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今年も虹色コーンを収穫した。そして、ついに…!!(2022/08/30) #虹色コーン #トウモロコシ

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ついに一粒も欠けることのないパーフェクトな虹色コーンを手に入れた!!

 昨日(2022/08/30)、今年も育てていた虹色コーンの収穫を行なった。
 一粒も欠けることないパーフェクトな虹色コーンがあこがれであり、「夢」だった!!
 今年は、色の混じり具合は別にして、3本ものパーフェクトな虹色コーンをgetした。

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▼「虹色コーン」にはじめて出会ったのは、5年前のファラデーラボのクリスマスレクチャーだった。

●ファラデーラボ・クリスマスレクチャーは最高!!(2)(2017/12/11)

 このとき、恒例のプレゼント交換で私がgetしたのが「虹色コーン」だったのだ!!
 今もそれは大切に持っていた。

▼私はこの「虹色コーン」がとても気に入ってしまった。
 これを自分の手で育ててみたいと思った。「おすそ分け」してもらった種子を使って2018年、2019年と挑戦してみた。
 途中まではなんとかうまく育ったが、なかなか「虹色コーン」の収穫までいたらなかった。
 2020年には、FB友だちのYさんより大量に種子を「おすそ分け」していただいた。深謝!!
 それに応えて、かなり本気で挑戦してみたが、なかなかパーフェクトな虹色コーンからはほど遠かった!!

●サイエンスコミュニケーター宣言(416) #虹色コーン(2020/08/18)

 2021年も、再再度リベンジを試みた。
 だいぶんパーフェクトな虹色コーンに近づいてきた。しかし、…

●虹色コーンを収穫したが!!(2021/08/30) #虹色コーン
 
▼今年は5度目の挑戦であった。
だいぶん「枯れ」も進んできたと見える昨日、思いきって収穫してみた。
 水やりだけは可能な限り続けていたが、そこは草むらのなかとなっていた。
 収穫した本数は、昨年を上回っていた!!
 皮をむいているとき、二匹の虫にであった。なんという虫だろう!?
 パーフェクトは3本!!
 それ以外にも、欠けが少ないものもけっこうな数あった。
 少々満足!!しかし 

 これで完全「成功」とせず、来年以降もパーフェクト虹色コーンの頻度をあげることをめざして挑戦をつづけたい!! 

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【Web更新8/28】22-35 サイエンスコミュニケーター宣言 等 更新!!

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刈入れはいつになるやと稲の花 22/08/26撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】22-35
週末定例更新
 東の畑の大ヒマワリを引っこ抜いた!!
 「夏休み」が終わる。!!
 ステージがかわるのだ。

 「夏休み」最終の週末定例更新をした!!

◆表紙画像集2022 更新 稲の花
 前の田の稲に花が咲き始めた!!
 花が咲くからこそ実ができ種子(お米)ができる。
 このアタリマエ!!
 刈り入れはいつになるやと問うてみたくなった。
 
◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 ずっと続けて来た 「原子論」を科学する シリーズ。
 まだまだ続けるつもりである。「原子論」の歴史 から 「原子論」教育史に軸足を移していきたい。
 ファラデーラボ「かがくカフェ」は「共愉のかがく」が愉しい!!

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 オンライン句会「寅の日」は、いよいよ9月より3年目に突入である。
 それを記念して、9月テーマは「寅彦と連句」とする。
 寅彦にとって「連句」とは!?
 「連句的」とは!?

 大賀ハス観察池は、蓮根の植え替えから22週目であった。
 こちらは、もうすっかりそのステージがかわっていた。
 観察池はこれからは、我が家の小さなビオトープ!!
 ここにどんなドラマが!?

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本日(2022/08/29)、第325回オンライン「寅の日」!! #俳諧の本質的概論 #traday #寺田寅彦

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▼リコリスたちの夏が終わろうとしていた!!
 夏のリコリスの代表・ナツズイセンが最後の姿を見せてくれていた。

 「キツネノカミソリ」「コヒガンバナ」とつづき秋のリコリスたちの季節が始まる。
 実生コヒガンバナの鉢を「ひよっとしたら!?」という思いで見てみたが、今年もまだ気配はなかった。
 さて「ヒガンバナ」は!?

▼本日(2022/08/29)は、第325回オンライン「寅の日」である。
 8月のテーマは、オンライン句会「寅の日」二周年を記念して

【8月テーマ】「寅彦と俳句」

である。その三回目、本日は「俳諧の本質的概論」を読む。

◆本日(2022/08/29)、第325回オンライン「寅の日」!!

●「俳諧の本質的概論」(青空文庫より)


▼正直に言うと、この随筆を何度もくりかえし読んではいるが、まだまだ「わかった!!」という状況にはいたっていない。
 ただ読む度に、あらたに「ナルホド!!」というところを「発見」する。
 そんな「発見」したときは、なんかうれしくなってくるのである。

 「理科」と「俳句」そのツナガリは!? これに答えるような文章をみつけた。

「風雅の誠をせめよ」というは、私(わたくし)を去った止水明鏡の心をもって物の実相本情に観入し、松のことは松に、竹のことは竹に聞いて、いわゆる格物致知の認識の大道から自然に誠意正心の門に入ることをすすめたものとも見られるのである。この点で風雅の精神は一面においてはまた自然科学の精神にも通うところがあると言わなければならない。かくのごとく格を定め理を知る境界からさらに進んで格を忘れ理を忘るる域に達するを風雅の極致としたものである。

 そして、私の大好きなコトバ=「不易流行」を最高にうまく語った文章に出会った!!

