「プラネタリウム」に行ってみたくなった。

▼昨日は、ひさしぶりに夜が遅かった。眠る前にもオリオンを確認しておいた。今朝、早く起きてすぐ、また外に出てオリオンを確認した。「まちがいない!!」動いているように見える。こんな初歩の初歩の「観察」から「まるごとプラネタリウム」プロジェクトをすすめている。あきらかに、空を見上げる頻度がふえている。あの「雲見」の連帯のときのように、今度は昼夜問わずである。
▼そうこう考えるうちに
「プラネタリウム」ってなんだろう!
誰がこんなもの考え出したんだろう。
これって、「天動説」そのものではないか。少し、googleで調べてみた。
◆プラネタリウム
には、結構面白いことが出てきている。
「アンティキティラ島の機械」の話もおもしろい。その歴史をみていると、
これが「天界」「宇宙」学ぶときの人類が開発した「最高の教具」であることがわかる。
人間の叡智に万歳をしたくなる。
▼日本のプラネタリウムの歴史を見ていると、なんと日本で最初に設置されたのは、いつもお世話になっている渡部さんところであるという。
 もうひとつの奇遇がある。
それは、今日から、あの理科ハウスの「プラネタリウム」が完成し、稼働をはじるという。
【祝】おめでとうございます。( ^_^)/□☆□\(^_^ )カンパ-イ!
「人工プラネタリウム」
人類の発明した最高にして最強の「教具」ープラネタリウム
今、無性に「プラネタリウム」に行ってみたくなった。


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二つの『自然の観察』

Dscf0406▼2学期の始まりの昨日も、まずは「一日いちばんの空」の観察からはじまった。ほんと、きれいだ。
次には、散歩である。学期がじまったので、朝は定例の散歩も2回とする。
ひとつは、家の周辺での散歩。ヒガンバナはまだかと定点観測地、群生観測地を気にかけながら…
もうひとつは、校庭の散歩である。登校してくる生徒、部活動をする生徒とあいさつをかわしながらの散歩である。
それは、ともに私自身の「自然の観察」という目的も兼ねている。
▼私の今手元に、この『自然の観察』というタイトルの本がふたつある。

●『自然の観察』(熊沢文男著 「理科をどう教える2」新生出版 1982.4.10)

●『自然の観察』(復刻・昭和16年文部省著作・発行 編集・解説 日置光久他 農文協2009.3.15 )

である。
 ともに、私の「自然の観察」にとっては、示唆的であり面白い。
 まだ、両方ともに拾い読みである。
しかし、共通する思考・主張があると感じている。それは、
●最高の教科書は、自然!!
●最高の指導書は、子ども!!

である。
 2冊を読み進めながら、秋の「自然の観察」を楽しみたいと思う。

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大賀ハスの実が落ちた!!

▼今朝起きて、すぐ外に出た。東の空にみごとなオリオンがゆっくりと登りはじめていた。そして、ひんやりとした風が肌寒さすら感じさせる。ああ、そうなんだ季節が確実に移ろいでいるんだ。「自然」とは、そんなものである。
 昨日、つまり8月31日。この私の今年の夏を象徴するようなことが起きた。
Dscf0332▼例の大賀ハスの実が落ちたのである。なんという偶然であろう。夏休みの最終日にである。それ以外の日であればそれを見逃してしまっていたかも知れない。朝、出かける前に、その様子を見に行った。果托が異様に黒ずんできているのが気になった。そこで、いつもそうするわけではないが、これは「記録」しておこうと、デジカメを向けた。そのときは、間違いなく果托の子房のなかに、実はあった。5粒そろってあった。どんなかたちでこの実は、落下するのだろう。少しは、阪本祐二先生の文を思いだし、イメージはしていた。しかし、それが「今日」であるとは、まったく思っていなかった。
Dscf0353▼2学期の準備して、夕方、帰宅した。いつものように、大賀ハスの場所に行ってみた。近づくに従って果托が、朝より、より黒ずんでいるように思った。一日でこんなに変わるものなのかと、少し驚いていた。
 しかし、驚くべきことは、それだけでなかった。もっとすごいことが起きていた。
 朝、確かに果托にあった5個の実がないのである。あった場所が空っぽなんである。5つともないのである。
あれ、これはイメージしていたこととちがう。果托が下向くのではなかったのか…。
 確かに、一日、秋めいた北からの風が強かった。しかし、…
Dscf0383▼私は、あせった。では、あの実はどこへ行ったのだ。真下の水面にひとつは浮かんでいた。落ちている!!
捜した。池のなかはもちろんその外も、なんと池から1m以上離れたところにも一個みつけた。果托の下にひろがるハスの葉をおしのけての探索はなかなかむつかしい。だんだん暗くなってくるし、焦りはましてきた。
4個までは、なんとかみつけたがあと一個がみつからない。実になりそこねた、一個も落ちていた。シワシワだ。
 かなりの時間を費やして、最後の1個をみつけた。それは、池の外であった。池の外の苔のなかに落ちていた。
 なんとか5個すべてがそろった。コンクリートの地面にならべてみて、写真を撮った。
そして、思い出していた。昨年の5月17日の発芽処理したあの3個の実のことを。

