本日(2018/11/30)、第208回オンライン「寅の日」!!#traday #寺田寅彦

_dsc5482
▼11月が終わる。
 今年も私のヒガンバナ研究はまだまだ続いていた。
 「自然結実」ヒガンバナから、現段階で完熟種子を11個を回収していた。
 すっかり枯れてしまった花茎の先にはまだ「目玉オヤジ」状況の完熟種子がいくつかあった。

 回収した袋のなかで、すでにカビだらけの種子もある。
 種子の保存方法として、ベストな方法は!?
 まだまだ未知なる「研究」は続く!!

_dsc5513

_dsc5544

_dsc5548

▼本日(2018/11/30)、第208回オンライン「寅の日」である。
 11月のテーマは、【理科の部屋】誕生にちなみ

 【11月テーマ】 「寅彦と理科教育」 

である。本日はその第三弾として「研究的態度の養成」を読む。

◆本日(2018/11/30)、第208回オンライン「寅の日」!!

「研究的態度の養成」(青空文庫より)

▼最初から意図したことではなかったが、偶然と言えばできすぎた話だ。
 この随筆が書かれた年についてである。随筆の最後には次のように記してあった。

(大正七年十月『理科教育』)

 なんということだ。これは第206回で読んだ「物理学実験の教授について」が書かれた年と同じ年なのである。

 大正七年、1918年 つまりちょうど100年前!!

 再び、『増補 日本理科教育史(付・年表)』(板倉聖宣著 仮説社 2009.4.10)の年表で確かめてみる。

 ●1918年(大正7)
・1.19 理科教育研究会、東京帝国大学で発会式(会長 林博太郎)。
・2.05  文部省、師範学校・中学校の物理・化学に生徒実験を課すことを定め、「物理及化学生徒実験要目」を訓令、生徒実験設備費として臨時補助金20万円余を国庫支出。
・4.△ 理科教育研究会『理科教育』創刊

 なんと4月に創刊されたばかりの『理科教育』十月号に寄稿した随筆なのである!!
 そんなつもりで読んでみると、ちょっと深く読み解けそうな気がしてきた。
 いきなりこうはじまる。

理科教授につき教師の最も注意してほしいと思うことは児童の研究的態度を養成することである。与えられた知識を覚えるだけではその効は極めて少ない。
 

 なんと今日的な!! ちがう100年前の話なのである。
 100年後の今日考えてみても示唆的文章がつづく!!

とにかく児童には、知らないことが恥でない、疑いを起さないこと、またこれを起しても考えなかったり調べなかったりすることが大なる恥である、わるいことであるといった精神を充分鼓吹(こすい)してほしいと思う。教師がこの態度になることの必要は申すまでもなかろう。

▼『理科教育』への寄稿ということで、やはり教師への注文が多い。
 しかし、その注文にもさすが寅彦、説得力があった。

そこでこういう場合は、いろいろ六ヶしいことがあるが、簡単に説明すればこうだ、皆さんこの外どういうことがあるか考えて御覧なさいといった風にして、彼等の求知心を強からしめ、研究的態度に出でしむるようにありたい。科学的の知識はそうそうたやすく終局に達せらるるものではない事を呑み込ませて欲しいものである。
かようにしていって、科学は絶対のものでない、なおいくらも研究の余地はある、諸子の研究を待っているという風にしたいと思うのである。

 そして、最後の一文はなお示唆的で今日も有効である!!

とにかく簡単なことについて歴史的に教えることも幾分加味した方が有益だと確信するのである。

 最後にもう一度100年前ということで思い出したのが、先日お聞きしたばかりの「ナリカ 100年の歩み」
の話だった!!私のなかではどこかツナガルものがある!!

●1918年(大正7)
・中村久助「中村理化器械店」創業

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月のオンライン「寅の日」は #traday #寺田寅彦

_dsc4947

▼「ここ5年間で自分の「生きもの観」を変えてくれた身近な生きものをひとつあげよ。」
 と言われれば、「コウガイビル」「クマムシ」たちのことも頭に浮かぶが、身近ということでは文句なく
 クモたち!!
 をあげるだろう。コガネグモの狩りを偶然観察したことからはじまるシロウト「クモ学」は、驚きの連続であった。
 最大の不思議は、こんな身近にこんな「ふしぎ!?」な生きものが一緒に暮らしていたことに今まで気づかなかったことである。
 
