「引作の大楠」が見たい!!

Dscn0234▼職員の窓から見えるクスノキが花をつけているのだろうか。それともその準備の段階だろうか陽が照ると異様にまぶしい。しげしげとこんなのは見る機会がなかったが、幸いにもこの学校には何本もクスノキが植えられている。(なぜなのかまだ確かめていない。なぜだろう樟脳の関係だろうか。これを追っていくとけっこう面白いこと「発見」することできるかも知れないと思っている。)ずっとずっと観察をつづけて見ようと思う。
▼クスノキと言えば、最近「引作の大楠」をぜひ見たいと思うようになってきている。
私は、和歌山の阪本尚生さんのお世話で、2008年と2009年の夏、連続して2回南方熊楠を訪ねた。
柳田國男でも実際に熊楠を訪ねたの一回だけであるというのに、贅沢な体験させてもらったものだ。
 しかし、そんなちょこっと行ったから何かがわかるというものではなかった。
とてつもなく巨大な「熊楠」山脈がそこにあった。
仮説だけが生まれた。
・熊楠は過去の人ではない、これからの人である。
・南方マンダラ「萃点」は、「科学の方法」を示唆している。
▼こんな手前味噌の仮説を実証するためにも、こらからも何度も熊楠詣でをしたいと思っている。
2009年の詣ででは「萃点」に焦点を絞って行った。
今度は、「粘菌」「神島」かなと思っていたが、その前に熊楠が日本初のエコロジストとして動き、柳田國男と連携して守ったという「引作の大楠」が無性に見たくなってきた。
 行く限りは、顕彰館の橋本さんのお話もぜひ聞きたいところだが、欲張ったら何も見えてこないしと迷うところである。
▼クスノキにこだわるところから熊楠を追ってみる。この私の夏の宿題だ!
 楽しみな宿題は計画するところから楽しい。
 
 

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『萃点は見えたか…南方熊楠』をみた!

Dscf6192昨日は、春の嵐の後の晴れ。植え替え48週目の「大賀ハス観察池」にも、ひさしぶりにたっぷりと水がたまっていた。その水もどこかぬるんでいるような気がした。地下の蓮根も春の訪れを感じているだろうか。この大賀ハスの種子を分けてくださった和歌山の阪本尚生さんから「熊楠」の情報が入った。「熊楠」訪問では、ずいぶんとお世話になっている。
▼熊楠情報とは『萃点は見えたか……南方熊楠』(総合監修/紀田順一郎 監修/谷川健一 紀伊国屋書店)に関するものだった。「萃点」と聞けば、見逃すわけにはいかない。
さっそく朝に発注した。そしたら夕方には届いていた。なんという時代だ。
田舎にすんでいる人間には、ありがたい時代である。元々ビデオ版だったのだろうが、送られてきたのはDVDだ。
さっそく昨夜眠る前と、今朝起きてからと2度見た。
▼紀伊国屋評伝シリーズ『学問と情熱』21世紀へ贈る人物伝 の第1巻として、この作品はある。
このシリーズの意図から見ても、民俗学に焦点をあてているので、こちらの期待するものと違うかもしれないと思いながらみていった。
 私の興味は、「「熊楠」ついての5つの仮説」にある。最近は、とりわけ

