Web版「はしりもの・かわりだね」の可能性

▼いろんなことが一緒にどっとやってきたら、その情報をいちどならべてみて順番をきめてやっていく。
「空間の整理」→「情報の整理」→「思考の整理」といく。
これは佐藤可士和に教えてもらったこと。「整理」のプロセスだ。
久しぶりに思い出していた。そんなところに今、自分がいるということだろう。( ゚o゚)ハッ
▼熊沢文男著『自然の観察』(新生出版)を読み進めていたら、「かわりだね・はしりもの」というのが出てきた。
なにか、なつかしい響きだ。
自然観察の本質をつく、すぐれた取り組みだ。
理科教育史上でも特筆されるべき実践である。ある時期、日本の理科教師たちは、これに夢中になった時期がある。小学校から高校生まで、いろんな報告を聞いたことがある。
 いつのころからかあまり聞かなくなった。
▼もう、今の時代に流行らない実践なんであろうか。教材や教育実践にも、不易と流行がある。それはそうだろうと思う。時代のなかでの理科教育であり当然とも思える。
問題は、なにをもってして「不易」とするかである。
実験にも、「定番」実験があるように、
自然の観察にも、「定番」の観察の手法があってもいいのでは、
それにこの「はしりもの・かわりだね」は相当するのではないかな。
▼私は、Webに少し、なれてきたとき、これをWebでできないだろうかとこれに挑戦したことがある。
◆Web版『はしりもの・かわりだね』
がそれである。
面白かった。それは、全国をフィールドする。「はしりもの・かわりだね」だから、はじめて知ることも多くて感動もし楽しかった。画像をともなってであるので、よくわかった。
 大人がやって面白かったのだから、これは子どもたちがやったらもっともっと面白い展開になるだろう。
 今すぐ無理であっても、いずれは、もっともっと進化したかたちでの取り組みがはじまるかも知れない。
そんなこと思いながら、熊沢文男先生の文章を読んでいた。

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イモリのミイラ (゚o゚)ゲッ!!

Dscf6415▼十月に入っても、ヒガンバナは元気だ。定点観測地のヒガンバナは、ひょっとしたら今がいちばんの最盛期なのかも知れない。最盛期は同時に、次なるステージの幕開けを意味する。花茎の根元は、赤く染まりそして、そして次なるステージの主役=「葉」が顔を出してきている。しばらく、「ハナミズハナミズ」の例外の期間、移行期がつづくのです。一年の観察の期間でも、ほんとうの「見ごろ」なのかも知れないですね。
▼授業が本格化してくると、いろんな面白いことがおこる。いろんなことが副次的におこってくる。それが、また楽しい、副次的におこったこと、それを次の授業に持ち込む、そうすることによって、ことはさらに増幅される。
Dscf6450
 一昨日、清掃が終わったころである。男女数名の生徒が、職員室へワイワイといいながら駆け込んできた。
『先生!先生!みつけたで、みつけたで…私がみつけたんや、化石 ?(゚_。)?(。_゚)?』と。
校庭の溝近くをそうじをしていてみつけたらしい。その「化石?(゚_。)?(。_゚)?」というシロモノは、
「イモリのミイラ」であった。
ちょうどその前に、授業で「サメの歯」や「カメの骨格標本」をみせたところだったので、きっと私だったら、それを大事そうにするだろうと思って、この「発見物」を持ってきてくれたのだ。
それは、みごとだった。砂利石のひとつにこびりつくように、その「イモリ」君はミイラ化していた。溝からはい上がったとき、皮膚が乾燥してしまいこの悲劇はおこってしまったのだろう。石にこびりついたようになっているのは、尻尾が、そのときにはぬれていた。そこへ、灼熱の太陽が…。しっぽは石にはりついてしまった。
きっとこの夏の悲劇だろう。「イモリ」くんのご先祖さまも、この地球上で繰り返してきた「悲劇」。その悲劇が積み重なって、恐竜たちが出現した。
▼そんな「進化ものがたり」のネタにさせてもらおう。足もわかる。背骨もしっかりわかる。
ティシュペーパーに何重にもつつみ、フロッピーケースに入れた。私の大事なタカラモノ、コレクションのひとつ加えさせてもらう。別のクラスでは、昨日さっそくお披露目をしておいた。
昨日、第一発見者はよほど気になるらしい。「私のみつけた化石(?)はどうしたん。捨ててないやろな」と再び友だちをつれてやってきていた。
 こんなのがさらに発展して、授業から飛び出して、いっぱいいろんなものみつけてきてくれると楽しいだろうな。
▼「クマムシ」は、動物一時間目に紹介だけしたのだった。これは報告の通りである。
授業に「こんな本まであるよ」という意味で『クマムシ?!小さな怪物』を持っていっていた。以前から「クマムシ」の名前だけは知っているという生徒が、興味深げにその本を見ていたので、その本を少しのあいだだけかした。
その彼は「クマムシの研究がしてみたい」「苔なかを見ている」という。肉眼ででだ。
私もまだみてはいない。どちらがはやくほんとうに「クマムシ」をみつけることができるだろうか。o(^o^)o ワクワク

