本日(2024/09/11)、第389回オンライン「寅の日」!! #日常身辺の物理的諸問題 #traday #寺田寅彦
▼科学者・寺田寅彦は「柿の種」(青空文庫より)のなかで次のようなことを言っていた。
日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、ただ一枚のガラス板で仕切られている。
このガラスは、初めから曇っていることもある。
生活の世界のちりによごれて曇っていることもある。
二つの世界の間の通路としては、通例、ただ小さな狭い穴が一つ明いているだけである。
しかし、始終ふたつの世界に出入していると、この穴はだんだん大きくなる。
しかしまた、この穴は、しばらく出入しないでいると、自然にだんだん狭くなって来る。
これは「日常生活の世界」と「詩歌の世界」だけでなく
「日常生活の世界」と「科学の世界」でも言えることもしれない。
▼本日(2024/09/11)は、第389回オンライン「寅の日」である。
9月のテーマは、8月につづいて「寺田物理学」についてある。
【9月テーマ】「寺田物理学の行方2」
である。その一回目の本日は「日常身辺の物理的諸問題」を読む。
◆本日(2024/09/11)は、第389回オンライン「寅の日」!!
▼のっけから、「科学」(「物理学」)は「日常」なかにゴロゴロあるよと語りかけてくる。
毎朝起きて顔を洗いに湯殿の洗面所へ行く、そうしてこの平凡な日々行事の第一箇条を遂行している間に私はいろいろの物理学の問題に逢着(ほうちゃく)する。そうしていつも同じようにそれに対する興味は引かれながら、いつまでもそのままの疑問となって残っているのである。今試みにその中の二三をここにしるすことにする。
そして、まず第一にこれをあげる。
第一は金だらいとコップとの摩擦によって発する特殊な音響の問題である。普通の琺瑯引(ほうろうびき)の鉢形(はちがた)の洗面盤に湯を半分くらい入れる。そうしてやはり琺瑯引きでとっ手のついた大きい筒形のコップをそのわきに並べて置き、そうしてコップの円筒面を鉢の縁辺に軽く接触させる。そうして顔を洗うために鉢(はち)の水が動揺すると、この水の定常振動と同じ週期で一種の楽音を発することがしばしばある。それでよく気をつけて見ると、これは鉢の縁とコップとの摩擦によって起こる鉢の振動のためらしい事がわかった。
かように「ふしぎ!?」は「日常」にゴロゴロだ!!
それを力説するだけでなく、寅彦の本意に入っていく。
それにもかかわらず物理学をデモンストレートする先生がたはなかなかこの目前の好個の問題を手に取り上げて落ち着いて熟視しようとはしないのである。
しかし私の希望するところはだれか日本人でこの方面に先鞭(せんべん)をつけてくれる人があればいいと思うのであるが、日本ではたいてい西洋の学者がまずやり始めて、そうして相当流行問題になって来ないと手を着ける人が少ないようであるから、まず当分はこれらも例の「ばからしい問題」として、私の洗面台とそうして東京の街路の上に残されることであろう。
ちょっと愚痴ってみて、でもいっぱいいっぱい具体例はあるではないか、とやる
水滴の合流するしかたの統計的方則に関しては現在の物理学はほとんど無能に近いと言っても過言ではない。これに類する多くの問題は至るところに散在している。たとえば本誌(科学)の当号に掲載された田口※(「さんずい+卯」、第4水準2-78-35)三郎(たぐちりゅうざぶろう)氏の「割れ目」の分布の問題、リヒテンベルク放電像の不思議な形態の問題、落下する液滴の分裂の問題、金米糖(こんぺいとう)の角(つの)の発生の問題、金属単晶のすべり面の発生に関する問題また少しちがった方面ではたとえば河流の分岐の様式や、樹木の枝の配布や、アサリ貝の縞模様しまもようの発生などのようなきわめて複雑な問題までも、問題の究極の根底に横たわる「形式的原理」には皆多少とも共通なあるものが存在すると思われる。
▼寅彦の本意(意図)は、後半になっていよいよ深まっていく。
しかし以上のいわゆる非再起的の場合でも、統計的の意味ではちゃんと決定的再起的である。そうして「方則」も統計的には立派に存在しているのである。翻って従来の決定派の物理学について考えてみても一度肉眼的領域を通り越して分子原子電子の世界に入ればもはやすべての事がらは統計的、蓋然的がいぜんてきな平均とその変異との問題にほごされてしまう。のみならず今日ではその統計的知識にさえもある不可超限界が置かれようとしているのである。
そして、こう言い切る。
それは私が結局何物もないところに何物かを求めているためであろうか。それがそうではない証拠にはちゃんと眼前の事象が存在している。すなわち事象は決してめちゃくちゃには起こっていない。ただわれわれがまだその方則を把握(はあく)し記載し説明し得ないだけである。
最後にはこう述べていた。
そうかと言ってみずからこれらの多くの問題のどれもに手を着けることは到底不可能である。それで私が今本誌の貴重な紙面をかりてここにこれらの問題を提出することによって、万一にも、好学な読者のだれかがこの中の一つでもを取り上げて、たとえわずかな一歩をでも進めてくれるという機縁を作ることができたら、その結果は単に私の喜びだけにはとどまらないであろうと思うのである。
寅彦がこう書いてから 93年!!
寺田物理学はどこまで!?
私たちは「日常」のなかで、あの「小さな穴」を行ったり来てして「科学」を楽しんでいるかな!?
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