本日(2017/03/28)、第156回オンライン「寅の日」!!#traday

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▼「アメダス」の桜はもう葉桜にシフトしつつある!!
 お宮の桜はどうだろう?
 全国の桜開花前線はどうなっているのだろう?
 こうしてかなり正確に開花予報ができるのは、桜の開花と自然環境(気温、日照時間等)の間に一定の法則性があることをみつけているからであろう。

 ナラバ、大地の動きについてはどうであろう!?

▼本日(2017/03/28)は、第156回オンライン「寅の日」である。
 3月のテーマは
・警鐘「天災は忘れた頃にやって来る」
である。本日はその第3弾「地震雑感」を読む。

◆本日(2017/03/28)、第156回オンライン「寅の日」!!#traday

●「地震雑感」(青空文庫より)

▼今回これを読んでもっとも強く感じたのは、
科学者・寺田寅彦の先駆性!!
である。最初にこれを書いた1924年前後の歴史を再確認してしておく。

●1912年(明治45・大正元) ウェゲナーの「大陸移動説」
●1923年(大正12) 東京・上野で関東大震災に遭遇、火災旋風など震災被害調査を始める。
●1924年(大正13) 理化学研究所の所員となる。「地震雑感」を発表。
●1926年(大正15・昭和元) 東京帝国大学地震研究所所員となる。
●1927年(昭和2) ウェゲナーの大陸移動説を取り入れた「日本海形成論」を唱える。

 「一地震の概念」のまとめとして次のように語っていた。

 これらのあらゆる断面を綜合して地震現象の全体を把握する事が地震学の使命でなくてはならない。勿論、現在少数の地震学者はとうにこの種の綜合に努力し、既に幾分の成果を齎もたらしてはいるが、各断面の完全な融合はこれを将来に待たなければならない。

 こらから93年の歳月がたった。
 融合はどこまでなし得たのだろうか?
 地震学の「現在地」は?
▼先駆性を強く感じたのは、ここだ!!

 かくのごとく直接観測し得らるべき与件の僅少な問題にたいしては種々の学説や仮説が可能であり、また必要でもある。ウェーゲナーの大陸漂移説や、最近ジョリーの提出した、放射能性物質の熱によって地質学的輪廻りんね変化を説明する仮説のごときも、あながち単なる科学的ロマンスとして捨つべきものでないと思われる。今回地震の起因のごときも、これを前記の定説や仮説に照らして考究するは無用の業ではない。これによって少なくも有益な暗示を得、また将来研究すべき事項に想い到るべき手懸りを得るのではあるまいか。
 地震だけを調べるのでは、地震の本体は分りそうもない。

のコトバは示唆的である。

最後に

要は、予報の問題とは独立に、地球の災害を予防する事にある。
 
そういう設備の可能性は、少なくも予報の可能性よりは大きいように私には思われる。

 警鐘「天災は忘れた頃にやって来る」の本意はここにある!!

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本日(2017/03/16)、第155回オンライン「寅の日」!!#traday

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賢治の「雲見」と寅彦の「宇宙見物」は私の究極の道楽だ!!
 昨日の「雲見」は少しかわっていた。日が照っているのに小雨が降ったりやんだりを繰り返していた。
 俗に「狐の嫁入り」というやつだ。
 こんなときは虹が見られるのではと予想し待っていた。
 やっぱりそうだった。
 時間は長くはなかったが、何度か北東の空に虹がかかった!!

 今、ちょっと気になったので調べてみた。
 宮沢賢治が亡くなったのは1933年(昭和8)9月21日、37歳だった。一方、寺田寅彦が亡くなったは1935年(昭和10)12月31日、57歳だ。してみると

 「雲見」の空と「宇宙見物」の空が重なる!! 同じ空だったのでは!?

▼本日(2017/03/16)は、第155回オンライン「寅の日」である。
 3月テーマは、3.11にちなみ
 ズバリ 警鐘「天災は忘れた頃にやって来る」 である。
 その第二弾として読むのは 「天災と国防」 である。

◆本日(2017/03/16)、第155回オンライン「寅の日」!!#traday 

●「天災と国防」(青空文庫より)

▼今回の作品は亡くなる前年、つまり1934年(昭和9)に書かれたものである。
 警鐘「天災は忘れた頃にやって来る」に近いコトバも出てくる作品と言われているそうだ。
 それはどこだろう?

