本日(2017/05/27)、第161回オンライン「寅の日」!!#traday

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第35号コウガイビルは消えた!!
 私はこの話を人から聞いたならにわかには信用しないだろう。しかし、これは私が自分の眼で見た「事実」であるから信用するしかない!!
 5/10に出会った第35コウガイビルはナイロン袋のなかで5/25生命活動を終えた。
 そしてすばやく「とけるように」消えた!!
 毎日、朝夕には「生きている」ことを確認するようにしていた。「夏日」が続くことが心配だった。家の中でいちばん気温が低いであろう場所にも移動させていた。でもやっぱりダメだった(/_;)
 「とけるように」消えるコウガイビルを見ながら考えた。

 「生命とは何か?」と。

 なぜか、こんな私のわけのわからないような話しも寅彦ならば真剣に聞いてくれそうな気がするのだ。

▼本日(2017/05/27)はその寅彦を読む日。第161回オンライン「寅の日」である。
5月のテーマは
・「寺田物理学」って!?
 本日はその第三弾、「量的と質的と統計的と」である。

◆本日(2017/05/27)、第161回オンライン「寅の日」!!#traday

●「量的と質的と統計的と」(青空文庫より)

▼なんと強引なこじつけ話だ。(^^ゞポリポリ
 寅彦なら「コウガイビル」の話しを聞いてくれそうだとは。
 でも私にはやっぱりそう思えるのだ。
 こんなコトバにそれを感じるのである。

これらの発見の重大な意義はと言えば、それらのものの精密なる数値的決定より先にそれらのものが「在ある」ということを確立することである。もっともそのためには精密な計画と行き届いた考察なしには手を出せないことは言うまでもないことであるが、その際得る数字の最高精度は少なくも最初には必ずしも問題にならないのである。おもしろいことにはこの種の Residual effect はしばしばそれが「発見」されるよりずっと前から多くの人の二つの開いた目の前にちゃんと現在して目に触れていても、それが「在る」という質的事実を掘り出し、しっかり把握はあくするまでにはなかなか長い時を待たなければならないのである。
 もちろん質的の思いつきだけでは何にもならないことは自明的であるが、またこれなしには何も生まれないこともより多く自明的である。

▼なんとも示唆的なコトバが続く!!

 こういう時代において、それ自身だけに任せておくととかく立ち枯れになりやすい理論に生命の水をそそぎ、行き詰まりになりやすい抽象に新しい疎通孔をあけるには、やはりいろいろの実験が望ましい。それには行ない古したことの精査もよいが、また別に何かしら従来とはよほどちがった方面をちがった目で見るような実験的研究が望ましい。ことにこの眼前の生きた自然における現実の統計的物理現象の実証的研究によって、およそ自然界にいかに多様なる統計的現象がいかなる形において統計的に起こっているかを、できるならば片端から虱しらみつぶしに調べて行って、そうしてそれらの現象の中に共通なる何物かを求めることが望ましく思われる。
 この難儀の問題の黒幕の背後に控えているものは、われわれのこの自然に起こる自然現象を支配する未知の統計的自然方則であって、それは――もしはなはだしい空想を許さるるならば――熱力学第二方則の統計的解釈に比較さるべき種類のものではあり得ないか。マクスウェル、ボルツマン、アーレニウスらを悩ました宇宙の未来に関するなぞを解くべきかぎとしての「第三第四の方則」がそこにもしや隠れているのではないか。

寅彦がこう書いたのは1931年(昭和6)だ。

 あのシュレーディンガーが『生命とは何か』を書いたのは1944年だ!!

 やっぱり寅彦は面白い!!

