2017年8月のオンライン「寅の日」は #traday

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▼「雲見」定点からの「雲見」も、アメダスの「雲見」も「梅雨明け」を教えてくれているようだった!!
 「梅雨明け10日」はほんとうだろうか!? まいるな耐えれるかな(^^ゞポリポリ
 
 「アメダス」があの風を教えてくれていた!!
 確かにそうだ。昼と夜では違う方向から吹いている。方向がかわるとき「静穏」がある!!
 益々顕著になっていくのだろうか?

▼我らが寅彦も「風」を語ってくれていた。アリガタイ!!
 8月のオンライン「寅の日」はこれをテーマにやってみようと思う。題して
 
 【8月のテーマ】 寅彦と「風」

 8月は3回ある。

■2017年8月オンライン「寅の日」

◆第167回オンライン「寅の日」 …8/07(月)
◆第168回オンライン「寅の日」 …8/19(土)
◆第169回オンライン「寅の日」 …8/31(木)

▼もろに「海陸風」「凪」にふれたものがあった。それも瀬戸内海にふれたものだった。アリガタイ!!
 私としては願ったり叶ったりである。
 「海陸風と夕なぎ」「夕凪と夕風」である。
 続いて「風」と言えば台風だ。その台風については「颱風雑俎」がある。防災・減災の観点からもするどく語ってくれていた。

 
■2017年8月オンライン「寅の日」

◆第167回オンライン「寅の日」 …8/07(月) 「海陸風と夕なぎ」(青空文庫より)

◆第168回オンライン「寅の日」 …8/19(土) 「夕凪と夕風」(青空文庫より)

◆第169回オンライン「寅の日」 …8/31(木) 「颱風雑俎」(青空文庫より)

▼いずれもローカルな話題からはじめていた。
 ローカルに徹することによって、グローバルを語る!!
 グローバルな「大気の運動」を語ろうとしていた。

 それこそが寅彦の作風なのかも知れない!!

 願わくば寅彦を読みながら地域を吹く風を話題にしたいものだ。

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本日(2017/07/14)、第165回オンライン「寅の日」!!#traday

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▼なんともかわいい花だ!!何の花だろう!?
 先日から気になっていた花だ。そうこれは「ムラサキシキブ」という名でホームセンターの苗木コーナーで売られていたものを数年前に庭に植えたものだ。今ではりっぱな群落になってしまった。「ムラサキシキブ」と呼んでいるが実は「コムラサキ」だと思っている。
 秋に実ができればよくわかるが、花だけではよくわからない。
 それにしてもこんな小さな花からあんなムラサキの粒(実)になるなんて「ふしぎ!?」だ。
 花が咲けば実ができる。実があるものは必ず花が咲く!!
 アタリマエすぎるほどアタリマエだけど、やっぱり「ふしぎ!?」だ!!

 「ねえ君、不思議だと思いませんか?」

▼本日(2017/07/14)は、第165回オンライン「寅の日」である。
 7月のテーマは 
・寅彦と「研究」
 この不思議の謎解きをする「研究」について寅彦の考えを読み解いてみよう。
 今回読むのは「科学に志す人へ」だ。

◆本日(2017/07/14)、第165回オンライン「寅の日」!!#traday

●「科学に志す人へ」(青空文庫より)

▼最初は寅彦自身の学生時代の思い出話からはじまっていた。
 それは『吾輩は猫である』のあの「寒月君」を思い出させるものだった。

 「研究」「学問」について寅彦の結論を示すような一文があった。

楽しみに学問をするというのはいけないことかもしれないが、自分はどうも結局自分の我儘(わがまま)な道楽のために物理学関係の学問をかじり散らして来たものらしい。

さらには続けてこう言っていた。

 勝手放題な色々な疑問を、叱られても何でも構わずいくらでも自分にこしらえては自分で追究し、そうしてあきるとまた勝手に抛(ほう)り出してしまって自由に次の問題に頭を突っ込んだのであったが、そういう学生時代に起こしかけてそれっきり何年も忘れていたような問題が、やはり自分の無意識の間に解答を物色していたと見えて、十年二十年の後にまた頭をもたげて来て三十年後の今日ようやく少し分かりかけて来たような気のすることもある。どうも個々の人間の頭の中の考えの歴史は不思議なもので、通り一遍の理窟や下手な心理分析などを遥かに超越したものではないかと思われる。

なんとこれぞ究極の「自由研究」のすすめでは!?