 今回の読みで私がいちばんに注目したのは次だった。

 しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。

 さらにそれを詳しく述べたのが次だ。

 文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻(おり)を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊(ほうかい)させて人命を危うくし財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである、災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きくするように努力しているものはたれあろう文明人そのものなのである。

 寅彦がこう言ってから83年!!
 21世紀の今も、いや今こそ響いてくるものがあるのでは…
▼では警鐘「天災は忘れた頃にやって来る」にもっとも近いコトバどこだろう。
 きっとここなんだろう。

それで、文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防御策を講じなければならないはずであるのに、それがいっこうにできていないのはどういうわけであるか。そのおもなる原因は、畢竟(ひっきょう)そういう天災がきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の顛覆(てんぷく)を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。

 83年の時空を超えて寅彦の警鐘は有効である!!
 今こそ耳を傾けたいものだ!!


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本日(2017/03/04)、第154回オンライン「寅の日」!!#traday

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▼それは単なる「偶然」には見えなかった。
そこにはなんらかの「規則性」あるように思えてならなかった。
 昨日(2017/03/03)の午後。東の空に列をなして積雲が浮かんでいた。
 それはあたかもひな壇にならぶ雛のように、雲底は横一列にそろっていた。
 それは市川の流れに沿っているようにも見えた。

 こんなときはやっぱりあの人のコトバだ!!
 「ねえ君、不思議だと思いませんか?」

▼本日(2017/03/04)はあの人・寺田寅彦を読む日だ。第154回オンライン「寅の日」である。
【3月のテーマ】は

・警鐘「天災は忘れた頃にやって来る」
  
 その第一弾として、読むのは「津浪と人間」である。

◆本日(2017/03/04)、第154回オンライン「寅の日」!!#traday

●「津浪と人間」(青空文庫より)

▼2012年4月からはじめたオンライン「寅の日」、もうすぐまる5年が過ぎようとしている。
 その5年間でもっとも多く繰り返して読んできたのがこの「津浪と人間」である。
 昭和八年(1933)に書かれているので、もう84年も前だ!!
 何度読んでも、まずそれに驚いてしまう。これは一週間前、ひと月前に書かれたと言ってもなんら違和感はないだろう。
 
 寅彦はいつ読んでも今日的である!!

 何度読んでも、読む度にあたらしい「発見」があるのも寅彦の随筆である。
 さあ、今回は何を「発見」できるだろう。読んでみよう!!

 やっぱり引用したいところは同じになってしまう。

 しかし困ったことには「自然」は過去の習慣に忠実である。地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。紀元前二十世紀にあったことが紀元二十世紀にも全く同じように行われるのである。科学の方則とは畢竟(ひっきょう)「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである。

「「自然」は過去の習慣に忠実である。」
「科学の方則とは畢竟(ひっきょう)「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである。」
 これこそが、「天災は忘れた頃にやって来る」のほんとうの意味である!!
 
 ならば「自然」とうまくつき合っていく唯一の方法はこうだと言っている。
 

残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう。

▼今回の「発見」のひとつは次だ。

 津浪の恐れのあるのは三陸沿岸だけとは限らない、寛永安政の場合のように、太平洋沿岸の各地を襲うような大がかりなものが、いつかはまた繰返されるであろう。その時にはまた日本の多くの大都市が大規模な地震の活動によって将棋倒しに倒される「非常時」が到来するはずである。それはいつだかは分からないが、来ることは来るというだけは確かである。今からその時に備えるのが、何よりも肝要である。

これぞ「南海トラフ巨大地震」!!
84年前すでに見えていた!!

「理科」「科学教育」についても示唆的であった。

人間の科学は人間に未来の知識を授ける。
それで日本国民のこれら災害に関する科学知識の水準をずっと高めることが出来れば、その時にはじめて天災の予防が可能になるであろうと思われる。この水準を高めるには何よりも先ず、普通教育で、もっと立入った地震津浪の知識を授ける必要がある。英独仏などの科学国の普通教育の教材にはそんなものはないと云う人があるかもしれないが、それは彼地には大地震大津浪が稀なためである。

3.11が近づいて来た。

まずは「津浪と人間」を読み返してみよう!!