 36号コウガイビルと出会えるのはいつだろう。今度は…

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2017年6月のオンライン「寅の日」は #traday

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▼今度は玄関のジョロウグモの卵のうから子グモたちが出てきて「団居(まどい)」をはじめた!!
 一昨日はほんの少し兆しがあるかと思った程度だった。昨日の朝にはそれもはっきりとは認められなかった。ところがお昼にかけてどんどん様子が変わっていった。
 まちがいない!!「出のう」だった!!
 一方、トタン屋根の方は「団居」の分散のかたちをいろいろ変えていた。車庫の上はまだ変化はない。
 それにしても「ふしぎ!?」だ。
  離れた位置でかなり環境のちがう卵のうから、ほぼ同時に子グモたちが出てくるなんて!?
  連絡をとりあったとでも言うのだろうか!?

 「ねえ君、不思議だと思いませんか?」

▼6月のオンライン「寅の日」を考える時期がきている。
5月のテーマは 
・「寺田物理学」って!?
だった。ずいぶん奥の深いテーマだった。まだ入口周辺をウロウロしている程度だ。
 延長したからと言って、どこまで深まるかわからない。
 しかし、とりあえず一ヶ月は延長したい!!
 従って6月テーマも
・「寺田物理学」って!?
 でいく。6月は2回ある。

■2017年6月オンライン「寅の日」

◆第162回オンライン「寅の日」 …6/08(木)
◆第163回オンライン「寅の日」 …6/20(火)

▼「寺田物理学」の守備範囲は広い。無限大とも言える。
 従来の「物理」「化学」「生物」「地学」の領域分けも意味をなさないのかもしれない!!
 そこに「寺田物理学」の真骨頂があるのかも知れない。そんなことを考えながら二つの随筆を選んでみた。
 「自然界の縞模様」「物質群として見た動物群」である。

■2017年6月オンライン「寅の日」

◆第162回オンライン「寅の日」 …6/08(木) 「自然界の縞模様」(青空文庫より)

◆第163回オンライン「寅の日」 …6/20(火) 「物質群として見た動物群」(青空文庫より)

▼何度読んでも、その発想・着眼点にはびっくりだ。いつも新鮮で面白い!!
 しかし、「寺田物理学」を理解することは私などにはなかなか困難なようだ。
 ナラバ 居直って

 「わかる」より「愉しむ」に力点を置いて継続していきたい!! 
 
 大賀ハス観察池は蓮根の植え替えから4週目だった。大きな浮葉が目立ってきた。水面を浮葉が覆い尽くせば次は立葉の芽が出てくるだろう。そして大きな立葉のそばにはあの「花芽」が…
 6月中には、一度でも「あこがれの4日間」が訪れることがあるだろうか?

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オンライン「寅の日」のすすめ(7) #traday

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▼先月「2017年春・寅彦を訪ねて」の旅で、寅彦の銅像を制作中の大野良一先生のアトリエ(スタジオ大野)を訪問させていただいた。
 そのときのことが新聞記事となったと教えていただいた。

●「語り掛ける寅彦」(高知新聞 2017/05/17)

「ねえ君、不思議だと思いませんか?」
と語り掛けてくる寅彦の銅像の完成が楽しみだ。o(^o^)o ワクワク
▼昨日の空は晴れていた。
 日射しはもうまったく夏であった。気温もぐんぐんあがっていた。
 こうなると「あいつ」のことが気がかりだ。5/10に出会った35号コウガイビルだ。
 ナイロン袋の中に入れ、暗く少し涼しいと思われるところにおいている。久しぶりに明るいところに出してその姿が観察した。ナイロン袋にはりつく力はあきらかに衰えていた。
 この暑さにどこまで耐えられるだろう?
 いつ「とけるように」姿を消すだろう? 
 それにしてやっぱり「ふしぎ!?」だ、このコウガイビル=陸棲プラナリア!!
▼オンライン「寅の日」のすすめを続ける。

◆寺田物理学の特質(石原 純)(『思想』岩波書店 特集「寺田寅彦追悼号」昭和11年3月号より)

 読めば読むほど強くそう思う。
 最高の「寺田寅彦随筆のすすめ」だ!!
 にわか寅彦ファンの私は、そんなに寅彦について書かれた文章をたくさん読んできたわけではないが、読んだなかでは最高の「寺田寅彦論」である。
 寅彦を高く評価し、敬愛していた石原純だからこそ書けた文章である。

