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「原子論」を科学する(40) #原子論の歴史 #ガリレオ #真空 #サントリオ #王認学会 #フック #ミクログラフィア #結晶

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ミョウバンの「結晶」デアル!!
 美しい!!

 カリミョウバン=硫酸カリウムアルミニウム の「結晶」。
 ずいぶん昔に手に入れたものだが、今もまったく姿かたちを変えない美しさだ!!
 みごとな原子配列のなせる技である!!
 それこそ<神>わざならぬ、<かがく>わざである!!

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
『原子論の歴史-復活・確立-』を参照しながら

 まずはあの有名なガリレオ・ガリレイ(1564~1642)の話からはじまっていた。

 じつは、ガリレオは若いころからあきらかに原子論者でした。彼は、そのころ先進的な人びとから批判されていた<アリストテレスの力学>ではなく、<アルキメデスの力学>を出発点にすえて研究生活を始めたのです。1565年には、アルキメデスの『浮体論』もイタリアで出版されていました。そこで彼は、それを基礎にして<運動の力学>を構築することを考えました。ところが、そのアルキメデスの『浮体論』は原子論的な考え方に基づいていたので、彼もまた原子論的になるのは自然なことだったのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P38より)

 つづけて
 ガリレオは真空の実在を信じて、そのことを何とか実証したかったのに、ついにそれに成功しませんでした。しかし、彼の遺志は、彼の没後1年の1643年に、その弟子のトリチェリ(1608~1647)とヴィヴィアーニ(1622~1703)によって実現されました。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P41より)

 彼がそういうことを自然に考えることができたのは、彼が原子論を支持していたからです。原子論では、天体も地上の物体も同じ原子でできているわけですから、天体と地上の物体とが同じ法則によって動くことは自明のことだったのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P44より)

▼モノゴトを「原子論」的に考える、発想するのはアタリマエになりつつあったようです。

 たとえば、人間は飲食物を摂取すれば、いつもその重さだけ体重が増加します。しかし、うんこやおしっこや汗や呼気の中の水蒸気などを出せば、その重さだけ体重が減ります。それなら、まったく飲食物を取らなかったり、排泄をしなかったら、その体重はまったく変化しないでしょうか。
 その問題を実験で解明したのは、ガリレオの研究友だちのサントリオ(1561~1636)でした。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P45より)

 「原子論的」に考えるって面白いですよね!!
 でもかたくなにそれを拒否しつづけた人もいたようです。
しかし、それも認めざるを得ない厳しい状況もあったようです。
 じつは、パリの議会は1624年に、
「原子論またはアリストテレスに反する何らかの学説を支持したり教えたりする者は、死罪に処する」 
という恐ろしい法律を決めたことがあったのです。
 そのためでしょう。『哲学の原理』(1644)の出版された前の年にはトリチェリなどによって「真空」の存在が実験的に明らかにされたというのに、デカルトは真空の存在を認めませんでした。そして、<宇宙には仮想の微粒子が充満していて、その微粒子が渦状に運動している>として、天体の運動を説明しようとしました。原子の存在に関しても、その考えの骨子を受け継ぎながら、「この宇宙は<分割不可能なアトム>でなく、<分割できる微粒子>によって構成されている」と考えたのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P50より)

なかには変化球「原子論」も登場します。
 ところが、ガッサンディは「原子を創造したのも神だ」として、「原子論とキリスト教とは矛盾しない」と主張したのです。
 そこで、ガッサンディ以降、ヨーロッパの学者たちは、「異端」のレッテルを貼られることを心配することなく、原子論を支持できるようになりました。ガッサンディは、原子論から無神論を骨抜きにして、原子論をキリスト教的に改変して普及させることに成功したのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P52より)

▼自然科学研究に話をもどします。

 フランスのすぐれた数学者だったパスカル(1623~1662)は、デカルトとは違って、トリチェリの真空実験を知ると、すぐにそれを追試しました。そして、その研究成果を『真空に関する新実験』(1647)にまとめました。
 彼は、その実験装置を持って山に登りました。「山の上では、<空気の重さ=空気の圧力>が減少するかどうか」を確認するためです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P57より)

 そして、あの「マグデブルク半球の実験」へとつづきます。
 さらには、英国のボイル(1627~1691)は、真空ポンプの改良に成功して、「空気の圧力と体積の法則」の発見に成功した。

 自然科学研究史で忘れてはならないものがこのころスタートします。

 1660年の「王政復古」のとき、それまで各地でばらばらに科学研究のサークルをやっていた人びとがロンドンに集まって、新しい学会を発足させました。その学会は2年後、国王の許可を得て「ロンドン王認学会」と名付けられましたが、とくに初期の活動には目覚ましいものがありました。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P59より)

 その王認学会から1665年に出版されたフック(1635~1703)の著書『ミクログラフィア(微小世界図説)』は、原子論的に見ても重要なことを教えてくれていました。
 見えるものなら、彼は原子を見たかったに違いありません。しかし、その顕微鏡の倍率は小さすぎました。
 その代わり彼は、その本の中に、近代的な原子分子説のもっとも重要な発見の一つ、いや二つを書き込むことができました。
 私たちはいま、「固体の中の原子分子は、きれいに配列している」と教わり、「液体の中の原子分子は、たえず動き回っている」と教わっています。そういう固体と液体のイメージをはじめて提出したのは、フックのこの本だったのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P62より)

フックのもう一つの重要な発見は「結晶」です。

(『原子論の歴史-復活・確立-』P64より) 

その説明はおみごと!!

 ひょっとしたら、フックには「原子」は見えていたのかも!?


●1614年 サントリオ(イタリア、1561~1636)『釣り合いの医学』間。<人間が飲み食いしたり排便したりしたときの体重の変化>を解明。

●1624年 パリの議会<原子論またはアリストテレスに反する学説を支持したり教えたりする者は死罪に処する>との法令を定める。

●1632年 ガリレイ(イタリア、1564~1642)『天文学対話』刊。翌年、宗教裁判にかけられて、有罪となり、自宅に監禁される。

●1638年 ガリレイ、別荘に監禁の身で、密かにオランダで『新科学対話』を出版。<慣性の法則>を提出。<空気の重さ>を明らかにする。

●1643年  ガリレオの弟子のトリチェリ(イタリア、1608~1647)とヴィヴィアーニ(1622~1703)、水銀を入れたガラス管を倒立して真空の存在の実証に成功。

●1647年 パスカル(フランス、1623~1662)『真空に関する新実験』刊。

●1649年 ガッサンディ(フランス、1592~1655)『エピクロスの哲学体系』刊。

●1654年 ゲーリケ(ドイツ、1602~1686)、レーゲンスブルクでのドイツ平和会議で真空ポンプによる真空実験を公開披露。

●1660年 ボイル(英国、1627~1691)、フックの協力で真空ポンプを作り、『空気の弾性に関する新実験』を著し、翌年の改訂版で<気体の体積と圧力の法則>を一般化し、『懐疑的な化学者』を出版する。

●1665年 フック(英国、1635~1703)『ミクログラフィア』刊。液体の性質はその分子の振動で説明できるとし、結晶の分子配列説を提唱。

(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P191より)

(つづく)

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