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本日(2022/08/17)、第324回オンライン「寅の日」!! #天文と俳句 #traday #寺田寅彦

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▼子規庵の糸瓜の実がやっと大きくなりはじめた!!
 寅日子先生も、俳句修業はじめた頃(明治31)、糸瓜を詠んでいた。
 「夏目漱石へ送りたる句稿 その二」より

 面白し背戸の糸瓜の長短  [漱石評 中七字改めたし]
 日一日ぶらりぶらりとへちま哉 [漱石評 ○少し陳腐の感あり]

▼本日(2022/08/17)は、第324回オンライン「寅の日」である。
 オンライン句会「寅の日」の方は、2年目が終わろうとしていた。
 それを記念して、8月テーマは次のようにしていた。

【8月テーマ】「寅彦と俳句」

 その第二弾として本日は、「天文と俳句」を読む。

◆本日(2022/08/17)、第324回オンライン「寅の日」!!

●「天文と俳句」(青空文庫より)

▼私はこの「天文と俳句」を、前回の「俳句の精神」とあわせて俳句修業必須テキストと思っていた。
 それは俳句の生命=「季語」について書かれているからだ。
 寅日子先生は「季語」について次のように教えてくれていた。

 季節の感じは俳句の生命であり第一要素である。此れを除去したものは最早俳句ではなくて、それは川柳であるか一種のエピグラムに過ぎない。俳句の内容としての具體的な世界像の構成に要する「時」の要素を決定するものが、此の季題に含まれた時期の指定である。時に無關係な「不易」な眞の宣明のみでは決して俳諧になり得ないのである。「流行」する時の流の中の一つの點を確實に把握して指示しなければ具象的な映像は現はれ得ないのである。
  さらにコトバはつづく。
無常な時の流れに浮ぶ現實の世界の中から切り取つた生きた一つの斷面像を、その生きた姿に於て活々と描寫しようといふ本來の目的から、自然に又必然に起つて來る要求の一つが此の「時の決定」であることは、恐らく容易に了解されるであらうと思はれる。花鳥風月を俳句で詠ずるのは植物動物氣象天文の科學的事實を述べるのではなくて、具體的な人間の生きた生活の一斷面の表象として此等のものが現はれるときに始めて詩になり俳句になるであらう。

▼そして、もっとも気になるキーワード「不易流行」へと話は及ぶ。

要するに俳句は抽象された不易の眞の言明だけではなくて具體的な流行の姿の一映像でなければならない。其れが爲めには一見偶然的な他物との配合を要する、しかも其配合物は偶然なやうであつても、其配合によつて其處に或必然な決定的の眞の相貌を描出しなければならないのである。
 「配合」!!  さらにステップアップして
此れは俳句が所謂モンタージュの藝術であることを明示する。
 「モンタージュ」!!  このあたりは来月への課題としたい。

 なかなか俳句修業の道は遠い。だから面白いとも!! 。
 理科教育について、チクリと「学ぶべき」示唆的なことも…!!

 氣象學教科書に引用し得るものであらう。古人の句には往々かういふ科學的の眞實を含んだ句があつて、理科教育を受けた今の人のに、そのわりに少ないやうに思はれるのも不思議である。昔の人は文部省流の理科を教はらないで、自分の眼で自然を見たのである。

最後に「まとめ」だ!!
 要するに此處で所謂「天文」の季題は俳句の第一要素たる「時」を決定すると同時に「天と地の間」の空間を暗示することによつて、或は廣大な景色の描寫となり、或は他の景物の背景となる。

 手持ちの歳時記の「天文」を開いてみる。
 私は、これまでほとんど「天文」にあがっている「季語」を使って来なかった。
 寅日子先生のコトバを思い出しながら来月の「オンライン句会」では挑戦してみたい。

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