▼全文を引用させてもらいたい気分であるが、昨日のつづきをまた少し

 寺田さんが芸術的天才をもってゐて、文学や音楽や美術に通じ、従っていつも芸術的に自然を観照することに於いて多くの興味を感じてゐたことは事実である。特に俳諧に由来する写実主義により自然のあらゆる具体的な現はれ於いて深い味を感得しつゝあつたことは、おのづから科学的な研究も同じ対象の方に向けさせたのだった。この傾向はいつも寺田さんの頭の中でかなり強く働いてゐたらしく、そのお蔭で現在の精密科学が取り扱ってゐるやうな抽象よりももっと別な具体的な事実のなかにこそ本当に研究すべき問題がたくさんあると云う思考を寺田さんは把持し続けて来たやうである。これは屡々現代の科学への警告的な意味を超えて幾らか反感的な形になってさへ現はれている。(上記文より)

なんとも説得力ある文である。
理解できたとは言わないが、思わずうなづくのである。(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン

(つづく)
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オンライン「寅の日」のすすめ(6) #traday

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▼昨日(2017/05/17)、これを第3号と認定しようと決めた!!
 昨年回収した種子から育てている実生ヒガンバナ、3つめの発芽(発根)だ。種子から出てきた白い部分はまだ小さかった。でも少しずつ大きくなっているように見えた。
 「自然結実」花茎の採集場所、採集日、完熟日は、「安富」「11/1」「11/24」であった。
 第1号(「安富」)の発芽したものはさらに緑を増していた。第2号(「福崎」)は発芽したあと大きくブリッジをしていた。種子に近い方が緑を増し、土にもぐり込んでいる方は白く、ほんと心持ちふくらんできているように見えた。
▼こんな実生ヒガンバナの観察と「物理学」、およそ何の関係もなさそうだ。
 これは私の都合の良い勝手な思い込みかも知れないが、「寺田物理学」ならば「物理学」の範疇でとらえることができそうな気がするのである。
 浅学無知ゆえの妄想かも知れないが、そう考えた方が「自然」が面白くなりそうだ!!
▼5月オンライン「寅の日」のテーマにもあげている「寺田物理学」。
 そもそもそれはふつうの「物理学」とどこが違うのだろう?
 「寺田物理学」などというコトバはいつごろから使われているのだろう?
 「寺田物理学」って?

 「物理」が大の苦手な私が、ポンコツ頭をフル駆動して考えてみた。
 その時、寡少なる知識のなかで印象深く思い出した一文があった。

◆寺田物理学の特質(石原 純)(『思想』岩波書店 特集「寺田寅彦追悼号」昭和11年3月号より)

 著者である石原純は同時代を生きた有名な物理学者だ。(くわしくは理科ハウス参照) 
▼私ごときがエラソウに言うことではないがさすがデアル!!
 全体としてみごとな「寺田寅彦随筆のすすめ」となっている。
 従って、これぞ最高級の 「オンライン「寅の日」のすすめ」 と言える。

 しばらくこれをゆっくり読んでみようと思う。
 「寺田物理学」についていくらか引用させてもらおう。

 事実に深く透徹することは即ち卑俗な類型化を避けて独創的な新らしい類型化に赴かしめる所以であるからである。この意味での写実主義こそ、寺田さんがまたその科学研究に於て採ったところの注目すべき方法であった。それは言い換えれば抽象よりも具体を重んずるところの一つの方法である。抽象的な法則を羅列してある物理学の教科書にはまるで書かれていないような、そして今日高度の抽象にまで進んでいる物理学の中心問題からは縁遠いやうな、いつも具体的現実として我々の周囲に見られるような事実がその研究対象として採り上げられる。これが実に寺田物理学の特質を形作っているのである。(上記文より)

 実生ヒガンバナが発芽(発根)したことはまぎれもない「事実」である!!

