「植物の世界」を科学する(10) #植物の世界 #花と実 #キャベツの花 #仮説実験授業 #授業書 #花とたね #板倉聖宣
▼置きざりにされてしまったキャベツ畑はみごとなお花畑となっていた!!
これがお花!?
と近づいてみれば、まちがいなくアブラナ科の花だった。
やがて、花から実(たね)へと姿を変えていくのだろうか!?
閉じたまま腐ってしまった仲間や今なお青々として「野菜」のキャベツもいた。
どれもが、私は「植物」であることを主張しているように見えた!!
▼まだまだ続けよう。
◆「「花と実」の仮説実験授業-その授業書の構想-」(板倉聖宣 『理科教室』1966年12月号P53~65)
こう考えて、生物の特長でかなり一般的な概念・法則で子どもの常識よりもはるかに豊富な具体的な内容をもっているものであらかじめ他の分野についてのたちいった知識を必要としないもの-こうなると、結局「花とたね」ということになるようです。「花とたね」についての科学的な概念・法則を理解すると、農業生産の理解・改善にも大きな展望がもてるようになるということも、この授業を大いに効果的にするのに好都合だと思うのです。またこの授業は植物とってもっとも特長的ともいえる生殖器官を通じて植物界全体を見渡す機会にもなっているわけで、「いろいろな植物」の授業にもなっているわけです。 (同書P55より)展望の持てる授業の提案だったわけですね。 提案からずいぶん時間経過しているわけだが、今もなお有効な提案に思えるてくるのだった。
▼さらにつづけてみよう。
しかし、そのようにして日常生活のなかで親から「これも花だよ」「これも花だよ、きれいだねぇ」などと教えられ、みずからそれを一般化してさとるようになった「花」という概念は、必ずしも科学上の「花」という概念と一致するとはかぎりません。
(同書P55より)
ですから、日常生活の中ではこういう花の概念はいつでもまちがいなく使うことができます。しかし、こういう子どもたちに稲やとうもろこしや松の花をみせても、これを花とよばないのが普通でしょう。
(同書P56より)
それと同じように、稲の花という名前をおぼえたからといって、その花と日常生活上でみんなが使ってきた花という概念とが統一的につかまれているかどうかはまったくあやしいといわねばならないのです。
(同書P56より)
▼では、科学上の「花」とは!?
子どもの常識における花は美しく弱々しいものでした。しかし、科学上での花は植物の生殖器官の一つのあり方です。科学上での花の中心はメシベ(子房)、オシベ(花粉)にあります。メシベ(子房)やオシベ(花粉)をそなえていなければそれが美くしかろうとみにくかろうと花とよぶのです。
(同書P57より)
(つづく)
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