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2017年3月のオンライン「寅の日」は #traday

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▼降った雪は、しばらくヒガンバナの葉の上で消えなかった。
やがて青空が広がり、冷たい北風が吹いてきた。
 かように上空での大気の営みはけっして休むことはなかった!!
 大地の営みもまた同様であった!!
 自然の営みはあきることなく常に現在進行形で変化し続けていた。
 このアタリマエ!!
▼2017年3月のオンライン「寅の日」の計画が少し遅れていた。
 3.11が近づいてきた。
 3月のオンライン「寅の日」と言えば、やはりこれだろう。
3月のテーマはズバリ 寅彦の警鐘だ。
【3月のテーマ】 警鐘『天災は忘れた頃にやって来る』 
 3月は3回あった。

■2017年3月オンライン「寅の日」

◆第154回オンライン「寅の日」 …3/04(土)
◆第155回オンライン「寅の日」 …3/16(木)
◆第156回オンライン「寅の日」 …3/28(火)

▼よく知られているように、寅彦の随筆のなかに『天災は忘れた頃にやって来る』のコトバはない。
 日頃よりよく口にしていた師寅彦のこのコトバを弟子である中谷宇吉郎はこう言った。

それでこれは、先生がペンを使わないで書かれた文字であるともいえる。

◆「天災は忘れた頃来る」(中谷宇吉郎 青空文庫より)

 では具体的に何を読むか。2012年4月にオンライン「寅の日」をはじめて以来何度となく繰り返し読んできた定番3つを読もうと思う。「津浪と人間」「天災と国防」「地震雑感」の3つである。

■2017年3月オンライン「寅の日」

◆第154回オンライン「寅の日」 …3/04(土) 「津浪と人間」(青空文庫より)

◆第155回オンライン「寅の日」 …3/16(木) 「天災と国防」(青空文庫より)

◆第156回オンライン「寅の日」 …3/28(火) 「地震雑感」(青空文庫より)

▼3.11から6年!!
私は何をしてきただろう?
私に何ができるだろう?
 
 今一度、寅彦の警鐘『天災は忘れた頃にやって来る』に耳を傾けてみませんか。

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本日(2017/02/20)、第153回オンライン「寅の日」!!#traday

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▼東の畑の紅梅が満開である!!
 やっぱりこんなときはカメラを向けたくなる。究極の道楽「雲見」「宇宙見物」のときも、朝夕の散策のときもカメラをぶらさげていた。いっこうに撮影スキルは向上する気配はなかった。それについては半ばあきらめていた。
 でもやっぱりいつもカメラだけは手放せない。
 寅彦の時代はどうだったんだろう?
▼本日(2017/02/20)は第153回オンライン「寅の日」である。
2月オンライン「寅の日」のテーマは
・寅彦と「道楽」
である。前回は「地図」だった。
 そして、今回はその「カメラ」である。「カメラをさげて」を読む。

◆本日(2017/02/20)、第153回オンライン「寅の日」!!#traday

●「カメラをさげて」(青空文庫より)

▼まず寺田寅彦は「カメラ」という道具をどうとらえていたのだろう。

しかし写真をとろうという気で町を歩いていると、今までは少しも気のつかずにいたいろいろの現象や事実が急に目に立って見えて来る。つまり写真機を持って歩くのは、生来持ち合わせている二つの目のほかに、もう一つ別な新しい目を持って歩くということになるのである。

少なくも自分の場合には何枚かの六×九センチメートルのコダック・フィルムの中に一九三一年における日本文化の縮図を収めるつもりで歩くのであるが、なかなかそううまくは行かない。しかしそういうつもりで、この特別な目をぶらさげて歩いているだけでもかなり多くの発見をすることがある。

 誰しも言われてみればナルホド!!ソノトオリ!!と納得することをコトバにしてしまう、それが寅彦だった。
 そのコトバは時空を越えて今も響く!!