(つづく)
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本日(2017/05/15)、第160回オンライン「寅の日」!!#traday

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▼第35号コウガイビルは今朝もまだ元気だった!!
 昨日(2017/05/14)は私のシロウト「コウガイビル」研究にとって特別の日だった。いつかは、「実はコウガイビルとはこんなものなんです!!」と多くの人に生のコウガイビルを見てもらいたいと願ってきた。
 これまではそのチャンスを何度となく逃していた。ちょうど見てもらいたいと思ったときは、暑さのため等で「とけるように」消えてしまっていたりした。昨日も暑い日だった。
 心配だった。
 見てもらうまでに消えてしまっていたらどうしようと。
 でも今朝も元気でほっとした。
 これで、「そんなのやったら、ウチにも居るよ!!」という報告が楽しみだ。
▼本日(2017/05/15)は、第160回オンライン「寅の日」である。
 5月のテーマは
 ・「寺田物理学」って? 
 である。本日はその第二弾「物理学圏外の物理的現象」を読む。
 
◆本日(2017/05/15)、第160回オンライン「寅の日」!!#traday

●「物理学圏外の物理現象」(青空文庫より)

▼昨日もファラデーラボで「物理学」を学んできたところだ。
 「物理学圏内」もなかなかおぼつかないのに「圏外」のはなしとなるとチンプンカンプンかと思ったら、なかなか興味深い話が次々と出てきた。最初からこう来た。

 物理学は元来自然界における物理的現象を取り扱う学問であるが、そうかと言って、あらゆる物理的現象がいつでも物理学者の研究の対象となるとは限らない。本来の意味では立派に物理的現象と見るべき現象でも、時代によって全く物理学の圏外に置かれたかのように見えることがありうるのである。 

 物理学の「圏内」「圏外」ははじめから決まったものでなく、けっこう時代によって変遷していくものであると言っている。

  これだけの例から見ても、その当代の流行問題とはなんの関係もなくて、物理学の圏外にあるように見える事がらの研究でも、将来意外に重要な第一線の問題への最初の歩みとなり得ないとは限らない。それでそういう意味で、現在の物理学ではあまり問題にならないような物理的現象にどんなものがあるかを物色してみるのも、あながち無用のわざではないかもしれない。

▼その現象の具体例としてあがっているものも豊かで興味深い。

 金米糖こんぺいとうを作るときに何ゆえにあのような角つのが出るか。角の数が何で定まるか、これも未知の問題である。すすけた障子紙へ一滴の水をたらすとしみができるが、その輪郭は円にならなくて菊の花形になる。筒井俊正つついとしまさ君の実験で液滴が板上に落ちて分裂する場合もこれに似ている事が知られた。葡萄酒ぶどうしゅがコップをはい上がる現象にも類似の事がある。  剃刀かみそりをとぐ砥石といしを平坦へいたんにするために合わせ砥石を載せてこすり合わせて後に引きはがすときれいな樹枝状の縞しまが現われる。平田森三ひらたもりぞう君が熱したガラス板をその一方の縁から徐々に垂直に水中へ沈めて行くとこれによく似た模様が現われると言っている。

 今では
「複雑系科学」
「フラクタル」
「ゆらぎ」
等々のコトバで語られる「ふしぎ!?」だ。
 私のように「圏内」もおぼつかない人間には「希望」と注意すべきことも書いていてくれていた。

 物理学圏外の物理現象に関する実験的研究には、多くの場合に必ずしも高価な器械や豊富な設備を要しない。従って中等学校の物理室でも、また素人しろうとの家庭でもできうるものがたくさんにあると思われる。しかしいかなる場合にでも、その研究者が物理学現在の全系統について、正しい要約的な理解を持っていることだけは必須ひっすな条件である。日本でもまれに隠れた篤志な研究者がいて、おもしろい問題をつかまえて、おもしろい研究をしている人はあるようであるが、惜しいことには物理学の第一義的根本知識の正しい理解が欠けているために、せっかくの努力の結果が結局なんの役にも立たぬ場合が多いようである。過去百年の間に築き上げられたこの大規模の基礎を離れて空中に楼閣を築く事は到底不可能なことである。しかし物理学の基礎的知識の正当な把握はあくは少しの努力によって何人なんぴとにでもできることであるから、それを手にした上で篤志の熱心なる研究者が、とらわれざる頭脳をもって上記のごとき現象の研究に従事すれば、必ず興味あり有益なる結果が得られるであろうと考える。