▼ともかく若い人たちに「問題の仕入れ」をすすめていた!!
それは一生モノだとも言っていた。
 
 最後の一文には共感!!

ただ科学の野辺に漂浪して名もない一輪の花を摘んではそのつつましい花冠の中に秘められた喜びを味わうために生涯を徒費しても惜しいと思わないような「遊蕩児(ゆうとうじ)」のために、この取止めもない想い出話が一つの道しるべともなれば仕合せである。
さあ、あなたもこの夏 あなただけの「問題の仕入れ」を!!

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本日(2017/07/02)、第164回オンライン「寅の日」!!#traday

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▼7月は大賀ハス2号「あこがれの4日間」から始った!!
 あいにくの雨だった。にもかかわらず2号の花は律儀に定刻通りひらきはじめた。
 1号と同様「水栽培池」だった。7時過ぎには最高にまで開いた。なかをのぞくと花托には15個もの雌しべがあった。8時過ぎから閉じ始めた。雨で少し「店じまい」をはやめたのだろうか。
 雨はやがてやんだが、昼までにはほぼパーフェクトに閉じ元の姿になっていた。
 
 蓮根の植え替えから10週目である。例年より一ヶ月近く遅く植え替えをしたのに「あこがれの4日間」はいつも通り訪れる。
 やっぱり「あこがれの4日間」は「ふしぎ!?」だ!!
 寅彦ならこの謎解きをどのように展開しただろう?ぜひ聞いてみたいもんだ。
▼本日(2017/07/02)は、第164回オンライン「寅の日」である。
 7月のオンライン「寅の日」のテーマは
・寅彦と「研究」
 である。寅彦は「研究」をどのように展開していったのだろう?
 またどんなところに「研究テーマ」をみつけたのだろう?
 今回は「疑問と空想」を読み解いてみよう。

◆本日(2017/07/02)、第164回オンライン「寅の日」!!

●「疑問と空想」(青空文庫より) 

▼今回の随筆は昭和9年(1934)、今から83年も前に書かれてものである。
 ほんとうかな!?と疑ってしまうほど、今読んでも実に面白いのである!!
 いつものことながら驚き感動するのは、寅彦の「観察眼」「着眼点」である。
 
 ヨクゾソンナコトオモイツクモンダ!!

 感嘆するばかりだ。まず「テッペンカケタカ」のほととぎすの鳴き声だ。
 「「ふしぎ!?」に着目すれば仮説を立てていた。

  この鳴き声の意味をいろいろ考えていたときにふと思い浮かんだ一つの可能性は、この鳥がこの特異な啼音( ていおん)を立てて、そうしてその音波が地面や山腹から反射して来る反響を利用して、いわゆる「反響測深法」(echo-sounding)を行なっているのではないかということである。

さらにそれを確かめるべく実験も具体的に提案していた。

 これは単なる想像である。しかしこの想像は実験によって検査し得らるる見込みがある。それにはこの鳥の飛行する地上の高さを種々の場合に実測し、また同時に啼音のテンポを実測するのが近道であろう。鳥の大きさが仮定できれば単に仰角と鳥の身長の視角を測るだけで高さがわかるし、ストップ・ウォッチ一つあればだいたいのテンポはわかる。熱心な野鳥研究家のうちにもしこの実測を試みる人があれば、その結果は自分の仮説などはどうなろうとも、それとは無関係に有益な研究資料となるであろう。

 さらに「ふしぎ!?」は発展する。そして、こうまとめる。

 

これらの疑問ももし精密な実測による統計材料が豊富にあればいつかは是非いずれとも解決し得られる問題であろうと思われる。

 寅彦がこう書いて83年。今はアタリマエのこととしてよく知られていることなんだろうか?
 不勉強な私はそれを知らない。ぜひそれが知りたい!!