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コウガイビルからiPS細胞まで

Dscf0067▼大賀ハス、植え替え21週目であった。今週は、ずっといい天気がつづき、池の水がなくなってしまうところであった。週の途中でバケツで何杯かの水をいれた。花托は、今はこう呼ばないのかもしれないが、一週間でやはり成長している。長径は、7.5㎝である。一週間で2㎝成長したことになる。だんだん扁平に近づいているようでもある。しわが寄ってきている。少し、黄色みもおびてきている。黒い班点、「しみ」のようなものができているのも気になるところだ。ところで、肝心の種子であるが、ケースは8個ある、そのうちケースが空っぽは3個。種子らしいものが入っているのは、5個だ。これは、ほんとうに「種子」だろうか。それはまだわからない。自家受粉はOKなんだろうか。いずれにして、次の世代につなぐ営みがあるということはまちがいない。
▼昨日は、まだまだあの20日の講義「幹細胞の生物学」の余韻が残っていた。時間が少しとれたので、今度は「記録」しているものに基づいて、講義内容吸収の反芻作業をやってみた。
 「記録」残しているもの。
・ICレコーダでの音声データ
・板書をデジカメで撮った画像データ、
・自分で書いたメモ(システム手帳リフィル、これを「カード」がわりに使用)
・講義でいただい資料A3枚プリント
以上である。今度は、パソコンで、画像、音声は出力させた。
メモの方を、補足したり、順番を並べかえたりしながら自分のペースで講義を再現してみた。
「私自身の文脈」にすり合わせをしながらである。
▼この作業のなかで、いくつもはじめてわかったことがある。それは単なる「知識」を越えたものだ。
渡辺先生の講義には、「ふしぎ!?」を追求する人の輝きがあった。
 「発生学」ひとすじに36年。
「研究」対象に対する愛情(うすっぺらな表現だが、他に言葉がうかばない)のようなものが感じられた。
たんたんと語りながら、板書をしていかれる。
ときどき、なるほどと思わせる言葉が飛びだす。プロならでは言葉。
たとえば、「お皿では…」「お皿のなかでは…」。人工的な「培養」「培地」を意味する言葉らしい。
なるほど…。なんとも、ぐっと「研究」を身近にひきつける言葉だ。
誠実だ。
「これは、わかっていないんです」「私も、わからない」「こんなことはできないです」
こんな言葉がすっと出てくるんです。
これは質問に答えられるときが、顕著だった。いいな!
大いに学びたいところだ。
▼どうしても今日の時点の書き残しておきたいことがあるので、「原則」からはずれて、2度書きする。
私の等身大にひきつけて、講義のなかで書き残しておきたいことプロットしてみる。
・ウズラのように生殖の時期(季節)を選ぶのが「原則」である。
・プラナリア(私にはコウガイビル)は、「再生」のチャンピョンだ。
・生殖細胞ができる仕組みに共通する言葉がある。それが「幹細胞」。
・細胞の損失を補充する細胞=幹細胞
・細胞を構成する分子で考える。原子レベルでは考えない。問題は、タンパク質だ。
・細胞の生存に必要なもの(ハウスキーピング)がある。
・「全能性細胞の系譜」がキーだ。
・全能性細胞は、次の世代つくる細胞に引き継がれる。
・全能性細胞を人工的に増やし(細胞を培養する:「おさら」のなかで)利用する時代に。
・卵細胞質は分化した核を初期化(リプログラミング)できる。
・初期化の効率は若い細胞で高く、分化細胞では低い。発生が途中で止まったり、異常が生じたりする。
・受精卵は全能性の細胞である。
・ES細胞(embryonic stem cell)=胚性幹細胞
・細胞には自己非自己の認識が可能である。
・患者自身からES細胞はつくれないか。→iPS細胞 これがHot!!
・人工多能性幹細胞(iPS細胞 induced pluripotent stem cell)
・細胞融合したときES細胞よりの細胞となる。
・受精卵に分化した細胞の核を移植したときと似ている。
・遺伝子は一度手に入れれば、いくらでも増やせる。
【質問に関連して】
・プラナリア(コウガイビル)には、全身に全能性細胞がある。
・場所を認識して、全能性細胞は増殖する。(場所に応じてつくりなおす)
・プラナリアの場合、全能性細胞のことを新生細胞という。
・種を超えて、全能性細胞には共通する分子がある。
・新生細胞は、ほとんどES細胞と呼んでいい。
【コウガイビルについての質問に対して】
・人間のように餓死はしない。
・それは、細胞の数をへらして、「小さく」つくりなおしたのだ。
・再びエサを与えれば、大きく作り直す。
・袋のなかの「みどり」はケイ藻類だろう。水道水でも可能性大。
・「みどり」のケイ藻類をエサにした可能性は少ない。
・自分の細胞をこわして栄養にした。自己消化 自分自身を食べた。
・水中の微生物がコウガイビルである可能性は限りなく0に近い。
・微生物は、せん毛をもつ単細胞であろう。
▼ここに来て、コウガイビル→全能性細胞→ES細胞→iPS細胞
一挙に、私のなかではつながってきた。
まもなく授業が再開する。
今年の授業開きも、単元【細胞と生殖】のはじまりも、コウガイビルだった。
夏休みの間に「消えてしまったコウガイビル」のこれを報告しよう。
うまく説明できるかは別にして、これだけは何としても話をしておかなければならない。