なんとも示唆的である。
 あのコウガイビルの生命の営みを真に理解するために必要な「物理学の第一義的根本知識」とはなんだろう?
コウガイビルは待っていてくれるだろうか。

 

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本日(2017/05/15)、第160回オンライン「寅の日」!!#traday

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▼第35号コウガイビルは今朝もまだ元気だった!!
 昨日(2017/05/14)は私のシロウト「コウガイビル」研究にとって特別の日だった。いつかは、「実はコウガイビルとはこんなものなんです!!」と多くの人に生のコウガイビルを見てもらいたいと願ってきた。
 これまではそのチャンスを何度となく逃していた。ちょうど見てもらいたいと思ったときは、暑さのため等で「とけるように」消えてしまっていたりした。昨日も暑い日だった。
 心配だった。
 見てもらうまでに消えてしまっていたらどうしようと。
 でも今朝も元気でほっとした。
 これで、「そんなのやったら、ウチにも居るよ!!」という報告が楽しみだ。
▼本日(2017/05/15)は、第160回オンライン「寅の日」である。
 5月のテーマは
 ・「寺田物理学」って? 
 である。本日はその第二弾「物理学圏外の物理的現象」を読む。
 
◆本日(2017/05/15)、第160回オンライン「寅の日」!!#traday

●「物理学圏外の物理現象」(青空文庫より)

▼昨日もファラデーラボで「物理学」を学んできたところだ。
 「物理学圏内」もなかなかおぼつかないのに「圏外」のはなしとなるとチンプンカンプンかと思ったら、なかなか興味深い話が次々と出てきた。最初からこう来た。

 物理学は元来自然界における物理的現象を取り扱う学問であるが、そうかと言って、あらゆる物理的現象がいつでも物理学者の研究の対象となるとは限らない。本来の意味では立派に物理的現象と見るべき現象でも、時代によって全く物理学の圏外に置かれたかのように見えることがありうるのである。 

 物理学の「圏内」「圏外」ははじめから決まったものでなく、けっこう時代によって変遷していくものであると言っている。

  これだけの例から見ても、その当代の流行問題とはなんの関係もなくて、物理学の圏外にあるように見える事がらの研究でも、将来意外に重要な第一線の問題への最初の歩みとなり得ないとは限らない。それでそういう意味で、現在の物理学ではあまり問題にならないような物理的現象にどんなものがあるかを物色してみるのも、あながち無用のわざではないかもしれない。

▼その現象の具体例としてあがっているものも豊かで興味深い。

 金米糖こんぺいとうを作るときに何ゆえにあのような角つのが出るか。角の数が何で定まるか、これも未知の問題である。すすけた障子紙へ一滴の水をたらすとしみができるが、その輪郭は円にならなくて菊の花形になる。筒井俊正つついとしまさ君の実験で液滴が板上に落ちて分裂する場合もこれに似ている事が知られた。葡萄酒ぶどうしゅがコップをはい上がる現象にも類似の事がある。  剃刀かみそりをとぐ砥石といしを平坦へいたんにするために合わせ砥石を載せてこすり合わせて後に引きはがすときれいな樹枝状の縞しまが現われる。平田森三ひらたもりぞう君が熱したガラス板をその一方の縁から徐々に垂直に水中へ沈めて行くとこれによく似た模様が現われると言っている。

 今では
「複雑系科学」
「フラクタル」
「ゆらぎ」
等々のコトバで語られる「ふしぎ!?」だ。
 私のように「圏内」もおぼつかない人間には「希望」と注意すべきことも書いていてくれていた。