▼ もうひとつの「ふしぎ!?」も鳥に関するものだった。「九官鳥の口まね」である。
 ここでも「研究」の進め方は一貫していた。
 まず自分の「ふしぎ!?」に注目し、「研究テーマ」を設定する。
 そして「仮説」を立てる。→それを確かめる「実験」をする。→「結果」を考察する。
 そして…次なる「ふしぎ!?」へ

これはあまりにも勝手な空想であるが、こうした実験も現在の進んだ音響学のテクニックをもってすれば決して不可能ではないであろう。  それはとにかく、以上の空想はまた次の空想を生み出す。それは、九官鳥の「モシモシカメヨ」が、事によると、今ここで想像したような人工音製造の実験を、鳥自身も人間も知らない間に、ちゃんと実行しているのではないかということである。
 そして最後が、今回私がいちばん強くひざをたたいたところである。 こうした研究の結果いかんによっては、ほととぎすの声を「テッペンカケタカ」と聞いたり、ほおじろのさえずりを「一筆啓上仕候(いっぴつけいじょうつかまつりそろ)」と聞いたりすることが、うっかりは非科学的だと言って笑われないことになるかもしれない。ともかくも、人間の音声に翻訳した鳥の鳴き声と、本物とのレコードをたんねんに比較してみるという研究もそれほどつまらない仕事ではないであろうと思われるのである。

(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン

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2017年7月のオンライン「寅の日」は #traday

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いつも「ふしぎ!?」は突然やって来る!!
 大賀ハス花芽1号はどんどん膨らんでいく。花芽2号もたくましく直立しはじめた。いずれも「水栽培池」でのことだ。ふりかえったそのときだった!!正式な「大賀ハス観察池」に待望の花芽3号が…\(^O^)/
 一日に何回も観察しているはずなのに気づかなかった。

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 もうひとつの「ふしぎ!?」は夕方にやってきた。玄関の植木鉢をのけたそこにあいつがいた!!
 36号コウガイビルだ!!
 とりあえずはわずかな水とともにナイロン袋のなかに入れた。

 大賀ハス、コウガイビルの私の「研究」は今年の夏どこまで…?

▼2017年7月のオンライン「寅の日」の計画を考える時期が来ていた。
 まず7月のテーマである。
 ちょうど今、新・「自由研究」のすすめ試論を展開しているところである。それと関連して「研究」について科学者・寺田寅彦はどう語っていたかをみていきたい。
 題して 
 【7月のテーマ】 寅彦と「研究」 

 7月は3回ある。

■2017年7月オンライン「寅の日」

◆第164回オンライン「寅の日」 …7/02(日)
◆第165回オンライン「寅の日」 …7/14(金)
◆第166回オンライン「寅の日」 …7/26(水)

「ねえ君、不思議だと思いませんか?」
 

 あの有名なコトバが象徴するように、寅彦はいつも若き人に不思議の「研究」を呼びかけていた。
 そんな視点で見ると多くの随筆がそれに該当しそうな気になって迷う。
 まず、晩年に書いたもの2作品「疑問と空想」「科学に志す人へ」を選んでみた。
  次に少し立場をかえて、教師に向けて書かれたものをひとつ選んでみた。
  「研究的態度の養成」である。

■2017年7月オンライン「寅の日」

◆第164回オンライン「寅の日」 …7/02(日) 「疑問と空想」(青空文庫より)

