
▼私は「原子論的物質観」のルーツを探るという「文脈」で「原子論」を科学してみた!!
◆「原子論」を科学する
の更新はまだまだ続いていた。
▼次に参考させてもらった文献は次だった。
◆【お薦め本】『原子論の歴史 上・下』 (板倉聖宣著 仮説社)
少しずつ少しずつ読み進めながら学んだ。
その学びのプロセスすべてをblogに「記録」していった。
▼この本についもいつものようにお薦めポイント3つをあげていた。
(1)「原子論の歴史」の最新・決定本!!
(2)等身大の文体で、わかりやすく「原子論の歴史」を読み解くことができる!!
(3)私にとっての「原子論」を問うのに最適の書!!
特に(3)の私にとっての「原子論」を問う度に、これからも読み返してみたい本だ。
▼この本には最高にうれしい【オマケ】付録がついていた。
◆「原子論の歴史」年表
(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P178~P200)
である。今一度、blogに引用させてもらったものだけでも列挙してみる。
●前370年頃 デモクリトス(前460~前370頃)、没。「すべてのものは<それ以上こわれないアトム=原子>と<空虚=真空>とからなる」という原子論を提唱。
●前355年 アリストテレス(前384~前322)、アテナイのリュケイオンに学校を開く。デモクリトスの原子論をきびしく批判。
●前310年冬 エピクロス(前342~前271) この頃、重さと隙間=真空に目をつけた研究始まる。
●前286年頃 ストラトン(前340頃~前268)、アレクサンドリア市からアテナイに戻り、逍遙学派の第三代学頭に就任。「空虚について」「軽さと重さについて」「機械学」などを著し<自然学者>と呼ばれる。
●前267年 アルキメデス(前287~前212)、20歳に達する。この前後にシシリー島のシュラクサイからアレクサンドリア市のミューゼオンへ留学か? その著の『浮体について』は、明らかにエピクロスの<重さの保存法則>の発見を受けついで研究されたものだが、その他の『平面板の平衡について』『球と円柱について』『円錐状体と球状体について』『円の計測』『砂粒を数えるもの』なども、エピクロスの原子論で<重さの保存則>の主張に影響を受けて研究されるようになったものと思われる。
●前58年 ルクレティウス(前95~前55)の保護者ガーイウス・メンミウス、小アジアの属州ビティニアに行くとき、詩人キンナおよびカトゥルスを伴う。この頃『宇宙をつくるものアトム』なるか。
●後50年 セネカ(前5/4~後65)、法務官となる。セネカは、52年頃までに『(兄ノバトックスあて)怒りについて』を著す。「われわれにとって、デモクリトスの、あの健康的な教えは役に立つだろう。そこで教えられているのは心の平静ということであって、私的にも公的にも、自分の能力に余るようなことを行なわないことである」と記す。
●79年8/24 ヴェスヴィウス火山大爆発。ポンペイ市とヘルクラネウムの町は埋没した。のち考古学者たちは、ヘルクラネウムの町の別荘の一角から図書室を発掘し1806巻のパピルスを発見。「パピルス荘」と名付けたが、そのパピルスの大部分はエピクロス派の哲学者ピロデモスの著書だつたという。
●165~175年 ルキアノス(120~185頃)の制作活動頂点に達する。とくに「空を飛ぶメニッポス」「二重に訴えられて」「悲劇役者ゼウス」で原子論の主張を支持し、ストア派を批判する。
●180~85頃 ルキアノス、ノンフィクション「偽預言者アレクサンドロス」を、エピクロス派の哲学者ケルソスあての手紙形式で書く。
●389年 ローマ帝国、キリスト教を国教に昇格させる。
●1417年 ポッジョ(イタリア、1380~1459)、ある修道院でルクレティウスの『事物の本性について』の全文を発見。
●1599年 シェークスピア著『ロミオとジュリエット』刊。<アトム>の語を用いる。『お気に召すまま』『ヘンリー4世・第二部』でも<アトム>の語を用いる。
●1600年 ブルーノ(イタリア、1548~1600)、火あぶりの刑に処せられる。
ギルバート(英国、1544~1603)『磁石について』刊。エピクロスとルクレティウスの原子論的な磁石論に言及。磁気と違って、電気はすべての物体の性質であることを明らかにする。
●1614年 サントリオ(イタリア、1561~1636)『釣り合いの医学』間。<人間が飲み食いしたり排便したりしたときの体重の変化>を解明。
●1624年 パリの議会<原子論またはアリストテレスに反する学説を支持したり教えたりする者は死罪に処する>との法令を定める。
●1632年 ガリレイ(イタリア、1564~1642)『天文学対話』刊。翌年、宗教裁判にかけられて、有罪となり、自宅に監禁される。
●1638年 ガリレイ、別荘に監禁の身で、密かにオランダで『新科学対話』を出版。<慣性の法則>を提出。<空気の重さ>を明らかにする。
