本日(2023/07/31)、第354回オンライン「寅の日」!! #颱風雑俎 #traday #寺田寅彦
▼「大型の台風6号」の情報から目が離せない!!
「台風」情報に接するたびに痛切に思うこと2つ
・私たちの暮らす「大気の物理学実験室」は、きわめて「うすっぺらい」!!
・「大気の運動」はダイナミックかつデリケートである!!
その意味は!?
▼本日(2023/07/31)は、第354回オンライン「寅の日」である。
7月のテーマは
【7月テーマ】「寅彦と気象学」
である。最終回の本日は、その「台風」ふれた随筆「颱風雑俎」を読む。
◆本日(2023/07/31)、第354回オンライン「寅の日」!!
▼今さらだが、「雑俎」って!?
「雑俎」=いろいろのものを集めたもの という意味らしい。
「颱風」に関してのいろいろの「情報」「歴史」「知識」「科学」等を集めたものという意味だろうか。
私には、いろいろのことを語りながらも、寅彦の「主文脈」があるように思えてならなかった。
その「主文脈」とは、こうだ!!
昔は「地を相(そう)する」という術があったが明治大正の間にこの術が見失われてしまったようである。颱風もなければ烈震もない西欧の文明を継承することによって、同時に颱風も地震も消失するかのような錯覚に捕われたのではないかと思われるくらいに綺麗に颱風と地震に対する「相地術」を忘れてしまったのである。
「地相術」!!
ここにこそ本意があるのでは!?
まだまだつづく。
このように建築法は進んでも、それでもまだ地を相することの必要は決して消滅しないであろう。
地震による山崩れは勿論、颱風の豪雨で誘発される山津浪についても慎重に地を相する必要がある。
そして、「文明論」にまで展開する。
地を相するというのは畢竟(ひっきょう)自然の威力を畏(おそ)れ、その命令に逆らわないようにするための用意である。安倍能成(あべよししげ)君が西洋人と日本人とで自然に対する態度に根本的の差違があるという事を論じていた中に、西洋人は自然を人間の自由にしようとするが日本人は自然に帰し自然に従おうとするという意味のことを話していたと記憶するが、このような区別を生じた原因の中には颱風や地震のようなものの存否がかなり重大な因子をなしているかもしれないのである。
▼「雑俎」であるかぎり多様なる寅彦の「考え方」が出てきた。
私の勝手に言う「主文脈」から、少し離れているのかも知れないが、「理科教育」に聞き捨てならぬことがのべられていた。
これは人々の心がけによることであるが、しかし大体において学校の普通教育ないし中等教育の方法に重大な欠陥があるためであろうと想像される。これに限ったことではないが、いわゆる理科教育が妙な型にはいって分りやすいことをわざわざ分りにくく、面白いことをわざわざ鹿爪(しかつめ)らしく教えているのではないかという気がする。子供に固有な鋭い直観の力を利用しないで頭の悪い大人に適合するような教案ばかりを練り過ぎるのではないかと思われる節もある。これについては教育者の深い反省を促したいと思っている次第である。
大いに反駁したい気分である!!
しかし…
「主文脈」にもどって、こうしめくくっていた。
颱風のような複雑な現象の研究にはなおさら事実の観測が基礎にならなければならない。それには颱風の事実を捕える観測網を出来るだけ広く密に張り渡すのが第一着の仕事である。
寅彦はここでもやはり「警鐘」(「天災は忘れられたる頃来る」)を鳴らし続けていた!!
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