!!)
 記念碑の前にはとてもくわしい説明のプレートがあった。
 そのときの観測の様子がわかる「写真」も添えられていた。

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 「記念碑」さらに近づき、前から後ろから何枚も何枚も写真を撮らせてもらった。
  私には「PASS」「VENUS」「JANSEN」などの文字が辛うじて読み取れるのみだ。
 裏側にまわっても何枚も何枚も写真を撮った。
 そして、ついにみつけた!!
 
 そこにまちがいなく「清水誠」の名前があった!!

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▼「金星観測記念碑」の説明を読みながら、思い出す観測「記録」があった。
 2012年6月6日もやはり「清水誠」が観測したときのように金星が太陽面を通過していったのだった。
 これから先、120年は見ることができないという貴重なものだった。
 幸いなことに私はそのときの「記録」を残していた。

●金星太陽面通過観察の記録(2012.06.06)

 「清水誠」の名前をみつけたことで気をよくした私は、さらに上に登り「ビーナスブリッジ」まで行ってみた!!
 スバラシイ!!\(^O^)/
 こんなみごとな港町「神戸」を一望したのははじめてかもしれない!!
 しばし、ここにとどまり「神戸」の空気をいっぱい吸い込んだ。
 山を下りるときにもう一度、「清水誠」の名前を確認してみた!!

 ここまで来て、このまま帰宅するてはなかった!!
 「清水誠」の名前をすぐみつけることができるもうひとつの「目的地」に向かった。

(つづく)

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マッチの祖・清水誠を追う!!(1)~金沢編~ #マッチ #燐寸 #清水誠

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「燐寸(マッチ)一本 化学の元!!」 ではすでに「これから」の課題として、宇田川榕菴 、久米通賢、川本幸民につづいて
 マッチの祖・清水誠を追うこと をあげていた。
  しかし、どこから巡るか?それをきめかねていた。
▼青春18きっぷの期限がせまっていた。
 昨日(2019/09/09)、思い切って清水誠生誕の地=金沢から巡ることにきめた。
 始発列車で福崎を出発して、金沢に着いたのは昼過ぎだった。
 昼食をすませ向かったのは
 「マッチの祖清水誠先生顕彰碑」がある卯辰山である。
 はじめて行く場所だ。例によって駅の観光案内所で尋ねることにする。とても親切に教えてもらった。
 別の情報で、卯辰山「花菖蒲園」の近くということも聞いていた。
 「花菖蒲園」まで行って、そこで作業をしておられる方に尋ねるがわからないと言う返事だった。
 しかし、とっていいことを教えてもらった。
 「地図を見てもわからないようだったら、そこに書いてある金沢市緑と花の課に電話してみたら…」
 進言に従って電話してみた。
 忙しい中、電話に出られた方はとてもわかりやすく説明してくださった。アリガタイ!!
 あった!!
 卯辰山山頂に向かう途中の道沿いだった。
 「マッチの祖清水誠先生顕彰碑」案内の標柱
 「説明案内板」
 「顕彰碑」
 「顕彰碑」裏の説明書き 等々
 ここぞとばかり写真を撮りまくった。
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▼卯辰山をくだり、次に向かったのが清水誠の墓のある「玉泉寺」である。
 寺町寺院群までの道のりは、歩いてさすが無理だった。
 時間の制限もある。バスもあるが、ここはタクシーを利用した。
 タクシーのナビを駆使してつれていってもらった。
 しかし、現地についても、どこが「玉泉寺」なのかわからないのである。
 なんとか小さな看板でそれとわかった。
 奥へ入っていった左手に、ひときわ目立つかたちで「清水誠」墓石があった。
 あらためてお寺の門にもどると
 「日本燐寸創業者従五位清水誠」の碑があった。かなり朽ちかけている。
 かろうじて読めるのは「清水」までであった。しかし、「燐寸」の文字をみつけたときは、とってもうれしい気分になった。
 金沢まで来た甲斐があった!!