 そんな私の「クモ学」が今年は少しさみしい!!
 キンカンの木に何匹かのジョロウグモが、冷たい風に耐えていた。

_dsc4979

_dsc4993

_dsc4980

▼ひょっとしたら「クモ学」の面白さ知ったことと、寅彦の観察眼にふれたことは関係あるのかも知れない。
 2018年12月のオンライン「寅の日」の計画をたてる時期がきている。
 12月のテーマであるが、その寅彦の観察眼とも関連して

 【12月のテーマ】 「寅彦と「科学の方法」」

 としたい。定例で2回、特番で1回ある。

■2018年12月オンライン「寅の日」

◆第209回オンライン「寅の日」 …12/12(水)
◆第210回オンライン「寅の日」 …12/24(月)
◆第211回オンライン「寅の日」 …12/31(月)

▼「寅彦と「科学の方法」」とはえらく漠然としたテーマである。
 どの随筆もあてはまりそうであるし、また少しちがうような気もする。
 どれを読むか迷うばかりである。
 こんなときは、原点にもどり最初に読み
「そんな見方があるのか!!
 と感動したものをあげてみることにした。そうして選んだのが
 「藤の実」「地図をながめて」である。
 第211回12/31(月)は、寅彦の命日である。(1935.12.31没)
 命日の特番で読む作品はずっときめていた。最晩年に書いた「日本人の自然観」である。

■2018年12月オンライン「寅の日」

◆第209回オンライン「寅の日」 …12/12(水) 「藤の実」(青空文庫より)

◆第210回オンライン「寅の日」 …12/24(月) 「地図をながめて」(青空文庫より)

◆第211回オンライン「寅の日」 …12/31(月) 「日本人の自然観」(青空文庫より)


▼「平成」最後の師走も寅彦を読みながら「行く年 来る年」をむかえましょう!!
 ついに200回を達成したオンライン「寅の日」!!
 今年もあと4回です。
 よろしくお付合いのほどを…<(_ _)>


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

本日(2018/11/18)、第207回オンライン「寅の日」!!#traday #寺田寅彦

_dsc4582

▼両手にそっと包まれたような綿の実はまだ割れてはいなかった。
 それどころか今さらのように咲く白い花、少しピンクがかって行く花、赤く色づくがく、まだ緑を残す実等々のすべてが一本の木綿に同居していた。
 新しさと古さのすべてのさりげない同居は美しくもあった!!

_dsc4569

_dsc4574

_dsc4579

_dsc4588

▼本日(2018/11/18)は、第207回オンライン「寅の日」である。
 11月のテーマは、【理科の部屋】誕生月にちなみ

 「寅彦と理科教育」

である。本日はその第二弾、「科学上の骨董趣味と温故知新」を読む。

■本日(2018/11/18)、第207回オンライン「寅の日」!!

●「科学上の骨董趣味と温故知新」(青空文庫より)

▼「科学」「かがく」「カガク」「サイエンス」「science」…
 どの表記が自分にいちばんぴったりくるだろう!?
 寅彦はこんなことを言っていた。

科学の区別は別問題として、その人々の科学というものに対する見解やまたこれを修得する目的においても十人十色と云ってよいくらいに多種多様である。実際そのためにおのおの自己の立場から見た科学以外に科学はないと考えるために種々の誤解が生じる場合もある。

 なかなか面白いテーマではあると思うが、寅彦も言っているように今回の主テーマではないので
 \(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コッチニオイトイテ

 本論に入る。
 寅彦はひとつの危惧をいだいていた。

その種類の人には歴史という事は全く無意味である。古い研究などはどうでもよい。最新の知識すなわち真である。これに達した径路は問う所ではないのである。実際科学上の知識を絶対的または究極的なものと信じる立場から見ればこれも当然な事であろう。また応用という点から考えてもそれで十分らしく思われるのである。しかしこの傾向が極端になると、古いものは何物でも無価値と考え、新しきものは無差別に尊重するような傾向を生じやすいのである。

 どうやらこのあたりに寅彦の本意がありそうである。

しかし自分の見る所では、科学上の骨董趣味はそれほど軽視すべきものではない。この世に全く新しき何物も存在せぬという古人の言葉は科学に対しても必ずしも無意義ではない。

▼たたみかけるように寅彦の本意が発露される!!これが寅彦の手法なのかも。

このような類例を探せばまだいくらでもあるだろう。新しい芸術的革命運動の影には却って古い芸術の復活が随伴するように、新しい科学が昔の研究に暗示を得る場合は甚だ多いようである。これに反して新しい方面のみの追究は却って陳腐を意味するようなパラドックスもないではない。かくのごとくにして科学の進歩は往々にして遅滞する。そしてこれに新しき衝動を与えるものは往々にして古き考えの余燼(よじん)から産れ出るのである。  
  