 季題の中でも天文や時候に関するものはとにかく、地理や人事、動物、植物に関するものは、時を決定すると同時にまた空間を暗示的に決定する役目をつとめる。少なくもそれを決定すべき潜在能をもっている。それで俳句の作者はこれら季題の一つを提供するだけで、共同作者たる読者の連想の網目の一つの結び目を捕えることになる。しかしこの結び目に連絡する糸の数は無限にたくさんある。そのうちで特にある一つの糸を力強く振動させるためには、もう一つの結び目をつかまえて来て、二つの結び目の間に張られた弦線を弾じなければならない。すなわち「不易」なる網目の一断面を摘出してそこに「流行」の相を示さなければならない。これを弾ずる原動力は句の「はたらき」であり「勢い」でなければならない。

▼まだよく理解していないが、ずっと気にしているコトバ=<モンタージュ><連句>が登場するのである。

連句は時代の空気を呼吸する種々な作者の種々な世界の複合体である以上、その作物の上には個人の作品よりもずっと濃厚な時代の影の映るのは当然のことである。

風雅の道も進化しなければならない。「きのうの我れに飽きる人」の取るべき向上の一路に進まなければならない。新しき風雅の道を開拓してスポーツやダンスの中にも新しき意味におけるさびしおりを見いだすのが未来の俳人の使命でなければなるまいと思う。

発句がただ一枚の写真であれば連俳は一巻の映画である。実際、最も新しくして最も総合的な芸術としての映画芸術が、だんだんに、日本固有の、しかも現代日本でほとんど問題にもされない連俳芸術に接近する傾向を示すのは興味の深い現象であると言わなければならない。

 まだまだわかっていないが、興味深いことは確かだ!!
 オンライン「寅の日」9月テーマは「寅彦と連句」である。
 そこにツナイデいければと思う。
 あえて、ここは(つづく)としておこう。

 今年の「ヒガンバナ」の初見はいつかな!?

(つづく)

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「原子論」を科学する(47) #物質の原子論 #古川千代男 #原子論と授業 #三態変化

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▼まだまだ「原子論」教育史をつづけようと思う。
 板倉聖宣氏の「原子論」教育史年表に<追加>してみようと思う。
 まずはこれだ。

●1989年 古川千代男著『物質の原子論-生徒と創造する科学の授業-』コロナ社刊(1989.5.10)


▼この本の「はじめに」は、朝永振一郎氏のコトバの引用からはじまっていた。

 「近代物理学の大きい成果は原子論の発展上に立っている。物理学が単なる直接的な現象の記述だけで満足していたならば、こんな成果は得られなかったであろう。物理学者の目に見える現象の背後に原子の世界を推定する。この世界は初めはたんにいくつかの現象をまとめて記述する便利な仮説と考えられていただろうが、現在のわれわれにとって原子の存在は太陽の存在と同じように確実なものである。ここでは、こういう認識にわれわれが達した道行きと、それによって得られた成果とを明らかにすることに努める。」
(朝永振一郎編「物理学読本」第二版みすず書房(1969)から)
(『物質の原子論-生徒と創造する科学の授業-』「はじめに」ⅰより)

 古川氏はなぜこの引用からはじめたのだろう!?
 そんなことを考えながら、次に読み進めてみよう。

▼続けて「はじめに」から引用させてもらおう。

 現代の自然科学を成立させている基礎的な概念を与えなければならないという理想と、具体化された内容との落差が大きすぎたようである。それでは一体何が基礎的で基本的な概念なのだろうか。
 現代科学は、「原子論」と「エネルギー論」の2本柱で成立しているといわれている。18~19世紀にかけてこの二つの概念はアリストテレス的自然観と鋭く対立しながら確立されてきた。最初に引用した文章にあるとおりである。自然科学教育の担うべき目標は、この二つの概念を豊かに与えることである。
(『物質の原子論-生徒と創造する科学の授業-』「はじめに」ⅲより)

「概念を豊かに与える」とは!?
 
▼より具体的に述べて、古川氏の基本的立場を明らかにしていた。

 ここでとり上げようとしている「三態変化」は、その概念のうち「原子論」の重要な一翼を担うものである。“すべての物質は三態のいずれかで存在”し“すべての物質は三態変化する”という事実は、その裏に隠れている『すべての物質は原子で構成されており、その原子はたえず分子運動をしている』ことを巨視的に表現しているといえよう。身のまわりによく起きる現象だからとり上げるのでなく、物質の基本的な成り立ちを探るために欠かせない現象だからとり上げるのである。そうなると当然、三態変化も現象面だけとり上げて終わらせるわけにはいかないし、また、概念の一般化を図るためにもできるだけ多種類の物質をとり上げなければならない。これが私の基本的立場である。
(『物質の原子論-生徒と創造する科学の授業-』「はじめに」ⅲより)

 ここから、古川氏の有名な数々の実験が誕生した!!
 「原子論」の具体的な授業実践の典型!!
 ということで、しばし この本から学んでみたいと思う。

(つづく)

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第25回オンライン句会「寅の日」9月例会案内!! #寅の日 #オンライン句会 #夏雲システム

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ひとり吟行の定期コース入口に今年も「キツネノカミソリ」が咲いた!!

 柳田國男は『野草雑記』「草の名と子供」「狐の剃刀」(青空文庫より)の冒頭に次のように書いていた。

 東京の郊外で彼岸花、俳諧で曼珠沙華(まんじゅしゃげ)などといっている草の葉を、奈良県北部ではキツネノカミソリ、摂津(せっつ)の多田地方ではカミソリグサ、それからまた西へ進んで、播州でも私たちは狐の剃刀(かみそり)と呼んでいた。

 そう言われてみると、たしかに播磨の当地では、昔の人は彼岸花のことを「狐の剃刀」とも呼んでいたような気がする。
 もっと一般的には「テクサレ」だったが。

 「ナツズイセン」「キツネノカミソリ」とつづけばいよいよ「ヒガンバナ」「曼珠沙華」だ!!
 今年も、その季節がやってきた!!

▼あこがれだった「句会」!!
それが実現したオンライン句会「寅の日」も、スタートしてはや2年がすぎ、9月からは3年目である!!
 やりはじめてみると、想像していた以上に面白い。
 皮肉なことにコロナ禍で、リアル「句会」初参加の機会が遠のいたぶん、オンライン句会への道が拓けた。
 オンラインだから、会場準備の必要もない。
 参加時間も、各自が自分の都合にあわせて参加すればよい。
 「句会」初参加のハードルうんとさがった。
 しかし、「句会」参加の醍醐味は存分に味わえる!! アリガタイ!!