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▼四時間たらずの短い時間であったが、見るべきものは見た!!
 大大満足である。
 それにしてもちょっと不思議に思ったことがある。「清水誠」の名前があまり知られていないということだった。
 金沢に来て、私は何度も「なぜ清水誠を追っているか?」を話をすることになった。
 姫路のマッチ産業のことを、そしてそのマッチ産業の創業者・清水誠のことを。
 みんな一様に言われた。
 「もう一度名前を言ってくれ」と。そしてメモされた!!

 さあ、次はどこに「清水誠」を追うのか?
 東京か? 神戸か?

(つづく)

 




 

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次はマッチの始祖・清水誠を追え!! #マッチ

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「燐寸(マッチ)一本 化学の元!!」では、「これから」の課題として5つのことをあげていた。
(1) 「日本燐寸工業会」訪問!!
(2) 初めて工業的にマッチの生産を始めた人(マッチの始祖)・清水誠を訪ねる旅!!
(3) マッチ製造工場の見学!!
(4) 学校現場でのマッチ使用状況の調査!?
(5) ミニテキスト試案『マッチ』!!
▼どれも並行しながらの取り組みになるかと思うが、この夏、特に
(2) 初めて工業的にマッチの生産を始めた人(マッチの始祖)・清水誠を訪ねる旅!!
に焦点をあててみたい。
 これまでに宇多川榕庵(津山)、久米通賢(坂出)、川本幸民(三田)と追いかけてきた。
 清水誠を追うには!?
 これまでもずいぶん利用させてもらってきた
◆マッチの歴史(「マッチの世界」 日本燐寸工業会)
から「清水誠」をピックアップしてならべて見る。

●1845 (弘化2)年 12月25日、燐寸(マッチ)開祖、清水 誠(しみず まこと)、金沢に生れる。
●1875 (明治8)年 4月、清水 誠、東京霞ヶ関、吉井友実卿私邸において黄りんマッチの試作に成功。
●1876 (明治9)年 9月、清水 誠、4月に東京三田四国町に設立したマッチ製造所「新燧社(しんすいしゃ)」を東京本所柳原町に移転し、安全マッチの本格的製造を開始。
●1877(明治10)年 第1回内国勧業博覧会に於いて、新燧社製安全マッチが鳳紋賞牌(ほうもんしょうはい)を受賞。
●1878(明治11)年 7月、清水 誠は大蔵卿大隈重信の依頼で糖業研究のため再渡欧中、再度マッチの研究に入り、スウェーデン式安全マッチの製造法視察のためスウェーデン、イェンシェピング工場を見学。
●1879(明治12)年 4月、清水 誠はスウェーデンから帰国後、渡欧中に全焼した工場を再建し、スウェーデン式安全マッチに倣ったマッチの生産を始める。
 清水 誠が全国唐物商を網羅し「開興商社」を設立。国産マッチの販売機関とする。
●1888(明治21)年 9月、清水 誠が連軸マッチ(ブックマッチ)の特許取得(第556号摺附木)。ブックマッチの嚆矢。
          12月、新燧社、倒産。清水 誠は金沢に隠退。
●1896(明治29)年 10月、清水 誠、摺附木軸排列機の特許を取得し、全国に販売。
●1897(明治30)年 清水 誠、尼崎にマッチ工場「旭燧館」の設立を申請し、新燐寸軸排列機の特許も得てマッチ事業へ貢献を果たす。
●1899 (明治32)年 2月8日、清水 誠、逝去、享年数えで55歳。8月、東京亀戸天神境内に「紀功碑」建立。

