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「原子論」を科学する(42) #原子論の歴史 #ラヴォアジエ #ドールトン #アボガドロ #カニッツァロ

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水=H2O !!

 今では誰もが知るアタリマエのこと!!
 しかし、ここにいたるまでに多くの「物語」があった。
 その「物語」は、私たちに多くのことを教えてくれる!!
 ときには「これから」も!!

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
『原子論の歴史-復活・確立-』を参照しながら

「原子論」の歴史の背景に社会の歴史が深く関係している。それは、これまででよくわかってきた!!
 しかし、ここではあえて、「原子論」にこだわり、そこにスポットあてることによって、その「時代」をも読み解くという方法ですすめてみたい。
 化学的原子論の時代がやってきた。まずはラヴォアジエ(フランス、1743~1794)だ。

 ラヴォアジエは、その燃焼の理論を中心にして「物質不滅の法則」を唱えました。「化学変化の前後では重さが変化しない」という法則です。それは原子論では当たり前のことでしたが、彼は注意深く「原子」という言葉を使いませんでした。その代わり彼は、これまでの化学者たちと違って、「化学変化の前後での物質の重さに目をつけて系統的に実験する」という習慣を確立しました。そして、「その化学変化に登場する各元素の重さも、反応前後で変化するはずがない」と考えたのです。
 そして彼は、<いろいろな化学変化の中で、変化することのない物質>に目をつけて、何が<根源的な元素>といえるか、一つずつ調べました。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P98より)

33種類の「元素」の名前をあげています。
  つづけてラヴォアジエの「元素」を次のように説明していました。

ところが、ラヴォアジエがその本の中で提出した<元素>は、化学変化がおきても変化することのないものでした。すなわち、彼の元素の考え方には、<原子は変化することがない>という考えが含まれていたのです。そこで、ラヴォアジエの化学理論の登場で、はじめて、誰でもが納得できる化学理論ができたのでした。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P100より)

 この後、「近代化学の父」=ラヴォアジエは、フランス革命のなか、1794年<元徴税請負人>の一人として処刑されてしまいます。

▼少し急ぎます。

 さて、いよいよ本格的な原子の登場です。
 すでに見たように、ラヴォアジエの<物質不滅の原理>にもとづく研究によって、化学は体系的・理論的になりました。「物質不滅の原理」はもともと、原子論独特の考え方にもとづくものだったのですが、ラヴォアジエは自分の理論に原子論を取り入れることはしませんでした。しかし、フラン革命の後のナポレオンの時代が1815年に終わる前に、英国のドールトンによって、化学にも原子論が導入されるようになりました。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P113より)

 つづけて、こうです。
 そこで彼は、ラヴォアジエの化学の成果を原子論と結びつける研究をはじめました。
 そこでまず、<各元素の原子の相対的な重さ>を決めることにしました。たとえば、ラヴォアジエの研究の結果、「酸素と水素は8:1の重さの比で化合して水になる」ということが分かっていました。そこで彼は、「酸素原子1個の重さは、水素原子1個の重さの8倍に違いない」などと考えていったわけです。
 その結果、彼は<各元素の原子の相対的な重さの表>をまとめることに成功して、1808年に『化学哲学の新体系』という本を著しました。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P114より)

 この<各元素の原子の相対的な重さの表>を見ていると、ドールトンの「原子」へのこだわりが見えてきます。私は今、勝手に思っています。
 この世界でいちばん最初に「原子」を見たのはドールトンだと!!

▼そこで「H2O物語」は終わりにならなかったのです。

 ドールトンは「水の原子[分子]は、酸素原子と水素原子が1個ずつ結合している」と考えていたのですが、今では「水分子は、酸素原子1個と水素原子2個でできている」と考えられています。どうして、そんなことが分かったのでしょうか。
 それはイタリアの科学者アボガドロ(1776~1856)が1811年に言いだしたことです。彼はその年、
 「同数の気体分子は、その種類によらず、温度と圧力が同じなら同じ体積を占める」
という仮説を提唱したのです。
 じつは、2種類の気体同士を化合させたり、1種類の分子を2種類の気体に分解するとき、「その気体の体積を調べると、不思議なことに、いつも同じ体積か、簡単な整数の比になっている」ということが知られていたのです。そこでアボガドロは、上記の仮説に気づいたというわけです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P118より)

さらに、こう結論づけたのです。

 そこでアボガドロは、その仮説にもとづいて、
 「酸素や水素は、1個の原子だけで飛び回っているのではなくて、同じ原子が2個結合して分子になっており、水の分子は酸素原子1個に水素原子2個が結合しているのだ」
と結論したのでした。
 これは今ではそのまま受け入れられている説ですが、当時の化学者たちは、この仮説を受け入れようとしませんでした。化学者たちは、「同じ原子が2個ずつ結合して、酸素分子や水素分子になっている」とは認めたくなかったのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P120より)

 今ではアタリマエが、当時の世界ではなかなか受け入れられなかったのです。

 アボガドロは自分の仮説が世界の化学界に採用されるのを見ることなく死んでしまいました。そこで同じイタリアの化学者カニッツァロ(1826~1910)が、その仮説の重要性を化学界に認めさせるように奮闘することになりました。
 1848年にイタリア全域で革命運動が起こって、若い化学者カニッツァロもそこに参加しました。しかしその革命に失敗したかれは、そのころまだ小国に分かれていたイタリア内のもっとも有力な国サルジニア王国に亡命しました。そして、1958年にアボガドロの仮説を知り、1860年の国際化学会議に参加してその重要性訴えて、世界に認めさせたのです。そこで、それ以後、水の分子式はH2O、酸素分子や水素分子はO2、H2などと表されるようになったのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P121より)

 「アボガドロの仮説」からなんと半世紀!!やっとデス!!
 これが「H2O物語」のほんの一部です!!
 それを知って、水の分子模型を見ていると、こんな気分に

「原子論」バンザイ\(^O^)/ 


●1789年 フランス大革命、はじまる。
ラヴォアジエ(フランス、1743~1794)、『化学の基礎的研究』刊。実験的な元素概念を提出。

●1794年 ラヴォアジエ(フランス、1743~1794)、処刑される。

●1808年 ドールトン(英、1766~1844)、『化学哲学の新体系』刊。化学的原子・分子論を提出。原子模型も作る。

●1811年 アヴォガドロ(イタリア、1776~1856)、<気体分子は種類によらず、温度と圧力が同じなら、同じ体積を占める>との仮説を提唱。

●1860年 国際化学会議、カニッツァロ(1826~1910)の働きかけにより<アボガドロの仮説>を採用する。

(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P193、P194、P195より)


(つづく)

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