本日(2022/09/22)、第327回オンライン「寅の日」!! #連句雑俎 #traday #寺田寅彦

Dscn9549

▼ひとり吟行も行けぬ状況のなかで、この季節の景はいっぺんしてしまっていた。
 かろうじて見ることのできた前の田んぼの畦のヒガンバナは満開をむかえていた。
 なんともうれしい!!
 庭の定点ヒガンバナは、お彼岸だというのにまだだ。
 どうしたんだろう!?

▼本日(2022/09/22)は、第327回オンライン「寅の日」である。
 9月に入って、オンライン句会「寅の日」は、3年目に入っている。
 今は選句期間である。
 それを記念して、9月のテーマは

【9月テーマ】「寅彦と連句」

である。読むのは今回も「連句雑俎」ときめていた。

◆本日(2022/09/22)、第327回オンライン「寅の日」!!

●「連句雑俎」(2)(青空文庫より)

▼今、きわめて個人的な事情ながら、この随筆をじっくりと読み解く状況にはなかった。
 当初の予定では
 「連句」とは!?
 「連句的」とは!?
 寅彦は、かくも熱く「連句」を語るのはなぜ!?
 をわからぬままもじっくりと読み解きたかった。これはまたの機会にということになってしまいそうだ。
 それでも、少しだけ試み始めたというあとかたをあげておく。

 このような機巧によって運ばれる連句の進行はたしかにフロイドの考えたような夢の進行に似ているのである。しかし夢の場合はそれが各個人に固有なものであって必ずしもなんらの普遍性をもたなくてもよい。しかし連句においては甲の夢と乙の夢との共通点がまた読者の多数の夢に強く共鳴する点において立派な普遍性をもっており、そこに一般的鑑賞の目的物たる芸術としての要求が満足されているのである。

そればかりか、鑑賞のみの目的でも真に奥底まで入り込んで鑑賞をほしいままにするためには、一度はこの創作心理のミステリーに触れることが必要であろうと思われるのである。われわれは「うがち過ぎ」をこわがらないで「言わずもがな」をけ飛ばして勇敢に創作心理の虎穴(こけつ)に乗り込んでみなければならない。しかしこれはなかなか容易な仕事ではない、一朝一夕に一人や二人の力でできうる見込みはない。そうかと言っていつまでも手をつけずにおくべきものでもない。たとえわれわれの微力ではこの虎穴の入り口でたおれてしまうとしたところでやむを得ないであろう。

この決意はなんだろう!?

▼もう少しだけ寅彦の「文脈」を追っておく。

私自身が平常連句制作当時自分の頭の中に進行する過程を内省することによって常に経験するところの現象から類推して行った一つの「思考実験」であるので、これはおそらく連句の制作に体験ある多くの人によって充分正当なる意味において理解してもらえることであろうと思う。

こういうふうに、連句というものの文学的芸術的価値ということを全然念頭から駆逐してしまって統計的心理的に分析を試みることによって連句の芸術的価値に寸毫(すんごう)も損失をきたすような恐れのないことは別に喋々(ちょうちょう)する必要はないであろうと思われる。繰り返して言ったように創作の心理と鑑賞の心理は別だからである。しかし全く別々で縁がないかと言うとそう簡単でもない。それは意識の限界以上で別々になっているだけで、その下ではやはり連絡していると思われるからである。この点についてはさらに深く考究してみたいと思っている。ともかくも一度こういうふうに創作心理を分析した上で連句の鑑賞に心を転じてみると、おのずからそうする以前とはいくらかちがった心持ちをもって同じ作品を見直すことができはしないか。そうして付け合わせの玩味(がんみ)に際してしいて普遍的論理的につじつまを合わせようとするような徒労を避け、そのかわりに正真な連句進行の旋律を認識し享楽することができはしないかと思うのである。

 リベンジを誓って、今回はここまでとしたい。

| | コメント (0)

2022年10月のオンライン「寅の日」は #寅彦と茶わんの湯 #traday #寺田寅彦

Dscn9690_20220920032501

▼「ここに茶わんが一つあります。中には熱い湯がいっぱいはいっております。」

あの名作「茶わんの湯」は、こんな一文からはじまります。
「茶わんの湯」が、最初に掲載された雑誌『赤い鳥』は、1918年(大正7)7月に作家の鈴木三重吉によって創刊された子ども向け月刊誌です。
 掲載されたのは、1922年(大正11) 五月号『赤い鳥』八巻5号です。
 
だから名作「茶わんの湯」が発表されてから、今年でちょうど100年になります!!

▼2022年10月のオンライン「寅の日」の計画をたてる時期だった。
 名作「茶わんの湯」発表から100年を記念して、10月は今一度ゆっくりこの名作を読んでみたい。
 10月のテーマは次のようにしたい。

 【10月テーマ】「寅彦と茶わんの湯」

である。10月は3回ある。

■2022年10月オンライン「寅の日」!!
◆第328回オンライン「寅の日」 …10/04(火)
◆第329回オンライン「寅の日」 …10/16(日)
◆第330回オンライン「寅の日」 …10/28(金)


▼最初の2回は、「茶わんの湯」を前半・後半に分けてじっくりと読んでみたい。
 そして、3回目は寺田寅彦の第一の弟子でもあり、もっともよき理解者である中谷宇吉郎が、この名作をどう読み解いたかを、
「「茶椀の湯」のことなど」(中谷宇吉郎)から学びたい。

■2022年10月オンライン「寅の日」!!