◆第165回オンライン「寅の日」 …7/14(金) 「科学に志す人へ」(青空文庫より)

◆第166回オンライン「寅の日」 …7/26(水) 「研究的態度の養成」(青空文庫より)

▼いずれからも寅彦の「研究」に対する考えを学べそうで楽しみである。
 寅彦の時代に比べれば時代状況は大きく変わっている。
 ナラバ 「研究」の環境条件はどうだろう?
 科学「研究」の不易流行とは?
 そんなこと考えながら読みすすめたい。

 あなたの文脈のなかではどうだろう?
 ひとりでも多くの人の感想・意見を聞いてみたいものだ。
 よろしくお願いします。 <(_ _)>

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本日(2017/06/20)、第163回オンライン「寅の日」!!#traday

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▼「雲見」定点から見た空に雲はなかった。ほんとうに「梅雨入り」しているのかと疑うような天気が続く。
でも「天気図」「高層天気図」を見ているといよいよという感じだ。
 それにしても「雲見」はやっぱり面白い!!
 いくつかの観測「定点」をきめているが、やっぱりアメダス「定点」は特別の意味をもつ。
 なんと言っても多くの「記録」されたデータつきだ!!
▼本日(2017/06/20)は、その「雲見」の達人でもあった寅彦を読む日だった。
第163回オンライン「寅の日」である。
 2ヶ月にわたって追ってきたテーマ
 「寺田物理学」って!?
 の最終回である。読むのは「物質群として見た動物群」だ。

◆本日(2017/06/20)、第163回オンライン「寅の日」!!#traday

●「物質群として見た動物群」(青空文庫より)

▼いきなりこうはじまった。

せんだって、駿河湾(するがわん)北端に近い漁場における鰺(あじ)の漁獲高と伊豆(いず)付近の地震の頻度(ひんど)との間にある関係があるらしいということについて簡単な調査の結果を発表したことがあった。

これに類する具体例を次から次とあげる。
そしてこう語る。

いわゆる「大数」の要素の集団で個々の個性は「充分複雑に」多種多様であって、いわゆる「偶然」の条件が成立するからである。

 当時としてはずいぶん唐突な提案であったのだろう。
 私はこの文を読んだとき、すぐさま「ビッグデータ」という言葉を思い出した。
 「ビックデータ」社会と言われる今日であれば、次の愚痴も生まれなかっただろうか?

 「生物の事は物理ではわからぬ」という経典的信条のために、こういう研究がいつもいつも異端視されやすいのは誠に遺憾なことである。

▼最後の一文も示唆的である。

科学の進歩を妨げるものは素人(しろうと)の無理解ではなくて、いつでも科学者自身の科学そのものの使命と本質とに対する認識の不足である。深くかんがみなければならない次第である。

これにていったん 「寺田物理学」って!? をテーマにした回は終わる。
今回2ヶ月にわたる読みでわかったこと、いや感じたことをメモ書きしておく。

(1) 「寺田物理学」は、面白い!!

(2) 「寺田物理学」は、今なお、というより今こそ有効である!!
   (コンピュータ、複雑系科学)

(3) 「寺田物理学」は、自然をゆたかにとらえるためのヒントがいっぱいだ!! 

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本日(2017/06/20)、第163回オンライン「寅の日」!!#traday

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▼「雲見」定点から見た空に雲はなかった。ほんとうに「梅雨入り」しているのかと疑うような天気が続く。
でも「天気図」「高層天気図」を見ているといよいよという感じだ。
 それにしても「雲見」はやっぱり面白い!!
 いくつかの観測「定点」をきめているが、やっぱりアメダス「定点」は特別の意味をもつ。
 なんと言っても多くの「記録」されたデータつきだ!!
▼本日(2017/06/20)は、その「雲見」の達人でもあった寅彦を読む日だった。
第163回オンライン「寅の日」である。
 2ヶ月にわたって追ってきたテーマ
 「寺田物理学」って!?
 の最終回である。読むのは「物質群として見た動物群」だ。