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コウガイビルが生命科学最前線へ

Dscf0005▼最近は、毎朝の校庭の散歩をしていない。夏休み中であるからと、少し自分を甘やかしているのかも知れない。しかし、ホームページの表紙画像の「校庭の樹木シリーズ」は継続し、毎週更新しているので、それは数少ない枷のひとつである。そのこともあって、ときおり校庭を散策する。週末が近いので、校庭にでたついでに散策していた。そしたら、今週の表紙のアオギリの実が、さらに大きく変化(へんげ)していた。あの奇妙なかたちをした実が割れていたのだ。そして、種子が顔をだしていた。あれ一週間もたっていないのに、いつの間にという感じである。そう事態は、刻々と変化しているのである。そうだ!!「生命体」とは、時間とともに変化していくことこそが最大の証なのかも知れない。
▼昨日一日、20日の渡辺先生の講義の余韻のなかで、生活していた。時間のすきまをみつけて、ICレコーダーのイヤホーンを耳にさしていた。
 なんでもゆっくりな私は、こんな濃度の濃い話は、かなり反芻作業を経なければ理解できないのである。
板書の画像、メモ書き、用意してくださった資料プリントも照らし合わせながらの作業は、まだまだこれからである。
▼「記録」できていることについては、このあと「記録」によってやることにして、「記憶」だけの部分については、ここに書き込むことで記録しておかねば、どこかに行ってしまう。せっかくのものが消えてしまう。
講義を聴いて、ひつこく3つの質問をしたところまでは昨日書いた。
 その後だ。その後の展開は、3つ目の質問と関連していた。渡辺先生が編著者である『プラナリアの形態分化』をとりだして、コウガイビルの章を執筆された先生にコンタクトをとりたいということでの質問でありお願いであった。
「それは、すぐわかりますよ。今日でもわかりますよ」と答えてくださった先生は、研究室へもどった先生は、資料をコピーしてくださったのだ。
 私は、講義・質問への応答に、感動し満足しながら、学生食堂でひとり食事を済ませた。
つぎなる展開の偶然は、その後におこる。
▼食後のコーヒーを買って、食堂を出たときだった。そこに食事にこられた渡辺先生と再びお会いしたのだ。
そして先生は言われた。『今、コピーして持っていったのだけど、おられなかったので…』と。
ほんとうに即対応していただいたのだ。なんとありがたいことだ。
恐縮して私は言った『いや、今からとりにいかせてもらいます。』と。
そして、私は渡辺先生の研究室に行かせてもらうことになった。研究室にうかがうと、コピーをいただいて、そして先生はおっしゃった。
『せっかくだから研究室見ていきますか』と。
なんとありがたいことだ。生命科学最前線の現場をみることができるなんて。
▼まず最初は、現在の先生の研究対象動物「アフリカツメガエル」だ。成体、そのオタマ、そしてあのプラナリア
、プラナリアは「顕微鏡でみなければ…」と実際に顕微鏡で見せてくださった。すべてが解説つきである。
感動である。なんと私は、ラッキーなんだ。
まだまだある。別の「研究室」にも案内してもらった。
そこに例の機器・装置はあった。「遺伝子を増幅する装置」=PCRマシンである。
私は、咄嗟に理解していなかった。講義のなかでも、ふれられていた。(それは昨日録音を聞きながらわかったのだ)
 よく理解していない私は、今から考えるととんでもない質問を発していた。
『それは、簡単に言うとどういうことなんですか?』
渡辺先生にとっては、驚きだっただろう。こんなことも知らないのか、と。
でも先生の対応はちがっていた。
『それはね。図に書くと簡単なんだ』とメモ用紙をとってきて図を書きながら説明してくださった。少しだけわかった気分になった。「どこかで聞いたようなことだ」というのが、頭に残った。
 昨日、先生の書いたくださったメモ用紙をゆっくり眺めながら、反芻作業をしていて気づいた。
そうだ。福岡伸一著『生物と無生物』にでてきたあれだ。
キャリー・マリスのひらめきからつくられた「分子生物学に革命をもたらした」装置。
そのときは、結びつかなかった。本を読んで「知っている」なんてその程度のものなんだ。咄嗟に結びつけて考えることできないのである。
▼それにしてもありがたいかぎりだ。そんな最先端の装置を、それも研究者自らの解説つきで見せてもらえるなんて感動である。まだある、近くにお住まいの研究者の方とも会わせていただいた。
感動と感謝の連続である。
 講義では、「発生学の基礎の基礎から「ES細胞」「iPS細胞」の今 まで」の生命科学最前線を教えてもらい、
さらには、その研究の現場まで、解説つきで見せてもらうなんて…。
 それも、これもあの一匹のコウガイビルとの偶然の出会いからはじまった。

あのコウガイビルが、私を生命科学最前線に連れてきてくれたのだ。!!