◆第328回オンライン「寅の日」 …10/04(火)「茶わんの湯」(1)(青空文庫より)

◆第329回オンライン「寅の日」 …10/16(日)「茶わんの湯」(2)(青空文庫より)

◆第330回オンライン「寅の日」 …10/28(金)「「茶椀の湯」のことなど」(中谷宇吉郎)(青空文庫より)


科学読み物の金字塔「茶わんの湯」!!
 100年の時空を越えて、今 伝わってくるものはなにか!?
 今もまったく色褪せること、科学の面白さを熱く語りかけている。
 
 みごとなこの文章からも大いにまなびたいものである。

| | コメント (0)

本日(2022/09/10)、第326回オンライン「寅の日」!! #連句雑俎 #traday #寺田寅彦

Dscn9478_20220910052901

▼あれっ!?
こんなところに花茎のばしていたかな!!

 気づかない間に花芽が顔を出し、花茎をスルスルとのばし満開に達するヒガンバナ!!
 今、そこかしこに見る景だ。
 あれっ!? 葉がないゾ !!

▼本日(2022/09/10)は、第326回オンライン「寅の日」である。
 9月に入って、オンライン句会「寅の日」は、3年目に入った。
 それを記念して、9月のテーマは

【9月テーマ】「寅彦と連句」

である。読むのは2回とも「連句雑俎」ときめていた。

◆本日(2022/09/10)、第326回オンライン「寅の日」!!

●「連句雑俎」(1)(青空文庫より)

▼最初に正直に言うと、これは私にとっては難解きわまりない!!
オンライン「寅の日」10年の歩みのなかでも、これをとりあげたのはこれまでに1回だけだった。
 「連句」と聞いても、なかなかピンとこなかった。
 我らが寅日子先生は、なぜかくも深く「連句」に興味をもったのだろう。
 連句とは!?
 連句的とは!?
 寺田物理学と連句的!?
 ひとつでもわかってくることがあればよしとしよう。

 またまたこまったことに長編だ!!
 寅日子先生の「連句論」、項目のみピックアップしてみるとこうだ。

一 連句の独自性
二 連句と音楽
三 連句と合奏
四 連句の心理と夢の心理
五 連句心理の諸現象
六 月花の定座の意義
七 短歌の連作と連句

 さしあたり、今回は一~三あたりを中心に読んでみる。
 寅日子先生の思い入れのほどがわかるコトバをピックアップしてみる。的外れも多々あるかも知れないが。

 しかしなんと言っても俳諧は日本の特産物である。それはわれわれの国土自身われわれの生活自身が俳諧だからである。

日本の景観の多様性はたとえば本邦地質図の一幅を広げて見ただけでも想像される。それは一片のつづれの錦(にしき)をでも見るように多様な地質の小断片の綴合(てつごう)である。これに応じて山川草木の風貌(ふうぼう)はわずかに数キロメートルの距離の間に極端な変化を示す。また気象図を広げて見る。地形の複雑さに支配される気温降水分布の複雑さは峠一つを隔ててそこに呉越(ごえつ)の差を生じるのである。この環境の変化に応ずる風俗人情の差異の多様性もまたおそらく世界に類を見ないであろう。
 
  
 このようにして一連句は日本人の過去、現在、未来の生きた生活の忠実なる活動写真であり、また最も優秀なるモンタージュ映画となるのである。 

これこそが、寅日子先生の<結論>である。そんな気がしてくるコトバだ。

▼次に、「連句と音楽」「連句と合奏」と展開していくのである。
 ダメだ!!私のもっとも苦手とする領域である。

 連句というものと、一般に音楽と称するものとの間にある程度の形式的の類似がある事について私は従来もすでにたびたびいろいろな機会に述べたことがあるが、ここでもう一度改めてこの点について詳しく考え直してみたいと思う。

連句は音楽と同じく「律動(リズム)」と「旋律(メロディー)」と「和声(ハーモニー)」をその存立要件として成立するものである。そうして音楽の場合の一つ一つの音に相応するものがいろいろの物象や感覚の心像、またそれに付帯し纏綿(てんめん)する情緒である。これらの要素が相次ぎ相重なって律動的旋律的和声的に進行するものが俳諧連句である。従ってこれらの音に相当する要素には一つ一つとしての「意味」はあっても一編の歌仙全体にはなんらの物語の筋は作り上げない。筋はあってもそれはもはや言葉では言い現わされない、純音楽的な進行の筋である。

 このように、連句は文学であるよりは、より多く音楽である。

しかし結局連句は音楽である。音楽は演奏され聞かれるべきものである。連句の音楽はもう少し広く日本人の間に演奏され享楽されてしかるべきである。


 連句の文学的作品としての著しい特異性の一つと見るべきことは、それが一つのまとまった全体を形成しておりながらその作者は必ずしも一人の人間でなくてむしろ一般には数人の一団より成る「集合人」であるということである。

