「動く大地」を科学する(29) #動く大地 #現在進行形 #科学する #地質図 #市川誕生 #新生代新第三紀 #第一瀬戸内海 #第二瀬戸内海

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▼梅雨に入って、やっぱり市川の水かさは増えていた。
 その流れを見ていると
 浸食・運搬・堆積のながいながい「歴史」を想像してしまう。

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▼そもそも市川はいつごろから、このように流れているのだろう。
 とても原初的な疑問が再び浮かんできた。

●市川誕生はいつごろか!?

▼「市川誕生物語」に再度挑戦してみよう。
まずは
◆「福崎町史 第三巻」資料編Ⅰ  
 「福崎の地史」から
引用させてもらおう。 

●新生代新第三紀(約2500万年前から約200万年前まで)
・いまから約2500万年前、福崎付近は多分現在のアジア大陸の一部だった。
・その陸地は侵食が進み、起伏の少ない準平原であった。
・この準平原にまだ市川は、いまの状態では流れていなかった。
・その先に瀬戸内海もなかった。
・しかし、1700万年前ごろから大地は裂けはじめ大陸からの分離が開始される。
・いわゆる日本海の誕生である。
・約1600万年前の中新世中期のころ、ばらばらになった陸塊が南東の方向に移動。
・福崎町の南には太平洋からいり込んでできた海が岡山、広島、島根の各県を横切り多島海を形成しながら日本海につながった。
・瀬戸内海、それも第一瀬戸内海のはじまりである。
・この海も約1000万年前になると土地の全般的な上昇にすっかり干上がってしまった。
・中新世後期から鮮新世前期、約5~600万年前になると土地の上昇にともなって火山活動がはじまる。
・福崎町にほど近い宍粟郡のダルガ峰(千種スキー場)はこのころの火山。
・鮮新世の中期から後期、約200~300万年前になると、いまの瀬戸内海の付近で局地的な沈降がはじまる。
・湖沼が点在しはじめる。
・この湖沼群の一部に太平洋からの海水が進入して第2の瀬戸内海が形成される。
・市川が現在のように流れはじめたのは、このころからである。
・このようにして時代は第四紀に移っていく。
・この時代になって日本列島は東北日本と西南日本がしっかりと結合し、現在の場所に位置するようになった。
・もちろん、今日われわれになじみのある風景も、この時代に完成された。

▼「市川誕生」に関しての記述のある部分を、さらにピックアップしてみると

●いまから約2500万年前、福崎付近は多分現在のアジア大陸の一部だった。
・その陸地は侵食が進み、起伏の少ない準平原であった。
・この準平原にまだ市川は、いまの状態では流れていなかった。
・その先に瀬戸内海もなかった。

●鮮新世の中期から後期、約200~300万年前になると、いまの瀬戸内海の付近で局地的な沈降がはじまる。
・湖沼が点在しはじめる。
・この湖沼群の一部に太平洋からの海水が進入して第2の瀬戸内海が形成される。
・市川が現在のように流れはじめたのは、このころからである。
・このようにして時代は第四紀に移っていく。

 ここでの一応の<結論>として

●市川の誕生は、今から約200~300万年前!!

 流れた先に「第二瀬戸内海」があったのか。

(つづく)

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「動く大地」を科学する(28) #動く大地 #現在進行形 #科学する #地質図 #チャート #付加体 #日本列島7億年 #一家に1枚

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▼その「チャート」とは、放散虫の遺骸の積み重なってできた岩石だった。
 放散虫は死ぬと、その珪質の殻はゆっくりとマリンスノーとなり海底に沈んでいき、1000年に数ミリずつ積もってやがて硬くなり、チャートがつくられた。
 そんな遙か遠くの海底で堆積してできたチャート!!
 いつ頃に堆積したものだろう!?
 それがどうしてここにあるのか!?
 どんな「動く大地」の物語があったのか!?
 
▼ゆっくり ゆっくり 急ごう!!
 ときに、日本列島全体の「動く大地」の物語をも視野に入れておこう。
 そう言えばと思いだしたものがある。
 「一家に1枚」シリーズだ。
 
◆一家に1枚 日本列島7億年 


▼実に多くの情報がこの1枚のポスターに盛れ込まれていた。
 すべての情報をいっきょに理解することなんてできない。
・日本列島7億年の歴史年表として
・「動く大地」は今も現在進行形!!
・「第四紀」はごくごく最近のこと
・「2億5000万年後の日本列島」!?