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コウガイビルとES細胞

Dscf9993▼昨日20日はついに、その日だった。朝から、ワクワクドキドキして落ち着かなかった。コウガイビルのいたあのナイロン袋を取りに理科室に行った。そのナイロン袋と一緒に、あのコウガイビル2号であるクロイロコウガイビルのいた袋も一緒にもっていくことにした。コウガイビルのいた緑色のナイロン袋には少し気をつかった。なにしろ、ここに今なお動く「生命体」がいるのだから、急激な環境変化を与えていけないと。
 それら布製の袋にいれて、県立大学光都キャンパスに向かった。
▼少し早めに着いたかと思ったが、講義室に入ると、この公開講座の熱心な聴講生たちは何名かはすでに、席に着いておられた。今回は、遠慮している場合ではなかった。失礼をして、いちばん前の中央に席をとった。
 講義内容の一言一句も聞き漏らしたくなかった。手帳、ICレコーダー、デジカメそして、あのナイロン袋を準備して講義がはじまるのを待った。何十年ぶりかに学生にもどった気分だった。(と言っても、こんな熱心な「学生」であった記憶はない。(^^ゞポリポリ)
▼いよいよ
県立大学理学部大学院生命理学研究科 渡辺 憲二教授の講義『幹細胞の生物学』がはじまった。
 先生自身の研究史のお話からはじめられて、生命科学の基礎から、今 話題の「ES細胞」「iPS細胞」にいたるまでお話は実に興味深いものだった。期待通りと言うより、それを上まわるものがあった。90分はあっと言うまであった。先生の研究に対しての誠実さや熱意がうんと伝わってきた。
「研究」ほんと面白いな。
 もっともっと勉強しておけばよかったなと思うことしきりだった。
可能な限りの「記録」はした。これから、何度も何度も反芻作業を繰り返して楽しみたいと思う。
▼講義が一段落したところで、質問の時間をとってくださった。
いよいよの機会だった。聞いてみた。「コウガイビルの再生と幹細胞」について
ひじょにていねいに応えてくださった。
先生のあつかってこられたプラナリアで説明してくださった。「全能細胞が体のいたるところに存在する」こと、
「再生」のメカニズム。とてもわかりやすかった。面白かった。
応えてくださる先生の対応ぶりに、研究者の誠実さをみた。他にも質問者がおられたので、ふたつ目の質問は、全てが終わったあとにすることにした。
▼いよいよ、そのことを質問した。
例の持参したナイロン袋をとりだして、それをお見せしながら、コウガイビル「261日」の「ふしぎ!?」をぶっつけてみた。先生はていねいに聞いてくださった。「えーえー、動いていたでしょう」「小さくなったでしょう」と相づちをうちながら、そして言われた。
 「それは、小さく再生したんです。」と。
何も餌を与えていないことについては、「自分を食べたと言っていいんですかね」と聞いたところ。
「そうです。自己消化をしたんです。そして、細胞の数を少なくして、体を脳をつくりなおしたんです」
「人間は、そんなことできないですよ」
なんということだ、前のコウガイビルの「仮説」のひとつが正しかった。
他のものを食べていたんではない。自分をたべていたんだ。
みどりの物質についても聞いてみた。
「「藻類」でしょうね。」と簡単応えられた、よくあることですとも言われた。それが餌になったことについては、否定された。
 そして、いよいよ聞いてみた。17日から、顕微鏡下に見ている「生命体」の正体について
「コウガイビルの子どもである可能性については、限りなく0に近い」と。
「何もいないように見えても、コウガイビルの腸のなかには、いっぱい生物はいたはず」
「からだにもついていただろうし、動いていたのなら、繊毛をもつ単細胞生物だろう」と。
ちょっとショックだった。でも、一方では「生物」の世界が豊かに見えてくるようで面白かった。
▼第三の質問は、講義室から出て行かれるところをつかまえて、ひつこく聞いてしまった。
コウガイビルに未練があった。今度は先生が編集・著作された『プラナリアの形態分化』をとりだしてであった。
この本に「コウガイビル」について書かれた先生と連絡がとれるか。ということを質問した。
 先生は、ほんと快く応答してくださった。「調べてみます。すぐわかると思います」と言ってくださった。

<つづく>
 ※実は、このあとさらに面白い展開となる。

 

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コウガイビル分裂か!?

