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「原子論」を科学する(39) #原子論の歴史 #ルクレティウス #シェークスピア #ブルーノ #ギルバート

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▼私は、その本を数ヶ月かけて、まだちびりちびりと読んでいた。
 その本とは

◆『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』 (スティーヴン・グリーンブラット著 河野純治訳 柏書房)

である。「原子論」の歴史を追う作業が進むにつれて、この本を読むスピードもあがってきた。本のタイトルの意味が少しずつわかりはじめたからである。

▼「原子論」の歴史をつづけよう。これからは
『原子論の歴史-復活・確立-』を参照しながら

 さて、その後「古代の原子論」は、どんな運命をたどったのだろう。

 イスラム教の科学者たちは、原子論そのものにもほとんど興味をもちませんでした。キリスト教と同じ一神教のイスラム教からすると、無神論に帰結する原子論には興味を持ち得なかったのかも知れません。そこで、古代の原子論は、中世にはずっと忘れられたままでした。「中世」は、原子論にとってまったくの「暗黒時代」だったのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P11より)

 その「暗黒時代」に、一筋の光が射したのです!!
 そこから、すべてがはじまったのです。

 ルクレティウスの『宇宙をつくるものアトム』の抜粋は紀元9世紀から知られていたということですが、1417年にその全文が発見されました。1414~18年に南ドイツのコンスタンツで、中世最大の有名な宗教会議が開かれました。そのとき、ローマ教皇の書記としてその会議に同行したイタリアの人文学者のポッジョ・プラッチョリーニ(1380~1459)が、キリスト教の修道院のなかで、多数の古代の写本とともに、ルクレティウスの『宇宙をつくるものアトム』の写本を発見したのです。その本は、キリスト教にとっては「異端」だとしても、詩のかたちでとても感動的に書かれていました。そこで、<原子論の暗黒時代>にも、その本をキリスト教の修道院の中でこっそり書き写す人たちがいたというわけです。 
(『原子論の歴史-復活・確立-』P13より)

 著者・板倉聖宣氏は徹底してタイトル『宇宙をつくるものアトム』にこだわっていますね。そこに板倉氏の主張があるからでしょう!!

▼さあ、いよいよルネサンスのはじまりです。

 キリスト教以前の古代ギリシアやローマの文化は、もともと、キリスト教からすると「異端」の文化でした。ルネサンスというのは、そういう異端の文化を学ぶ運動であつたのです。ですから、ルネサンス運動の先進的な人びとは、キリスト教の規制を越えて前進しようともしました。そこで、長いあいだ知らずにいた古代の原子論を積極的に学ぶ運動も始まりました。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P14より)

 時代を代表するような人物、『無限、宇宙と諸世界について』の著者・ブルーノも登場してきます。
 ブルーノは、この本の中でデモクリトスやエピクロスをいつも肯定的に引用していて、批判的に言及したところは皆無です。そこで、「ブルーノは原子論者だったのではないか」とも思われそうです。しかし、そうではありません。そのことは、上の引用文の中に「普遍理性である霊魂の力」という言葉が出てきたことを見ても明らかです。彼は、原子論に強い親近感を抱きながら、霊魂の働きを残し、神の役割を残していたのです。だから、彼は原子論者とはいえません。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P25より)

▼さらにたいへん興味深い話が続きます。
 あの有名な<世界演劇史上最大の劇作家>シェークスピア(1564~1616)の演劇のなかにも、原子=アトムが登場するというのです。

 シェークスピアの時代の彼の観客は、芝居の中に「原子=アトム」と出てくると、その大げさな言葉の使い方を面白がる。それほどまでにアトムという言葉を知っていたというわけです。
 当時すでに、シェークスピアの演劇を見るような人びとの間では、ルクレティウスまたはルキアノス、またはブルーノやエラスムスなどの影響で、<アトム>という言葉が恰好のいい流行語の一つになっていたことは、原子論の歴史でなくとも注目すべきことではないでしょうか。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P29より)

(゜o゜)ゲッ!! <アトム>が流行語とは!!
 つづけて
 原子論は、そのギルバートの『磁石について』の中にも登場しています。エピクロスとルクレティウスの原子論的な磁石論にも数カ所で言及しているのです。この時代には、哲学の本だけでなく、科学の本も文学書も芝居も、さまざまな機会にアトムという言葉を使うようになっていたのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P31より)

 そして、こうまとめています。
エピクロスの原子論を詩にしてうたったルクレティウスは、「古来の宗教は神のご機嫌を伺うために、人間を生きながら犠牲にもしてきた」と強く訴え、そのような迷信を排除するためにも原子論を展開したのでした。ブルーノは、神を信じていたにもかかわらず原子論に親近感をいだいたのは、そういう原子論が好きだったからでもあったのでしょう。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P34より)


●1417年 ポッジョ(イタリア、1380~1459)、ある修道院でルクレティウスの『事物の本性について』の全文を発見。

●1599年 シェークスピア著『ロミオとジュリエット』刊。<アトム>の語を用いる。『お気に召すまま』『ヘンリー4世・第二部』でも<アトム>の語を用いる。

●1600年 ブルーノ(イタリア、1548~1600)、火あぶりの刑に処せられる。
ギルバート(英国、1544~1603)『磁石について』刊。エピクロスとルクレティウスの原子論的な磁石論に言及。磁気と違って、電気はすべての物体の性質であることを明らかにする。

(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P189、P190より)

(つづく)

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