▼「主文脈」の2つの項目があがっていた。
●プレートの沈み込み帯 

●付加体と「海洋プレート層序」

 全体の「解説」もぜひ何度も目を通しておきたい。

▼しばし、壁にこのポスターを貼り付けておくことにした。
 「中生代 ジュラ紀」をおさえてみた。
 そのころの「日本列島」はどうなっていたんだろう!?


(つづく)

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2024年・今年もたくさんのジャガイモの実を!! #ジャガイモの花と実 #品種 #メークイン #キタアカリ

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▼なんと17個もあった!!
 ジャガイモの実!!
 あんなみごとに花を咲かせていたのだからアタリマエと言えばアタリマエ。
 でもやっぱり「ふしぎ!?」

▼梅雨に入るまでになんとかと少しあせっていた。
 今年もすでに数個だけ、まるで「ミニトマト」の実がなっているのを確認していた。
 しかし、実際に掘り出しはじめてびっくりしてしまった。
 黒シートの上に、ゴロゴロところがっているではないか。
 枯れた枝にふらさがった実も!!
 まるで「ミニトマト」にもわけがあった。
 ジャガイモもトマトも、ナス科の仲間であるという。

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▼掘った畝のジャガイモの品種は
・メークイン

・キタアカリ
 実ができやすい品種ってあるのかな。
 それともなにか別のわけがあるのかな!?

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▼ならべた「ジャガイモの実」を見ていると圧巻デアル!!
 そして、やっぱり思い出すのはあの名著である。
 「科学読み物」の金字塔!!

◆【お薦め本】『ジャガイモの花と実』(板倉聖宣著 楠原義一画 福音館)

この面白さはどこから。
 

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「動く大地」を科学する(27) #動く大地 #現在進行形 #科学する #地質図 #ため池 #姫ヶ池 #銀の馬車道

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▼「動く大地」を科学する を無手勝流にすすめることを目的として、まずはフィールドワークというほど大げさなものではないが、思いつきの気儘な小さな旅をつづけている。
 すると
 思わぬ「発見」があったり、「気づき」がある。
 それがまた楽しい!!
▼目的から、すこしずれた「わき道」「寄り道」が面白い。
 このときもそうだった。
 
・この地には思っていた以上に「ため池」が多い!!

 これも、きっとどこかでこの地の「動くの大地」の物語とツガッテイルハズ!!

▼このとき出会った池は「姫ヶ池」!!
 道のすぐそばには「姫ヶ池のお姫様伝説」の案内板。
 なるほど池の中の燈籠は傾いていた。
 
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▼あわせて「銀の馬車道-日本初の高速産業道路-」の説明もあった。
 これもまたこの地の「動く大地」の物語と無縁とは言いがたい。
 イモズル式に興味をツナイデいくとひょっとしたらうんと目的に近づくということもあるかも知れない。
 
(つづく)

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「動く大地」を科学する(26) #動く大地 #現在進行形 #科学する #地質図 #長池 #春日山 #住吉山 #高倉山 #日光寺山

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▼久しぶりに長池の土手に立ってみた。
 しばし長池の歴史に思いを馳せた。
 巨大な台地に大きなため池!!
 そこから見える景は、今またちがった意味をもちはじめていた。

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▼毎日のように市川の対岸から見る山々!!
 地図の等高線をなぞる作業で4つの山の高さが浮き彫りになっていた。
 南から
・春日山(飯盛山) 197.9m 
・住吉山  200.4m
・高倉山  257.4m
・日光寺山  408.8m

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▼地質図とも見比べながら、その山がいつごろどのようにしてできたのだろうか想像してみる。
 この謎解きは、今の私にはまだまだ遠い遠い道のりであった。

▼第四紀にすべてが起こったというのはほんとうだろうか。
 そして、「動く大地」の物語は、今も現在進行形!?

 ゆっくり ゆっくり急ごう!!