▼またしても持病の「ばっかり病」の発症か。夏休みに入ってからも、「日食」「大賀ハス」「熊楠」「ヒガンバナ」…そしてここへ来て、「コウガイビル」である。発症しだすと、自覚症状はあるものの、面白すぎてやめられなくなってしまう。困ったものだ。昨日も時間を忘れて顕微鏡を覗き込んでしまっていた。粘菌を追っかけていた熊楠も、こんなだったのかなと思いながら…。
Dscf9858▼昨日も、同じように袋のなかの「緑のものがある」液を、スライドガラスに一滴に満たない量だけこすりつけて、やっぱり17日にみたのと明らかに様子が違う。
 あの動く「生命体」の数がちがう。あんなにウジャウジャではない。しばらく視野を移動させてやっとぐらいである。でも、そこにいることは確かである。それをみつけるとほっとする。
「やあ、生きていてくれたか」と。うれしくもなってくる。
▼視野を移動させているうちに妙なモノをみつける。これは、あいつが生きていたときの残骸だろうか。また、まったく別の生命体の残骸か。そうだとしたら、それはなにモノなんだ。
 ここで、シロウトの強みである。大胆に「仮説」とも、「妄想」ともわからぬことを考えてみたりする。
 これは、コウガイビルの幼生の分裂途中の残骸ではないか。
Dscf9883
よりそこに焦点をあて拡大してみると、明らかに裂けていった途中過程に見える。「思い込み」とは恐いものだ。
▼翻って考えてみよう。そもそもコウガイビルはどのようにして殖えるのだろう。
例の『プラナリアの形態分化』のコウガイビルの項には、

 有性生殖を行い分裂しない非分裂型と、分裂によって増殖し、有性生殖のための交接器官のみられない分裂型とである。在来種のほとんどが前者であるが、外来とみられる後者のなかには、両生殖法を行うものもある。(同書p260)

 要するにどっちもありなんだ。そもそもあの袋のなかに「261日間」生きていた、コウガイビルはどちらのタイプだったんだろう。
 こんなこといろいろ考えていく前に、大前提ある。
今も袋なかに生きる「生命体」が、コウガイビルの幼生、赤ちゃんであるという前提である。
▼今日、『プラナリアの形態分化』の編著者でもある渡辺憲二先生の『幹細胞の生物学』の講義を聴く機会がある。
ナイロン袋ごと持参して、聞いてみようと思う。
なにかがわかるかも知れない楽しみである。

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コウガイビル「261日間」の意味

Dscf9772▼昨日も、あいつ=コウガイビルのことが気になってしかたなかったので、仕事の合間に顕微鏡をのぞいてみた。