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blog版「はしりもの・かわりだね」の可能性は

Dscf4113▼昨日、立秋の日の朝、私は出勤前の一時間ばかり、お墓のそうじにでかけた。
毎年の恒例の行事である。
 このときに、ちょっとした「楽しみ」をつくっている。
それは、この墓への道端と、墓の入口に、「クサギ」という木が、ちょっとした群落をつくっている。
この「クサギ」を観察するのである。
この「クサギ」を意識的にみるようになったのは、Web版「はしりもの・かわりだね」で、四国の蜂蜜さんに画像を送っていただいたころからである。
▼雑木林のなかで、「ありふれた」存在である「クサギ」。
その「クサギ」に花が咲く。それも、きわめてドラマチックな咲き方だ。
面白い、そんなこと知らなかった。
 こんな目立つところに生えているのだ。毎年、きまってここへきているはず。
それまでにも、何度となく眼にしてきていたはず。
それなのに、「みてはいなかった」のだ。
クサギのドラマは、花が咲くときだけではない。
秋も深まり10月~11月ごろになると
なんともみごとな「天然のブローチ」ができるのである。
みごとな藍色の実は、真っ赤に染まった萼の中心にできる。
その色のコントラスト、
そして花が咲くときのドラマを想起すると、何倍にも楽しめる。
▼こんな楽しみを教えてくれた四国の蜂蜜さんとは、ヒガンバナを追いかけるなかで
オンラインで知り合った。
 童話作家志望の蜂蜜さんの自然を観察する眼は、どこかやさしく
かつ、するどく 自然界でおこる「ドラマ」を見逃さなかった。
教えられるところいっぱいであった。
今年もまた、「日本ヒガンバナ学会」でお世話になるかな。
▼こんな蜂蜜さんや、和歌山の阪本さんたちにお世話になって、夢中になっていた
Web版「はしりもの・かわりだね」は、いつしかblogに移行してしまった。
もともと、教室での実践からはじまった『はしりもの・かわりだね』の実践。
これが、Webの進化とともに、どんな展開が可能なのか。
blog版「はしりもの・かわりだね」の可能性は
あらたなSNSでの可能性は 
どんなコンヴィヴィアリティな世界を現出させてくれるだろうか。

考えるだけでも、わくわくするような話だ。

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ヒメボタルとゲンジボタルのコラボを見た!!