(つづく)

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「動く大地」を科学する(25) #動く大地 #現在進行形 #科学する #地質図 #古宮 #チャート #放散虫 #付加体 #鈴の森神社

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▼前回の「駒ヶ岩」の案内板の最後にこうあった。
「辻川にある鈴の森神社の氏神である鈴の森明神が神馬に乗って駒ヶ岩から古宮に向かって跳んでいったと伝えられており、その際にできた蹄跡が残っていると言われています。」
 その「古宮」に行ってみることにした。
 「古宮」とは、この南東にある「鈴の森神社」の旧の宮があったとされているところだ。

▼ずいぶん以前になるが訪れた記憶があった。
 記憶もうすれ、まわりの様子もずいぶん変わってしまっていた。
 周辺をうろうろしたが行き着けず、近くで農作業をする人に尋ねてやっとたどり着いた。
 教えてくださった方は、作業をやめて近くまでつれていってくださった。
 深謝。
 「古宮」については、『はりま山歩き』の橋元正彦さんのページがとても参考になった。
 
◆福崎町「古宮」のチャート岩体 - 兵庫の山々 山頂の岩石

▼田んぼのなかに忽然と大きな岩体がというふうではなくなっていた。
 それにしても、こんなところに「チャート」の大きな岩体とは!?
 「チャート」とは、放散虫の遺骸が積み重なってできた岩石。
 遠い遠い海の底で堆積していった堆積物がなぜここに!?
 それはいつごろのことなんだろう!?
 海洋プレートの沈み込みによる付加作用!?
 私にはまだまだよくわかっていなかった。
 私の「動く大地」の謎解き物語は、まだまだつづきそうだ。

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▼このすぐ近くには「鈴の森神社」「柳田國男生家」へつづく道があった。
 さあ、次はどこに行こうかな。

(つづく)

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「動く大地」を科学する(24) #動く大地 #現在進行形 #科学する #地質図 #駒ヶ岩 #丹波層群 #中生代ジュラ紀 #砂岩頁岩 #チャート

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▼ そこの案内板にも確かにそうあった。
 あの柳田國男も「故郷七十年」のなかで次のように書いていると。

 市川の川っぷちに駒ヶ岩というのがある。今は小さくなって頭だけしか見えていないが、昔はずいぶん大きかった。高さ一丈もあっただろう。それから石の根方が水面から水面から下へまた一丈ぐらいあって、蒼々とした淵になっていた。

 さら案内板には、
「國男兄弟は、夏になるとこの岩の上で衣を脱いで、そばの淵で泳いだり、うなぎの枝釣りをして遊びました。また、市川で泳いでいるとガタロ(河童)が出て、お尻を抜かれるという話をよく聞かされたそうです。」
 とつづいていた。
 
▼河川公園の方を歩いていて、対岸に見えるあれがそうだろうと気づいたので行ってみたくなった。
 橋を渡り、対岸にいって「駒ヶ岩」を確かめてみた。
 道路には、標識もしっかり出ていた。
 近くには、大きな案内板もあった。

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▼いかにも硬そうな大きな岩体である。
 岩石は、丹波層群の砂岩頁岩の互層であるという。
 砂岩は緻密でいかにも硬そうである。
 この硬さで、長年市川の浸食に耐えてきたのだろうか。
 そう言えば、今も川底に同じような岩石がみられるところもある。

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▼えっ「丹波層群」!?
 「福崎町史」では、「丹波帯」について次のように記してあった。

丹波帯は福崎町で最も広い範囲を占め、町の中央部の基盤を形成している。本帯は約2億年前の中生代ジュラ紀はじめの地層からなるが、この地層は泥起源の頁岩や粘板岩のなかに、しばしば海底火山でできた緑色岩、暖かい海で形成された石灰岩、同じく海でつくられるチャート、それに砂岩などがはさまれている。

 案内板にはもうひとつの話が書かれていた。  
「辻川にある鈴の森神社の氏神である鈴の森明神が神馬に乗って駒ヶ岩から古宮に向かって跳んでいったと伝えられており、その際にできた蹄跡が残っていると言われています。」
 どれがその「蹄跡」なんだろう!?