ひとつは、あのナイロンぶくろとは別に、数ヶ月前にあの緑の「藻類」らしきものを含む液を別にとっておいたので、その液を顕微鏡でみてみた。緑の物質は褐色がかっている。ここは「生命体」らしきものは見えない。もし、この段階でなにか「生命体」があったにしても、それは消えてしまったのかも知れない。そのとき、すぐ見ればよかったと悔やまれる。
▼その後である。一昨日の観察にもどった。あの「いきもの」は元気にしているだろうか。
同じ操作で、ナイロン袋の緑の液を顕微鏡でのぞいてみた。
 一昨日の観察から考えると、きっとウジャウジャとあいつがいるものと。
ところが、そうではなかった。居ることはいるが、数が少ない。視野を移動させてやっとみつける程度である。
動きも、一昨日に比べるときわめて緩慢である。そのかわり、大きなやつが「動き」を停めている。
これは、なんだろう。やつの死骸であろうか。
▼あれ!不思議だ。一昨日となにがちがうのだろう。一昨日は、あんなに元気にたくさんいたではないか。
なにがちがうのだ。そう考えてみたとき、とんでもない 大失敗!!
に気づいた。
 ナイロン袋に入れて飼い(?)だして、ナイロン袋のなかに入れたのは「水」それも「水道水」だけだ。
ただ、最期が近いかと予感したときから、何ヶ月も水は入れていない。下手に環境を変えないでおこうと思ったのだ。ところが、一昨日、あの「いきもの」を確認して、「このままにしておいては、乾燥してしまう」と、理科室の「水道水」をナイロン袋に入れてしまったのだ。
▼今から考えてみると、大失敗!!である。
あいつたちにとってはいらぬお節介だったのかも。環境の急激な変化だ。
水道水には、あいつらには「毒」が含まれていたのかも知れない。環境の急激な温度変化があったのかも知れない。後からいくら悔やんでもしかたない。今、できる観察をやろう。
▼動きが緩慢な一匹をじっと顕微鏡でながめてみる。半透明のからだの中央あたりの黒いかたまり、くびれ、咽頭つまり口のように見えるのは、思い込みがすぎるだろうか。
 コウガイビルは、口はからだの中心部に存在する。それは肛門にも相当する。出入り口はひとつだ。
 これが、口だとすると、こいつはやっぱりコウガイビルの赤ちゃん ?(゚_。)?(。_゚)?
▼昨年の11月14日の朝、グランドで生徒たちが「発見」して、このナイロン袋のなかに入れてから、今年の8月2日まで、「261日間」まちがいなく、このナイロン袋なかにあいつは「生きていた!!」
 では、その261日間、このナイロン袋のなかでなにが起こっていたのだろう。
・何を食べていたのだろう。
・いや、何も食べなかったのだろうか。
・「生殖」の営みはあったのか。
・みどりの物質・物体は、どこからナイロン袋のなかに入ったのか。
・この緑の物質は、「藻類」 それとも…
・今もいる「生命体」はコウガイビルの子どもか?
・子どもとすればクローンなのか。