Dscf2534▼昨夜(5日)は、感動的なものを見た。
ヒメボタルとゲンジボタルのコラボレーションを見たのである。
夢プラン「ホタルウォーク」に参加してきた。
これまでに話にも聞き
楽しみにしてきた企画である。
当日まで、天気はどうなるだろう。
雨だったらどうしよう。
どれだけの人が参加してくださるのだろう。
楽しみな一方では不安もあった。
天気にもめぐまれ
多くの人の協力を得て、大成功であった。
▼「ホタル研究所」をみながら
これまでの取り組みも学ばせてもらった。
すばらしい取り組みがあってこそ、今日の企画があるのである。
先週の「あじさいまつり」と今回の「ホタルウォーク」
それぞれに参加させてもらって
「花とホタルの町」を存分に楽しませてもらっている。

それにしても、すばらしかった。
ヒメボタルのリズミカルでスピーディな光の点滅
杉林に空高く ゲンジボタルの光の乱舞 
さらには、夏の夜空の星々も加わっての
光のコラボレーション !!

これは筆舌に尽くしがたい。
ただ ただ感動するばかりだ。

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ホタルの乱舞をみた!!

▼昨日は、朝から「今日こそ、ホタルをみにいくぞ」ときめていた。昼間にも、その場を確認したかったが、
そこまでは時間がなかった。
 ホタルの養殖にもかかわった生徒がいるかもしれない中学三年の生徒に聞いてみた。
「もう、ホタルかなり飛んでいる?」
「時間によりますね」
「年によっても ちがうんです」
と答えが返ってきた。このあたりという場所もヒントをもらった。
ぜひ、行かねばとより決意をかためた。
▼朝から「ホタルウォーク」のイベントの企画について、これまでの取り組みを勉強させてもらっていた。
ずっと気になっている
大先輩のあの「理科の先生」がまだご健在であることも知ることできた。
できるだけはやい機会にあってお出あいして、お話を伺う機会があること願っている。
そのときの「9人の生徒」さんたちにもお出あいすることできるなら、
お出あいしたいものだ。
Dscf1477▼夕方になった、仕事を一段落させた午後7時。薄暗いなか、まずは車を林田川沿いを北上させてみた。
まずは、概観してみようと、停車させることなくダムまで行った。
?(゚_。)?(。_゚)? どうもその気配はない。
車にのって、みようというのが考えちがいをしているのかと、ダムでいったん停車させてみる。
それでもだめだ。
こうなれば北端までと、鹿ヶ壷まで行く。
鹿ヶ壷山荘まで行って車を降りて確認する。
ここへは、ここのところ何度か来ている。
ホタル離れて、ずっと気になっているというか、気に入っているというか そんなものに
「ヤマボウシの花」がある。
みごとである。
清楚な白い花。
梅雨空の鬱陶しさを清めるように 白く きっぱりと
暗闇のなかでも 気になったのでシャッターをきった。
▼いっぽうホタルである。鹿ヶ壷でも、みつけることできなかったので、
そこからゆっくりと車を南下させてみた、ほんとうに学校の近くまできた。
フロントガラスにもなにか虫が。
「あっ、ホタルか!!」と車を停めた。
川原の方をみてみた。
びっくりした。これぞホタルの乱舞だ。
これだけのまとまった数のホタルをみるのは、何十年ぶりだろう。
確かに、私の住む家の近くにも、川が流れていて、
田植えが終わった、この時期に夕方にはホタルを見かけたものである。
でも、その当時でも、こんなにまとまった数のホタルはみなかった。
しばし、このホタルの乱舞を楽しませてもらった。
こんな近くだ、また出かけてこよう。

 