●【仮説 その2】 「熊楠」はこれからの人である。

●【仮説 その3】 「南方マンダラ」は、これからの理科(科学)教育の羅針盤である。

●【仮説 その4】 「南方マンダラ」は、Webそのものである。

に関してである。そんな視点をもちながら、このDVDを見てみた。
タイトルにある通り「萃点」に焦点をあててくれいるのには共感もするし、納得する。
▼同じところに焦点をあてながらも、私が求めるものとは微妙にずれている。切り口がちがうのだろう。全体としての意図がちがうのであろう。これは、あくまで「人物伝」としての熊楠像にせまろうとしているのだろう。
私の場合、すこしちがう。私には、もう少し切実な問題なのである。
 過去に生きた「偉大なる人物」を知ろうと言うのでない。「これからの人」として、熊楠から未来を学びとろうというのである。
▼DVDを見て、あらためてそうだと思ったことがある。アトランダムにあげてみよう。
●「これからの人」への確信!
 1941年12月29日亡くなっている。その後、戦争そして終戦。彼がなくなって10年経って私は生まれた。
歴史は地続きである。彼は、間違いなく100年前に、日本の未来を見据えていた。
グロバル志向は、今、はじまったことではない。彼は、自ら体験を通して、グロバルな志向を示唆していた。
・日本初のエコロジストである。
・粘菌はやっぱりすぐれた教材になる可能性をもっている。
・熊楠の学習方法は写本からはじまっている。ここにヒントが…。
・南方マンダラは、Webそのもである。この仮説はただしい。だとすれば「萃点」とはなにか。
 「萃点」を見いだすこと、これこそいまいちばんやるべきこと。
・バラバラのものを、つなぎ合わせる手法、これはみごとだ。それこそ学ぶべきスキルだ。
・Webの時代の「学問」のモデルをここにみる。やっぱり「これからの人」!

またしても、「熊楠訪問」の気持ちが高まってきた。
これから、それまでにやっておきたいことリストアップしていきたい。

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「熊楠」とこれからの理科教育(4)

Dscf3195▼今日は、立冬である。それにしては比較的あたたかい朝である。この二十四節季のたびに、みごとな「科学」を感じる。「くらし」と自然界をみごとにつないでみせている。自然界にはたらきかけて、そこから有益なもの取り出したり生産したりして生きている。このときに「暦」は、羅針盤である。
 「科学」なんていうものがない時代から、この「暦」はあった。伝承していくべき第一のことがらが、まるで「非科学的」なものとか、「古い」ものと受け取られて、切り捨てられいく今。
 「科学的」ってどんなことなのか。今一度、問い返してみたい、「くらし」のなかで…。
▼「熊楠」にもどろう。熊楠は「物、心、事、理」の不思議の謎解きを科学と定義した。
その科学の方法論のモデル図を提示した。
それが「南方マンダラ」である。

それが、私にはWebのモデル図にみえてしかたない。
だからこそ、「これから」を示唆するものであるということになる。
▼「これからの理科教育」との関連で、この南方マンダラを読み解きたいという野望(「無謀」とも思える)を抱きはじめたのいつの時点からだろう。
 浅学無知であるが故に生まれ来る「発想」
 無手勝流であるが故に見えてくるものがあるやも知れぬ。
熊楠に言わせると
 「あらかた片付け」たという「物不思議」にこだわってみよう。

等身大の「ふしぎ!?」の謎解きを繰り返しやってみよう。

なんか「整理」すると、見えてくるかと、ここ何日か、書いてみたが
「ふりだし」にもどってしまった。

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「熊楠」とこれからの理科教育(3)

Dscf3170▼校庭に植えた綿の実がはじけだした。白い綿はきれいだ、しかし、誰がこれを紡いで身につけるものを創り出したのだろう。考えてみればすごいことだ、ホモ・サピエンスと自らを名のるだけのことはある。
 21世紀の今、そのホモ・サピエンスたちは何をめざして、何を紡いでいっているのだろう。
▼「熊楠」をつづける。
「南方マンダラ」の「萃点」に科学の方法をみる
ところまでまで書いたように思う。
しかし、待てよ。この「萃点」とはいったいなんなのだろう。
私は、このようにとらえている。
・情報が交叉するところ。
・情報が発信されるところであり、情報が収集されるところ
・「知」の交差点
・原理・原則の住み処
・…
人はどう見ているのだろう。今、「熊楠」にもっとも近しい人たちはどう見ているのだろう。
それが、今年の「熊楠」再訪の目的であった。
▼時空超えて「熊楠」を訪ねての旅のひとつの結論は、
・誰もが、「南方マンダラ」を持っている。
・誰もが、自分の「○○マンダラ」をもっている。持とうとしている。
ということだった。
 そして、誰もが、自分の「○○マンダラ」をあつく語った。
「萃点」も、多様であった。
▼私には、もうひとつの仮説があった。
●【仮説 その4】
「南方マンダラ」は、Webそのものである。