しかしその半面の随伴現象としていわゆる骨董趣味を邪道視し極端に排斥し、ついには巧利を度外視した純知識慾に基づく科学的研究を軽んずるような事があってはならぬと思う。直接の応用は眼前の知識の範囲を出づる事は出来ない。従ってこれには一定の限界がある。予想外の応用が意外な閑人的学究の骨董的探求から産出する事は珍しくない。
自分は繰返して云いたい。新しい事はやがて古い事である。古い事はやがて新しい事である。

ここで我田引水のあのコトバを思い出した。

ホンモノの「流行」は「不易」を内包する!!
ホンモノの「不易」は「流行」を創造する!!

 大賀ハス観察池は、蓮根の植え替えから34週目。
 水は少なくなり、枯れた葉は朽ち果てようとしていた。

_dsc4893


| | コメント (0) | トラックバック (0)

本日(2018/11/06)、第206回オンライン「寅の日」!!#traday #寺田寅彦

_dsc3218

西谷川の「川霧」がみごとだった!!
 これを見逃してはなるまいとあわてて近づいてみた。しかし、そのみごとな景は長くは続かなかった!!
 川霧が消えかけたとき、ススキの穂に水滴が輝いてた。

 私の暮らす「大気の物理学実験室」でまたひとつすばらしい物理実験を見た\(^O^)/

_dsc3243

_dsc3266

_dsc3290

▼本日(2018/11/06)は、第206回オンライン「寅の日」である。
 11月のテーマは、11月が【理科の部屋】誕生月であることにちなんで

【11月テーマ】 「寅彦と理科教育」

 アリガタイことに科学者・寺田寅彦は、その立場から理科教育、科学教育に関しての随筆を多く遺してくれていた。どれもが、今日読んでもまったく古くない!!
 今もいや今こそ有効なものばかりである。
 本日は、そのうちのひとつ「物理学実験の教授について」を読む。

◆本日(2018/11/06)、第206回オンライン「寅の日」!!

●「物理学実験の教授について」(青空文庫より)

▼はじめに次のように書いてあった。

それと同時に文部省でも特に中等教育における理化学教授に重きをおかれるようになって、単に教科書の講義を授くるのみならず、生徒自身に各種の実験を行わせる事になり、このために若干の補助費を支出する事になった。これは非常によい企てである。どうかこのせっかくの企てを出来るだけ有効に遂行したいものである。

あれ?(゜_。)?(。_゜)?
いつの時代のことを言っているのだろう!?
随筆の最後には

(大正七年六月『理学界』)

と書いてあった。
 大正七年、1918年 つまりちょうど100年前だ!!

 『増補 日本理科教育史(付・年表)』(板倉聖宣著 仮説社 2009.4.10)の年表で確かめてみた。

 ●1918年(大正7)
・1.19 理科教育研究会、東京帝国大学で発会式(会長 林博太郎)。
・2.05  文部省、師範学校・中学校の物理・化学に生徒実験を課すことを定め、「物理及化学生徒実験要目」を訓令、生徒実験設備費として臨時補助金20万円余を国庫支出。
・4.△ 理科教育研究会『理科教育』創刊

コレダ!!100年前ということですぐさま思い出したもうひとつのことがある。先日の「ナリカ」創立100周年記念式典のことだ。「ナリカ」の創業もやはりこの年だったのである。

 ●1918年(大正7)
・中村久助「中村理化器械店」創業

 こんな時代背景を頭に描きながら、この随筆を読むとより寅彦の先駆性が見えてくる気がするのである。

▼引用はひかえめにと決意しながらも、ナルホド(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウンと合点すること多くついつい…

 云うまでもなく、物理学で出逢う種々の方則等はある意味で非常に抽象的なものであって、吾人の眼前にある具体的な、ありのままの自然そのものに直接そっくり当て嵌(は)められるようなものはほとんどないとも云われる。「AがあればBが生ずる」というような簡単な言葉で云い表わしてある方則には、通例「ただAだけがあってその他の因子A'の図A''の図……等がないならば」という意味を含めてある。
眼前の自然は教科書の自然のように注文通りになっていてくれぬから難儀である。
ビーカーに水を汲むのでも、マッチ一本するのでも、一見つまらぬようなことも自分でやって、そしてそういうことにまでも観察力判断力を働かすのでなければ効能は少ない。
先生の方で全部装置をしてやって、生徒はただ先生の注意する結果だけに注意しそれ以外にどんな現象があっても黙っているようなやり方では、効力が少ないのみならず、むしろ有害になる虞(おそれ)がある。御膳を出してやって、その上に箸で口へ持ち込んでやって丸呑みにさせるという風な育て方よりも、生徒自身に箸をとってよく選り分け、よく味わい、よく咀嚼(そしゃく)させる方がよい。

