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本日(2023/09/05)、第357回オンライン「寅の日」!! #夏目漱石先生の追憶 #traday #寺田寅彦

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▼実生コヒガンバナの花茎は「開花」直前までのびてきた!!
 一つ目 60㎝
 二つ目 52㎝
 三つ目  7㎝
 すごいスピードである。

▼本日(2023/09/05)は、第357回オンライン「寅の日」である。
 9月のテーマは、オンライン句会「寅の日」4年目スタートを記念して

【9月テーマ】「寅彦と俳句」

 である。本日は、その1回目。「夏目漱石先生の追憶」を読む。

◆本日(2023/09/05)、第357回オンライン「寅の日」!!

●「夏目漱石先生の追憶」(青空文庫より)

▼寅日子先生が、はじめて「俳句」出会うあのシーンが回想されていた。

自分は「俳句とはいったいどんなものですか」という世にも愚劣なる質問を持ち出した。

 漱石先生の答えが印象深い!!
その時に先生の答えたことの要領が今でもはっきりと印象に残っている。「俳句はレトリックの煎(せん)じ詰めたものである。」「扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである。」「花が散って雪のようだといったような常套(じょうとう)な描写を月並みという。」「秋風や白木の弓につる張らんといったような句は佳(よ)い句である。」「いくらやっても俳句のできない性質の人があるし、始めからうまい人もある。」こんな話を聞かされて、急に自分も俳句がやってみたくなった。

 明治三十一年(1898)。寅日子先生二十一歳、漱石先生三十二歳のときのことである。

▼「俳句」のことに限らず、漱石先生を敬愛した様子が綿々と綴られていた。

 先生からはいろいろのものを教えられた。俳句の技巧を教わったというだけではなくて、自然の美しさを自分自身の目で発見することを教わった。同じようにまた、人間の心の中の真なるものと偽なるものとを見分け、そうして真なるものを愛し偽なるものを憎むべき事を教えられた。

 また逆説的にこうも表現していた。敬愛のほどのわかるというものである。
 しかし自分の中にいる極端なエゴイストに言わせれば、自分にとっては先生が俳句がうまかろうが、まずかろうが、英文学に通じていようがいまいが、そんな事はどうでもよかった。いわんや先生が大文豪になろうがなるまいが、そんなことは問題にも何もならなかった。むしろ先生がいつまでも名もないただの学校の先生であってくれたほうがよかったではないかというような気がするくらいである。先生が大家にならなかったら少なくももっと長生きをされたであろうという気がするのである。

 

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