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モリアオガエルの卵塊が…

Dscf1244▼学校から、歩いて数分のところに、あじさい公園がある。
言わば「校庭の一部」のようなものである。なんと、めぐまれた自然環境であろう。
「あじさい」はもうそろそろ開花のシーズンであろか。
ひょっとしたら、種類によってはもう開花しているものもあるかも知れないと、
「散歩」にでかけてみた。
少し、まだはやかったようだ。まだ色づきはじめているものもみあたらない。
帰りかけたとき、とんでもないものを「発見」した。
モリアオガエルの卵塊である。
あじさいの葉っぱにくるまれた状態で、
いくつも卵塊が小さな水たまり(池)の上にできているのである。
Dscf1263▼この「モリアオガエル」については、いくつもの思い出がある。
この30数年間のあいだ、何度か出会ってきた。
卵塊をもとめて、山中に探索にいったこともある。
この時期になると、きまって地方紙に登場する「名所」がある。
そこに、生徒たちと一緒に取材にいったこともある。
今考えてみると笑い話のようなことだが
なんとか、オタマジャクシ(゚゚)~からカエルになるまでを観察したくて
小さな池に、昔の蚊帳をひっぱりだしてきて、張ってそのなかで育てたこともある。
15年近く前には、モリアオガエル博士のようなK先生に出会った。
K先生のこだわりは、すごかった。
彼は、24時間のビデオ観察でモリアオガエルが、あの卵塊を産卵する瞬間も
映像として残しておられた。
みごとな感動的なシーンだった。
その彼から、このシーズンに卵塊をひとつ分けていただき、
カエルになるまでをデジカメで記録したこともある。
かつお節の餌を口にするオタマジャクシはかわいかった。
▼そんなこんなで、数々の思い出をもつ「モリアオガエル」にここでまた出会えるとは・・・。
職員室に帰り、この「発見」を伝えた。
先生たちの反応は、あまり驚かれなかった。
「ああ、いますよ」「あそこにも…」
(゚o゚)ゲッ!!
そうなんだ。「花とホタルの町」には、ごくありふれた存在なのである。
なんという。
でも、私にとっては、校庭「散歩」の楽しみが、またひとつふえた。

アジサイの葉とモリアオガエルはお似合いの組み合わせだ。


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「ホシノヒトミ」って 誰いちばんはじめに

03170010▼学校で少し「仕事」につかれたので、デジカメをもって近くを散歩してみた。春の野にでて一番さきに目につくのは「ホシノヒトミ」である。ホトケノザ、ナズナ等々と色づきつつある野は、本格的な春の訪れを教えてくれている。心も陽気になってくる。
▼ところで、このホシノヒトミであるが、この時期のこの植物にピッタリの名前を誰が一番さきにつけたのだろう。もちろん「オオイヌノフグリ」「イヌノフグリ」という正式(?)名をもつ、ちょっと下品な名前だ。でも、それはこの実の時期のネーミングであり、けっしてこの花の時期のネーミングではない。やっぱりこの花の時期には「ホシノヒトミ」が抜群であるのだ。春の目覚め、それを象徴するようで、姿かたちの形容もうまい。
03170017▼家に帰ってから、『日本植物方言集成』(八坂書房)を開けてみた。「オオイヌノブクリ」がみつからない、しかたない、「イヌノフグリ」でひいてみた。あった、「ほしのひとみ」千葉(柏)となっている。そうなんだ、千葉なんだ、今も使われているのかな。いちど、【理科の部屋】でも話題にしたこともありますね。他の名前はどうだろう。もっと、もっともろなものありますね。「いぬのきんたま」(和歌山(有田))です。さらに「のぶくさ」(紀伊)「はたけくわがた」(和歌山)とあります。
▼この花の時期のものとしては、「はたけくわがた」なんていうのもみごとですね。草花のネーミングは、すばらしい科学ですね。観察科学です。その形容をじっくり観察して、自らの生活や遊びと結びつけて名前をつけるわけです。子どもは、昔からネーミングの名人です。それは、はじめてみて、その感動をビィビィドな感性で言葉にしていくわけですから。それにしても「ホシノヒトミ」と最初に呼んだのは、誰だったんでしょうね。

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ヒガンバナは今

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ずいぶんと久しぶりの更新となってしまった。
半年ぶりの更新である。
定点観測をしていたヒガンバナの葉は、すっかり枯れてしまい、その「役割」を終えたようである。さぞ、地下にいっぱい栄養貯め込んだことだろう。そして、あの彼岸のころ一挙に「その時」がやってくるのだろう。
 ヒガンバナの移植をするのなら、このシーズンなんだろう。

また、そのころ気が向いたらヒガンバナの定点観測を再開してみようと思う。

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ヒガンバナ定点11/12(日)

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ヒガンバナ定点11/11(土)

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