 寅彦の主張は徐々にヒートアップしていく!!
 そして、本随筆の主旨へと近づいていく。

 数十種の実験を皮相的申訳的にやってしまうよりも、少数の実験でも出来るだけ徹底的に練習し、出来るだけあらゆる可能な困難に当ってみて、必成の途を明らかにするように勉(つと)める方が遥かに永久的の効果があり、本当の科学的の研究方法を覚える助けになるかと思う。実験を授ける効果はただ若干の事実をよく理解し記憶させるというだけではなく、これによって生徒の自発的研究心を喚起し、観察力を練り、また困難に遭遇してもひるまずこれに打勝つ忍耐の習慣も養い、困難に打勝った時の愉快をも味わわしめる事が出来る。その外観察の結果を整理する技倆も養い、正直に事実を記録する癖をつける事やこのような一般的の効果がなかなか重要なものであろう。
 物理実験を生徒に示すのは手品を見せるのではない。手際(てぎわ)よくやって驚かす性質のものではなく、むしろ如何にすれば成功し如何にすれば失敗するかを明らかにする方に効果がある。それがためには教師はむしろ出来るだけ多く失敗して、最後に成効して見せる方が教授法として適当であるかと思う。
もともと実験の教授というものは、軍隊の教練や昔の漢学者の経書の講義などのように高圧的にするべきものではなく、教員はただ生徒の主動的経験を適当に指導し、あるいは生徒と共同して新しい経験をするような心算つもりですべきものと思う。


しかしそれはほんの一時の困難であろうと思われる。一通りの知識と熱心と忍耐と誠実があらば、そうそう解決のつかぬような困難の起る事は普通の場合には稀である。そのうちに生徒の方でも実験というものの性質がだんだん分って来ようし、教員の真価も自ずから明らかになろうと思う。そういう事を理解するだけでもその効能はなかなか大きいものであろう。これに反して誤った傾向に生徒を導くような事があっては生徒の科学的の研究心は蕾(つぼみ)のままで無惨にもぎ取られるような事になりはしないかと恐れるのである。

思わず膝をうつことばかりである。

これらのコトバは、現在の理科教師に向けた100年の時空を超えた寅彦からの熱きエールである!!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

本日(2018/10/25)、第205回オンライン「寅の日」!!#traday #寺田寅彦

_dsc2178
あれ!?
 庭の「自然結実」ヒガンバナはどこへ行ってしまったのだろう?
 毎日いつでも観察できると安心しきっていた。気がついたらすべての花茎が枯れてしまっていて、あの子房部が膨らんだもの見当たらない。枯れた花茎をたどり、やっとのことで草むらからそれを探し出した。
 なんとそれはその部分だけ緑を残していた!!
 花茎を根元から引っこ抜き、コンクリートのうえにのばしてみた。
 あらためて子房部のみ緑を残して栄養を送り続けようとするその姿に感動!!
 ペットボトルに挿しこみ完熟を待つこととした。
 はたして完熟「種子」は手に入れることができるだろうか。

_dsc2214

_dsc2228

_dsc2231

▼本日(2018/10/25)は、第205回オンライン「寅の日」である。
 10月はずっと「科学と文学」を読んでいた。
 その最終回、3回目である。

◆本日(2018/10/25)、第205回オンライン「寅の日」!!

●「科学と文学」(3)(青空文庫より)


▼私はこの長編の随筆をできるだけ私の文脈にひきつけて読もうとしていた。
 それは、この随筆の中に「これから」の私に役に立ちそうなことが、たくさん含まれているような気がしていたからだ。
 繰り返し言うが、ここでは寅彦の軸足は「科学」「科学者」にあった。
 私が勝手に寅彦の本意はここにあると思っている部分がある。それが「随筆と科学」の最後にでてくる。

 それはとにかくとして、現在において、科学者が、科学者としての自己を欺瞞することなくして「創作」しうるために取るべき唯一の文学形式は随筆であって、そうしてそれはおそらく、遠き「未来の文学」への第一歩として全く無意味な労力ではないと信ずるのである。

 要するにこの随筆は科学者への「随筆のすすめ」なのである!!