◆本日(2017/06/20)、第163回オンライン「寅の日」!!#traday

●「物質群として見た動物群」(青空文庫より)

▼いきなりこうはじまった。

せんだって、駿河湾(するがわん)北端に近い漁場における鰺(あじ)の漁獲高と伊豆(いず)付近の地震の頻度(ひんど)との間にある関係があるらしいということについて簡単な調査の結果を発表したことがあった。

これに類する具体例を次から次とあげる。
そしてこう語る。

いわゆる「大数」の要素の集団で個々の個性は「充分複雑に」多種多様であって、いわゆる「偶然」の条件が成立するからである。

 当時としてはずいぶん唐突な提案であったのだろう。
 私はこの文を読んだとき、すぐさま「ビッグデータ」という言葉を思い出した。
 「ビックデータ」社会と言われる今日であれば、次の愚痴も生まれなかっただろうか?

 「生物の事は物理ではわからぬ」という経典的信条のために、こういう研究がいつもいつも異端視されやすいのは誠に遺憾なことである。

▼最後の一文も示唆的である。

科学の進歩を妨げるものは素人(しろうと)の無理解ではなくて、いつでも科学者自身の科学そのものの使命と本質とに対する認識の不足である。深くかんがみなければならない次第である。

これにていったん 「寺田物理学」って!? をテーマにした回は終わる。
今回2ヶ月にわたる読みでわかったこと、いや感じたことをメモ書きしておく。

(1) 「寺田物理学」は、面白い!!

(2) 「寺田物理学」は、今なお、というより今こそ有効である!!
   (コンピュータ、複雑系科学)

(3) 「寺田物理学」は、自然をゆたかにとらえるためのヒントがいっぱいだ!! 

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本日(2017/06/08)、第162回オンライン「寅の日」!!#traday

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▼大賀ハスの葉の上に落ちた雨粒はピンポン球のように跳ねた!!
 そして小さな球になって坂道をころがり中央の「水たまり」に吸い寄せられていく。そこには「吸い寄せる大きな力」が働いているようにみえる。それを繰り返してやがて「水たまり」は大きくなり自らの重力に耐えきれなくなり、葉を傾けてすべり落ちた!!
 面白い!! いくら見ていても飽きない!!
 昨日、梅雨に入ったそうだ。梅雨の私の小さな楽しみだ。
 
 こんな「つまらいなこと」にも「科学する」愉しみがあると寅彦は教えてくれた。

▼本日(2017/06/08)は、第162回オンライン「寅の日」である。
 そんな寅彦を読む日だ。6月のオンライン「寅の日」のテーマも5月に引き続いて
・「寺田物理学」って!?
である。そして今日読むのは「自然界の縞模様」である。

◆本日(2017/06/08)、第162回オンライン「寅の日」!!#traday

●「自然界の縞模様」(青空文庫より)

▼最初にここであつかう「縞模様」を定義していた。

 ここでかりに「縞模様しまもよう」と名づけたのは、空間的にある週期性をもって排列された肉眼に可視的な物質的形象を引っくるめた意味での periodic pattern の義である。

 ただし、「動的」なものはここではのぞくという。
 そうすると最初の私のハスの葉の上の「水たまり」の周期運動は除外されるということになるのか残念。
 
 話はきわめて挑発的につづく。

現在の物理的科学の領域では、その中でのきわめて辺鄙へんぴな片田舎かたいなかの一隅いちぐうに押しやられて、ほとんど顧みる人もないような種類のものであるが、それだけにまた、将来どうして重要な研究題目とならないとも限らないという可能性を伏蔵しているものである。今までに顧みられなかったわけは、単に、今までの古典的精密科学の方法を適用するのに都合がよくないため、平たく言えばちょっと歯が立たないために、やっかいなものとして敬遠され片すみに捨てられてあったもののように見受けられる。しかし、もしもこれらの問題をかみこなすに適当な「歯」すなわち「方法」が見いだされた暁には、形勢は一変してこれらの「骨董的こっとうてき」な諸現象が新生命を吹き込まれて学界の中心問題として檜舞台ひのきぶたいに押し出されないとも限らない。そういう例は従来でも決して珍しくはなかった。
 

▼さらに続けて具体例を出す。
 そのまえにこうだ!!

