
▼朝ドラ『らんまん』がはじまって一週間がすぎた。
前に書いたように、私の「牧野富太郎」への興味は主に3つあった。
・ 牧野富太郎とヒガンバナ
・ 牧野富太郎と『赭鞭一撻』
・ 牧野富太郎と寺田寅彦
とりわけ「赭鞭一撻」についてはよりくわしく知りたいと思っていた。
だから牧野富太郎博士をモデルとした言われる今回の朝ドラには大いに期待していた。
▼そんなとき、朝ドラ『らんまん』の植物監修者が執筆された本があると言うことでさっそく入手して読んでみた。
◆【お薦め本】『牧野富太郎の植物学』(田中伸幸著 NHK出版新書 2023.03.10)
正直に言う。
植物名は大の苦手という私には最初はなかなかなじめない本だった。
ところが、後半急激に面白くなってきた。
これはやっぱり【お薦め本】にしたくなってきた。
話があちこちいってしまう前に例によって、3つのお薦めポイントをあげておく。
(1) 植物分類学の面白さがわかってくる!!
(2) 牧野富太郎の「仕事」の凄さがわかってくる!!
(3) 朝ドラ「らんまん」がより楽しくなってくる!!
▼では、ひとつずつ少しだけ詳しく
(1) 植物分類学の面白さがわかってくる!!
実は私は「植物の名前」覚えが大の苦手である。そう自慢げに言うことでもないが事実だから仕方ない。ずいぶん以前に授業テキスト『植物の世界』をつくったときにもこんなことを言っていました。
それは知っていることにこしたことはないが、知らぬから「植物の世界」がわからぬというものではないだろう。知らぬからこそ見えてくる構造だってある。そんな居直り気味の姿勢から出発した「テキスト」づくりなんです。
牧野富太郎博士の場合は、まったくちがっていたようです。
この佐川での幼少の経験が、目の前にした植物を「これは一体何という植物なのだろうか」という分類の好奇心を芽生えさせたのではないかと想像する。ここに、始終一貫して植物の名前を調べ、ないものは命名し、草木の名前を知ることの楽しさ世に広め、自らを「草木の精」と称した牧野富太郎の原点がある。(同書 P52より)
この書の前半の部分 つまり
第一章 植物分類学者・牧野富太郎
から
第二章 本草学から植物学へ
第三章 日本の植物学と東京大学
第四章 標本採集の意義
第五章 新種を記載するということ
第六章 『植物学雑誌』の刊行
第七章 記載された学名の数
第八章 植物図へのこだわり
のあたりまでを少し尻込みしながら読み進めていった。
そのうちかつての前言を翻して
「植物の名前を調べ、分類する植物分類学もけっこう面白い!!」
と思うようになっていた。
今さらであるが…。
(2) 牧野富太郎の「仕事」の凄さがわかってくる!!
私がいちばん興味深く面白く読んだのは、この本の後半であった!!
それは、牧野富太郎博士の人生の後半部とも重なるのであった。
牧野富太郎の生涯は、ややもすれば植物研究一徹であったかのようにとらえられることが多い。しかし、先に述べたように『植物学雑誌』にシリーズ化して発表していった日本のフロラに関する本格的な学術論文は、五〇代前半までにかけて、つまり明治二一年(一八八八)から大正四年(一九一五)にかけて書かれたものだ。
一方、のちに刊行する個人雑誌の様相を呈した『植物研究雑誌』の時代からは、牧野は研究活動のエフォートを啓蒙活動や教育普及へより顕著にシフトさせたように感じられる。それは『植物研究雑誌』の創刊にともなって選択された、牧野の新たな生きる道だったと捉えることができよう。(同書 P170より)
私に最も興味あったのは、この「牧野の新たな生きる道」だった。
詳しくは本書を読んでいただくことにして、この後に展開される「小見出しの項目」だけでもプロットしてみる。
・全国の趣味家によるネットワーク
・一流の植物オタクとして
・植物同好会の普及
・観察会という学びの場
・「自然科学列車」での普及活動
・地方フロラへの貢献
・随筆の名手
・読み物としての図鑑
・随筆だけでなく作詞まで
等など
多様なる活動に驚くと同時に感動である。
なかでも私がいちばん驚き感動するのは最初にあげた牧野が植物学を志ざしはじめた頃に書いた勉強心得「赭鞭一撻」の精神を、生涯貫きとおしていることである。
「赭鞭一撻」については、ぜひぜひ
◆牧野富太郎自叙伝・第二部 混混録 (牧野富太郎)(青空文庫より)
を参照されることをお薦めする。
▼次が最後のお薦めポイントである。
(3) 朝ドラ「らんまん」がより楽しくなってくる!!
著者は最後にこう言っていた。
翌月、今度はNHK出版の山北健司氏が訪れ、牧野富太郎についての本を書いてくれという。牧野富太郎についての評伝は数多く出版されているものの、植物学における業績をわかりやすく一般向けて書いたものは意外にないという理由だった。
これには、同感した。朝ドラではモデルなだけで、そこに登場する万太郎は、万太郎であって富太郎ではない。すでにいくつもの小説で描かれている牧野富太郎がさらにドラマになることで、真の姿が見失われる可能性もあった。そこで迂闊にも引き受けてしまった。(同書 P252 より)
また著者は「はじめに」の文章で、こうも語っていた。
しかし、業績を顕彰するためには、その人物がその分野で果たした役割、仕事というものを正しく、冷静に、そして中立的に理解しなくてはならない。科学は証拠主義に基づいている。牧野富太郎を科学者として、捉えるならば、人物像やそれを取り巻く人間ドラマではなく、学術的に正確な情報、検証された業績、それが与えたインパクトなどで評価されるへきである。
本書は、牧野富太郎の人物像を考察するものではまったくない。牧野が専門とした学問分野はどういうものだったのか。研究者としての牧野の業績はどういうもので、どのような意味をもっていたのか。そして、それが現在にどのように影響を与えているのか。これらについて、自然科学の立ち場から考察するのが本書である。(同書 P8より)
アリガタイ!!
明確な主張をもった本なのである。
きっと朝ドラ「らんまん」をより楽しいものにしてくれるだろう!!
もうひとつうれしいことに、本の巻末に「牧野富太郎年譜」がついている。
ドラマの進行に合わせて参照すれば、時代背景もよくわかり朝ドラを何倍も豊に楽しいものにしてくれるだろう。
【蛇足の蛇足】
最初にあげた私の3つの興味どころ 2つが残ってしまった。
・ 牧野富太郎とヒガンバナ
注意深く読んだつものだが、それについて触れた部分はなかった。
またの機会にさがしてみたい。
・ 牧野富太郎と寺田寅彦
本書のなかには、見落としがなければ二カ所に「寺田寅彦」の名前が出てきただけだった。
くわしくは、次の「土佐の寅彦」詣のときに聞いてみたいものだ。
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