連句の場合ではこれと反対に読者のほうで初めから普通の詩や小説のように話の筋や論理的の連結を期待せず、また期待してもそういうものはどこにもない。そうして前条に詳説したようにたださまざまの景象や情緒の変転して行く間に生まれ来る「旋律」と「和声」とを聞かされるのである。従ってこの間に錯雑して現われて来るいろいろな作者のそれぞれちがった個性はなんらの破綻(はたん)を生じないのみか、かえってちょうどいろいろ違った音色をもつ楽器のそれぞれの音のような効果をもって読者の胸に響いて来るのである。
 前者では一つの個性が分裂し破壊した感じを与えるのに対して、後者では多数の個性が融合調和して一つの全体を構成しているように感じられるのである。

 ここで考えているような立場からすれば、普通の文学的作品は一種の分析(アナリシス)であるのに対して連句は一種の編成(シンテシス)であるとも言われる。

それらの相反するものが融合調和し相互に扶助し止揚することによって一つの完全なる全体を合成し、そうして各因子が全体としての効果に最も有効に寄与しているのでなければならない。こういうわけであるから、連句のメンバーは個性の差違を有すると同時に互いに充分なる理解と同情とをもっていなければ一つの歌仙をまとめる事も不可能である。

しかし私がここでこういう未熟で大胆な所説をのべることのおもな動機は、そういう学問的のものではなく、むしろただ一個の俳人としてのまた鑑賞家としての「未来の連句」への予想であり希望である。簡単に言えば、将来ここで想像した作曲者あるいは映画監督のようなリーダーがあちらこちらに現われて、そうしてその掌中の材料を自由に駆使して立派なまとまった楽曲的映画的な連句を作り上げるという制作過程が実行されたならばおもしろいであろうということである。おもしろいというだけではなくて世界にまだ類例のない新しい芸術ができるであろうということである。

実に不思議なものである。
勝手にピックアップしたコトバをつないで読んでみると
寅日子先生の「連句」「連句的」のイメージがおぼろげに見えてくるのである!!
よくわかってはいないが 面白い!!
後半が楽しみだ!!

(つづく)
 

| | コメント (0)

本日(2022/08/29)、第325回オンライン「寅の日」!! #俳諧の本質的概論 #traday #寺田寅彦

Dscn8688_20220829054001

▼リコリスたちの夏が終わろうとしていた!!
 夏のリコリスの代表・ナツズイセンが最後の姿を見せてくれていた。

 「キツネノカミソリ」「コヒガンバナ」とつづき秋のリコリスたちの季節が始まる。
 実生コヒガンバナの鉢を「ひよっとしたら!?」という思いで見てみたが、今年もまだ気配はなかった。
 さて「ヒガンバナ」は!?

▼本日(2022/08/29)は、第325回オンライン「寅の日」である。
 8月のテーマは、オンライン句会「寅の日」二周年を記念して

【8月テーマ】「寅彦と俳句」

である。その三回目、本日は「俳諧の本質的概論」を読む。

◆本日(2022/08/29)、第325回オンライン「寅の日」!!

●「俳諧の本質的概論」(青空文庫より)


▼正直に言うと、この随筆を何度もくりかえし読んではいるが、まだまだ「わかった!!」という状況にはいたっていない。
 ただ読む度に、あらたに「ナルホド!!」というところを「発見」する。
 そんな「発見」したときは、なんかうれしくなってくるのである。

 「理科」と「俳句」そのツナガリは!? これに答えるような文章をみつけた。

「風雅の誠をせめよ」というは、私(わたくし)を去った止水明鏡の心をもって物の実相本情に観入し、松のことは松に、竹のことは竹に聞いて、いわゆる格物致知の認識の大道から自然に誠意正心の門に入ることをすすめたものとも見られるのである。この点で風雅の精神は一面においてはまた自然科学の精神にも通うところがあると言わなければならない。かくのごとく格を定め理を知る境界からさらに進んで格を忘れ理を忘るる域に達するを風雅の極致としたものである。

 そして、私の大好きなコトバ=「不易流行」を最高にうまく語った文章に出会った!!

 季題の中でも天文や時候に関するものはとにかく、地理や人事、動物、植物に関するものは、時を決定すると同時にまた空間を暗示的に決定する役目をつとめる。少なくもそれを決定すべき潜在能をもっている。それで俳句の作者はこれら季題の一つを提供するだけで、共同作者たる読者の連想の網目の一つの結び目を捕えることになる。しかしこの結び目に連絡する糸の数は無限にたくさんある。そのうちで特にある一つの糸を力強く振動させるためには、もう一つの結び目をつかまえて来て、二つの結び目の間に張られた弦線を弾じなければならない。すなわち「不易」なる網目の一断面を摘出してそこに「流行」の相を示さなければならない。これを弾ずる原動力は句の「はたらき」であり「勢い」でなければならない。

▼まだよく理解していないが、ずっと気にしているコトバ=<モンタージュ><連句>が登場するのである。

連句は時代の空気を呼吸する種々な作者の種々な世界の複合体である以上、その作物の上には個人の作品よりもずっと濃厚な時代の影の映るのは当然のことである。

風雅の道も進化しなければならない。「きのうの我れに飽きる人」の取るべき向上の一路に進まなければならない。新しき風雅の道を開拓してスポーツやダンスの中にも新しき意味におけるさびしおりを見いだすのが未来の俳人の使命でなければなるまいと思う。

発句がただ一枚の写真であれば連俳は一巻の映画である。実際、最も新しくして最も総合的な芸術としての映画芸術が、だんだんに、日本固有の、しかも現代日本でほとんど問題にもされない連俳芸術に接近する傾向を示すのは興味の深い現象であると言わなければならない。

 まだまだわかっていないが、興味深いことは確かだ!!
 オンライン「寅の日」9月テーマは「寅彦と連句」である。
 そこにツナイデいければと思う。
 あえて、ここは(つづく)としておこう。

 今年の「ヒガンバナ」の初見はいつかな!?