▼こうしてみると、清水誠という人物が明治期においてマッチ産業を牽引してきたことがわかる。
 その人物像は!?
 科学者・清水誠は!?
 どこを訪ねればその詳細はわかるのか。とりあえず3つの場所を設定してみた。
(1) 「マッチの祖清水誠先生顕彰碑」(金沢・卯辰山)
(2) 「新燧社」跡地の碑 (東京・都立両国高等学校校庭?)
(3) 東京亀戸天神境内の「紀功碑」
▼もうひとつ興味深いゆかりの地が近くにあった。
(4)「金星過日測檢之處」(兵庫県・諏訪山)
マッチとは直接関係ないが、清水誠が科学技術に長けた才能をもっていたかを物語っている。

さて、どの順番に巡るか? 
それは いつになるか?しばし思案してみる。

(つづく)

 
 
 

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ファラデーは「ロウソク」にどのようにして火をつけたのか!? #マッチ

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▼今年もクリスマスが近づいて来た!!
 クリスマスと言えば、思い出すのがファラデーのクリスマスレクチャー『ロウソクの科学』だ。
 『ロウソクの科学』は、1860~1861年にファラデーが青少年のために行ったものだ。
 とても面白い実験の数々が登場する。
 その実験の一部でも実際にやってみると面白いかも知れない。

 アリガタイことに、私たちはその「記録」を読むことができる!!
 
▼『燐寸(マッチ)一本 化学の元!!』を次にすすめるにあたり、私にはどうしても置き去りにしておけない未解決な「ふしぎ!?」があった。
 
(7) ファラデーは『ロウソクの科学』(1860年)で何を使ってロウソクに火をつけたのだろう!?   
・『ロウソクの科学』第一講~第六講をていねいに見るが、マッチが見あたらない?
・「安全マッチ」は使えたのか!? 微妙 (・_・)......ン?

 「それはマッチを使って…」だろうと私も簡単に考えていた。
 そこで、できるだけていねいに『ロウソクの科学』(ファラデー著 竹内敬人訳 岩波文庫)を読み返してみた。
 なんと不思議なことに「マッチ」という言葉が見当たらないのだ。
 
 原本ではどうなんだろう ?(゜_。)?(。_゜)? 

▼今一度、「ロウソクの科学」の前後のマッチの歴史をふりかえってみよう。
マッチの歴史(マッチの世界 日本燐寸工業会)より)

●1805 年 フランスのJ.シャンセルが浸酸(しんさん)マッチ、即席発火箱(French Fire Machines )を発明。
●1827 年 イギリスの薬剤師J.ウォーカーが摩擦マッチ、ウォーカーマッチ(Friction Lights )を発明し、販売。
●1831 年 フランスの化学者C.ソーリアが黄りんマッチを発明。
●1845 年 オーストリアのA.V.シュロッターが赤りんの精製に成功。
●1851 年 イギリスのオールブライトが純度の高い赤りんで作られた赤りんマッチを第1回ロンドン万国博覧会に出品。
●1855 年 スウェーデン、イェンシェピング社のJ.E.ルンドストレームがスウェーデン式安全マッチを発明、特許取得。
●1860年 ファラデー クリスマスレクチャー『ロウソクの科学』
●1865 年 イギリスのブライアント・アンド・メイ社が安全マッチを製造、販売。

問題はかなり焦点化されてくる。

ファラデーが「安全マッチ」を使ったかどうか!?

だ。

それにしても不思議だ。

 あんなに「ロウソク」についてくわしく話をしているファラデーが、「マッチ」についてはふれていないのはどうしてなんだろう!?

(8) マッチの語源は『蝋燭の芯』という意味である。
・ロウソクとマッチの関係は?

とも関係するのだろうか?