▼あらためて、3年目スタートの9月例会の案内をあげておく。
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第25回オンライン句会「寅の日」9月例会実施案内

0.はじめに
 本会をオンライン句会「寅の日」と称する。
 オンライン「寅の日」から生まれたオンライン句会です。
 俳句結社「寅の日」が運営しています。
 寺田寅彦に師事します。 

0からはじめる人のためのオンライン句会です。

 本会は「夏雲システム」を利用させてもらっています。

1.原則として月一回の月例句会を実施します。

2. 参加者
 あらかじめ登録された者のみ。
 (「俳号」をきめて、【句会「寅の日」参加希望】のタイトルで楠田までメールを)
 
3.投句のお題
・当季雑詠(その季節の季語を自由に詠む。)

4.句数
・5句だし
・5句選(特1・並4)特選は2点 並選は 1点 扱い
・予選句は自由 

5.【投句期間】
 2022年9月1日0時から15日23時30分まで
 
6.【選句期間】
 2022年9月16日0時から25日23時30分まで  

7.【結果発表】
 2022年9月26日から
同時に「談話室」が書き込み可能になります。

8.賞について
 ・最高得点句は最優秀句であり、その句会の「寅日子」賞とする。
 ・特別賞として、次の賞を設ける。
 「これぞ科学!!」が詠まれた句 → 「牛頓」(ニュートン)賞!!
 「よくぞそこまで観察した!!」という句 → 「藪柑子」賞!!
  特別賞は、毎回でなくてよい。
  もちろん「寅日子」賞と重なることがあってもよい。
  参加者が、選評の際に書き込むようにようにしたい。複数票を獲得したときに受賞としたい。

9.注意事項
 参加する前に「夏雲システム」、「同意事項」をよく読んでおいてください。

***************************************************************  

▼オンライン句会も、あらたな「日常」として定着しつつある。
 しかし、「慣れ」はダメである。
 常に新鮮な気持ちで、俳句修業をつづけたいと思う。

 アリガタイことに「句会」参加メンバーから常にあらたな刺激をもらえる。
 
 さあ、9月は曼珠沙華を詠んでみたいものだ!!

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【お薦め本】『原子論の歴史 上・下』 (板倉聖宣著 仮説社)

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▼「原子論」を科学する というシリーズをはじめて、はや三ヶ月がすぎた。
 その中で、「原子論」の歴史 について、最初に語りはじめたのは2022/06/05であった。
 最初の参考文献は
 
◆『原子論の誕生・追放・復活』(田中実著 新日本文庫 1977.7.25 初版)

であった。今さらながらはじめて知ることも多く、とても勉強になった。

▼その本につづいて参考にした本、それが今回の【お薦め本】である。


◆『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』(板倉聖宣著 仮説社 2004.4.5初版)
◆『原子論の歴史-復活・確立-』(板倉聖宣著 仮説社 2004.4.5初版)

の『原子論の歴史 上下』2冊である。
 これまた実に面白く、学ぶところも多かった。これからも大いに活用させてもらうつもりだ。そこで、これまでの「整理」もかねて、【お薦め本】にあげてみることにした。
いつものようにお薦めポイント3つあげてみる。

(1)「原子論の歴史」の最新・決定本!!

(2)等身大の文体で、わかりやすく「原子論の歴史」を読み解くことができる!!

(3)私にとっての「原子論」を問うのに最適の書!!


▼では少しだけ詳しく

(1)「原子論の歴史」の最新・決定本!!
 著者は「「私の原子論とのつきあいと原子論の教育の歴史」……あとがきにかえて」のなかで、この本について次のように語っていた。

 この本の中心は、「古代ギリシアの原子論は、エピクロスによって科学となった」という事実の発見にあります。これまで原子論の歴史を書いた人は、そのことに気づいていなかったので、古代の原子論を単なる空想にすぎないと貶めてきたのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P151より)

私は、「この本によって、これまでの世界の原子論教育を全面的に変えることができるだろう」とも自負しています。私はこれまで、「読み、書き、計算、分子模型にコンピュータ」ともいって、原子論の教育を最も基礎的な教育の一つとして重視しているのです。それは私の一方的な思いこみによるものではありません。子どもたちに少しでも原子論を教えたときにその子どもたちの示す驚きと喜びの発見が元になっているのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P153より)

 
 とても自信に充ちたコトバです。それはそれなりの「私の原子論とのつきあい」から生まれたものだと思われます。
 「…あとがきにかえて」の文章がとってもいいです!!
 これからはじめて読まれる方、またあらためてこの本を読まれる方への提案です。
 はじめにこの文章を読んでから、各章を読んでみましょう!!
 各章で何を言いたいのかとてもよくわかってきます。


(2)等身大の文体で、わかりやすく「原子論の歴史」を読み解くことができる!!
 著者は今度は「はしがき」で、この本を書きはじめた意図を次のように語っていました。

 さて、じつは私がこの本の原稿を書きはじめたのは、高等学校の『基礎理科』というコースで「科学史を中心とした授業」が始まることを知ったときでした。これまでの理科教育は、多くの「科学嫌い」を生産する結果になりましたが、高校で科学史の授業が始まると、またまた多くの「科学史嫌い」が生産される結果になるのではないかと、とても心配だったからです。
(中略)
 そこで、科学史と科学教育の研究の両方を専門にしている私としては、ごく一部分の授業でもいいから「私ならこうする」というプランが発表できないものか、と思い悩んできました。
(中略)
 そこで思いついたのは、「<原子論の歴史を中心にした科学史>の授業をやったら、高校生たちにも楽しい授業かも知れない」ということでした。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』P2より)

 最初の意図は、みごとに成功しています。
 単に歴史的事実を文章で羅列するのではなく、授業書風に<予想>を立てながら読めるようにしたり、簡単な<実験>を提案したりの工夫が見られる。
 文体もいつものように板倉さんの語り口調の等身大の文体で、あまりなじみないこともわかりやすく読み解ける。
 高校生にもどった気分で楽しく科学史を学べた。
 これが私にはいちばんアリガタイところだった!!


▼最後に

(3)私にとっての「原子論」を問うのに最適の書!!
 著者はこの本を次のようにしめくくりました。

 このような経緯を見れば、本書は「私の原子論との付き合いの総決算のようなもの」とも理解していただけると思うのですが、どうでしょうか。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P175より)

言い換えれば、この本を読めば
 「板倉聖宣氏にとっての「原子論」とは何か!?」
  がわかるということだろう。
私が 「原子論」を科学する シリーズをはじめた究極の意図は
 私にとっての「原子論」とは何かを問うことであった。
 このことに答えるヒントがこの本にはいっぱいある。


【オマケ】付録 最高に役に立つ!!
◆「原子論の歴史」年表
(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P178~P200)
これを手に入れるためだけにこの本を手に入れても損はしない!!


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「原子論」を科学する(46) #原子論の歴史 #歴史年表 #科学史 #ルクレチウス物語 #原子論教育史

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▼ものごとを「時系列」にならべてみる!!
 そうすると、今まではまったく見えなかった
 ツナガリや「物語」が見えてきたりする。

 「時系列」にならべたものが、「歴史年表」デアル!! 