▼「カメラ」を語りながら、日本文化論、自然観まで語ってしまう。それが寅彦の凄いところでもあった。
 また最後に「カメラ」の得意技にもどり、こう語っていた。

親譲りの目は物覚えが悪いので有名である。朝晩に見ている懐中時計の六時がどんな字で書いてあるかと人に聞かれるとまごつくくらいであるが、写真の目くらい記憶力のすぐれた目もまた珍しい。一秒の五十分の一くらいな短時間にでもあらゆるものをすっかり認めて一度に覚え込んでしまうのである。  その上にわれわれの二つの目の網膜には映じていながら心の目には少しも見えなかったものをちゃんとこくめいに見て取って細かに覚えているのである。

 きわめて納得である。(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン
 その「瞬間」を「記憶」したい。「記録」したい!!
 その願望が、いっこうにすごい写真は撮れなくても、いつもカメラをぶら下げている理由だった。
 そして、その「下手な鉄砲」方式の写真にもとてもうれしいことがある。
 そのときには気づかなかったものが映っているのだ!!
 これで何度、いろんな「発見」をしたことだろう。

 やっぱり今日も一日カメラをぶらさげておこう(^^)V

 

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本日(2017/02/08)、第152回オンライン「寅の日」!!#traday

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▼いつもの「雲見」の空は真っ白だった!!
最初、チラチラと舞っていたのは雪だった。かわって降り出したのは雨だった。
いやよく見ると雨ばかりでもなさそうな!? 霙かな!?
 上空はどうもデリケートな状態にあるらしい。
 「高層天気図」「数値予報天気図」あけて、上空の気温や大気の流れを想像してみる!!
 なかなか面白い!!
 「雲見」にしかり、これまた安上がりの私の「道楽」である!!
▼本日(2017/02/08)は、第152回オンライン「寅の日」である。
2月のテーマは、まさにその「道楽」である。

【2月のテーマ】 寅彦と「道楽」

 本日はその第一弾、「地図をながめて」を読む。

◆本日(2017/02/08)、第152回オンライン「寅の日」!!#traday

●「地図をながめて」(青空文庫より)

▼私がいちばんはまっている道楽は、「雲見」「高層天気図」であるが、もうひとつ以前から興味だけは持っていたものがある。それが「地図」(地形図)である。
 この随筆は、寅彦の「地図のすすめ」である。
 まずは、こんな安上がりなものはない!!と強調していた。

「当世物は尽くし」で「安いもの」を列挙するとしたら、その筆頭にあげられるべきものの一つは陸地測量部の地図、中でも五万分一地形図などであろう。一枚の代価十三銭であるが、その一枚からわれわれが学べば学び得らるる有用な知識は到底金銭に換算することのできないほど貴重なものである。
それだけの手数のかかったものがわずかにコーヒー一杯の代価で買えるのである。

▼その面白さについては次のように語っていた。

 しかし「地図の言葉」に習熟した人にとっては、一枚の図葉は実にありとあらゆる有用な知識の宝庫であり、もっとも忠実な助言者であり相談相手である。  今、かりに地形図の中の任意の一寸角をとって、その中に盛り込まれただけのあらゆる知識をわれらの「日本語」に翻訳しなければならないとなったらそれはたいへんである。等高線ただ一本の曲折だけでもそれを筆に尽くすことはほとんど不可能であろう。それが「地図の言葉」で読めばただ一目で土地の高低起伏、斜面の緩急等が明白な心像となって出現するのみならず、大小道路の連絡、山の木立ちの模様、耕地の分布や種類の概念までも得られる。

ここまで言われると、なんとか「地図の言葉」をマスターしたいと思うのが人情だろう。

 今また、この寅彦のコトバを引用して、「地図のすすめ」を説く地図のプロがいた。
 昨年の夏、お薦め本にあげた『地図がわかれば社会がわかる』の著者、田代博さんである。
 田代さんのキャッチコピーは「YMT47」!!だった。
・Y(安い)
・M(持ち運べる→ミウラ折り)
・T(高さが読める)
・47(47都道府県、全国網羅)

 ずいぶん触発されて、iPhoneまで手に入れてしまった。
 でもなんでもゆっくりな私は、まだ何もはじめていなかった。
 もうそろそろはじめなければ…(^^ゞポリポリ

 何枚かの古い「地図」をひっぱり出してきた。
 ゆっくり 急ごう!!