▼この機会にもう一度マッチの種類について復習をしておこう。

(10) 燐寸(マッチ)には4つのタイプがある!!
 (a)初期型「黄燐マッチ」
 (b)改良型「黄燐マッチ」
 (c)赤燐を用いた分離型「安全マッチ」
 (d)どこで擦っても発火できる「硫化燐マッチ」

ファラデーが使ったのはどれ!?
それとも別の…

 私のこだわりの「ふしぎ!?」は今年のクリスマスまでに少しでも解決するだろうか。
誰か教えて…<(_ _)>

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『燐寸(マッチ)一本 化学の元!!』のこれから!! #マッチ

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カチカチ!!『火の用心 マッチ一本 火事のもと !!』
 は師走の夜の風物詩。
 いや田舎では「カチカチ!!」でなく、「カンカン!!」の鐘の音だったような。
 いずれにしても、古い古い昔の話だ。

 『燐寸(マッチ)一本 化学の元!!』は、もちろんこの『火の用心 マッチ一本 火事のもと !!』からきている。
 我ながらうまく言ったものだ、と自画自讃してみる。


▼さてその『燐寸(マッチ)一本 化学の元!!』のこれからである。
 風呂敷広げるだけ広げまくったという感もあるが…(^^ゞポリポリ

 マッチ専門店『マッチ棒』でいただいた資料をみながら考えてみる。
 ところで、ここのマッチのゆるキャラ「モンキーマッチ」がとっても気に入ってしまった!!

◆マッチのキャラクター「モンキーマッチ」公式PV♪

は一度聞くと忘れられない!!
なぜか聞く度に元気が出てくるんだ!!

▼ここから、いつも参考にさせてもらっている

◆•マッチの歴史(「マッチの世界」 日本燐寸工業会)

のことについて、「日本燐寸工業会」に連絡してみたことがある。
 実にていねいに対応していただいた。
 不明だったこともいくつか知った。
 今度は実際に訪ねて行って、資料を前にさらにくわしいことを教えてもらおうと思っている。

▼思いつくままに当面の「これから」を列挙してみる。

(1) 「日本燐寸工業会」訪問!!

(2) 初めて工業的にマッチの生産を始めた人(マッチの始祖)・清水誠を訪ねる旅!!

(3) マッチ製造工場の見学!!

(4) 学校現場でのマッチ使用状況の調査!?

(5) ミニテキスト試案『マッチ』!!

等々

ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

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『燐寸(マッチ)一本 化学の元!!』はどこまで!?(2) #マッチ

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「ばっかり病」にも利点があった!!
 病に「利点」とは不思議な話であるが、病であるがゆえに見えてくるものがあった。
 「ばっかり病」を発症しているときは、きわめて視野が狭い。
 それは逆に言えば、いらぬ雑なることを排して、純粋にそのものを焦点化できる。
 
 マッチばっかりに固執し、焦点化することによって、見えてくるツナガリがあった!!

▼宇田川榕庵、久米通賢と多くの人の世話になりながらの「日本のマッチ」を追う旅は、とても面白い展開となってきていた。私は完全に調子にのっていた(^^)V
 次なるターゲットは、川本幸民だった。
 ここでも私は、想像以上の成果をあげたのだった。

(18) 川本幸民の資料・文献は三田ふるさと学習館にある。川本幸民は郷土のほこりだった!!

(19) 川本幸民がつくった燐寸(マッチ)ついては、『川本幸民の 遠西竒器述 解読』(足立元之編著 NPO法人歴史文化財ネットワークさんだ 2010.4.10)にとてもくわしくわかりやすく書かれていた。
 もちろんこの段階では「黄リンマッチ」である。
 なんとうれしいことに、学習館の方のはからいで著者の足立先生と電話でお話をさせてもらった!!
 

▼ここで今一度、日本のマッチの歴史を「マッチの歴史(「マッチの世界」 日本燐寸工業会) 」を参考に三人の科学者についてピックアップしてみる。


●1837 (天保8)年
・ 宇田川榕庵(ようあん)が欧州の文献を参考にマッチについての記述もある化学書『舎密開宗(せいみかいそう)』を著す。

● 1839 (天保10)年
・ 高松藩士、久米通賢(くめつうけん)栄左衛門がドンドロ附木、吹弾子(雷汞(らいこう)マッチ)を発明。史実としてはわが国最初の国産マッチの発明。

●1848 (弘化4)年
・兵庫県加古郡横谷村(現在の三田市)出身の蘭学者、川本幸民(かわもと こうみん)が黄りんを使ったマッチの試作に成功。

宇田川榕庵、久米通賢、川本幸民を訪ねる旅でだいぶんその「マッチの歴史」が見えてきた!!
三人ともマッチだけでなかった。

(20) 宇田川榕庵、久米通賢、川本幸民はいずれもが最先端のきわめてマルチな科学者だった!!
 