▼科学者だけへの「随筆のすすめ」ならば、私には意味をなくしてしまう。
 そこで、勝手に「科学者」を「科学する者」と読み替えてしまいたい。
 そうすると示唆的な文章がつづく

 科学者が自分の体験によって獲得した深い知識を、かみ砕きかみ締め、味わい尽くしてほんとうにその人の血となり肉となったものを、なんの飾りもなく最も平易な順序に最も平凡な言葉で記述すれば、それでこそ、読者は、むつかしいことをやさしく、ある程度までは正しく理解すると同時に無限の興趣と示唆とを受けるであろうと思われる。
  

ホンモノとニセモノの見分け方まで指南してくれていた。

そういう永久的なものと、悪い意味でのジャーナリスチックなものとの区別は決してむつかしくはない。要するに読んだ後に、読まない前よりいくらか利口になるかならないかというだけのことである。そうして二度三度とちがった時に読み返してみるごとに新しき何物かを発見するかしないかである。

さらにはここまで言ってくれていた。

 それで、考え方によっては科学というものは結局言葉であり文章である。文章の拙劣な科学的名著というのは意味をなさないただの言葉であるとも言われよう。

そして、「どうしたら文章がうまくなれるか」に答えて、次のように語っていた。

そういう場合に、自分はいつも以上のような答えをするのである。何度繰り返して読んでみても、何を言うつもりなのかほとんどわからないような論文中の一節があれば、それは実はやはり書いた人にもよくわかっていない、条理混雑した欠陥の所在を標示するのが通例である。これと反対に、読んでおのずから胸の透くような箇所があれば、それはきっと著者のほんとうに骨髄に徹するように会得したことをなんの苦もなく書き流したところなのである。

なんと示唆的!!

 庭のヒガンバナは「葉の季節」へと完全にシフトしていた。
 いつの日か私も「自然結実」ヒガンバナ物語の随筆を書いてみたいものだ。

_dsc2150

_dsc2163

_dsc2166

_dsc2171

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月のオンライン「寅の日」は #traday #寺田寅彦

Dscn9326

▼先日(2018/10/18)、私はついに

自分以外の人がみつけた「自然結実」ヒガンバナを「生」で見せてもらった\(^O^)/

 スルッとのびた緑の花茎の先の子房部は豊かに膨らんでいた!!
 それも花茎は2本もあった!!
 画像等で見せてもらうことはこれまでに何度かあったが、「生」で見せてもらうのはこれがはじめてであった。
 見せてくれたのは觜本格さんだ。
 觜本さんは、先日のファラデーラボでの私の「ヒガンバナの「種子」をさがそう!!」の呼びかけに応えて、昨年も探された場所を今一度探してくださった。
 みつけるのにそれほど時間は必要でなかったようである。
 さすがフィールドワークのプロだ!!

 私は、益々確信を持って言うことができる。
 
 「自然結実」ヒガンバナは想像以上に高頻度に存在する!!
 あなたも、この週末に ヒガンバナの「種子」をみつけよう!!

Dscn9301

Dscn9319

▼2018年11月のオンライン「寅の日」の計画を考える時期が来ている。
 11月は、【理科の部屋】が誕生した月だ。それにちなんでここ何年か同じようなテーマにしていた。
 今年もそれでいきたい。

 【11月テーマ】 「寅彦と理科教育」

 11月もぎりぎり3回ある。

■2018年11月オンライン「寅の日」

◆第206回オンライン「寅の日」 …11/06(火)
◆第207回オンライン「寅の日」 …11/18(日)
◆第208回オンライン「寅の日」 …11/30(金)

▼科学者・寺田寅彦は、理科教育・科学教育についてけっこう多くの随筆を残してくれていた。
 直接的に雑誌『理科教育』に寄稿してくれた場合もあるし、その他の随筆のなかでもとても示唆的なことを多く語ってくれていた。その提言の多くは驚くほど今日的であり、時空を超えて今も有効である。
 数多あるなかから今回は、「物理学実験の教授について」「科学上骨董趣味と温故知新」「研究的態度の養成」を読む。

■2018年11月オンライン「寅の日」

◆第206回オンライン「寅の日」 …11/06(火) 「物理学実験の教授について」(青空文庫より)

◆第207回オンライン「寅の日」 …11/18(日) 「科学上の骨董趣味と温故知新」(青空文庫より)

◆第208回オンライン「寅の日」 …11/30(金) 「研究的態度の養成」(青空文庫より)

▼11/23(祝・金)には、【理科の部屋】25周年記念オフも計画されている。
 その場でも、大いに「これから」の理科教育について語り合いたいものである。
 とても、楽しみである。o(^o^)o ワクワク

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

本日(2018/10/13)、第204回オンライン「寅の日」!!#traday #寺田寅彦

Dscn8591

黄金色に輝く稲田が、西谷川のカーブに沿って広がる!!
 お気に入りの景だ。
 しかし、この景ももうすぐ見納めである!!
 そう思うとなおさら美しく見えてくるのである。
 その景をじっと見ているとその遠景の「水平」の「ふしぎ!?」を思い出した。
 いつかはこの「水平」の謎解きやり、「動く大地の物語」を書いてみたいと思っていたがそのままになっていた。
 「稲田」「大地の水平」そしてその上の「雲見」!!