●1643年 ガリレオの弟子のトリチェリ(イタリア、1608~1647)とヴィヴィアーニ(1622~1703)、水銀を入れたガラス管を倒立して真空の存在の実証に成功。
●1647年 パスカル(フランス、1623~1662)『真空に関する新実験』刊。
●1649年 ガッサンディ(フランス、1592~1655)『エピクロスの哲学体系』刊。
●1654年 ゲーリケ(ドイツ、1602~1686)、レーゲンスブルクでのドイツ平和会議で真空ポンプによる真空実験を公開披露。
●1660年 ボイル(英国、1627~1691)、フックの協力で真空ポンプを作り、『空気の弾性に関する新実験』を著し、翌年の改訂版で<気体の体積と圧力の法則>を一般化し、『懐疑的な化学者』を出版する。
●1665年 フック(英国、1635~1703)『ミクログラフィア』刊。液体の性質はその分子の振動で説明できるとし、結晶の分子配列説を提唱。
●1687年 ニュートン(英国、1642~1727)、『自然哲学の数学的原理』刊。
●1718年 ニュートン(英国、1642~1727)、『光学』(1704)の第二版刊。
●1725年 トリーヴァルト(スウェーデン、1691~1747)、<二つの鉛の玉を手で持って押しつけ合わせると、結合する事実>を発見。
●1731年 レオミュール(フランス、1683~1757)、<体積50ずつのアルコールと水とを混合させると、混合液体の体積は98にしかならない>事実を発見。
●1754年 ブラック(英国、1728~1799)、普通の空気と異なる気体<固定空気=二酸化炭素ガス>を発見。
●1766年 キャベンディッシュ(英国、1731~1810)、水素ガスを発見。
●1772年 シェーレ(スウェーデン、1742~1786)、酸素ガスを発見。
D.ラザフォード(英国、1749~1819)、窒素ガスを発見。
●1774年 プリーストリー(英国、1733~1804)、『いろいろな<空気>に関する実験と考察』刊。一酸化二窒素/(シェーレと独立に)酸素の発見を発表。
●1775年 シェーレ(スウェーデン、1742~1786)、塩素ガスを発見。
●1789年 フランス大革命、はじまる。
ラヴォアジエ(フランス、1743~1794)、『化学の基礎的研究』刊。実験的な元素概念を提出。
●1794年 ラヴォアジエ(フランス、1743~1794)、処刑される。
●1808年 ドールトン(英、1766~1844)、『化学哲学の新体系』刊。化学的原子・分子論を提出。原子模型も作る。
●1811年 アヴォガドロ(イタリア、1776~1856)、<気体分子は種類によらず、温度と圧力が同じなら、同じ体積を占める>との仮説を提唱。
●1827年 植物学者のブラウン(英国、1773~1858)、<花粉に含まれている微粒子が不自然な運動する現象=ブラウン運動>を発見。
●1860年 国際化学会議、カニッツァロ(1826~1910)の働きかけにより<アボガドロの仮説>を採用する。
● 1905年 アインシュタイン(ドイツ、1879~1955)、<ブラウン運動は、水の分子運動によるもの>とする数学理論を提出。
●1908年 ペラン(フランス、1870~1942)、ブラウン運動の実験により、水の分子運動説の理論と一致することを明らかにして、分子の存在の証明に成功。
●1909年 オストワルド(ドイツ、1853~1932)、『一般化学の原理』第4版の序文で<原子の実在>を認める。
●1929年 寺田寅彦(日本、1878~1935)「ルクレチウスと科学」『(岩波講座)世界思潮』)に発表。
●1949年 田中実著『原子論の誕生・追放・復活』三一書房刊。古代の原子論は空想的なものでアリストテレスによって論破されたとする。
●1961年 板倉聖宣「ニュートンの質量の定義とガリレオ・ニュートンの原子論」『科学史研究』。
●1962年 山内・平田・富山監訳『PSSC物理』岩波書店刊。原子分子の教育をはじめて前面に出した高校教科書。
板倉聖宣「原子論からみた力学入門①②/原子論から見た力学①②③」『科学読売』に連載(~翌年)。
●1963年 板倉聖宣<仮説実験授業>を提唱
板倉聖宣・江沢洋共著『物理学入門-科学教育の現代化』国土社刊。「原子論からみた力学入門」を再録。
●1964年 板倉聖宣編著『(発明発見物語)デモクリトスから素粒子まで』国土社刊。
●1965年 国土社版「少年少女科学名著全集4」として、ルクレチウス著・国分一太郎訳『宇宙をつくるものアトム』/ブラック著・亀井理訳『宇宙をつくるものアトム』合冊で刊行。
●1965年 ファインマンほか、『ファインマン物理学』刊(坪井忠二ほか訳、岩波書店、1967年)。その冒頭に「躍るアトム」の章をおき、「最小の語数で最大の情報を与えるもの」は原子論だ、と指摘。
●1985年 板倉聖宣・吉村七郎「分子模型の作り方」『たのしい授業』。
板倉聖宣『原子とつきあう本』仮説社刊。
(つづく)
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