▼これらの事実からもつくづく実感することがある!!

(21) 「マッチの歴史」は日本近代「化学」の歴史そのものである!!

(22) 「燐寸(マッチ)一本 化学の元!!」は本当だ!! 

 このふたつが、現段階の「結論」である。
 まだまだ旅はつづく!!

(つづく)

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『燐寸(マッチ)一本 化学の元!!』はどこまで!?(1) #マッチ

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もうあきらめた!!
 私の相反する2つの持病の完全治癒は不可能である!!
 かくなるうえはこの2つの持病とうまくつき合っていくしか方法はなかった。
 「ばっかり病」!!
 と
 「あれもこれも病」!!

▼今年になって、急激に再発症してきた「ばっかり病」に「マッチばっかり病」がある。
 6月の後半から、いろいろの「あれもこれも病」にまぎれて、すっかり忘れてしまうところだった。
 ところが先日、それを思い出させてくれるひとつの文章に出会った。
 その文章は、今月号の『科教協 ニュース』(No.711 2018・12・1(12月号))にあった。

◆『シリーズ実験観察91 マッチは、擦り方の訓練だけなんてもったいない~マッチは文明の利器、楽しく遊びながらマッチの科学を学ぼう! 菅原正志』 

 実に興味深い報告・提案である。
 納得も共感もできる。(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン

 そう言えば私も…と、「マッチばっかり病」を思い出した次第だ。
マッチ専門店『マッチ棒』で手に入れ、そのままになっていたマッチの数々をラボの机のうえにならべてみた。
 たったそれだけの作業をしているだけで、自覚症状に気づいた!!

 「マッチばっかり病」再々発症を!!

▼ポンコツ頭、再々「整理」のため、「これまで」を繰り返してみよう。
 
◆『燐寸(マッチ)一本 化学の元!!』

 半年以上前に番号付けをしていたそのままに列挙してみる。

(1) 「マッチ一本 化学の元 !!」プロジェクトは7年前から頭のなかで「醸成」したきたこと。

(2) なぜ今、私は「燐寸(マッチ)」に注目するのか!?
・理科室のマッチが今、「風前の灯火」だ!!
・こんなすぐれもの「教材」の火を消してはならない!!
・マッチでなければできなない理科実験がある!!
・「より簡単に」「より安全に」の歴史は近代化学の歴史である!!
・マッチづくりは誇りある姫路の地場産業だ!!全国生産の7~8割がココで!!

(3) マッチの歴史(「マッチの世界」 日本燐寸工業会) はココできまりだ!!アリガタイ!!

(4) THE MAKING (101)マッチができるまで (サイエンスチャンネル 科学技術振興機構) マッチはこのようにしてつくられる!! わかりやすい貴重なビデオである!!  

(5) 「マッチの火をつける」だけでもりっぱな実験デアル!!
 くり返しになるが、これを私は大いに強調しておきたい。「実験の安全性」とあわせて指導すれば、充分一時間楽しめる実験である。子どもたちには大人気だ!!

(6) ぜひとも「マッチ」を使用したい実験(中学校を中心に)

(a) 水でマッチに火をつける。(過熱水蒸気の実験)

(b) 流れる食塩でマッチに火を!!(【三態変化】より)

(c) FeとSの「化合」は発熱反応であるを、マッチで確認する!!(【化学変化】より)

(d) 「気体」確認にマッチを使用する。水素の燃焼はマッチで!!