 さあ、次はこの「古宮」だろうか

(つづく) 

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「動く大地」を科学する(23) #動く大地 #現在進行形 #科学する #姶良火山灰層 #等高線 #山地形成 #新生代第四紀 #最終氷河期

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▼頭は完全に「0」ベースに逆戻りしてしまっていた!!
 なにから、どう手をつけていいのやらすっかり迷ってしまっていた。
 実に単純な作業からはじめてみた。

 町全体の地図(1/25,000)で、等高線50mごとにエンピツでなぞってみた。

 ルーペ片手に、ゆっくり ゆっくり
 これがなんとも楽しい作業となった。
 
▼はじめて気づくことも多かった。
 見えている山の高さも実感できた。
 思わぬ「発見」も多かった。

 ずっと捜している場所があった。
 「矢口奥池」!!
 人に問えばすぐ教えてもらえることかも知れなかった。でも、やっぱり自分で捜してみたかったのだ。
 「町史」には、次のようにあった。

 たとえば矢口奥池にそそぎ込む小川沿いに発達した扇状地堆積物中からは、2万4000年前に南九州の姶良火山の爆発の際に飛来した、AT火山灰層(厚さ20㎝)ほかが見出され、町域の麓屑も近隣地域と同様、最終氷河期中の形成であることが実証された。

▼そうだあのAT火山灰層だ!!
 いちどはあきらめかけていたが、やっぱりそこに行ったみたくなった。

◆「姶良火山灰を追え」

▼いろな人に教えてもらいながら、やっとその場所についた。
 残念ながら、周り様子はすっかり変わり、「姶良火山灰」には出会えなかった。
 しかし、まだあきらめたわけではなかった。
 
 地図で確かめ「現地」に行ってみる!!
 それだけでけっこう楽しいフィールドワークだ。

(つづく)

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「動く大地」を科学する(22) #動く大地 #現在進行形 #科学する #地質時代 #市川誕生物語 #新生代新第三紀 #新生代第四紀

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▼「動く大地」の物語を、今自分の暮らす「大地」を舞台に具体的にイメージしようとするがなかなかむつかしい。
 まわりに見える山や川の物語に興味がある。
 もう一度、まったくの0から出発してみよう。
▼幸か不幸か、自由に自動車を乗り回すことができなくなってしまった。
 せいぜい「自転車」でがやっとだった。
 ここは思い切って、「歩く」でいくことにした。
 市川沿いを、今まで歩いたことなかったコースで歩いてみた。
 はじめて見る風景だった!!
 見慣れた山も、ちがった角度から見ればちがった風景だった。

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▼そうだ!!
 この「市川誕生物語」に焦点をあてて、いままでにあげてきたことを再度繰り返してみよう。
 まずは「町史」からである。
◆「福崎町史 第三巻」資料編Ⅰ  
 「福崎の地史」から

●新生代新第三紀(約2500万年前から約200万年前まで)
・いまから約2500万年前、福崎付近は多分現在のアジア大陸の一部だった。
・その陸地は侵食が進み、起伏の少ない準平原であった。
・この準平原にまだ市川は、いまの状態では流れていなかった。
・その先に瀬戸内海もなかった。
・しかし、1700万年前ごろから大地は裂けはじめ大陸からの分離が開始される。
・いわゆる日本海の誕生である。
・約1600万年前の中新世中期のころ、ばらばらになった陸塊が南東の方向に移動。
・福崎町の南には太平洋からいり込んでできた海が岡山、広島、島根の各県を横切り多島海を形成しながら日本海につながった。
・瀬戸内海、それも第一瀬戸内海のはじまりである。
・この海も約1000万年前になると土地の全般的な上昇にすっかり干上がってしまった。
・中新世後期から鮮新世前期、約5~600万年前になると土地の上昇にともなって火山活動がはじまる。
・福崎町にほど近い宍粟郡のダルガ峰(千種スキー場)はこのころの火山。
・鮮新世の中期から後期、約200~300万年前になると、いまの瀬戸内海の付近で局地的な沈降がはじまる。
・湖沼が点在しはじめる。
・この湖沼群の一部に太平洋からの海水が進入して第2の瀬戸内海が形成される。
・市川が現在のように流れはじめたのは、このころからである。
・このようにして時代は第四紀に移っていく。
・この時代になって日本列島は東北日本と西南日本がしっかりと結合し、現在の場所に位置するようになった。
・もちろん、今日われわれになじみのある風景も、この時代に完成された。

