「原子論」を科学する(45) #原子論の歴史 #私の原子論史 #ルクレチウスと科学 #寺田寅彦 #仮説実験授業
▼またまた大げさな言い方をしますが
私にとって「原子論」って何だろう!?
今さらであるが、この問いに答えるためにこの『「原子論」を科学する』シリーズを続けているのかも知れない。少しは答えは見えてきたのだろうか!?
目を閉じて、自問してみる!!
▼「原子論」の歴史をつづけよう。
『原子論の歴史-復活・確立-』を参照しながら
●「私の原子論とのつきあいと原子論の教育の歴史」
……あとがきにかえて
の後半である。
著者は強く言い切っておられた。
-というような事情で、本書はまるで先行研究をもたないことになります。もちろん、個々の史実については、それぞれの先行研究があって、それらを利用させていただきましたが、「原子論の歴史」としてまとまったものには、先行研究がまったくないといっていいと思います。
そこで私は、「原子論の知識の普及の歴史も加えて、原子論の歴史を全面的に書きあらためる」という仕事に挑戦したというわけです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P164より)
確信に満ちた「宣言」です!!
ほんとうにすごいのはここからです。
板倉聖宣氏の「原子論」研究史のはじまりです。全部スゴイです!!
せめて項目だけでもピックアップしてみます。
●科学知識の普及の歴史も加えて科学史を書きあらためる
●私の原子論教育史の研究の始まり
●『PSSC物理』と「仮説実験授業」の提唱
●仮説実験授業の中での原子論の展開
板倉聖宣氏の「原子論」研究史の全貌が見えてきます。
各章の必然性及びその根拠が見えてきます。
▼圧倒される思いで読み進めるなかで、私の「文脈」のなかでは、もっとも重要部分をみつけた。というより「これ!!」を探して読んでいた!!
「これ!!」とは
また、その翌1965年3月には、私が中心になって編集して国土社から出した「少年少女科学名著全集」全20巻の第4巻として、ルクレチウス著・国分一太郎訳『宇宙をつくるものアトム』/ブラック著・亀井理訳『宇宙をつくるものアトム』が出ました。ルクレチウスの詩は、学生時代に寺田寅彦(1878~1935)の科学随筆集に収められた「ルクレチウスと科学」(1929)を読んで以後、憧れの本でした。それで、早くから子どもたちにも読めるようにしたいと思っていたのが、実ったのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P172 より)
やっぱりそうでした!!
板倉聖宣氏も寺田寅彦著「ルクレチウスと科学」を読んでいたのです。
そして、ルクレチウスに憧れたのデス。
アリガタイことに、私たちはたった今、すぐにでもコレを読むことができるのです。
▼著者はこの本を次のようにしめくくりました。
このような経緯を見れば、本書は「私の原子論との付き合いの総決算のようなもの」とも理解していただけると思うのですが、どうでしょうか。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P175より)
今、衝動的にあの問いを板倉氏にぶつけてみたい気分になった。
「板倉先生にとって、原子論って何ですか!?」
きっと…!!
●1929年 寺田寅彦(日本、1878~1935)「ルクレチウスと科学」『(岩波講座)世界思潮』)に発表。
●1961年 板倉聖宣「ニュートンの質量の定義とガリレオ・ニュートンの原子論」『科学史研究』。
●1962年 山内・平田・富山監訳『PSSC物理』岩波書店刊。原子分子の教育をはじめて前面に出した高校教科書。
板倉聖宣「原子論からみた力学入門①②/原子論から見た力学①②③」『科学読売』に連載(~翌年)。
●1963年 板倉聖宣<仮説実験授業>を提唱
板倉聖宣・江沢洋共著『物理学入門-科学教育の現代化』国土社刊。「原子論からみた力学入門」を再録。
●1964年 板倉聖宣編著『(発明発見物語)デモクリトスから素粒子まで』国土社刊。
●1965年 国土社版「少年少女科学名著全集4」として、ルクレチウス著・国分一太郎訳『宇宙をつくるものアトム』/ブラック著・亀井理訳『宇宙をつくるものアトム』合冊で刊行。
●1985年 板倉聖宣・吉村七郎「分子模型の作り方」『たのしい授業』。
板倉聖宣『原子とつきあう本』仮説社刊。
(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P196、P198、P199、P200より)
(つづく)
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