等々 まだまだいっぱいありそうだ!!
ともかく理科の授業でも
マッチ棒一本からはじまる化学の世界!!
を大いに楽しみたいものだ!!

(7) ファラデーは『ロウソクの科学』(1860年)で何を使ってロウソクに火をつけたのだろう!?   
・『ロウソクの科学』第一講~第六講をていねいに見るが、マッチが見あたらない?
・「安全マッチ」は使えたのか!? 微妙 (・_・)......ン?

(8) マッチの語源は『蝋燭の芯』という意味である。
・ロウソクとマッチの関係は?

(9) 小箱マッチには平均44本のマッチ棒が入っている!!
    実際に数えてみると多い少ないアリ!! 

(10) 燐寸(マッチ)には4つのタイプがある!!
 (a)初期型「黄燐マッチ」
 (b)改良型「黄燐マッチ」
 (c)赤燐を用いた分離型「安全マッチ」
 (d)どこで擦っても発火できる「硫化燐マッチ」

(11) 『マッチ売りの少女』が売ったのは、「安全マッチ」でなく改良型「黄燐マッチ」である可能性が高い!!

(12) マッチ専門店「マッチ棒」にマッチ情報のすべてがある!! 

(13) 宇田川榕庵が『舎密開宗』(せいみかいそう 1837年)で燐寸についてふれていた!?
・「第百三十章 燐の燃焼性」おそらくこの部分だろう。

(14) 津山洋学資料館に宇田川榕庵に関する資料がいっぱいある!!
・榕庵はきわめてマルチに活躍していた!!

(15) 『舎密開宗―復刻と現代語訳・注 (1975年)』 (講談社 宇田川 榕菴 (著),田中 実 (著))は面白い!!
・ついに手に入れてしまった!!

(16) 久米通賢が「わが国最初の国産燐寸(マッチ) 」(1839年 天保10年)を作っていた。!!
・雷汞(らいこう)マッチは「黄燐マッチ」ではなかった!!

(17) 鎌田共済会 郷土博物館に久米通賢の資料が集中してあった!!必見!!

(つづく)
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『燐寸(マッチ)一本 化学の元!!』はどこまで!? #マッチ

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▼大賀ハス「花芽」2号はいつのまにやら、「花芽」1号を追い越してしまっていた!!
 立葉のあいだを縫うように花茎をのばし、逆転してしまったのである。
 「花芽」2号の蕾は、誰かが囓ったのだろうか、少しあの赤い色が覗いていた。
 蓮根の植え替えから13週目だった。

 「あこがれの4日間」はいつだろう。 o(^o^)o ワクワク

▼「ばっかり病」と「あれもこれも病」の往復運動を飽きもせず繰り返していた。
 今年になって急激に発症してきた「ばっかり病」のひとつに「マッチばかり病」がある。
 その軌跡をページにしていた。

◆『燐寸(マッチ)一本 化学の元!!』 

である。
▼その病もやや小康状態が続いている。
 どこまで来ていたのだったかな!?
 少しその「記録」を見ながらふり返ってみた。

 宇田川榕庵、久米通賢、川本幸民を訪ねる旅を通してその「歴史」が少し見えてきていた!!
二つのことが確信にかわりつつあった。

(1) 「マッチの歴史」は日本近代「化学」の歴史そのものである!!

(2) 「燐寸(マッチ)一本 化学の元!!」は本当だ!! 

▼私の持病のこまったところは、「ばっかり病」だけではないのだ。
 同時に「あれもこれも病」も併発するところだ。
 いくつもの「あれもこれも」が出現して、「マッチばっかり病」から一ヶ月近く遠ざかってしまっていた。

 せっかくの確信もうすれてしまってはモッタイナイ!!
 次の一手は決めていた!!

 ある場所の訪問だ!!
 「これから」はきっとそこから見えてくるはず!!
 さあ、いつ行こうかな o(^o^)o ワクワク

(つづく) 


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