しかし、自然は人間の知らないいろいろな理由を知っており、持ち合わせているために、世界の万物はことごとく円や球や均質平等であることから救われるのである。

 まず最初にあげたのがあの「金平糖」の話だ。

二十余年の昔、いろいろこういう種類のことを考えていたころに、何よりもまずわが国に特有で子供の時からなじみの深い「金米糖こんぺいとう」というものの形が自分の興味を引いた。どうしてあのように角つのができるか、どうして角の数が統計的に一定になるか、この疑問を年来いだいて今日に至る間に、おりにふれてはこれによく似たいろいろの問題が次第に蓄積して来た。

なんとも愉快ではないか。
「金平糖のつの」がいつも一定になるのはどうして?
それが「寺田物理学」での大問題なのである。なんかうれしくなってくる。
 あとは次々と具体例があげられる。
 圧倒される思いで読んだ。

 最後の言葉が心に残った。

このはなはだ杜撰ずざんな空想的色彩の濃厚な漫筆が読者の中の元気で自由で有為な若い自然研究者になんらかの新題目を示唆することができれば大幸である。
 

 寅彦がこう書いてから84年が経っていた。
 今、これらの謎解きはどこまできているのだろう。ポンコツ頭の私にもわかるようになっているのだろうか。

 寅彦のこの文を読んだあとでは、雨のなかでも定位置で待機していたコガネグモの背中の模様の意味も「科学」してみたくなってきた。 

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本日(2017/06/08)、第162回オンライン「寅の日」!!#traday

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▼大賀ハスの葉の上に落ちた雨粒はピンポン球のように跳ねた!!
 そして小さな球になって坂道をころがり中央の「水たまり」に吸い寄せられていく。そこには「吸い寄せる大きな力」が働いているようにみえる。それを繰り返してやがて「水たまり」は大きくなり自らの重力に耐えきれなくなり、葉を傾けてすべり落ちた!!
 面白い!! いくら見ていても飽きない!!
 昨日、梅雨に入ったそうだ。梅雨の私の小さな楽しみだ。
 
 こんな「つまらいなこと」にも「科学する」愉しみがあると寅彦は教えてくれた。

▼本日(2017/06/08)は、第162回オンライン「寅の日」である。
 そんな寅彦を読む日だ。6月のオンライン「寅の日」のテーマも5月に引き続いて
・「寺田物理学」って!?
である。そして今日読むのは「自然界の縞模様」である。

◆本日(2017/06/08)、第162回オンライン「寅の日」!!#traday

●「自然界の縞模様」(青空文庫より)

▼最初にここであつかう「縞模様」を定義していた。

 ここでかりに「縞模様しまもよう」と名づけたのは、空間的にある週期性をもって排列された肉眼に可視的な物質的形象を引っくるめた意味での periodic pattern の義である。

 ただし、「動的」なものはここではのぞくという。
 そうすると最初の私のハスの葉の上の「水たまり」の周期運動は除外されるということになるのか残念。
 
 話はきわめて挑発的につづく。

現在の物理的科学の領域では、その中でのきわめて辺鄙へんぴな片田舎かたいなかの一隅いちぐうに押しやられて、ほとんど顧みる人もないような種類のものであるが、それだけにまた、将来どうして重要な研究題目とならないとも限らないという可能性を伏蔵しているものである。今までに顧みられなかったわけは、単に、今までの古典的精密科学の方法を適用するのに都合がよくないため、平たく言えばちょっと歯が立たないために、やっかいなものとして敬遠され片すみに捨てられてあったもののように見受けられる。しかし、もしもこれらの問題をかみこなすに適当な「歯」すなわち「方法」が見いだされた暁には、形勢は一変してこれらの「骨董的こっとうてき」な諸現象が新生命を吹き込まれて学界の中心問題として檜舞台ひのきぶたいに押し出されないとも限らない。そういう例は従来でも決して珍しくはなかった。
 

▼さらに続けて具体例を出す。
 そのまえにこうだ!!