『原子論の歴史-復活・確立-』を参照させてもらいながら、つづけてきた「原子論」の歴史もいよいよ終りである。
 この本にはとてもうれしい付録がついていた。

◆「原子論の歴史」年表
『原子論の歴史-復活・確立-』年表P178~P200)

である。今一度、引用させてもらったものだけでも列挙してみよう。

●前370年頃 デモクリトス(前460~前370頃)、没。「すべてのものは<それ以上こわれないアトム=原子>と<空虚=真空>とからなる」という原子論を提唱。

●前355年 アリストテレス(前384~前322)、アテナイのリュケイオンに学校を開く。デモクリトスの原子論をきびしく批判。

●前310年冬 エピクロス(前342~前271) この頃、重さと隙間=真空に目をつけた研究始まる。

●前286年頃 ストラトン(前340頃~前268)、アレクサンドリア市からアテナイに戻り、逍遙学派の第三代学頭に就任。「空虚について」「軽さと重さについて」「機械学」などを著し<自然学者>と呼ばれる。

●前267年 アルキメデス(前287~前212)、20歳に達する。この前後にシシリー島のシュラクサイからアレクサンドリア市のミューゼオンへ留学か? その著の『浮体について』は、明らかにエピクロスの<重さの保存法則>の発見を受けついで研究されたものだが、その他の『平面板の平衡について』『球と円柱について』『円錐状体と球状体について』『円の計測』『砂粒を数えるもの』なども、エピクロスの原子論で<重さの保存則>の主張に影響を受けて研究されるようになったものと思われる。

●前58年 ルクレティウス(前95~前55)の保護者ガーイウス・メンミウス、小アジアの属州ビティニアに行くとき、詩人キンナおよびカトゥルスを伴う。この頃『宇宙をつくるものアトム』なるか。

●後50年 セネカ(前5/4~後65)、法務官となる。セネカは、52年頃までに『(兄ノバトックスあて)怒りについて』を著す。「われわれにとって、デモクリトスの、あの健康的な教えは役に立つだろう。そこで教えられているのは心の平静ということであって、私的にも公的にも、自分の能力に余るようなことを行なわないことである」と記す。

●79年8/24 ヴェスヴィウス火山大爆発。ポンペイ市とヘルクラネウムの町は埋没した。のち考古学者たちは、ヘルクラネウムの町の別荘の一角から図書室を発掘し1806巻のパピルスを発見。「パピルス荘」と名付けたが、そのパピルスの大部分はエピクロス派の哲学者ピロデモスの著書だつたという。

●165~175年 ルキアノス(120~185頃)の制作活動頂点に達する。とくに「空を飛ぶメニッポス」「二重に訴えられて」「悲劇役者ゼウス」で原子論の主張を支持し、ストア派を批判する。

●180~85頃 ルキアノス、ノンフィクション「偽預言者アレクサンドロス」を、エピクロス派の哲学者ケルソスあての手紙形式で書く。

●389年 ローマ帝国、キリスト教を国教に昇格させる。 

●1417年 ポッジョ(イタリア、1380~1459)、ある修道院でルクレティウスの『事物の本性について』の全文を発見。

●1599年 シェークスピア著『ロミオとジュリエット』刊。<アトム>の語を用いる。『お気に召すまま』『ヘンリー4世・第二部』でも<アトム>の語を用いる。

●1600年 ブルーノ(イタリア、1548~1600)、火あぶりの刑に処せられる。
ギルバート(英国、1544~1603)『磁石について』刊。エピクロスとルクレティウスの原子論的な磁石論に言及。磁気と違って、電気はすべての物体の性質であることを明らかにする。

●1614年 サントリオ(イタリア、1561~1636)『釣り合いの医学』間。<人間が飲み食いしたり排便したりしたときの体重の変化>を解明。

●1624年 パリの議会<原子論またはアリストテレスに反する学説を支持したり教えたりする者は死罪に処する>との法令を定める。

●1632年 ガリレイ(イタリア、1564~1642)『天文学対話』刊。翌年、宗教裁判にかけられて、有罪となり、自宅に監禁される。

●1638年 ガリレイ、別荘に監禁の身で、密かにオランダで『新科学対話』を出版。<慣性の法則>を提出。<空気の重さ>を明らかにする。

●1643年  ガリレオの弟子のトリチェリ(イタリア、1608~1647)とヴィヴィアーニ(1622~1703)、水銀を入れたガラス管を倒立して真空の存在の実証に成功。

●1647年 パスカル(フランス、1623~1662)『真空に関する新実験』刊。

●1649年 ガッサンディ(フランス、1592~1655)『エピクロスの哲学体系』刊。

●1654年 ゲーリケ(ドイツ、1602~1686)、レーゲンスブルクでのドイツ平和会議で真空ポンプによる真空実験を公開披露。

●1660年 ボイル(英国、1627~1691)、フックの協力で真空ポンプを作り、『空気の弾性に関する新実験』を著し、翌年の改訂版で<気体の体積と圧力の法則>を一般化し、『懐疑的な化学者』を出版する。