 ひとつの景からはじめて「科学する」は面白い!!

 「科学する」は「文学する」にツナガルか!?

Dscn8599

Dscn8630

▼本日(2018/10/13)は、第204回オンライン「寅の日」である。
 10月のテーマは

 【10月テーマ】 「寅彦の科学と文学」

である。読むのはズバリそのもの「科学と文学」である。
 その2回目である。

◆本日(2018/10/13)、第204回オンライン「寅の日」!!

●「科学と文学」(2)(青空文庫より)

▼2回目であるが、再び最初から読み進めてみる。

・言葉としての文学と科学
・実験としての文学と科学
・記録としての文学と科学
・芸術としての文学と科学

 読み進めていて、はたと気づいた!!
 「○○としての文学と科学」となっている。「○○としての科学と文学」ではないのである。
 世界文学講座に寄稿した文であるからそうなったのであろうか?
 真意は私にはわからない。
 勝手に推察すると、ここに寅彦の「トリック」がある。
 いかにも「文学」と「科学」を対等にあつかっているように見せかけて、その軸足は常に「科学」にあった。
 私にはそう思えるのだ。

 「科学する」→「実験する」→「文学する」!!
 
 いつのまにやらすり替っている。でもやっぱり納得してしまうから凄い!!
 少し気に入ったところを拾ってみる。

一方で、科学者の発見の径路を忠実に記録した論文などには往々探偵小説の上乗なるものよりもさらにいっそう探偵小説的なものがあるのである。実際科学者はみんな名探偵でなければならない。
歴史は繰り返す。方則は不変である。それゆえに過去の記録はまた将来の予言となる。科学の価値と同じく文学の価値もまたこの記録の再現性にかかっていることはいうまでもない。

▼そして、いよいよ本意の主張に近づいていく。
・文学と科学の国境
では、あの言葉が出てくる。弟子である中谷宇吉郎も大好きだった文章だ。

  顕微鏡で花の構造を子細に点検すれば、花の美しさが消滅するという考えは途方もない偏見である。花の美しさはかえってそのために深められるばかりである。花の植物生理的機能を学んで後に始めて充分に咲く花の喜びと散る花の哀れを感ずることもできるであろう。  
  そして、寅彦の主文脈にいたる。私はかねてより寅彦はこれが言いたいがためにこの随筆を書いたと思っている。
 そういうことから考えても、科学者が科学者として文学に貢献しうるために選ぶべき一つの最も適当なる形式はいわゆるエッセーまた随筆の類であろうと思われる。

 詳しくは次回に…。

 夕方の「雲見」の像は美しかった!!

Dscn8653


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

本日(2018/10/01)、第203回オンライン「寅の日」!!#traday #寺田寅彦

Dscn8074

▼先日、図書館の本棚でなんともなつかしい「絵本」をみつけた。

◆『ひがんばな』(甲斐信枝さく かがくのとも傑作集 福音館書店)

 元々は月刊予約・科学絵本「かがくのとも」(はじめてであう科学絵本)通巻102号「ひがんばな」(1977.9.1)として出されたものだ。
 この絵本にはじめて出会ったころが、私がヒガンバナの「ふしぎ!?」を追い始めたころでもあった。

 久しぶりに読んでみた。
 やっぱり面白い!!じつにみごとだ!!
 年間を通しての徹底した観察で、ヒガンバナの「ふしぎ!?」をすばらしい絵と言葉で語っていた。
 ここにはホンモノの「科学」と「文学」があった!!
 やっぱり名著中の名著だ!!
 今も、この絵本が読み継がれているんだと思うとうれしい気分になった!!

▼本日(2018/10/01)は、第203回オンライン「寅の日」である。
 10月に入っていきなりのオンライン「寅の日」である。10月のテーマは

 【10月テーマ】 「寅彦の科学と文学」

である。10月は3回あって、その3回とも、テーマずばりの「科学と文学」を読む。
本日はその一回目である。

◆本日(2018/10/01)、第203回オンライン「寅の日」!!

