今、「常民の科学」とは!?(8)
▼玄関先のカタバミの花がかわいくきれいだった。この「かわいさ」に反して「したたか」でもあった。
どんな戦略があるのだろう。門先のいたるところに春を謳歌している。
天気が悪い日の「光合成」教材として適材だったことを思い出す。
▼やっと少しずつ「全面教育学研究会」の反芻作業に入った。参加者お一人ひとりのコトバを「反芻」していたら圧倒される思いが蘇ってくる。一歩も前へ進むことができなくなってしまうのだ。
もう私の得意の流儀でいこう。「無手勝流」の動員だ。
私の文脈で行こう!!
そもそも「全面教育学」とはなんだろう?きわめて合点するコトバを聞いた。
・全面教育学は庄司マンダラである。
納得である。
浅学な私の連想はマンダラと言えば「南方マンダラ」である。
ならば、熊楠がそこからはじめよと言った「萃点」はどこにあるのだろう。
・庄司マンダラの「萃点」は?
▼案内してくださった尾崎さんの配意のおかげで私の質問のすべてに庄司先生が応答してくださった。
ありがたい限りだった。
なかでも
●1965年(昭和40) 「理科教育における「予想・仮説」着目史」(庄司和晃著『仮説実験授業』国土社刊p82)
「理科教育における「予想・仮説」着目史」
はじめに
§1. 仮説実験授業を発想したひと
§2. 着目史その1 - 新学習過程
§3. 着目史その2 - 理科実践論
§4. 着目史その3 - 予想実験をさせる授業
§5. 着目史その4 - 理科ノート方式
§6. 今後のことなどを含めて
この論文にふれていだき、応答いだいたのがありがたかった。
私は、当日その論文をコピーしたものをもって行き、新幹線のなかで再度読みなおしてから参加するつもりだった。朝のバタバタでそれを怠ったまま参加した。失礼なことをしてしまった。
帰ってから、今あらためてその論文を読みなおしている。
庄司先生のお答えのひとつひとつを重ねあわせてみている。実に的を射た応答をしてくださっていることがわかってきた。深謝!!
▼やっぱり私の「予想」は当たっていたと確信をもちはじめた。
・日本の理科教育の流れの中で「萃点」である。
・戦後理科教育の「原点」である。
その論文の最後を引用させてもらう。
理科教育における予想・仮説のもつ意味あいはゆるがせにできない問題である。単なる科学の方法としての位置にとどまるものではなく、基礎的な諸概念の習得・適用とか科学的認識の成立とかに密接不可分に結びつく重要なことであると考えられる。そういう点からいってもこうしたアプローチの必要性がある、といってよいのではないだろうか。(同書 P108より)
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