▼では、その「新生代第四紀」にいては、
『石と地層と地形を楽しむ はりま山歩き』(橋元 正彦著 神戸新聞総合出版センター)   
「はりまの大地はどのようにしてできたか」(同書P7)
を再度参考にさせてもらおう。

(5)山が高くなり、段丘や沖積平野ができた(260万年前~)
・今から260万年頃より新しい時代を第四紀という。
・第四紀は氷河時代であり、氷期と間氷期が繰り返し訪れた。
・今の瀬戸内海あたりは、新第三紀鮮新世の終わり頃(300万年前頃)から沈降をはじめていて、細長い湖ができていた。
・120万年前になると、ここに海水が進入をはじめます。
・その後、氷期と間氷期の繰り返しによる海面の昇降によって、海が入ったり退いたりを繰り返し、やがて東から播磨平野まで海が進入するようになった。
・この300万年前頃からできた地層を大阪層群という。
・大阪層群は、播磨では明石市や小野市、三木市などで見られます。
・日本列島は、300万年前頃から東西に圧縮され、西日本でも山地が隆起をはじめた。
・六甲山地の上昇は100万年前ぐらいから本格化した。
・播磨の大地はその影響を受けて東が隆起、西が沈降するという運動をするようになった。
・加古川流域では、この大地の隆起と周期的な海水面の変動によって、河川や海岸に沿って何段もの段丘がつくられた。
・一方、たつの市から西の海岸や家島諸島では、大地の沈降によって複雑に入り込んだ海岸が地形がつくられました。
・氷期には、寒冷な気候を反映した地形がつくられた。
・峰山高原や段ヶ峰周辺などに見られる化石周氷河斜面や岩塊流などです。
・氷期には海面が下がったために、大地に深い谷が刻まれました。
・ 完新世(約1万年前~現在)に入ると、最後の氷期も終わり、海面は徐々に上昇していった。
・それによって、かつて谷だったところや河口付近に泥や砂や礫がたまった。これが沖積層である。
・海面の上昇は縄文時代の今から6000年前が最大で、海は今の平野部に進入していた。
・その後、海が退き沖積層は広い平野となった。

 なんでもゆっくりな私は、やっと少しずつ少しずつ「市川誕生物語」の景がみえてくるのだった。
 ゆっくり 急ごう!!
(つづく)

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5.30あれから40年の歳月が!! #山崎断層 #地震 #左横ずれ断層 #動く大地 #科学する

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▼「5.30」と言ってすぐ「あの日」を思い出す人は少なくなっていく!!
 だからこそ、私は語り続けたい。
 それは、今から40年前の今日だった。

 昭和59年(1984年)5月30日午前9時39分!!

 私は、この瞬間を見た!!まちがいなくこの眼で校舎が大きくゆれるのを見た!!

▼40年!!
 人間の寿命から言えばけっこう長い年月かも知れない。
 しかし、「動く大地」の歴史から言えばどうだろう?
 寺田寅彦は「津浪と人間」(青空文庫より)のなかで次のように言った。

 こういう災害を防ぐには、人間の寿命を十倍か百倍に延ばすか、ただしは地震津浪の週期を十分の一か百分の一に縮めるかすればよい。そうすれば災害はもはや災害でなく五風十雨の亜類となってしまうであろう。しかしそれが出来ない相談であるとすれば、残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう。

 そうだ!!
 「忘れないこと」は防災・減災の第一歩だ!!

▼最後に勤務した中学校の校区に震源地があった。
 2010年度、2012年度と2回、冬休みの課題(中学一年生の宿題)として、この「山崎断層地震」の「記憶」の聞き取り調査を実施した。いずれの年の報告にも驚いた!!
 実際に体験した父母の「記憶」は鮮明であった!!
 授業中であったこと
  授業の教科は そして 花瓶がころがったことまで…

◆【授業】山崎断層地震『27年前の記憶』から

▼私は今、遅々たる歩みであるが「科学する」のシリーズとして

◆「動く大地」を科学する

 を続けている。
 それが、少しでも防災・減災にツナガルことを願いつつ。
                  
                     あれから、40年目の朝に

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