なんとも、荒唐無稽なこじつけかも知れない。しかし、あの「南方マンダラ」絵図が、Webの図に見えてしかたないのである。
だとしたら、

「萃点」とは、ネットワークにおけるハブである。
話が、飛びすぎている。
本論の「これからの理科教育」との関連でまとめていかなければ…。
▼彼は、粘菌の研究にこだわった。
「粘菌」は「動物の世界」と「植物の世界」が交叉するところ。(「萃点」!?)
「粘菌」を地球規模でおいかけ、その新種を我が家の庭で発見する。熊野の森にみつける。
その事実は、何を意味するのだろう。
「ネーチャー」等に論文を発表しつつ、地球規模を志向しつつ
科学を「くらし」と結びつけ、等身大の科学を志向する。

100年の時空を超えて、理科教育の「これからの人」がここにいる。

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「熊楠」とこれからの理科教育(2)

Dscf3116▼昨日の朝の散歩は、少しゆっくりと時間をとって、ヒガンバナの結実さがしをした。例年、たくさんみつけることができる場所にでかけたが、そこにはなかった。その場所に近づく前に一カ所、そこから離れた場所に一カ所、2個の実をみつけることができた。結実の条件とはなんだろう。個体変異なんだろうか。えば年によってちがうのなら、環境条件のちがいによるのだろうか。今年は、定点観測地Aでも見つけている。
 2カ所でみつけたうちのひとつを、今年も家に持ち帰り、ミニ花瓶にさしてみた。
 ヒガンバナと言えば、この散歩でとてもめずらしいものに出会った。ヒガンバナの「遅れん坊」である。今開花しているヒガンバナである。このシーズ初の冠雪のニュースが流れる11/3に開花しているヒガンバナであるなんておどろきである。
▼昨日は、「熊楠」デーときめて、少し頭の中を整理するつもりでいた。しかし、それは予定だけおわってしまった。畑仕事に思わぬ時間を使ってしまったのである。
 と言いながらも、少しは意識だけはしたので、その断片を記憶が消えないあいだに、記録しておこう。
・「熊楠」への興味を焦点化すれば、それは「南方マンダラ」である。
・さらに焦点化すれば、それは「萃点」とはなにかということである。

 ここに一言す。不思議ということあり。事不思議あり。物不思議あり。心不思議あり。理不思議あり。予は、今日の科学は物不思議をばあらかた片づけ、その順序だけざっと立てならべ得たることと思う。(人は理由とか原理とかいう。しかし実際は原理にあらず。不思議を解剖して現象団とせしまでなり。このこと、前書にいえり。故に省く。)心不思議は、心理学というものあれど、これは脳とか感覚器官とかをはなれず。したがって、心ばかりの不思議の学というものは今はなし、またはいまだなし。
……
これらの諸不思議は、不思議と称するものの、大いに大日如来の大不思議と異にして、法則だに立たんには、必ず人智にて知りうるものと思考す。さて妙なことは、この世間宇宙は、天は理なりといえるごとく(理はすじみち)、図のごとく(図は平面にしか画きえず。実は長、幅の外に、厚さもある立体のものと見よ)、前後左右上下、いずれの方よりも事理が透徹して、この宇宙を成す。その数無尽なり。故にどこ一つとりても、それを敷衍追求するときは、いかなることをもなしうるようになっておる。
 その捗りに難易あるは、図中の(イ)のごときは、諸事理の萃点ゆえ、それをとると、いろいろの理を見出だすに易くしてはやい。……
 すなわち図中の、あるいは遠く近き一切の理が、心、物、事、理の不思議のにして、その理を(動かすことはならぬが)道筋を追従しえたるたけが、理由(実は現像の総概括)となりおるなり。
 さて、すべて画にあらわし外に何があるか、それこそ、大日、本体の大不思議なり。
(『南方熊楠 土宜法竜 往復書簡』八坂書房、P307~309)