しかし、自然は人間の知らないいろいろな理由を知っており、持ち合わせているために、世界の万物はことごとく円や球や均質平等であることから救われるのである。

 まず最初にあげたのがあの「金平糖」の話だ。

二十余年の昔、いろいろこういう種類のことを考えていたころに、何よりもまずわが国に特有で子供の時からなじみの深い「金米糖こんぺいとう」というものの形が自分の興味を引いた。どうしてあのように角つのができるか、どうして角の数が統計的に一定になるか、この疑問を年来いだいて今日に至る間に、おりにふれてはこれによく似たいろいろの問題が次第に蓄積して来た。

なんとも愉快ではないか。
「金平糖のつの」がいつも一定になるのはどうして?
それが「寺田物理学」での大問題なのである。なんかうれしくなってくる。
 あとは次々と具体例があげられる。
 圧倒される思いで読んだ。

 最後の言葉が心に残った。

このはなはだ杜撰ずざんな空想的色彩の濃厚な漫筆が読者の中の元気で自由で有為な若い自然研究者になんらかの新題目を示唆することができれば大幸である。
 

 寅彦がこう書いてから84年が経っていた。
 今、これらの謎解きはどこまできているのだろう。ポンコツ頭の私にもわかるようになっているのだろうか。

 寅彦のこの文を読んだあとでは、雨のなかでも定位置で待機していたコガネグモの背中の模様の意味も「科学」してみたくなってきた。 

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オンライン「寅の日」のすすめ(10)  #traday


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▼大賀ハス観察池は蓮根の植え替えから6週目であった。今年の観察池は事情あって小さな3つに分割していた。その3つとも第1ステージを終えようとしていた。水面は「浮葉」で覆い尽くされ、次なる「立葉」が出現する第2ステージに向うところだった。皮肉なことに、3つの鉢にタネ蓮根をとり、その残りの蓮根を旧観察池に掘り込んで「水栽培」(いっさい肥料は与えていない、水だけ)をしていた観察池は目を見張るような変化だ。
 日々刻々と成長していた。
 アタリマエと言えばアタリマエ!!どの植物もやっていること!!
 でもやっぱり感動デアル!!
 偉大なり「光合成」!!
どんな小さなこと、どんな「つまらないこと」にも感動する「科学」がある。 
 それを教えてくれたのもやはり寅彦の随筆だった。
 もう一度吉田先生の思い出を引用させてもらおう。

 講演の終りのところでも、またちょっと声を大きくされた。「何だか変なこというようですが、どんなつまらないことでも、つまらないといって捨ててしまわないで研究していくと、たいへん面白いことがみつかってくるものです」こういって、ちょっとはにかんだような表情をして退場された。(『数学の影絵』(吉田 洋一著 角川選書)p248より) 

 寅彦は時空を超えて、「科学」を楽しむ心を教えてくれているのである。

▼さらには、もう一度「寅の日」ネーミングのエピソードを思い出そう。

 寅彦は高嶺俊夫と親交を深めるなか面白いことをやっていたようだ。  一九二八年(昭和3年)の春ころから、高嶺と寅彦は毎週一度のペースで、二人だけの昼食会を催すことになる。 高嶺はこの日を「寅の日」、一方の寅彦は「高嶺デー」と呼んでいた。(中略)学問の話もしたが、それ以外に気楽なテーマもよく話題にのぼったという。“高等遊民”を彷彿させる二人の姿が浮かんでくる。(『寺田 寅彦 漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学』(小山 慶太著 中公新書 P15より)