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本日(2017/01/27)、第151回オンライン「寅の日」!!#traday

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▼昨日(2017/01/26)の朝はほんとうによく冷え込んでいた!!
空も凍てついていた。「一日でいちばんきれいな空」は一際美しかった!!
細い細い月が刺さり、その月の「地球照」もまたみごとであった。
こんな景と出会ったとき、「では一句…」と詠めたらと願うようになったのはいつのころからだろう?

 オンライン「寅の日」をはじめて、寅彦の随筆を読むようになったことと深く関係していることだけは確かだ。
▼本日(2017/01/27)は、その第151回オンライン「寅の日」だ。
151回目ということで、あらたな気持ちですすめたい。
1月のテーマは 寅彦と「俳句」 だった。
その3回目、最終回だった。読むのは「俳諧の本質的概論」である。

◆本日(2017/01/27)、第151回オンライン「寅の日」!!#traday

●「俳諧の本質的概論」(青空文庫より)

▼正直言って、今回の「俳諧の本質的概論」は、ちょっと「俳句」に興味を持ちはじめた程度の私には難解であった。難解すぎた。
 「何が書いてあるのだろう?」
 その概要をみつけるがやっとである。それとてその理解が正しいかは別にしてである。
・俳諧の本質とはなにか?
・俳諧の歴史とは?
・これからの俳諧とは?
等が書かれているようだ。
 私なりの理解に基づいて少し引用させてもらう。
 

 俳諧はわが国の文化の諸相を貫ぬく風雅の精神の発現の一相である。風雅という文字の文献的起原は何であろうとも、日本古来のいわゆる風雅の精神の根本的要素は、心の拘束されない自由な状態であると思われる。

 「風雅」「自由」がキーワードのようだ!!
 私にとっては少し救われた気分になる一文があった。

「風雅の誠をせめよ」というは、私わたくしを去った止水明鏡の心をもって物の実相本情に観入し、松のことは松に、竹のことは竹に聞いて、いわゆる格物致知の認識の大道から自然に誠意正心の門に入ることをすすめたものとも見られるのである。この点で風雅の精神は一面においてはまた自然科学の精神にも通うところがあると言わなければならない。

(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン
▼どうやら寅彦は芭蕉にかなり惚れ込んでいたようだ。

芭蕉はもう一ぺん万葉の心に帰って赤裸で自然に対面し、恋をしかけた。そうして、自然と抱合し自然に没入した後に、再び自然を離れて静観し認識するだけの心の自由をもっていた。

 芭蕉に俳諧の「理想」をみつけていたようだ。
「不易流行」
「連句」
「連句と映画のモンタージュ」
そしてあの高知で聞いた「連句的物理学」!!
 興味はつきないが、私の理解がついていかなかった。

最後にこの一文を引用させて終わる。

風雅の道も進化しなければならない。「きのうの我れに飽きる人」の取るべき向上の一路に進まなければならない。

さすが寅彦だ!!
 また読んでみようと思う。

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2017年2月のオンライン「寅の日」は #traday

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▼今日は大寒。冬真っ只中!!
 冬のタンポポは背が低い。
 地べたにはりつくように花が咲いていた。綿毛をつくって少しは背が高くなっても、綿毛はなかなか飛んでいかない。冷たい北風に耐えてへばりついていた。
 綿毛がすぐに飛んでいかないのは、次に着地してからのことを考えてからだろうか?
 そんなことなら、最初からこんな時期に咲かなければいいのではと思うのは、人間の勝手な理屈だろうか?
 タンポポにはタンポポの事情があるのだろうか?
 それはどんな事情だろう?
 知りたくなってくるのである。こんなときは、やっぱりあの人のコトバを借りよう。

 「ねぇ君、不思議だと思いませんか?」

▼2月オンライン「寅の日」を考える時期だ。
 ここのところ月ごとにテーマを決めて読んでいる。1月は 寅彦と「俳句」だった。
 では2月は何を?
 大いに迷うところだ。なにしろ寅彦はありとあらゆる分野についての随筆を残してくれていた。
 読んでみたいものがありすぎての迷いだ。
 まさに、寅彦は「道楽」の天才だった!!
 よし!!これをそのままテーマにしてしまおう。そう決めた!!
 