●1665年 フック(英国、1635~1703)『ミクログラフィア』刊。液体の性質はその分子の振動で説明できるとし、結晶の分子配列説を提唱。

●1687年 ニュートン(英国、1642~1727)、『自然哲学の数学的原理』刊。

●1718年 ニュートン(英国、1642~1727)、『光学』(1704)の第二版刊。

●1725年 トリーヴァルト(スウェーデン、1691~1747)、<二つの鉛の玉を手で持って押しつけ合わせると、結合する事実>を発見。

●1731年 レオミュール(フランス、1683~1757)、<体積50ずつのアルコールと水とを混合させると、混合液体の体積は98にしかならない>事実を発見。

●1754年 ブラック(英国、1728~1799)、普通の空気と異なる気体<固定空気=二酸化炭素ガス>を発見。

●1766年 キャベンディッシュ(英国、1731~1810)、水素ガスを発見。

●1772年 シェーレ(スウェーデン、1742~1786)、酸素ガスを発見。
      D.ラザフォード(英国、1749~1819)、窒素ガスを発見。

●1774年 プリーストリー(英国、1733~1804)、『いろいろな<空気>に関する実験と考察』刊。一酸化二窒素/(シェーレと独立に)酸素の発見を発表。 

●1775年 シェーレ(スウェーデン、1742~1786)、塩素ガスを発見。

●1789年 フランス大革命、はじまる。
ラヴォアジエ(フランス、1743~1794)、『化学の基礎的研究』刊。実験的な元素概念を提出。

●1794年 ラヴォアジエ(フランス、1743~1794)、処刑される。

●1808年 ドールトン(英、1766~1844)、『化学哲学の新体系』刊。化学的原子・分子論を提出。原子模型も作る。

●1811年 アヴォガドロ(イタリア、1776~1856)、<気体分子は種類によらず、温度と圧力が同じなら、同じ体積を占める>との仮説を提唱。

●1827年 植物学者のブラウン(英国、1773~1858)、<花粉に含まれている微粒子が不自然な運動する現象=ブラウン運動>を発見。

●1860年 国際化学会議、カニッツァロ(1826~1910)の働きかけにより<アボガドロの仮説>を採用する。

● 1905年 アインシュタイン(ドイツ、1879~1955)、<ブラウン運動は、水の分子運動によるもの>とする数学理論を提出。

●1908年 ペラン(フランス、1870~1942)、ブラウン運動の実験により、水の分子運動説の理論と一致することを明らかにして、分子の存在の証明に成功。

●1909年 オストワルド(ドイツ、1853~1932)、『一般化学の原理』第4版の序文で<原子の実在>を認める。

●1929年 寺田寅彦(日本、1878~1935)「ルクレチウスと科学」『(岩波講座)世界思潮』)に発表。

●1949年 田中実著『原子論の誕生・追放・復活』三一書房刊。古代の原子論は空想的なものでアリストテレスによって論破されたとする。

●1961年 板倉聖宣「ニュートンの質量の定義とガリレオ・ニュートンの原子論」『科学史研究』。

●1962年 山内・平田・富山監訳『PSSC物理』岩波書店刊。原子分子の教育をはじめて前面に出した高校教科書。
 板倉聖宣「原子論からみた力学入門①②/原子論から見た力学①②③」『科学読売』に連載(~翌年)。

●1963年 板倉聖宣<仮説実験授業>を提唱 
板倉聖宣・江沢洋共著『物理学入門-科学教育の現代化』国土社刊。「原子論からみた力学入門」を再録。

●1964年 板倉聖宣編著『(発明発見物語)デモクリトスから素粒子まで』国土社刊。

●1965年 国土社版「少年少女科学名著全集4」として、ルクレチウス著・国分一太郎訳『宇宙をつくるものアトム』/ブラック著・亀井理訳『宇宙をつくるものアトム』合冊で刊行。 

●1965年  ファインマンほか、『ファインマン物理学』刊(坪井忠二ほか訳、岩波書店、1967年)。その冒頭に「躍るアトム」の章をおき、「最小の語数で最大の情報を与えるもの」は原子論だ、と指摘。 

●1985年 板倉聖宣・吉村七郎「分子模型の作り方」『たのしい授業』。
 板倉聖宣『原子とつきあう本』仮説社刊。


▼この「年表」で特に興味をもっていることがふたつある。
 ひとつは、「原子論」の歴史におけるターニングポイントである。
 その年を再びあげてみよう。

●1417年 ポッジョ(イタリア、1380~1459)、ある修道院でルクレティウスの『事物の本性について』の全文を発見。

●1929年 寺田寅彦(日本、1878~1935)「ルクレチウスと科学」『(岩波講座)世界思潮』)に発表。

 これらをツナイデ浮かび上がってくる「物語」!!
 それは

◆「ルクレチウス物語」だ!!


▼特に興味あるもうひとつとは、戦後の「日本理科教育史」における「原子論」である。
 田中実氏や板倉聖宣氏以外には、「原子論」をとりあげたひとはいなかったのだろうか!?
 著書は残っていないだろうか。
 この年表にもひとつあった!!

●1972年 大竹三郎『ミクロ探検隊-わたしたちの原子論』大日本図書(大日本ジュニアブックス)刊。

 さらには「これまで」のなかから、「原子論」に関係することを追加しながら、また「これから」のことも射程に入れながら

◆新・「原子論」教育史年表!!

を更新しつづけたい。

(つづく)

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ファラデーラボ「砂のかがく」(2) #ファラデーラボ #かがくカフェ

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ファラデーラボ「かがくカフェ」の案内には次のように書かれていた。

【第2部】   16:15~18:00
実験・観察、授業実践、話題提供などを、
参加者のみなさんに紹介していただく時間です。
物品配布・販売も歓迎です。

この【第2部】がファラデーラボの名物になりつつあった。
  休憩時間のあいだにホワイトボードに発表者の一覧が書き込まれた。
  あらかじめ予定していてくださった方もあるが、その場できめられた場合もある。
  実際はこのときまで誰も知らない。なにが飛び出すかわからない。
  このなんとも言えぬ「予定不調和!?」これもまた魅力のひとつだ!!
  
▼次から次へと報告がつづいた。
【尾瀬旅行記 寄木康彦さん】
・プリントでの報告もあった。アリガタイ!!
・たいへん興味深い情報がいっぱい!!
・東京・東武鉄道浅草駅 尾瀬夜行23:45 (゜o゜)ゲッ!!  面白そう!!
・日程をお聞きしているだけでも、こちらまでワクワクしてくる。
・「山小屋」「携帯電話」「公衆トイレ」「飲料」「食事」「歩荷さん」等々行った人ならでは貴重な情報もいっぱい!!
・自分でもぜひ行ってみたくなってきた。
・楽しい旅の「おすそ分け」!! 深謝!!

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【ギンヤンマ捕獲裏技!! 高田昌慶さん】
・魚獲り用の青い網をグルングルン回す!!そしたら、ギンヤンマが…!!
・緑や黄色の網ではダメ!?
・昔から言い伝えのある裏技だそうな!? ほんとうかな!?
・2日間、5時間の「青網グルングルン回し技」の立証実験!!
・動画も含めて顛末のすべてを報告!!
・2頭のギンヤンマget!!get!! 
・とても楽しい高田さんの「夏休み自由研究」報告だった。

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【屋久島の砂・岩石 神原優一さん】
・「砂のかがく」のテーマにあわせて
・免許更新の研修で屋久島に行かれたときに手に入れた砂、岩石をみせてくださった。
・同じ屋久島でも地域によって、「白い砂」と「黒い砂」があると。
・「鳴き砂」体験 セットも紹介!!みごとな音だ!!
・屋久島の花崗岩の「長石」にうんと大きいものがあった!!ほんとうだった。
・いろいろめずらしい岩石も見せてもらった!!
・それしても、研修で屋久島とは いいな!!うらやましいかぎりだ!!

