本日(2023/08/12)、第355回オンライン「寅の日」!! #科学者と芸術家 #traday #寺田寅彦
▼大賀ハス観察池の第2号の「あこがれの4日間」は、昨日が4日目であった。
あんな強い風にも耐えて、果托についていた花ビラ、雄しべたちは、次々と落ち始めた!!
まるで「目覚まし時計」でもセットしてあったように。
「ふしぎ!?」で「美しい!!」
▼本日(2023/08/12)は、第355回オンライン「寅の日」である。
8月のテーマは
【8月テーマ】「寅彦と芸術」
である。最初の本日は、そのテーマにダイレクトに「科学者と芸術家」を読む。
◆本日(2023/08/12)、第355回オンライン「寅の日」!!
▼一見対局にありそうな「科学者」と「芸術家」を夏目漱石先生のコトバをかりて次のようにのべていた。
科学者の天地と芸術家の世界とはそれほど相いれぬものであろうか、これは自分の年来の疑問である。
夏目漱石先生がかつて科学者と芸術家とは、その職業と嗜好(しこう)を完全に一致させうるという点において共通なものであるという意味の講演をされた事があると記憶している。
さらには次々と論を展開していく。
いわんや衣食に窮せず、仕事に追われぬ芸術家と科学者が、それぞれの製作と研究とに没頭している時の特殊な心的状態は、その間になんらの区別をも見いだしがたいように思われる。
しかし科学者と芸術家の生命とするところは創作である。他人の芸術の模倣は自分の芸術でないと同様に、他人の研究を繰り返すのみでは科学者の研究ではない。もちろん両者の取り扱う対象の内容には、それは比較にならぬほどの差別はあるが、そこにまたかなり共有な点がないでもない。科学者の研究の目的物は自然現象であってその中になんらかの未知の事実を発見し、未発の新見解を見いだそうとするのである。
それは、まさに寅彦の「芸術論」であり、「科学論」であった。
古来多くの科学者がこのために迫害や愚弄(ぐろう)の焦点となったと同様に、芸術家がそのために悲惨な境界に沈淪(ちんりん)せぬまでも、世間の反感を買うた例は少なくあるまい。このような科学者と芸術家とが相会うて肝胆相照らすべき機会があったら、二人はおそらく会心の握手をかわすに躊躇(ちゅうちょ)しないであろう。二人の目ざすところは同一な真の半面である。
さらに科学者の美的享楽について、つぎのように言っていた。
世間には科学者に一種の美的享楽がある事を知らぬ人が多いようである。しかし科学者には科学者以外の味わう事のできぬような美的生活がある事は事実である。たとえば古来の数学者が建設した幾多の数理的の系統はその整合の美においておそらくあらゆる人間の製作物中の最も壮麗なものであろう。物理化学の諸般の方則はもちろん、生物現象中に発見される調和的普遍的の事実にも、単に理性の満足以外に吾人の美感を刺激する事は少なくない。
そして、お気に入りの「文脈」がこうである。
ニュートンが一見捕捉しがたいような天体の運動も簡単な重力の方則によって整然たる系統の下に一括される事を知った時には、実際ヴォルテーアの謳(うた)ったように、神の声と共に渾沌(こんとん)は消え、闇(やみ)の中に隠れた自然の奥底はその帷帳とばりを開かれて、玲瓏(れいろう)たる天界が目前に現われたようなものであったろう。
▼いっぽう「芸術家」としての立場に立っての発言にも興味ぶかいものがあった。
また一方において芸術家は、科学者に必要なと同程度、もしくはそれ以上の観察力や分析的の頭脳をもっていなければなるまいと思う。
いかなる空想的夢幻的の製作でも、その基底は鋭利な観察によって複雑な事象をその要素に分析する心の作用がなければなるまい。もしそうでなければ一木一草を描き、一事一物を記述するという事は不可能な事である。そしてその観察と分析とその結果の表現のしかたによってその作品の芸術としての価値が定まるのではあるまいか。
広い意味における仮説なしには科学は成立し得ないと同様に、厳密な意味で現実を離れた想像は不可能であろう。科学者の組み立てた科学的系統は畢竟(ひっきょう)するに人間の頭脳の中に築き上げ造り出した建築物製作品であって、現実その物でない事は哲学者をまたずとも明白な事である。また一方において芸術家の製作物はいかに空想的のものでもある意味において皆現実の表現であって天然の方則の記述でなければならぬ。
もう少し進んで科学は客観的、芸術は主観的のものであると言う人もあろう。しかしこれもそう簡単な言葉で区別のできるわけではない。万人に普遍であるという意味での客観性という事は必ずしも科学の全部には通用しない。
なにやら、いつのまにやら寅彦の「文脈」に引き込まれているのを感ずるのである。
こんなときは、最後の一文にすべてが語られていた。
科学者と芸術家が別々の世界に働いていて、互いに無頓着(むとんちゃく)であろうが、あるいは互いに相反目したとしたところが、それは別にたいした事でもないかもしれない。科学と芸術それぞれの発展に積極的な障害はあるまい。しかしこの二つの世界を離れた第三者の立場から見れば、この二つの階級は存外に近い肉親の間がらであるように思われて来るのである。
はっきりわかっていることがあった!!
いつでも寅彦の軸足は「科学」にある!!
ということ。
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