(つづく)

| | コメント (0)

第25回オンライン句会「寅の日」9月例会案内!! #寅の日 #オンライン句会 #夏雲システム

Dscn8684_20220827043701

ひとり吟行の定期コース入口に今年も「キツネノカミソリ」が咲いた!!

 柳田國男は『野草雑記』「草の名と子供」「狐の剃刀」(青空文庫より)の冒頭に次のように書いていた。

 東京の郊外で彼岸花、俳諧で曼珠沙華(まんじゅしゃげ)などといっている草の葉を、奈良県北部ではキツネノカミソリ、摂津(せっつ)の多田地方ではカミソリグサ、それからまた西へ進んで、播州でも私たちは狐の剃刀(かみそり)と呼んでいた。

 そう言われてみると、たしかに播磨の当地では、昔の人は彼岸花のことを「狐の剃刀」とも呼んでいたような気がする。
 もっと一般的には「テクサレ」だったが。

 「ナツズイセン」「キツネノカミソリ」とつづけばいよいよ「ヒガンバナ」「曼珠沙華」だ!!
 今年も、その季節がやってきた!!

▼あこがれだった「句会」!!
それが実現したオンライン句会「寅の日」も、スタートしてはや2年がすぎ、9月からは3年目である!!
 やりはじめてみると、想像していた以上に面白い。
 皮肉なことにコロナ禍で、リアル「句会」初参加の機会が遠のいたぶん、オンライン句会への道が拓けた。
 オンラインだから、会場準備の必要もない。
 参加時間も、各自が自分の都合にあわせて参加すればよい。
 「句会」初参加のハードルうんとさがった。
 しかし、「句会」参加の醍醐味は存分に味わえる!! アリガタイ!!

▼あらためて、3年目スタートの9月例会の案内をあげておく。
***************************************************************

第25回オンライン句会「寅の日」9月例会実施案内

0.はじめに
 本会をオンライン句会「寅の日」と称する。
 オンライン「寅の日」から生まれたオンライン句会です。
 俳句結社「寅の日」が運営しています。
 寺田寅彦に師事します。 

0からはじめる人のためのオンライン句会です。

 本会は「夏雲システム」を利用させてもらっています。

1.原則として月一回の月例句会を実施します。

2. 参加者
 あらかじめ登録された者のみ。
 (「俳号」をきめて、【句会「寅の日」参加希望】のタイトルで楠田までメールを)
 
3.投句のお題
・当季雑詠(その季節の季語を自由に詠む。)

4.句数
・5句だし
・5句選(特1・並4)特選は2点 並選は 1点 扱い
・予選句は自由 

5.【投句期間】
 2022年9月1日0時から15日23時30分まで
 
6.【選句期間】
 2022年9月16日0時から25日23時30分まで  

7.【結果発表】
 2022年9月26日から
同時に「談話室」が書き込み可能になります。

8.賞について
 ・最高得点句は最優秀句であり、その句会の「寅日子」賞とする。
 ・特別賞として、次の賞を設ける。
 「これぞ科学!!」が詠まれた句 → 「牛頓」(ニュートン)賞!!
 「よくぞそこまで観察した!!」という句 → 「藪柑子」賞!!
  特別賞は、毎回でなくてよい。
  もちろん「寅日子」賞と重なることがあってもよい。
  参加者が、選評の際に書き込むようにようにしたい。複数票を獲得したときに受賞としたい。

9.注意事項
 参加する前に「夏雲システム」、「同意事項」をよく読んでおいてください。

***************************************************************  

▼オンライン句会も、あらたな「日常」として定着しつつある。
 しかし、「慣れ」はダメである。
 常に新鮮な気持ちで、俳句修業をつづけたいと思う。

 アリガタイことに「句会」参加メンバーから常にあらたな刺激をもらえる。
 
 さあ、9月は曼珠沙華を詠んでみたいものだ!!

| | コメント (0)

2022年9月のオンライン「寅の日」は #寅彦と連句 #traday #寺田寅彦

Dscn9716_20220820044701

ずっと見たいと思っていたナガコガネグモの「卵のう」をみつけた!

 みつけたのは毎日つづけている「ひとり吟行」の途中であった。
 ため池の柵に遠くから見ても分かるなにやら黒っぽい「かたまり」がぶらさがっていた!!
 近づいて見れば、このひょうたん形の…。マチガイナイ!!
 ナガコガネグモの「卵のう」である!!
 最初にみつけたのはお盆過ぎの16日、昨日(19日)再度その場をおとずれると、
「卵のう」の近くに5匹ものコガネグモがネットを張っていた。ますますマチガイナイ!!
 こんな「発見」があるから、やっぱり「ひとり吟行」はやめられない。
 ここ数日、いっきょに風は秋めいてきた!!