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【バターフライピーの変色実験 中谷幸希さん+森本雄一さん】
・バターフライピーの花の抽出液を使っての実験を体験させてもらった。
・抽出液は冷蔵庫で保存ができる。
・花にお湯を加えると色はしだいに青くなっていった。
・酸性(塩酸水溶液、クエン酸)、アルカリ性(水酸化ナトリウム水溶液、重曹)ものを加えることによって液の色はみごとに変色した。
・中和の過程も、色の変化で追うことができる。
・ムラサキキャベツに代わる教材化をめざして!?
・花を乾燥させて保存もできるそうだ。なか便利そうだ!!

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【3Dプリンターでつくった滑車など 円尾豊さん】
・円尾さんお得意の黒板実験!!(特にマル棒はスグレモノ!!)
・お手製滑車を使って、「力のつりあい」の問題
・さっそく「ああでもない、こうでもないと」 ?(゜_。)?(。_゜)?
・授業でもすぐ使えそうだ!!
・3Dプリンターでつくた滑車プレゼン!!
・くわしくは「マル爺の実験室」へ 面白いモノいっぱいある!!

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【長瀞への旅 山本理恵さん】
・あこがれの「長瀞」へ(「ブラタモリ」で見たのがきっかけで)
・車で「長瀞」まで
・「片岩」の「ふしぎ!?」に惹かれて
・全国に「片岩」を追いかけて…!!
・ライン下り(動画でみせてもらった)、ここでも「片岩」を
・「赤壁」に注目!!
・高位、中位、低位段丘面等々 まあ、次々とオモシロイことが出てくる。
・徹底的に学びを追究される旅の報告を圧倒される思いで聞かせてもらった!!
・スバラシイ!!旅の「おすそ分け」ありがとうございます。

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【「恐竜学博物館」訪問記 佐伯彩恵さん】
・科教協岡山大会会場予定だった 「恐竜学博物館」(岡山理科大学)!!
・最初はあまり面白くない印象だった。
・わかりやすく面白い学芸員さんの話に惹かれた。
・実に面白かった!!恐竜大好き学芸員さんプレゼンに感動!!
・ホンモノの「学問」を楽しんでいる若者たちがおられた。
・15分で帰ろうとしていたところ2時間たっぷり楽しませてもらった。
・この「恐竜学博物館」はホンモノ!! 
・お話を聞いているとぜひ行ってみたくなりました!!

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▼実はここまで、1部、2部ともにオンライン(zoom)でつながっていた。
 そこで、オンラインの方からもひとつだけ報告もあった。

【消えるぷよぷよボールのおもちゃ 西川徹さん】
・夏休みに「子ども食堂」で実施した「おもしろ実験」の紹介
・透明な「ぷよぷよボール」、水が入ると消える!!
・これを利用してオリジナルおもちゃをつくられていた。
・すぐに水を入れたり、抜いたりのアイデアがスバラシイ!!

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▼また、リアル会場にもどり

【10年間の我が家の電力事情 觜本格さん】 
・10年の42円買取り終了
・10年間の収支決算
・今後は蓄電池で貯めて使う
・日本の電力の現状と未来
等々についてプリントで報告。たいへん興味深い内容だった。

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【加圧減圧ポンプ改良型 森本雄一さん】
・改良を加えることによりますますスグレモノ教材に!!

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はからずも第2部も「夏休み特集」のようになり盛り上がった!!
とても愉しいひとときであった!! 

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ファラデーラボ「砂のかがく」(1) #ファラデーラボ #かがくカフェ

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▼楽しみにしていた第135回ファラデーラボ「かがくカフェ」が実施された。

●第135回 ファラデーラボ「かがくカフェ」
日 時 :2022年8月20日(土) 14:00~18:00
場 所 :ファラデーラボ(加古川)
第1部 14:00~16:00
【テーマ】 砂のかがく
【話題提供】土肥 健二さん (広島市立舟入高等学校)

▼遠路広島から駆けつけてくださった土肥さんは、会場に着くなり工作の準備をしてくださっていた。
 アリガタイ!!
 たくさんの空き缶等も準備してあった。

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 話がはじまった。
 いきなり「ふしぎ!?」なものを見せてもらった。
 500mlの空き缶が斜めに立っていた。(゜o゜)ゲッ!! 
 いきなり種明かしをしてもらった。中に砂が入っているという。
 たい積した砂はある角度ももって安定するという。その角度を「安息角」というらしい。
 「安息角」説明の装置を見せてもらった。
 
  空き缶に砂を入れて、これを利用してバランスを保つ。
 おおっ立った!!私にも…!! 
 さらにバージョンアップしてジエンガの上に立てることに挑戦だ!!
 
ここでとても面白いものを見せてもらった。
 重心の作用線が底面のなかにあれば、モーメントがはたらかないで立つというものだ。
これって、「立春の卵」立て説明に使えないかな!?
 
さらに、ジョージアブラックの缶コーヒーの空き缶で挑戦。机の端でやればよりスリリングに。

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▼次にヨーグルトの容器に砂を入れて、フタをして、フタを擦り倒し起ち上がらせるというものだった。
 容器には顔と手をつけて、起ち上がったときに回転する等をわかりやすくした!!
 これを一人ひとつずつ作らせてもらった。
 
椅子に座ったエリーちゃんを立たせるためには「腰を曲げて足の上に」重心を移動させる必要があるということを説明するための装置模型!!
 おもしろい!!口頭、図だけの説明より俄然 オモシロイ!!
 それにしても、このアイデア・発想はどこから スゴイ!!

 重心つながりでジエンガを積み上げるというだけのゲーム!!
 これがまた大いに盛り上がった。

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▼さあ、今度は「音」だ!!
最初に見せてもらったのは  いや 聞かせてもらったのは
「アイウエオ」と聞こえる気がするコップだ!!
「アイウエオ」と聞こえる 笛だった。
「アイウエオ」を決めているのは コップの 「体積」!!
ナラバとつくったのは ピストンのようにして「体積を変化させることのできる笛」
=「アイーウエーオー(愛ー飢えー男ー)」君だ!!

「ピストン」+「笛」+「顔用紙」を分けてもらって
そのミニチュア版をひとりずつ作らせてもらった。
叫び声!?呻き声!? これまたうるさく盛り上がった!!(感染防止対策に気をつけながら)   

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最後に見せて(聴かせて)もらったのは、手回しレコードプレーヤー!!
針は発泡スチロールにつけてある。
レコード盤の溝→針→振動(音)→発泡スチロール(スピーカー)
軽く発泡スチロール(スピーカー)を置くだけ!!
確かに聴こえる!! スゴイ!! 