 ここに「寅の日」の原点がある。
 ひとりで「私の「科学」」を楽しむだけではつまらない。面白くない!!発展も期待できない!!
 それぞれの「私の「科学」」を出し合いともに学びあい、高めあうことこそもっとも面白いこと。
 それを寅彦は教えてくれている。
 
 寅彦の「科学」の究極は、共愉の「科学」である!!

▼元祖サイエンスコミュニケーター寺田寅彦に学んで、これからもできるだけ多くの人の「私の「科学」」
に直接触れて愉しみたい。
 これから、オフライン「寅の日」をいろんなことダシにして実施していきたい。
・○○回記念オフというかたちで
・寅彦の随筆をダシにして  
・「寺田物理学」ダシにして
・「ゆかりの地」探訪をダシに
・吟行として
等々

考えるだけでも愉しくなってくる。o(^o^)o ワクワク
さて、いくつ実現できるだろう。

 ここまででいったん オンライン「寅の日」のすすめ をおわりにする。
また再開するかも知れないが…。

(おわり)

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オンライン「寅の日」のすすめ(9)  #traday

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▼若いサツマノミダマシだろうか!?
 まだまだクモの名前は限られものしか知らない。6月に入って「私のクモ観察園」もにぎやかになりそうな気配だ。5/20に玄関の「卵のう」から出てきたジョロウグモの子グモたち、多くはもう旅立っていったが、まだ「団居」をする「遅れん坊」たちもいた。昼過ぎにスタンバイしている子グモがいた。

 これまでは見向きもしなかったクモたちのことがこんなにも気になりだし、シロウト「クモ学」のすすめ 綴りはじめたこととオンライン「寅の日」をはじめたこととは私のなかではツナガッテイルように思えてならない。
▼「私の寺田寅彦「活用」法」をつづけよう。
やっぱり、あの石原純にヒントをもらおう。

◆寺田物理学の特質(石原 純)(『思想』岩波書店 特集「寺田寅彦追悼号」昭和11年3月号より)

から引用させてもらう。

 …そこに寺田さんの随筆に一種の特色が形作られるやうになつたのである。固より寺田さんは単なる科学者でなくて、同時に立派な芸術家でもあった。つまり芸術を芸術として味ひ、且つ自分で創作することも可能な人であった。併し寺田さんの多くの随筆に特色を與へてゐるところの、「科学者に固有な」見方、考え方は、種々の事象に対する鋭い分析にあるので、人々はそこに示された独特な、併し立派な理屈に感心するのだった。それはいつも世間の常識よりは一歩及至数歩深く踏み込んでゐる。そして人々はその意表外な観察になる程と肯くのであった。この分析がすなわち寺田物理学の方法なのであって、寺田さんはその随筆に於てこの方法をその儘、科学的研究に於けるよりももっと広い諸般の問題に応用したのに外ならない。

▼寺田寅彦の随筆を読むようになって大きく変化したことがある。
 それは、「科学」に対する見方だ!!
 理科の教師をずっと続けてきたわけだから、それなりに「科学」に興味はあった。アタリマエ!!
 でもそれはどこか「仕事」ととしての部分が優先していた。
 
 寅彦はちがっていた!!いつも軸足は「科学者」におきながら森羅万象を語っていた。
 寅彦の随筆を読んでいると、ほんとうに「科学」って面白い!! と思えるようになってきた。
 「科学」はりっぱに道楽の対象にできるものだと確信が持てた。
▼「寺田物理学の方法」を自分でも応用してみたくなった。
日々の暮らしのなかのフィールドで。

 等身大の「科学」は、やがて 私の「科学」 へと進化していくような気がした。
 
(つづく) 
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