本日(2022/12/27)、第335回オンライン「寅の日」!! #自由画稿 #なぜ泣くか #traday #寺田寅彦
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それはとにかく、このように植物界の現象にもやはり一種の「潮時」とでもいったようなもののあることはこれまでにもたびたび気づいたことであった。(「藤の実」より)
今年は、この藤棚にターゲットを絞って、寅日子先生の言う「潮時」を待っていた!!
ほぼ毎日のように、そこに通っていた。
年賀状の季節になって、今年も悲しい・哀しい「知らせ」をいくつか聞いてしまった。
ひとの人生にも、「潮時」はあるのだろうか!?
「あの日」を思い出すと 目には…
▼本日(2022/12/27)は、第335回オンライン「寅の日」である。
12月のテーマは、「自由画稿」(18編の随筆集)のなかから、3編を選んで読む。
【12月テーマ】「寅彦と自由画稿」
である。第3回目の本日は「十七 なぜ泣くか」を読む。
◆本日(2022/12/27)は、第335回オンライン「寅の日」!!
▼寅日子先生は、まず「今さら」のことから話をはじめる。
人間はなぜ泣くか、泣くとは何を意味するか。「悲しいから泣く」という普通の解釈はまるでうそではないまでも決してほんとうではないようである。
「泣く」ということは涙を流して顔面の筋にある特定の収縮を起こすことであると仮定し、そうした動作に伴なう感情を「悲しい」と名づけるとすると、「泣く」と「悲しい」との間の因果関係はむしろ普通に言うのと逆になるかもしれない。
…そうしてそのような空の光の下に無心の母なき子を抱いてうつ向いている自分自身の姿をはっきり客観した、その瞬間に思いもかけず熱い涙がわくように流れ出した。」
そして、ひとつの「結論」に向かっていく。
こんな実例から見ると、こうした種類の涙は異常な不快な緊張が持続した後にそれがようやく弛緩(しかん)し始める際に流れ出すものらしい。
こういうふうに考えてくると流涕(りゅうてい)して泣くという動作には常に最も不快不安な緊張の絶頂からの解放という、消極的ではあるがとにかく一種の快感が伴なっていて、それが一道の暗流のように感情の底層を流れているように思われる。
▼ここでとどまらないのが、いかにも寅日子先生流である!!
なんか面白いことにまで発展させている。
この享楽をいっそう純粋ならしめるためには芝居の筋などはむしろなるべく簡単なほうがいいらしい。深刻なモラールやフィロソフィーなどの薬味がきき過ぎて、大いに考えさせられたりひどく感心させられたりするようだと、大脳皮質のよけいな部分の活動に牽制されて、泣くことの純粋さがそこなわれることになる。そうした芸術的に高等な芝居が、生理的享楽のために泣きに行く観客に評判のわるいのはきわめて当然なことであろうと思う。
言わば高圧釜(こうあつがま)の安全弁のように適当な瞬間に涙腺(るいせん)の分泌物を噴出して何かの危険を防止するのではないか、そうでないとどうも涙の科学的意義がのみ込めない。
そして、最後にこう言い切った。
ともかくも明白に正真正銘に「泣き」また「笑う」のはだいたいにおいて人間の特権であるらしいから、われわれはこの特権を最も有効に使用するように注意したいものである。しかしまたこれが人間の仕事のうちでいちばんむつかしいことのようにも思われる。
さあ、私はこの年末年始に何度この「特権」を使用するだろう!?
あわせて「十八 「笑う」と「泣く」と」を読むことをおすすめする!!
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