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(つづく)

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【Web更新8/21】22-34 サイエンスコミュニケーター宣言 等 更新!!

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葛咲くや上り列車は何本目 22/08/19撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】22-34
週末定例更新のお知らせ
 明日、23日が二十四節気「処暑」である!!
 「処暑」=暑さが収まる日 である。
 季節はいつも直線的でなく、螺旋的に推移する。
 ダカラ 必ずしもいっきょに変化するものではないかも知れない。 
 それでも ヤッパリ 二十四節気に「科学」を感ずる!!

◆表紙画像集2022 更新 葛の花
 線路の土手は、葛が覆い被さりマント群落と化した。
 夏の覇者=葛は、その勲章のように花が咲き始めた。
 列車が通り過ぎる度に、勲章が葉のあいだから見えた。
 秋が来た!!

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 「原子論」の歴史は大詰めとなってきた。
 さらに興味あるのは、「原子論」の「これから」デアル。
 さて、どう展開しようかな!?

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 オンライン句会「寅の日」は、9月からいよいよ3年目である。
 どんな展開が待ち受けているのか楽しみである。
 「連句」「連句的」とは!?


 大賀ハス観察池、蓮根の植え替えから21週目である。
 なんとも皮肉なことに、「蓮の実」に達したの水栽培池の方のみだった。
 「ふしぎ!?」だ。

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「原子論」を科学する(45) #原子論の歴史 #私の原子論史 #ルクレチウスと科学 #寺田寅彦 #仮説実験授業

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▼またまた大げさな言い方をしますが

 私にとって「原子論」って何だろう!?

 今さらであるが、この問いに答えるためにこの『「原子論」を科学する』シリーズを続けているのかも知れない。少しは答えは見えてきたのだろうか!?
 目を閉じて、自問してみる!!

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
『原子論の歴史-復活・確立-』を参照しながら

●「私の原子論とのつきあいと原子論の教育の歴史」
 ……あとがきにかえて

の後半である。

 著者は強く言い切っておられた。

-というような事情で、本書はまるで先行研究をもたないことになります。もちろん、個々の史実については、それぞれの先行研究があって、それらを利用させていただきましたが、「原子論の歴史」としてまとまったものには、先行研究がまったくないといっていいと思います。  
 そこで私は、「原子論の知識の普及の歴史も加えて、原子論の歴史を全面的に書きあらためる」という仕事に挑戦したというわけです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P164より)

 確信に満ちた「宣言」です!!
 ほんとうにすごいのはここからです。
 板倉聖宣氏の「原子論」研究史のはじまりです。全部スゴイです!!
 せめて項目だけでもピックアップしてみます。

●科学知識の普及の歴史も加えて科学史を書きあらためる

●私の原子論教育史の研究の始まり

●『PSSC物理』と「仮説実験授業」の提唱

●仮説実験授業の中での原子論の展開

 板倉聖宣氏の「原子論」研究史の全貌が見えてきます。
 各章の必然性及びその根拠が見えてきます。

▼圧倒される思いで読み進めるなかで、私の「文脈」のなかでは、もっとも重要部分をみつけた。というより「これ!!」を探して読んでいた!!
 「これ!!」とは

 また、その翌1965年3月には、私が中心になって編集して国土社から出した「少年少女科学名著全集」全20巻の第4巻として、ルクレチウス著・国分一太郎訳『宇宙をつくるものアトム』/ブラック著・亀井理訳『宇宙をつくるものアトム』が出ました。ルクレチウスの詩は、学生時代に寺田寅彦(1878~1935)の科学随筆集に収められた「ルクレチウスと科学」(1929)を読んで以後、憧れの本でした。それで、早くから子どもたちにも読めるようにしたいと思っていたのが、実ったのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P172  より)

 やっぱりそうでした!!
 板倉聖宣氏も寺田寅彦著「ルクレチウスと科学」を読んでいたのです。
そして、ルクレチウスに憧れたのデス。
 アリガタイことに、私たちはたった今、すぐにでもコレを読むことができるのです。

◆「ルクレチウスと科学」(寺田寅彦 青空文庫より) 


▼著者はこの本を次のようにしめくくりました。

 このような経緯を見れば、本書は「私の原子論との付き合いの総決算のようなもの」とも理解していただけると思うのですが、どうでしょうか。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P175より)

 今、衝動的にあの問いを板倉氏にぶつけてみたい気分になった。

  「板倉先生にとって、原子論って何ですか!?」
 
 きっと…!!

 
●1929年 寺田寅彦(日本、1878~1935)「ルクレチウスと科学」『(岩波講座)世界思潮』)に発表。

●1961年 板倉聖宣「ニュートンの質量の定義とガリレオ・ニュートンの原子論」『科学史研究』。

●1962年 山内・平田・富山監訳『PSSC物理』岩波書店刊。原子分子の教育をはじめて前面に出した高校教科書。
 板倉聖宣「原子論からみた力学入門①②/原子論から見た力学①②③」『科学読売』に連載(~翌年)。

●1963年 板倉聖宣<仮説実験授業>を提唱 
板倉聖宣・江沢洋共著『物理学入門-科学教育の現代化』国土社刊。「原子論からみた力学入門」を再録。

●1964年 板倉聖宣編著『(発明発見物語)デモクリトスから素粒子まで』国土社刊。

●1965年 国土社版「少年少女科学名著全集4」として、ルクレチウス著・国分一太郎訳『宇宙をつくるものアトム』/ブラック著・亀井理訳『宇宙をつくるものアトム』合冊で刊行。 

●1985年 板倉聖宣・吉村七郎「分子模型の作り方」『たのしい授業』。
 板倉聖宣『原子とつきあう本』仮説社刊。

(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P196、P198、P199、P200より)

(つづく)

 

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2022年9月のオンライン「寅の日」は #寅彦と連句 #traday #寺田寅彦

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ずっと見たいと思っていたナガコガネグモの「卵のう」をみつけた!