 【2月のテーマ】 寅彦と「道楽」

 2月は2回ある。

■2017年2月オンライン「寅の日」

◆第152回オンライン「寅の日」 …2/08(水)
◆第153回オンライン「寅の日」 …2/20(月)

▼「寅彦と「道楽」」とテーマを決めたところで迷うばかりなのであるが、今回はその「道楽」のアイテムというか、「道具」というか、2つのものに焦点をあてて読んでみたい。
 その2つのものとは「地図」と「カメラ」である。

■2017年2月オンライン「寅の日」

◆第152回オンライン「寅の日」 …2/08(水) 地図をながめて(青空文庫より)

◆第153回オンライン「寅の日」 …2/20(月) カメラをさげて(青空文庫より)


▼寅彦の時代から80~90年経っている。
2つとも「デシタル」をつける「デジタル地図」「デジタルカメラ」の時代だ。
いつ読んでも 今日的なのが寅彦だ!!
はたして2つのものについてはどうだろう。
楽しみである o(^o^)o ワクワク

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【祝】本日(2017/01/15)、第150回オンライン「寅の日」!!#traday

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▼朝、東京にいた。
そんなにいつでも東京に出てくるわけではない。せっかくこの機会に行ってみたいところはいくつもあった。
 時間も限られているし、雪の心配もあった。
 2つに絞った。
 
 今日のことがあるから、できるだけ寅彦ゆかりの地にしたかった。
 そこで、ひとつは「子規庵」にした。
 寅彦は、夏目漱石の紹介で正岡子規を訪ねていた。そのときのことを「根岸庵を訪う記」に書いている。
 庭のヘチマ棚のヘチマ大きく成長していた。
 そこのヘチマの種が売られていたので買った。
 はたしてうまく育てられるかな。
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▼本日(2017/01/15)は第150回オンライン「寅の日」である。
 2012年の4月からはじめたこの取り組みも、ついに150回目である。\(^O^)/
 自分で面白くなくなったらいつでもやめようと思っていた。幸いなことに、やる度に面白くなってしまった。
 今では、12日にいちどの愉しみになってしまった。

 1月のテーマは、子規とも大いに関係のある
 ・寅彦と「俳句」
 である。その第2弾として「天文と俳句」を読む。

◆本日(2017/01/15)、第150回オンライン「寅の日」!!#traday

●「天文と俳句」(青空文庫より)

▼ポンコツ頭はよりポンコツ度を加速してきているのだろうか。
 どうしても自分の勝手な「文脈」にひきつけて読んでしまう(^^ゞポリポリ
 
 寅彦はなにを書いても軸足を「科学者」に置いている!!

 今回の「天文と俳句」もやはりそうだった。
 なかでも気になったところを引用させてもらう。(これをできるだけひかえようとは思っているのだが、どうしても…スミマセン)

 季節の感じは俳句の生命であり第一要素である。此れを除去したものは最早俳句ではなくて、それは川柳であるか一種のエピグラムに過ぎない。俳句の内容としての具體的な世界像の構成に要する「時」の要素を決定するものが、此の季題に含まれた時期の指定である。時に無關係な「不易」な眞の宣明のみでは決して俳諧になり得ないのである。「流行」する時の流の中の一つの點を確實に把握して指示しなければ具象的な映像は現はれ得ないのである。
花鳥風月を俳句で詠ずるのは植物動物氣象天文の科學的事實を述べるのではなくて、具體的な人間の生きた生活の一斷面の表象として此等のものが現はれるときに始めて詩になり俳句になるであらう。 
要するに俳句は抽象された不易の眞の言明だけではなくて具體的な流行の姿の一映像でなければならない。

▼これまた我田引水の話であるが、理科教育とも関連して興味深いことを言っていた。

古人の句には往々かういふ科學的の眞實を含んだ句があつて、理科教育を受けた今の人のに、そのわりに少ないやうに思はれるのも不思議である。昔の人は文部省流の理科を教はらないで、自分の眼で自然を見たのである。