▼2022年9月のオンライン「寅の日」の計画をたてる時期が来ていた。
 オンライン句会「寅の日」は、いよいよ9月から3年目に入る。
 うれしいかぎりである。それを記念して、9月のテーマは次のようにしたい。

 【9月テーマ】「寅彦と連句」

である。9月は2回ある。

■2022年9月オンライン「寅の日」!!
◆第326回オンライン「寅の日」 …9/10(土)
◆第327回オンライン「寅の日」 …9/22(木)

▼私が、はじめて「寅彦と連句」を意識したのは2014年11月に二度目の「土佐の寅彦」詣をしたときだろう。
 
●再び、寺田寅彦を訪ねて(1) #traday 
●再び、寺田寅彦を訪ねて(2) #traday

 意識しはじめたと言っても、俳句も超初心者のまったくのシロウト、ましてや「連句」などつくったこともない。
 まったく未知の領域だ!!
 寅日子先生が「連句」にこだわったのはなぜだろう!!
 「連句的」って何!?
 読むのは二回とも「連句雑俎」を読みたい。

■2022年9月オンライン「寅の日」!!

◆第326回オンライン「寅の日」 …9/10(土)「連句雑俎」(1)(青空文庫より)

◆第327回オンライン「寅の日」 …9/22(木)「連句雑俎」(2)(青空文庫より)

▼オンライン句会「寅の日」では、毎月選句期間の終了と同時に「談話室」が開かれる。
 句会には、「連句」にくわしい方がおられる。
 その方に指南を受けながら、少しずつ「連句」のことも知っていきたい!!
 そのことから、またあらたな展開があるかも知れない。

 いずれにして未知なる世界にふれることは楽しい!!
 そして愉しい!!
 
 さあ、今日の「ひとり吟行」では何に出会うかな。

| | コメント (2)

本日(2022/08/17)、第324回オンライン「寅の日」!! #天文と俳句 #traday #寺田寅彦

_dsc5510

▼子規庵の糸瓜の実がやっと大きくなりはじめた!!
 寅日子先生も、俳句修業はじめた頃(明治31)、糸瓜を詠んでいた。
 「夏目漱石へ送りたる句稿 その二」より

 面白し背戸の糸瓜の長短  [漱石評 中七字改めたし]
 日一日ぶらりぶらりとへちま哉 [漱石評 ○少し陳腐の感あり]

▼本日(2022/08/17)は、第324回オンライン「寅の日」である。
 オンライン句会「寅の日」の方は、2年目が終わろうとしていた。
 それを記念して、8月テーマは次のようにしていた。

【8月テーマ】「寅彦と俳句」

 その第二弾として本日は、「天文と俳句」を読む。

◆本日(2022/08/17)、第324回オンライン「寅の日」!!

●「天文と俳句」(青空文庫より)

▼私はこの「天文と俳句」を、前回の「俳句の精神」とあわせて俳句修業必須テキストと思っていた。
 それは俳句の生命=「季語」について書かれているからだ。
 寅日子先生は「季語」について次のように教えてくれていた。

 季節の感じは俳句の生命であり第一要素である。此れを除去したものは最早俳句ではなくて、それは川柳であるか一種のエピグラムに過ぎない。俳句の内容としての具體的な世界像の構成に要する「時」の要素を決定するものが、此の季題に含まれた時期の指定である。時に無關係な「不易」な眞の宣明のみでは決して俳諧になり得ないのである。「流行」する時の流の中の一つの點を確實に把握して指示しなければ具象的な映像は現はれ得ないのである。
  さらにコトバはつづく。
無常な時の流れに浮ぶ現實の世界の中から切り取つた生きた一つの斷面像を、その生きた姿に於て活々と描寫しようといふ本來の目的から、自然に又必然に起つて來る要求の一つが此の「時の決定」であることは、恐らく容易に了解されるであらうと思はれる。花鳥風月を俳句で詠ずるのは植物動物氣象天文の科學的事實を述べるのではなくて、具體的な人間の生きた生活の一斷面の表象として此等のものが現はれるときに始めて詩になり俳句になるであらう。

▼そして、もっとも気になるキーワード「不易流行」へと話は及ぶ。

要するに俳句は抽象された不易の眞の言明だけではなくて具體的な流行の姿の一映像でなければならない。其れが爲めには一見偶然的な他物との配合を要する、しかも其配合物は偶然なやうであつても、其配合によつて其處に或必然な決定的の眞の相貌を描出しなければならないのである。
 「配合」!!  さらにステップアップして
此れは俳句が所謂モンタージュの藝術であることを明示する。
 「モンタージュ」!!  このあたりは来月への課題としたい。

 なかなか俳句修業の道は遠い。だから面白いとも!! 。
 理科教育について、チクリと「学ぶべき」示唆的なことも…!!

 氣象學教科書に引用し得るものであらう。古人の句には往々かういふ科學的の眞實を含んだ句があつて、理科教育を受けた今の人のに、そのわりに少ないやうに思はれるのも不思議である。昔の人は文部省流の理科を教はらないで、自分の眼で自然を見たのである。

最後に「まとめ」だ!!
 要するに此處で所謂「天文」の季題は俳句の第一要素たる「時」を決定すると同時に「天と地の間」の空間を暗示することによつて、或は廣大な景色の描寫となり、或は他の景物の背景となる。

 手持ちの歳時記の「天文」を開いてみる。
 私は、これまでほとんど「天文」にあがっている「季語」を使って来なかった。
 寅日子先生のコトバを思い出しながら来月の「オンライン句会」では挑戦してみたい。

| | コメント (0)

本日(2022/08/05)、第323回オンライン「寅の日」!! #俳句の精神 #traday #寺田寅彦

Dscn9356_20220805033201

私は写真が好きだ!!
 動画よりも写真の方が好きだ!!