▼「ふしぎ!?」の謎解きこそ、理科だ。ならば、これは理科教育の羅針盤になるのではないかというのが、私の考えだ。ここに科学の方法、謎解きの方法の秘策がかいてある。
「萃点」から取り組めと言っているのである。
熊楠は多様な方面での活躍がある。それはあまりにも広い範囲に渡る。
「民俗学の生みの親」「日本のエコロジーの先駆者」「粘菌研究者」「知の巨人」…
だから、あまり巨大すぎて全貌がみえにくい。
私は私自身の文脈で読むしかできない。
私には、彼はファラデーと同じく「ナチュラル・フィロソファー」の名がいちばんふさわしく思える。

<つづく>

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「熊楠」とこれからの理科教育

▼今日は、「文化の日」だ。そして、晴れの特異日らしい。月が満つる日でもある。少しだけ、自由に時間がとれる日でもある。一度、頭のなかの「交通整理」をする日としたい。
 私の一日は、このblogを書き込むことからはじまる。ここで、今日一日こうすると宣言してしまってスタートとすると結構うまくいくかも知れない。自由な時間があるときしか、そうはいかないから…。
▼「整理」の第一が、「熊楠」である。しばらく書き込まなくなった「熊楠」であるが、けっしてこの人のことを忘れてしまっているわけではない。この人へのこだわりは深まるばかりである。
 なにがそうさせるのか。それすら明確ではない。
「熊楠」についての5つの仮説が、深く沈殿していく。
 とりわけ3つ目の仮説の「沈殿物」が一番気になるところだ。
●【仮説 その3】
 「南方マンダラ」は、これからの理科(科学)教育の羅針盤である。

▼私は、熊楠研究をやろうとは思っていない。そんな能力もないし、許された時間もない。
気になってしかたないので、「気になるもの」の正体をすこしでもわかって、自分の仕事に生かせていきたいのだ。
・「熊楠」にとっての科学とはなんなのだろう。
・標榜する「等身大の科学」との関係は
・南方マンダラにみる「科学の方法」とは
・ファラデーの「科学」と熊楠の「科学」の共通点は
・100年前の「熊楠」が、これからの理科教育とどう関係するのか。

次々と考えたいことがでてくる。
こんなことで、一日で「整理」なんてできるものやら…。
まあ、やれるところまでやってみよう。

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「熊楠」再訪から一ヶ月

Dscf0471▼昨日で、大賀ハスの植え替えから23週がすぎた。大賀ハスの実は、8月31日に5個とも一挙に落ちてしまった。果托は、まだ上を向いたまま佇立している。少し木質化したようにかたくなっている。
「あこがれの4日間」からも、一ヶ月はすぎた。あの4日の「ふしぎ!?」も、「仮説」も置き去りにしたままだ。きっとどこかにつながるはずとは思っているが。
Dscf0476 葉は、枯れるものも現れてはきているものの、まだまだ偉大なる営みを繰り返し、栄養を蓄え続けている。はたして、どんな蓮根が地下から見えてくるのだろう。来年の春の楽しみである。
▼「ふしぎ!?」「仮説」の置き去りと言えば、あの「熊楠」再訪からも、今日でちょうど一ヶ月だ。
あの「熊楠」再訪は、私にとってなんだったのだろう。少し時間的距離をおいて見えてきたものがある。
そもそも、なぜ「再訪」だったのか。
「熊楠」についての5つの仮説
 この「仮説」の吟味・検証こそが私の再訪のねらいであった。
そのねらいはどこまで達成できたのか。少しずつ見えてきたものがある。
▼【仮説 その2】に「熊楠」はこれからの人である。
と書いた。間違いなくそのようである。100年前の過去の「知の巨人」ではない。これからの人である。
私は、南方熊楠の研究者になろうとは思わない。
あの守備範囲の広さにはかなわない。蓄積された「知」の絶対量にしても、比較できるようなものではない。
最初は、柳田國男への興味から派生したものとして、南方熊楠への興味が出てきた。
また、ヒガンバナの味方についた人物として興味があった。
今はちがう。
Dscf0483▼どうちがうのか。「熊楠」についての興味というより
「南方マンダラ」への興味と言った方が正しい。「萃点」とは何なんだ。
ここに間違いなくホンモノがある。
これからの「学問」「科学」が示唆されている。
再訪から一ヶ月がたち、それは「仮説」から「確信」にかわりつつある。

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