「ふしぎ!?」は膨らむ一方だ。
授業にうまくつなぐことはできるだろうか。
謎解きの糸口は、あるだろうか。
 

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まだまだ続くコウガイビルの「ふしぎ!?」

▼2009年8月17日(月)。この日が、私にとっては、またしても「記録」すべき日となってしまった。私は、こう書きながら、少し遠慮してしまうというか。自分でも少し恥ずかしいというか。「勝手にドラマをつくってしまっている」のかも知れないと自分でも疑ってしまうぐらいだ。でも、これは紛れもない「事実」だから、書かざるを得ない。
▼ことは、こうだ。例のコウガイビルだ。8月2日、少なくとも肉眼で見ることのできる「生命体」としてのコウガイビルは消えた。私には、少し後悔がなかったわけではない。肉眼で見えるあいだに、なにかもっとできる謎解きがあったのではないか。ほんとに何もしなかった。見ていただけだ、ときおりその姿をデジカメに収めるだけだ。
 8月2日にナイロン袋ごと家に持ち帰った、そのままにしていた「大賀ハス」「熊楠」に夢中になっていたのだ。
Dscf9726▼そして、昨日、少し残念な思いをいだきながら、そのナイロン袋ごと学校へ持っていった。あのコウガイビルの「仮説」のいくらかでも、確かめておこうと。
 最初に考えたのは、このみどりの物体である。いずれなにか自分で栄養の生産できる「藻類」の仲間なんだろう。だとしたら、これを「食べた」ということが考えられる。だから、完全な絶食状態ではなかった。そんな「仮説」が成立する。2008年11月14日から2009年8月2日まで261日間のコウガイビルの「ふしぎ!?」の謎解きが少しはできるかも知れない。
Dscf9593▼ 昼過ぎであった。理科室に行って、ナイロン袋のなかのみどりの液の一滴(一滴に満たない、ほんのわずか)をガラス棒につけた。そして、スライドガラスにこすりつけるようにつけた。
 顕微鏡は、「細胞分裂」の予備実験で出したままだった。そして、スライドガラスにカバーをかけて、この顕微鏡でのぞいてみた。100倍である。なるほど球形をしたみどりのモノがいっぱいだ。
その次の瞬間だ!!視野に「動くもの」をみつけたのだ。
私は、驚いた、この液のなかに「動く生命体」がいる。水の流れなどではなかった。まちがいなくそれ自身が動くものだ。私は、驚きあせっていた。手元のデジカメを接眼レンズにくっつけた。
その姿をなんとしても、画像として「記録」したかった。これで驚くのはやかった。視野を移動させてみた。
 なんとこの「動く生命体」は一匹ではなかった。視野のなかに、10匹ちかくいるところもある。衝突しているものもいる。
▼これは、何モノなんだ。別のスライドガラスを用意して同じことをやってみた。同じだ、こいつたちはいた。
いや、単なる偶然と3枚目のスライドガラスも用意した。同じだ!!
 ここには、間違いなく「動く生命体」がいる。それも半端な数ではない。一滴に満たない液のなかに、これだけいるのである。ナイロン袋全体では、何千、何万のこの「いきもの」がいるのでは…。
▼私の「ふしぎ!?」は、どんどん膨らんでいく。いったい、こいつは何ものだ ?(゚_。)?(。_゚)?
謎の「水中の微生物」。これはいったいどこからやってきたのだ。コウガイビルと水しかいれなかったはず。
コウガイビルにくっついていたのだろうか。では、前々から、このなかに居た。コウガイビルはこいつを水と一緒に食べていた。
 いや、そうではない。これは体は細長い、コウガイビルと似ているとも見える。コウガイビルの赤ちゃん、親のコウガイビルは姿を消したが、そこら生まれた子どものコウガイビル。卵を生んだのだろうか。いつ…。
そう言えば、プラナリアが有性生殖をすることもあると、どこかに書いてあったあったように…
それにしても、これは数が多すぎはしないか。
Dscf9736 しばらく時間をおいて、興奮をさましたころ、スライドガラスの液も乾いたころ、もういちど顕微鏡をのぞいてみた。今度は400倍である。特徴ある姿があった。今度は、うごいていなかった。これはどういうことだ。
▼ 私は、コウガイビルの赤ちゃんがどんなものか知らない。それだけではない、私はあまりにも知らないことが多すぎる。水中の微生物についても知らない。
何も知らない私が、何度も何度も顕微鏡を覗きながら、自分に問うていた
「生命」とは!?

