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「原子論」を科学する(34) #原子論の歴史 #ガリレオの温度計 #アルキメデス #浮力の法則 #アルキメデスの原理 #てこの法則 #球の体積

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「ガリレオ温度計」!!
 そんな名前がついているが、ガリレオが発明したものではないそうだ!!
 手に入れたのはずいぶん昔だ。なんか色褪せてしまっている。
 この度、思いきって新規に手に入れてみた!!
 ゆっくりした動きがなかなか面白い!!

 あれっ!?これでどうして「温度」測れることできるんだったかな!?
 「浮き沈み」問題だから、あのアルキメデスに聞いてみよう。

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』を参照しながら

 さあ、次はあのアルキメデスだ。「王冠の謎とき」や「浮力の法則」「アルキメデスの原理」などで有名なアルキメデスだ!!
 そのアルキメデスが、なぜ「原子論」と関係するのかにわかにはよくわからなかった。

 だから、アルキメデスは<王冠の謎とき>のために浮力の法則を発見したのではありません。「王冠の謎ときは、せいぜい浮力の研究のきっかけになった」というだけのことだったはずです。じつは、アルキメデスには「<浮力の法則>を研究して、その法則を発見する動機」はもっと他のところにもあったのです。
 そのことは、エピクロスとストラトンの重さの研究のことを思い出せば、思い当たるところがあるでしょう。この二人は、
 「この世には<軽さ>をもったものなど存在しない。<ものがときとして上のほうに動く>のは、まわりの物体から押し上げられるからだ」
と熱心に主張していたのです。つまり<浮力の現象の科学研究>を前面に押し出していたわけです。すぐれた数学者で科学者であったアルキメデスは、「二人のその主張に影響されて浮力の法則の研究をはじめた」とみて間違いないでしょう。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p140より)

 また、こうも言い切っています。
 アルキメデスは、その<浮力の法則>も、まったく幾何学的な形式で書いたのです。しかし、その浮力の考え方は、エピクロスやストラトンの<重さの不滅性>を前提とした原子論的なものであったことは明らかです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p143より)


▼では<てこの法則>についてはどうでしょう。

 古代ギリシアでも、同じような事情があったにちがいありません。<てこの法則>は、ギリシアでも長い間、無自覚的に利用されてきたに違いないのですが、アルキメデスがそれを数学的に明確にしてはじめて、<科学的な法則>として自覚されるようになったのです。
 それなら、<てこの法則>はなぜ、アルキメデスの時代になってはじめて証明されるようになったのでしょうか。これもおそらくエピクロスやストラトンの<重さの不滅性>を前提とした原子論的な考え方の出現によるものでしょう。その二人によって、<重さ>という概念の重要性が表面に出てきたので、アルキメデスがその<重さ>の概念を明確にするために、<浮力の法則>と<てこの法則>の解明に乗り出したというわけです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p145より)

▼それだけではなかったのです。

 <てこの法則>と<浮力の法則>とは<重さの科学>=力学の分野に属するものです。だから、そこで<重さ>の概念が重要な役割を果たすのは当然のことともいえます。しかし、アルキメデスが<重さの科学>以上に力を込めて研究したのは、<図形の数学=幾何学>の分野でした。ところが、その分野の研究でも、アルキメデスは原子論者デモクリトスの伝統を受け継ぐことになりました。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p145より)

(゜o゜)ゲッ!!驚きです。
ここへ来て元祖「原子論者」デモクリトスまで登場するのです。
具体的にはこうです。
 この問題は、エウドクソス(前408~前355)という数学者によってはじめて数学的に証明されたのですが、結果を知ってしまえば簡単で、円錐や角錐の体積は、
 <底面積>×<高さ>÷3
という式で計算すればいいのでした。
 ところがです。アルキメデスは、その後、
 「原子論をはじめて提唱したあのデモクリトスは、エウドクソスがその定理を数学的に証明するのに成功するよりもずっと前に、その公式を知っていた」
ということを知って驚きました。
 デモクリトス(前460頃~前370頃)は証明抜きで、その定理を書いていたのです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p147より)

 ではデモクリトスはどうして、この事実を知ったのでしょう。デモクリトスは、<底面と高さが同じ円錐と円柱の模型>を作って、その重さ比べをしていたのです。
 さすが元祖「原子論者」です。
 アルキメデスも、原子論者デモクリトスの書いたものにも親しんでいて、そこから学んでいたのですから、やっぱりさすがです。
 アルキメデスの発見で、どうしてもふれておきたいもうひとつのことがあります。
 アルキメデスはさらに、球の体積の法則も発見しました。
 そこで、<円錐と球と円柱の体積を求める定理>を並べて書いてみました。底面の直径と高さが同じ<円錐と球と円柱>の体積を求める定理です。すると、なんと「その体積は、ちょうど1:2:3」になっているではありませんか。
 このことを発見したとき、アルキメデスはことのほか喜びました。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p149より)

 いずれにしても、アルキメデスの思考のバックボーンには、しっかりと「原子論」が根づいていたことはまちがいなさそうです。


●前267年 アルキメデス(前287~前212)、20歳に達する。この前後にシシリー島のシュラクサイからアレクサンドリア市のミューゼオンへ留学か? その著の『浮体について』は、明らかにエピクロスの<重さの保存法則>の発見を受けついで研究されたものだが、その他の『平面板の平衡について』『球と円柱について』『円錐状体と球状体について』『円の計測』『砂粒を数えるもの』なども、エピクロスの原子論で<重さの保存則>の主張に影響を受けて研究されるようになったものと思われる。
(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P179より)

(つづく)

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