 そして次のようにまとめていた。

 要するに此處で所謂「天文」の季題は俳句の第一要素たる「時」を決定すると同時に「天と地の間」の空間を暗示することによつて、或は廣大な景色の描寫となり、或は他の景物の背景となる。子規が天文地理の季題が壯大なことを詠ずるに適して居ると云つたのも所由のあることである。

 訪れたもうひとつの場所もまんざら寅彦と無関係ではなかった。
「気象庁」「気象科学館」「北の丸公園露場」だった。けっこう面白かった!!
東京では雪は降っていなかったが、福崎に帰えりついたときは、すっかり雪だった。
駐車場に置いた車にはかなりの雪が積もっていた。
動かすまでに一苦労した。
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本日(2017/01/03)、第149回オンライン「寅の日」!!#traday

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▼2017年は、はやくも三日目である。
 年が変わってもあいかわらず「雲見」と「宇宙見物」はつづけていた。
 この二つの道楽は、安易・安直・安価の3拍子そろっていた。ただただ気まぐれに空を見上げるだけだ。
 その感動を少しばかり人に伝えたければ、カメラが必要かも知れない。しかし、それとて絶対に必要だというものでもない。知識や技能だってあればそれにこしたことはないが、なくてもそれはそれなりに愉しめる!!
 私のこの道楽はどこまでも無手勝流だ!!
 年のあらたまったのを機に、無手勝流道楽をもうひとつ加えようと思う。
 それが 「俳句」 である!!
▼本日(2017/01/03)は、第149回オンライン「寅の日」である。
1月のテーマは
【1月テーマ】 寅彦と「俳句」
である。
 あらたに加える無手勝流道楽「俳句」を寅彦から学ぼうというのである。
 まず最初に、今日読むのは「俳句の精神」である。

◆本日(2017/01/03)、第149回オンライン「寅の日」!!#traday 

●「俳句の精神」(青空文庫より)

▼これがいつ書かれたか。
 それにけっこう意味があると思っていた。書かれて発表されたのは、最晩年(1935)の10月である。
 先日読んだ「日本人の自然観」とほぼ同時期だった。
 内容も「日本人の自然観」と強くリンクしていた。
 小見出しをならべてみるとおよその見当がつく。
「一 俳句の成立と必然性」
「二 俳句の精神とその修得の反応」
「付言」
 これは言わば、寅彦の「俳句論」の集大成のようなものだと思った。
 少し引用させてもらおう。(年あらたまって「引用」についても決意していることがあった。「引用」は3つまでとしようと…つづくかな(^^ゞポリポリ)

 俳句の修業はその過程としてまず自然に対する観察力の練磨れんまを要求する。俳句をはじめるまではさっぱり気づかずにいた自然界の美しさがいったん俳句に入門するとまるで暗やみから一度に飛び出してでも来たかのように眼前に展開される。今までどうしてこれに気がつかなかったか不思議に思われるのである。これが修業の第一課である。

なんともうれしい気分になってくる。
 しかし、「しかし…」が続いた。

しかし自然の美しさを観察し自覚しただけでは句はできない。次にはその眼前の景物の中からその焦点となり象徴となるべきものを選択し抽出することが必要である。これはもはや外側に向けた目だけではできない仕事である。自己と外界との有機的関係を内省することによって始めて可能になる。  句の表現法は、言葉やてにはの問題ばかりでなくてやはり自然対自己の関係のいかなる面を抽出するかという選択法に係わるものである。

▼最後にもうひとつだけ引用させてもらおう。それもできるだけ短く!!

俳句を作る場合のおもなる仕事は不用なものをきり捨て切り詰めることだからである。

 う~ん、なかなかこの道楽奥が深そうだ!!

 年があらたまって初回のオンライン「寅の日」である。
 ここで勝手気ままに書いたことは、あくまで拙い私の「文脈」で読み解いたにすぎない。
 「寅彦」の魅力は多様な「文脈」に対応できるところである。
 オンライン「寅の日」の醍醐味は、多くの人の「文脈」での読み解きに出会えることである。
 ひとりでも多くの人のオンライン「寅の日」の参加をお待ちしています。
 
 ぜひ、あなたの「文脈」で「寅彦」を読み解いてみてください!!

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