コウガイビルの「ふしぎ!?」はまだまだ続きそうである。    

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消えた!?コウガイビル

Dscf5520_2▼これまでは、忙しくなってくると、自分で
「忙しさで心を亡ぼすことなかれ!!」と呪文のように唱えていた。そして、自己調整を図ってきた。
熊楠は言う、独立した「心」なんてあり得ない。あるのは「物」と交じり合ったところにある「事」だけ。
そうだ。「事」を思考しよう。そして「事」を記録しておかねば…。
▼ずっと、ずっと追いかけてきたコウガイビル。
「事」はこの8月2日(日)に起こった。そうだ、あの大賀ハスの開花一日目の日だ。
コウガイビルが、私の視界から消えたのだ。
そう言うことは、何回かあった。しかし、よくよく見ているとやっぱりそこに「生きていた」ということがあった。
また、そうだろうか思っていた。
 でも、どうも違うようだった。
Dscf5731▼8月2日の朝には、這った跡形のある先に、確かに数㎜の「生命」体がいた。これが最期の最後だろうと何度もデジカメを向けた。
 そして、その最期は、ダーウインも書き残しいるように「瞬く間」であった。
 その「瞬間」を私は、この眼で確かめたかった。
そのため、発見以来ずっといた場所から、ナイロン袋ごと家に持ち帰ったのだ。
 そしたら、そいつはナイロン袋から消えていた。水に溶けてしまったのだろうかと必死でさがしたが見あたらない。液のなかもふくめて、ナイロン袋のなかを虱潰しに捜したが見あたらない。
やっとのこと「遺骸」らしきものを発見した。
それは、数㎜の物だ。「生命」体を感じない。しかし、これまで「ふしぎ!?」のかたまりであったコウガイビルだ。
そいつが再生するなんていうことがあるかも知れない。仮眠をしているなんていうことも…。
▼それから10日が過ぎたが、「変化」はない。
数㎜の物体が動き出す気配もない。
では、「コウガイビルを追う」はやめてしまうのか。
そうは行かない。だってコウガイビルの「ふしぎ!?」は残ったままだから…。
 

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