 単にすばやい対応の必要な「動画」が苦手だというだけのことと言ってしまえば、身も蓋もない話だが(^^ゞポリポリ
 瞬間の景を、一枚の写真に「記録」する!!
 だからと言って、特別の技を持ち合わせぬ私は、いつも「ヘタな鉄砲方式」だ。
 同じような写真を何枚も何枚も撮りまくる。ときには「お気に入り」の一枚があるハズ!!
 「お気に入り」の一枚は動画以上に饒舌に物語を語り始める!!

 まったく同じ理由で、短歌より私は俳句が好きだ!!

▼本日(2022/08/05)、第323回オンライン「寅の日」である。
 オンライン句会「寅の日」をはじめて2年である。
 8月のオンライン「寅の日」では、それを記念してテーマをきめた。
 
【8月テーマ】「寅彦と俳句」

 である。その第一回目の本日は、定番中の定番「俳句の精神」を読む。

◆本日(2022/08/05)、第323回オンライン「寅の日」!!

●「俳句の精神」(青空文庫より)


▼これは寅日子先生に師事にする私たちにとっては、最高のテキスト(教科書)だった。
 寅日子先生の「俳句観」すべてがここに詰まっていた!!
 書かれたのは最晩年(昭和10)の10月である。
 まず一章は
 「俳句の成立と必然性」からはじまる。
 同時期にかかれた「日本人の自然観」といろんなところでリンクしているように思われる。

 日本人は西洋人のように自然と人間とを別々に切り離して対立させるという言わば物質科学的の態度をとる代わりに、人間と自然とをいっしょにしてそれを一つの全機的な有機体と見ようとする傾向を多分にもっているように見える。
また別の言い方をすれば西洋人は自然を征服しようとしているが、従来の日本人は自然に同化し、順応しようとして来たとも言われなくはない。
 この自然観の相違が一方では科学を発達させ、他方では俳句というきわめて特異な詩を発達させたとも言われなくはない。
 何度読んでも、なるほどと納得のいく文脈である!! 次に<季題>について、次のように語っていた。
「春雨」「秋風」というような言葉は、日本人にとっては決して単なる気象学上の術語ではなくて、それぞれ莫大(ばくだい)な空間と時間との間に広がる無限の事象とそれにつながる人間の肉体ならびに精神の活動の種々相を極度に圧縮し、煎(せん)じ詰めたエッセンスである。またそれらの言葉を耳に聞き目に見ることによって、その中に圧縮された内容を一度に呼び出し、出現させる呪文(じゅもん)の役目をつとめるものである。そういう意味での「象徴」なのである。
一つはすでに述べたとおり、日本人の自然観の特異性によるのである。ひと口に言えば自然の風物にわれわれの主観的生活を化合させ吸着(アドソーブ)させて自然と人間との化合物ないし膠質物(こうしつぶつ)を作るという可能性である。
 俳句における季題の重要性ということも同じ立場からおのずから明白であろう。限定され、そのために強度を高められた電気火花のごとき効果をもって連想の燃料に点火する役目をつとめるのがこれらの季題と称する若干の語彙(ごい)である。
そして、<俳句の可能性>について、次のようにまとめていた。
 十七字のパーミュテーション、コンビネーションが有限であるから俳句の数に限りがあるというようなことを言う人もあるが、それはたぶん数学というものを習いそこねたかと思われるような人たちの唱える俗説である。少なくも人間の思想が進化し新しい観念や概念が絶えず導入され、また人間の知恵が進歩して新しい事物が絶えず供給されている間は新しい俳句の種の尽きる心配は決してないであろう。
やっぱりまちがいない。 私たちには最高のテキストだ!!

▼第二章
「二 俳句の精神とその修得の反応」
 
 キーワード<不易流行>はこう語られた。

 「春雨」「秋風」は日本人には直ちにまた人生の一断面であって、それはまた一方で不易であると同時に、また一方では流行の諸相でもある。「実」であると同時に「虚」である。
 
「俳句」のキモはここにありと
 このように自然と人間との交渉を通じて自然を自己の内部に投射し、また自己を自然の表面に映写して、そうしてさらにちがった一段高い自己の目でその関係を静観するのである。

それどころか、ややもすればわれわれの中のさもしい小我のために失われんとする心の自由を見失わないように監視を怠らないわれわれの心の目の鋭さを訓練するという効果をもつことも不可能ではない。

 さていよいよ<俳句修業>の心得!!である。
 俳句の修業はその過程としてまず自然に対する観察力の練磨(れんま)を要求する。俳句をはじめるまではさっぱり気づかずにいた自然界の美しさがいったん俳句に入門するとまるで暗やみから一度に飛び出してでも来たかのように眼前に展開される。今までどうしてこれに気がつかなかったか不思議に思われるのである。これが修業の第一課である。
しかし自然の美しさを観察し自覚しただけでは句はできない。次にはその眼前の景物の中からその焦点となり象徴となるべきものを選択し抽出することが必要である。これはもはや外側に向けた目だけではできない仕事である。自己と外界との有機的関係を内省することによって始めて可能になる。

そして、<俳句修業>の極意を次のように語る。
 一般的に言って俳句で苦労した人の文章にはむだが少ないという傾向があるように見える。これは普通字句の簡潔とか用語の選択の妥当性によるものと解釈されるようであるが、しかしそれよりも根本的なことは、書く事の内容の取捨選択について積まれた修業の効果によるのではないかと思われる。俳句を作る場合のおもなる仕事は不用なものをきり捨て切り詰めることだからである。

 断捨離こそ<俳句修業>の極意デアル!!
 