●「科学と文学」(1)(青空文庫より)

▼今回の随筆はとても長編である。
 なかみもよくわかっているわけではないが、私の大の「お気に入り」である。
 だから、何度かオンライン「寅の日」でもとりあげてきた。
 読む度に、なにか「これから」に示唆をうけるような気がしてくるのである。
 最初に「全体」を今一度みておく。

・緒言
・言葉としての文学と科学
・実験としての文学と科学
・記録としての文学と科学
・芸術としての文学と科学
・文学と科学の国境
・随筆と科学
・広義の「学」としての文学と科学
・通俗科学と文学
・ジャーナリズムと科学
・文章と科学
・結語

 鎌田浩毅氏風に言うならば

 「寺田寅彦を「活用」する」ヒントのすべてがここにある!!

という気がしてくるのである。
▼最初から最後まで、寅彦は一貫して軸足は「科学者」に置いていた。
 それは、「緒言」で最初に宣言していた。

 もう一つ断わっておかなければならないことは、自分がともかくも職業的に科学者であるということである。

 また、「科学の研究」と「書く事」の関係を次のように語っていた。

全くそのころの自分にとっては科学の研究は一つの創作の仕事であったと同時に、どんなつまらぬ小品文や写生文でも、それを書く事は観察分析発見という点で科学とよく似た研究的思索の一つの道であるように思われるのであった。

 さあ、一ヶ月かけてゆっくりゆっくり自分自身の「文脈」に沿って読み解いてみよう。
 
 最後に夢物語というか、大法螺話をひとつ。
 
 『ひがんばな(続)』 をいつの日か書いてみたいな!!  

(つづく)

Dscn8095

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月のオンライン「寅の日」は #traday #寺田寅彦

_dsc5121
いよいよ「彼岸入り」である!!
 もう何年も何年もその「ふしぎ!?」を追いかけているのにやっぱり不思議である!!
 
 「ヒガンバナはどのようにして彼岸を知るのか!?」

 庭の定点ヒガンバナも「彼岸入り」は意識していたようだ。
◆定点A…もう20年以上継続観察を続けている株だ。浮き株が増えてはいたが、それでもきっちりといくつもの「花茎」が伸びてきた。東京の野島高彦先生のところに引っ越しした株は、すでに開花したという。

_dsc5110

◆定点B…紅白ヒガンバナの観察定点。シロバナヒガンバナの方が先行しているようだ。この様子だと彼岸の中日には開花するだろう。シロバナも少しピンクを含んでいるように見える。

_dsc5115

◆定点C…東京の野島高彦先生のところから3年前に引っ越ししてきた株。スルスルと一本花茎が伸びてきた。
同じ株でも東京の方が開花がはやいと考えてよいのだろうか。

_dsc5127

◆定点D…今年もいちばん最初に「花芽」を出した株だ。これぞ彼岸のヒガンバナ!!
「自然結実」して「種子」もつくった株だ。ながくながく観察が必要だ。

_dsc5140

◆定点E…いつのまにやら、定点Eから派生した株だ。長い長い花茎がぎっしりと…。

_dsc5149

▼ヒガンバナの「律儀さ」に負けてはおれぬ。
 2018年10月のオンライン「寅の日」を考える時期だ。月のテーマは9月とも少し関連して

【10月テーマ】 「寅彦の科学と文学」

 としたい。10月には3回ある。

■2018年10月オンライン「寅の日」

◆第203回オンライン「寅の日」 …10/01(月)
◆第204回オンライン「寅の日」 …10/13(土)
◆第205回オンライン「寅の日」 …10/25(木)

▼私にはずっとずっと気になる随筆があった。気になるので何度も、このオンライン「寅の日」で読んできた。
 しかし、まだその本意を読み解くまでにはいたっていない。
 その随筆とは「科学と文学」である。
 文理融合の人と呼ばれる寅彦ならでの名随筆である。
 だが私にはそれだけには読めない。
 どこまでも軸足を「科学」に置いたするどい提言に読める。
 「これから」の科学について
 「これから」の科学者の仕事について
 
 そして、私には「これから」になすべきことについて

 3回とも「科学と文学」を読みたい。

■2018年10月オンライン「寅の日」

◆第203回オンライン「寅の日」 …10/01(月)「科学と文学」(1)(青空文庫より)

◆第204回オンライン「寅の日」 …10/13(土)「科学と文学」(2)(青空文庫より)

◆第205回オンライン「寅の日」 …10/25(木)「科学と文学」(3)(青空文庫より)