 物理学圏外の物理現象に関する実験的研究には、多くの場合に必ずしも高価な器械や豊富な設備を要しない。従って中等学校の物理室でも、また素人しろうとの家庭でもできうるものがたくさんにあると思われる。しかしいかなる場合にでも、その研究者が物理学現在の全系統について、正しい要約的な理解を持っていることだけは必須ひっすな条件である。日本でもまれに隠れた篤志な研究者がいて、おもしろい問題をつかまえて、おもしろい研究をしている人はあるようであるが、惜しいことには物理学の第一義的根本知識の正しい理解が欠けているために、せっかくの努力の結果が結局なんの役にも立たぬ場合が多いようである。過去百年の間に築き上げられたこの大規模の基礎を離れて空中に楼閣を築く事は到底不可能なことである。しかし物理学の基礎的知識の正当な把握はあくは少しの努力によって何人なんぴとにでもできることであるから、それを手にした上で篤志の熱心なる研究者が、とらわれざる頭脳をもって上記のごとき現象の研究に従事すれば、必ず興味あり有益なる結果が得られるであろうと考える。

なんとも示唆的である。
 あのコウガイビルの生命の営みを真に理解するために必要な「物理学の第一義的根本知識」とはなんだろう?
コウガイビルは待っていてくれるだろうか。

 

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オンライン「寅の日」のすすめ(5) #traday

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▼大賀ハス観察池は蓮根の植え替えから3週を経過していた。
 3つに分割された観察池。いずれの観察池からも「浮葉」が水面に出ていた。最初は水面から葉茎が立ち「立葉」のようそうを見せるが、やがて水面に倒れ「浮葉」となる。「立葉」が登場するのは、「浮葉」が水面を覆い尽くした後のようだ。
 3つの観察池以外に、残った蓮根を一時的のつもりで昨年度の池で「水栽培」をしていた。皮肉にもそちらの池の方が現段階では「浮葉」だらけだ!!

 3つの観察池、昼間よく観察していると水面にプクプクと泡がでてくる。
 おおー蓮根が息をしている!!
 生きているんだ!!
 とうれしくなってしまうんだ。
▼寅彦だったら、どんなところをどのように観察しただろう?
 こう考えるのが、いつしか私の習癖となってしまった。

 オンライン「寅の日」をはじめるきっかけとなり、今なお毎回のごとく参考にさせてもらっている一冊の本がある。
私にとっては最高のオンライン「寅の日」ガイドブックだ!!
 それは

◆『寺田寅彦と現代 ~等身大の科学を求めて~』(池内 了著 みすず書房 2005.1.21)

 である。
▼このテーマでは、どの随筆を読めばいいんだろう?
そう考えたときは、かならずこの本を開くようにしている。にわか寅彦ファンである私にはまだまだどんな随筆を書き残してくれているのか全貌を把握しきれていなかった。
だからとてもアリガタイ一冊なんだ!!
 著者・池内了氏は、「はじめに」で次のように書いていた。
 

 そこで、寺田寅彦について現代から再照射してみたいと考えるようになった。といって、これまで多く書かれてきた寺田寅彦論を繰り返そうという意図ではない。彼の死から七〇年近くも経っており、現代科学は彼の時代から大きく変貌し、また社会における科学の位置づけも異なっている。過去を惜しむかのような寺田寅彦論ではなく、彼の眼を借りて、現代科学の有りようを批判的に炙り出したいのだ。現代の私たちは、科学・技術の巨大な成果に取り巻かれ、もはや科学・技術と縁を切って生きることができない。しかし、科学・技術の負の側面にも直面することになった。科学は善とばかりに考え、このまま野放図に拡大していって良いかどうか、じっくり考えるべき時が来ている。科学の光と陰を見据えながら、寺田寅彦を現代に甦らせてみようという試みである。(同書P4「はじめに」より)

▼池内氏がこう書いて6年後に3.11がやってきた!!
 3.11から6年が経って今だ!!
 この本の中でも、池内氏は繰り返し2つのキーワード(私には「道標」!!)にふれていた。
・「等身大の科学」
・「新しい博物学」

 これからもこの本にお世話になりながら「ゆっくり ゆっくり」オンライン「寅の日」をすすめたい!!