 オンライン句会「寅の日」の最高テキストはすべての寅彦ファン必読!!
 さあ<俳句修業>第一課からはじめてみよう!! 

| | コメント (0)

第24回オンライン句会「寅の日」8月例会案内!! #寅の日 #オンライン句会 #夏雲システム

Dscn8890_20220727040101

子規庵の糸瓜の花が咲き始めた!!

 ・「子規庵の糸瓜」4年目の種子を蒔いた!!(2022/05/06) #子規庵 #糸瓜 #糸瓜の種子
 ・「子規庵の糸瓜」4年目も発芽してきた!!(2022/05/18) #子規庵 #糸瓜 #糸瓜の種子 #発芽
 その糸瓜の花(雄花)が咲き始めたのである。
 今年は、今までとちがい地植えに挑戦していた。この方がとても元気に見える!!
 今年の糸瓜忌(子規忌)には間に合うかな。

▼その子規庵、松山市立子規博物館などを訪れるなかで、「句会」にあこがれるようになっていった。
 そのあこがれは、思わぬかたちで実現することとなった。
 オンライン句会「寅の日」デアル!!
 句会が起ち上がって、はや2年が過ぎようとしていた。
 はじめてみると、「あこがれ」以上のものがそこにはあった!!

▼あらためて、第24回オンライン句会「寅の日」8月例会の案内をあげておく。

***************************************************************

第24回オンライン句会「寅の日」8月例会実施案内

0.はじめに
 本会をオンライン句会「寅の日」と称する。
 オンライン「寅の日」から生まれたオンライン句会です。
 俳句結社「寅の日」が運営しています。
 寺田寅彦に師事します。 

0からはじめる人のためのオンライン句会です。

 本会は「夏雲システム」を利用させてもらっています。

1.原則として月一回の月例句会を実施します。

2. 参加者
 あらかじめ登録された者のみ。
 (「俳号」をきめて、【句会「寅の日」参加希望】のタイトルで楠田までメールを)
 
3.投句のお題
・当季雑詠(その季節の季語を自由に詠む。)

4.句数
・5句だし
・5句選(特1・並4)特選は2点 並選は 1点 扱い
・予選句は自由 

5.【投句期間】
 2022年8月1日0時から15日23時30分まで
 
6.【選句期間】
 2022年8月16日0時から25日23時30分まで  

7.【結果発表】
 2022年8月26日から
同時に「談話室」が書き込み可能になります。

8.賞について
 ・最高得点句は最優秀句であり、その句会の「寅日子」賞とする。
 ・特別賞として、次の賞を設ける。
 「これぞ科学!!」が詠まれた句 → 「牛頓」(ニュートン)賞!!
 「よくぞそこまで観察した!!」という句 → 「藪柑子」賞!!
  特別賞は、毎回でなくてよい。
  もちろん「寅日子」賞と重なることがあってもよい。
  参加者が、選評の際に書き込むようにようにしたい。複数票を獲得したときに受賞としたい。

9.注意事項
 参加する前に「夏雲システム」、「同意事項」をよく読んでおいてください。

***************************************************************

▼誰にも「はじめて」がある!!
 「はじめて」の方がスバラシイことも多々ある。それが俳句の世界だ!!
 はじめての方も、ベテランもフラットに俳句を愉しむのが、「句会」の醍醐味である!!
 お気に入りの俳号をきめてメールをください。
 まずは、その一歩を!!

 8月の「句会」からどんな句がうまれるかな楽しみである。
 

| | コメント (0)

本日(2022/07/24)、第322回オンライン「寅の日」!! #ルクレチウスと科学 #traday #寺田寅彦

Dscn4152_20220724050501

▼あの銅像が建てられたのは、ちょうど4年前の今日だった。(2018/07/24)

●寅彦の銅像を訪ねて(2) #traday #寺田寅彦

 像の前に立てば
 「ねえ君 ふしぎだと思いませんか」
 と寅彦がやさしく語りかけてきてくれるだろう。
 今度、立てるのはいつかな。楽しみだ!!

 この銅像が、いつもオンライン「寅の日」を応援してくれていると勝手に思っている!!

▼そんな記念すべき本日(2022/07/24)は、第322回オンライン「寅の日」だ。
 7月テーマは

【7月テーマ】「寅彦とルクレチウス」

である。6月から引き続いて、「ルクレチウスと科学」を読んできた。
 本日はその5回目、最終回である。

◆本日(2022/07/24)、第322回オンライン「寅の日」!!