▼便宜上3回に分けるが、どこから読み始めてもらってもよい。
 話題にしてもらっていい。
 どこまでも、自分自身の「文脈」に引き寄せて読みたいものだ。
 
 私自身もそう心がけたいと思っている。
 
 さあ、私の「これから」がどれだけ見えてくるだろう。o(^o^)o ワクワク     

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

本日(2018/09/19)、第202回オンライン「寅の日」!!#traday #寺田寅彦

_dsc4875

▼手持ちの歳時記(『俳句歳時記』角川文庫)を開けてみた。
 【曼珠沙華】の例句のお気に入りを拾ってみる。

 曼珠沙華消えたる葉のならびけり 後藤夜半
 つきぬけて天上の紺曼珠沙華 山口誓子
 曼珠沙華不思議は茎のみどりかな 長谷川双魚
 空澄めば飛んで来て咲くよ曼珠沙華 及川 貞
 曼珠沙華どこそこに咲き畦に咲き 藤後左右
 曼珠沙華落暉も蘂をひろげけり 中村草田男
 西国の畦曼珠沙華曼珠沙華 森 澄雄
 青空に無数の傷や曼珠沙華 藤岡築邨

 やっぱり「俳句」っていいな!!

_dsc4773

_dsc4822

_dsc4901

▼本日(2018/09/19)は、第202回オンライン「寅の日」である。
 9月オンラインの「寅の日」のテーマは、その「俳句」である!!
 【9月テーマ】 「寅彦と俳句」
 その2回目の本日も、定番の「俳句の精神」を読む。

◆本日(2018/09/19)、第202回オンライン「寅の日」!!

●「俳句の精神」(青空文庫より)

▼随筆の最後に出典がある。

(昭和十年十月、俳句作法講座)

 昭和十年(1935年)と言えば、寅彦の最晩年だ。この年の大晦日、12月31日に亡くなったのだ。
 つまりこの随筆は、師・夏目漱石に指南を受けることにはじまった「俳句」の道の寅彦なりの総括なのかも知れない。
 ふたつの部分から成っていた。
「一 俳句の成立と必然性」

「二 俳句の精神とその修得の反応」
である。

 「一 俳句の成立と必然性」では、なぜ「俳句」なのか!?
 自然科学者・寺田寅彦の「俳句」論が展開されている。きわめて興味深い!!
 少しだけ引用させてもらう。

 日本人は西洋人のように自然と人間とを別々に切り離して対立させるという言わば物質科学的の態度をとる代わりに、人間と自然とをいっしょにしてそれを一つの全機的な有機体と見ようとする傾向を多分にもっているように見える。
この自然観の相違が一方では科学を発達させ、他方では俳句というきわめて特異な詩を発達させたとも言われなくはない。

 この後も、俳句の形式の必然性をわかりやすく説く。
 初学者の私にはアリガタイ!!
 なかでも 次なる文には合点した!!

 十七字のパーミュテーション、コンビネーションが有限であるから俳句の数に限りがあるというようなことを言う人もあるが、それはたぶん数学というものを習いそこねたかと思われるような人たちの唱える俗説である。少なくも人間の思想が進化し新しい観念や概念が絶えず導入され、また人間の知恵が進歩して新しい事物が絶えず供給されている間は新しい俳句の種の尽きる心配は決してないであろう。

▼「俳句修行」を志すものには、とてもうれしいコトバがならんでいた。

 俳句の修業はその過程としてまず自然に対する観察力の練磨(れんま)を要求する。俳句をはじめるまではさっぱり気づかずにいた自然界の美しさがいったん俳句に入門するとまるで暗やみから一度に飛び出してでも来たかのように眼前に展開される。今までどうしてこれに気がつかなかったか不思議に思われるのである。これが修業の第一課である。

(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン

しかし自然の美しさを観察し自覚しただけでは句はできない。次にはその眼前の景物の中からその焦点となり象徴となるべきものを選択し抽出することが必要である。これはもはや外側に向けた目だけではできない仕事である。自己と外界との有機的関係を内省することによって始めて可能になる。  句の表現法は、言葉やてにはの問題ばかりでなくてやはり自然対自己の関係のいかなる面を抽出するかという選択法に係わるものである。

 ここにこそ、「俳句修行」をはじめる本意があるのである。

 そして、その極意が語られていた!!

しかしそれよりも根本的なことは、書く事の内容の取捨選択について積まれた修業の効果によるのではないかと思われる。俳句を作る場合のおもなる仕事は不用なものをきり捨て切り詰めることだからである。

 「断捨離」こそが俳句の極意である!!と。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