(つづく)
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オンライン「寅の日」のすすめ(4) #traday

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賢治の「雲見」!!
 と
 寅彦の「宇宙見物」!!
は私の究極の道楽だった。

 昨日のちょうど正午、いつものように「雲見」をしていると、「日暈」が見られた!!
 アメダスで確認すると地上気温は26.0℃だった。もう「夏日」だ!!
 でも「日暈」は氷晶でなければできない。せいぜい5~10㎞離れているだけなのに!?
 やっぱり 
 「ねえ君、不思議だと思いませんか?」

▼寅彦は「宇宙見物」だけではない、「雲見」もやっていた!!
やっていたどころの話しではない。
「雲見」の達人でもあった!!これは最近のオンライン「寅の日」で再認識したところである。
 寅彦の随筆を読むたびに認識することがある。

 寅彦はいつ読んでも今日的である!!

 ということだ。書かれてからもう80~90年以上たっているのに、まるでたった今書かれたように新鮮で今日的である。
 とりわけ、あの警鐘「天災は忘れた頃にやって来る」に関する随筆はそうだ。
▼この事実を自らのライフワークにひきつけ、寅彦の随筆を「活用」しようとする人がいた!!
 寅彦の警鐘を引き継ぎ、強く鳴らし続け活躍する鎌田浩毅氏だ。
 
◆「寺田寅彦を「活用」する」鎌田浩毅 『科学者の目、科学の芽』(岩波書店編集部編 岩波書店)、元々は『科学』2014.11月号より)

 はとても示唆的だ。このなかで鎌田氏は次のように言っていた。

彼が行った「科学コミュニケーション」に関する数々の工夫は、直ちに私の手本となった。わかりやすく興味深いエピソードをふんだんに含む寺田の語り口は、標語「面白くてタメになる」のベースになった。(同書P173より)
 
 アウトリーチに関する私の修行は今も進行中であり、寺田が残してくれた試行錯誤の記録は知恵袋となっている。彼の専門と思想を引き継ぐ者として、これからも寺田寅彦を「活用」していきたいと思う。(同書P174より)  

▼人は自らの「文脈」に沿ってしか他の人の「文脈」を読み解くことはできない。
 ただちに鎌田氏の真似をして、寅彦を「活用」することは私には不可能である。
 そんな知識も能力もない。
 しかし、私自身の「文脈」に沿った「活用」であれば、ひょっとしたら道があるかも知れない。

(つづく)

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オンライン「寅の日」のすすめ(3) #traday

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好きなもの 苺 珈琲 花 美人 懐手して 宇宙見物

 寺田寅彦は、昭和9年1月にこのような短歌(三十一文字)を詠んだ。
 晩年まで苺が大好きだったようである。
 その苺、ほったらかしにしていたら、やっと赤くなりはじめた。もう一ヶ月早ければ墓前にもっていくこともできたのだが残念だ。
 最後の「懐手して 宇宙見物」というのが、私としてはとても気に入っている!!
 毎日使わせてもらっている。

オンライン「寅の日」のすすめ をさらに進める。
 オンライン「寅の日」をはじめるちょうど一年前、私は

◆「サイエンスコミュニケーター宣言」

を書き始めた。
 「サイエンスコミュニケーター」と名のってはみたものの何からとりかかったらよいものやら決めかねていた。
・そもそも「サイエンスコミュニケーター」って?
・今、「私の科学」はどこに?
・これからの「科学」は…!?
 そんなこと考えながら、まずいろいろ動いてみることにした。
▼オンライン「寅の日」のネーミングにヒントをくれた

◆『寺田 寅彦 漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学』(小山 慶太著 中公新書 2012.1.25)