●「ルクレチウスと科学」(5)(青空文庫より)

▼いよいよ最終回である。
 六章(六巻)と後記を中心に読み解いていく。
 最初にこう書いていた。

 第六巻では主として地球物理学的の現象が取り扱われている。これは現在の気象学者や地震学者、地質学者にとってかなりに興味あるものを多分に包有し提供している。しかしここでこれらの詳細にわたって紹介し評注を加えることはできない。私はもし機会があったら、他日特に「ルクレチウスの地球物理学的所説」だけを取り出してどこかで紹介したいという希望をもっているだけである。

 寅彦的にはけっこう気に入っていたようである。
 そして、あの銅像の台座に書かれたコトバ
 「天災は忘れられたる頃来る」
 を思い出させるような文章がつづく。

 彼が雷電や地震噴火を詳説した目的は、畢竟(ひっきょう)これら現象の物質的解説によって、これらが神の所業でない事を明らかにし、同時にこれらに対する恐怖を除去するにあるらしい。これはまたそのままに現代の科学教育なるものの一つの目的であろう。しかし不幸にして二十世紀の民衆の大多数は紀元前一世紀の大多数と比較してこの点いくらも進歩していない。たとえば今のわが国の地震学者が口を酸(す)くして説くことに人は耳をかそうとしない。

 さらに続けてこうも言っていた。
そうして大正十二年の関東地震はあれだけの災害を及ぼすに至った。あの地震は実はたいした災害を生ずべきはずのものではなかった。災害の生じたおもなる原因は、東京市民の地震に対する非科学的恐怖であったのである。科学は進歩するが人間は昔も今も同じであるという事を痛切に感じないではいられない。同時に今の科学者がルクレチウスから科学そのものは教わらなくても、科学者というものの「人」について多くを教わりうるゆえんをここにも明らかに認めうると考えるのである。

 そして最後に興味深い言葉で結んでいる。
ルクレチウスはおそらく、この後にさらに何物かを付加する考えがあったのではないか。私はこの書に結末らしい結末のない事をかえっておもしろくも思うものである。実際科学の巻物には始めはあっても終わりはないはずである。

▼いよいよ最後の「後記」である。ここには、これまでのエキスをすべて詰め込んでいる!!そんな気がするのである。
 私がずっと問いつづけている
 
 「寅彦は、なぜかくも熱くルクレチウスを語るのか!?」

 の答えもここにありそうな気がする。だから、少し引用がたくさんになるが、お許し願いたい。
 まずルクレチウス礼賛の言葉を聞いてみよう。

 ルクレチウスの書によってわれわれの学ぶべきものは、その中の具体的事象の知識でもなくまたその論理でもなく、ただその中に貫流する科学的精神である。この意味でこの書は一部の貴重なる経典である。もし時代に応じて適当に釈注を加えさえすれば、これは永久に適用さるべき科学方法論の解説書である。

 現代科学の花や実の美しさを賛美するわれわれは、往々にしてその根幹を忘却しがちである。ルクレチウスは実にわれわれにこの科学系統の根幹を思い出させる。そうする事によってのみわれわれは科学の幹に新しい枝を発見する機会を得るのであろう。

 現代の科学がルクレチウスだけで進められようとは思われない。しかしルクレチウスなしにいかなる科学の部門でも未知の領域に一歩も踏み出すことは困難であろう。

 ここで寅彦はたいへん興味深い「作業仮説」を提案していた!!
 今かりに現代科学者が科学者として持つべき要素として三つのものを抽出する。一つはルクレチウス的直観能力の要素であってこれをLと名づける。次は数理的分析の能力でこれをSと名づける。第三は器械的実験によって現象を系統化し、帰納する能力である。これをKと名づける。今もしこの三つの能力が測定の可能な量であると仮定すれば、LSKの三つのものを座標として、三次元の八分一(オクタント)空間を考え、その空間の中の種々の領域に種々の科学者を配当する事ができるであろう。

L…ルクレチウス的直観能力
S…数理的分析能力
K…器械的実験より系統化・帰納する能力
面白い!! 
あなたはどこに位置するだろう? 私自身はどうだろ?

寅彦の示唆することはこのあたりにあるようだ!!

以上の譬喩(ひゆ)は拙ではあるが、ルクレチウスが現代科学に対して占める独特の位地を説明する一助となるであろう。
 誤解のないために繰り返して言う。ルクレチウスのみでは科学は成立しない。しかしまたルクレチウスなしには科学はなんら本質的なる進展を遂げ得ない。

 最後の寅彦からの忠告・戒めは真摯に受け止めたい。
 私は科学の学生がただいたずらにL軸の上にのみ進む事を戒めたく思うと同時に、また科学教育に従事する権威者があまりにSK面の中にのみ学生を拘束して、L軸の方向に飛翔(ひしょう)せんとする翼を盲目的に切断せざらん事を切望するものである。

 ほんとうに引用ばかりが多くなって恐縮してしまうのだが、最後の寅彦の独白は捨てやることができなかった。
また一方私はルクレチウスをかりて自分の年来培養して来た科学観のあるものを読者に押し売りしつつあるのではないかと反省してみなければならない。しかし私がもしそういう罪を犯す危険が少しもないくらいであったら、私はおそらくルクレチウスの一巻を塵溜(ごみため)の中に投げ込んでしまったであろう。そうしてこの紹介のごときものに筆を執る機会は生涯(しょうがい)来なかったであろう。

ここに答えが!!

 これでいったん終わりとするが、「原子論」を科学する のなかでも繰返し話題としたい。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