に、「サイエンスコミュニケーター」に関してもたいへん興味深いことが書かれていた。
 科学者・寺田寅彦のことを次のように評していた。

  

科学に関して研究者であると同時に、サイエンス・コミュニケーションの担い手-この面では先駆者とみなせるであろう-としての顔ももっていたのである。(同書 P220より)

科学研究が細分化、巨大化し、精神的にも物理的にもその規模が一人の人間の枠をはるかに越えてしまっている今日、寅彦の随筆を読んでいると、失われつつある科学の原風景が懐かしさをともなって蘇ってくるような気がする。(同書 P223より)

▼オンライン「寅の日」で5年あまり寅彦の随筆を読み続けてきた今、小山氏の言っていることがきわめて納得できる!! (゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン

そうだ 間違いなく!!

寺田寅彦は日本の元祖サイエンスコミュニケーターである!!

 彷徨の答えのひとつがここにありそうな気がする。

(つづく)

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オンライン「寅の日」のすすめ(2) #traday

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▼今年一番目に発芽(発根)した実生ヒガンバナ(安富)は、緑を増していた。
 根は土ポットにもぐり込むように伸びていた。この後の興味はどのあたりが膨らんでくるかである。
 そこが鱗茎の赤ちゃんとなるのだろう。
 二番目に気づいた実生ヒガンバナ(福崎)の方は、まだ白い。のびた芽はいちど湾曲してから土ポットにもぐりこんでいる。どうしてその方向に土があることを知ったのだろう?
 光かそれとも重力か?
 やっぱりあの言葉を使わしてもらおう。

 「ねえ君、不思議だと思いませんか?」

▼オンライン「寅の日」のすすめ を進める。

<そもそもなぜ「寅の日」なのか?そのネーミングはどこから?>
 2012年春、オンライン「寅の日」をはじめる少し前に寺田寅彦に関するたいへん興味深い本を読んだ。

◆『寺田 寅彦 漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学』(小山 慶太著 中公新書 2012.1.25)

である。ここに「寅の日」のヒントがあった。

 寅彦は高嶺俊夫と親交を深めるなか面白いことをやっていたようだ。  一九二八年(昭和3年)の春ころから、高嶺と寅彦は毎週一度のペースで、二人だけの昼食会を催すことになる。 高嶺はこの日を「寅の日」、一方の寅彦は「高嶺デー」と呼んでいた。(中略)学問の話もしたが、それ以外に気楽なテーマもよく話題にのぼったという。“高等遊民”を彷彿させる二人の姿が浮かんでくる。(同書 P15)

 これだと思った!!この「寅の日」を21世紀の今、再現をしたいと強く思った。再現と言って「昼食会」を再現するのでない、その「空気」を再現するのである。
 寅彦が残してくれた随筆を多くの人と一緒にオンラインで読むのことで「再現」したい思ったのだ。
 
 かくして オンライン「寅の日」 ははじまった!!

▼高嶺と寅彦は毎週一度のペースで、「寅の日」を実施していた。
 しかし、それでは少し忙しない。月に一度では間があきすぎる。
 そこで思いついたのが干支の「寅」だった。干支の「寅の日」は12日一回巡って来る。
 これぐらいが忙しすぎず、間延びしないちょうどいいペースだと思った。
 これなら一回一回日程を検討する必要もない。とても便利だ!!
 5年と一ヶ月を経てこれはすっかり定着した。

 12日に一度、オンライン「寅の日」は巡ってくる!!

▼原則は12日に一回と決めながらも一年間に一度だけ例外の日をつくっていた。
 寺田寅彦は1935年(昭和10)の大晦日12/31、転移性骨腫瘍のため亡くなった。
 58歳(数え年)だった。
 だから12/31は寅彦の忌日だった。
 この日を特番「オンライン「寅の日」とした。

 この日に読むものも決めていた。最晩年に書かれた
●「日本人の自然観」(青空文庫より
 である。
 
 特番をあわせて年間31回のオンライン「寅の日」!!
 はたしてこれはどこまで…。

(つづく)

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