 みつけたのは毎日つづけている「ひとり吟行」の途中であった。
 ため池の柵に遠くから見ても分かるなにやら黒っぽい「かたまり」がぶらさがっていた!!
 近づいて見れば、このひょうたん形の…。マチガイナイ!!
 ナガコガネグモの「卵のう」である!!
 最初にみつけたのはお盆過ぎの16日、昨日(19日)再度その場をおとずれると、
「卵のう」の近くに5匹ものコガネグモがネットを張っていた。ますますマチガイナイ!!
 こんな「発見」があるから、やっぱり「ひとり吟行」はやめられない。
 ここ数日、いっきょに風は秋めいてきた!!

▼2022年9月のオンライン「寅の日」の計画をたてる時期が来ていた。
 オンライン句会「寅の日」は、いよいよ9月から3年目に入る。
 うれしいかぎりである。それを記念して、9月のテーマは次のようにしたい。

 【9月テーマ】「寅彦と連句」

である。9月は2回ある。

■2022年9月オンライン「寅の日」!!
◆第326回オンライン「寅の日」 …9/10(土)
◆第327回オンライン「寅の日」 …9/22(木)

▼私が、はじめて「寅彦と連句」を意識したのは2014年11月に二度目の「土佐の寅彦」詣をしたときだろう。
 
●再び、寺田寅彦を訪ねて(1) #traday 
●再び、寺田寅彦を訪ねて(2) #traday

 意識しはじめたと言っても、俳句も超初心者のまったくのシロウト、ましてや「連句」などつくったこともない。
 まったく未知の領域だ!!
 寅日子先生が「連句」にこだわったのはなぜだろう!!
 「連句的」って何!?
 読むのは二回とも「連句雑俎」を読みたい。

■2022年9月オンライン「寅の日」!!

◆第326回オンライン「寅の日」 …9/10(土)「連句雑俎」(1)(青空文庫より)

◆第327回オンライン「寅の日」 …9/22(木)「連句雑俎」(2)(青空文庫より)

▼オンライン句会「寅の日」では、毎月選句期間の終了と同時に「談話室」が開かれる。
 句会には、「連句」にくわしい方がおられる。
 その方に指南を受けながら、少しずつ「連句」のことも知っていきたい!!
 そのことから、またあらたな展開があるかも知れない。

 いずれにして未知なる世界にふれることは楽しい!!
 そして愉しい!!
 
 さあ、今日の「ひとり吟行」では何に出会うかな。

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「原子論」を科学する(44) #原子論の歴史 #田中実 #原子論の勝利 #アトムの普及 #原子論教育史

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▼私が、この『「原子論」を科学する』シリーズをはじめたのは2022/05/22 でした。

●「原子論」を科学する(1) #原子論 #原子論的物質観 #原子論の授業(2022/05/22)

 それからまもなく3ヶ月にもなろうとしています。
 ずいぶん遠くまできてしまったものです!!
 
▼「原子論」の歴史をつづけよう。
『原子論の歴史-復活・確立-』を参照しながら
 とは言っても

●「私の原子論とのつきあいと原子論の教育の歴史」
 ……あとがきにかえて

●「原子論の歴史 年表」

を残すのみとなりました。
 しかし、残りのこの二つは、どちらもこの本を特長づける魅力いっぱいのものです。
 ゆっくり ゆっくり 急ぎます!!
 まずは、「あとがきにかえて」です。

 この本の中心は、「古代ギリシアの原子論は、エピクロスによって科学となった」という事実の発見にあります。これまで原子論の歴史を書いた人は、そのことに気づいていなかったので、古代の原子論を単なる空想にすぎないと貶めてきたのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P151より)

私は、「この本によって、これまでの世界の原子論教育を全面的に変えることができるだろう」とも自負しています。私はこれまで、「読み、書き、計算、分子模型にコンピュータ」ともいって、原子論の教育を最も基礎的な教育の一つとして重視しているのです。それは私の一方的な思いこみによるものではありません。子どもたちに少しでも原子論を教えたときにその子どもたちの示す驚きと喜びの発見が元になっているのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P153より)
 
こんな刺激的な文章からはじまります。

▼そして、あの本との違いが強調してありました。
 あの本とは

◆『原子論の誕生・追放・復活』(田中 実著 新日本文庫 1977.7.25 初版 )

です。私が、今のこの本をテキストするまえにテキストとしていた本です。
 ただし、この本より28年前の旧版です。
 著者・板倉聖宣氏は旧版を学生時代に読まれたようです。

 私が学生時代に読んだ本に、田中実著『原子論の誕生・追放・復活-原子と化学』(三一書房 1949.11)という、「書名だけは本書とそっくり」といえる本がありました。私はその書名が好きで、この本にも同じような表題をつけたい思ったものです。そこでこの本を書きはじめたとき、とくに「追放」の部分にはどんなことが書いてあったのか気になったので、その本の内容を思い出そうとしたのですが、当時かなりていねいに読んだはずなのに、どうしても思い出すことができませんでした。仕方がなく、大切に保存してあったその本を書庫から取り出して読み直してみました。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P154より)

このあとに
●『原子論の誕生・追放・復活』と本書との違い
と題して、詳細な説明がつづきます。
 私もその詳細な説明を前著と見くらべながら追いかけて見ました。
 確かにナルホドと納得できるところもありました。
 これらをまとめると、これは前にも書きましたが、
この本のタイトルを 『原子論の誕生・追放・復活』とせず
 「誕生」と「追放」のあいだに「勝利」をいれたことにつきると思います。
 『原子論の歴史 -誕生・勝利・追放-』!!

▼そのあたりを、さらに板倉氏自身のコトバで言うと次のようになります。

 つまり、「古代ギリシアの原子論は単なる空想的なものではなくて、科学的な実験に基づくものだ」という私の着想は、科学史の研究からというより科学教育の研究から導かれたといってもよいのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P160より)

 そこで私は、エピクロスからドールトンまでの<とくに重要な新発見の行なわれなかった時代の原子論>にも目をつけて、その普及の状況を丹念に調べてきたのです。その結果、シェークスピアのような劇作家までが「アトム」という言葉を使っていたことに着目し得たのです。
 以上は「新資料の発見がなくても、科学史を大きく書きかえることができるのはなぜか」という疑問に対する答えです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P160より)

  このあと、原子論教育史へとつづくのです。


●1949年 田中実著『原子論の誕生・追放・復活』三一書房刊。古代の原子論は空想的なものでアリストテレスによって論破されたとする。

(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P197より)

(つづく)

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「原子論」を科学する(43) #原子論の歴史 #ブラウン運動 #オストヴァルト #原子論教育 #ファインマン

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コガネグモ10号デアル!!
 おそらくこれが今年最後のコガネグモとなるだろう。
 そう思うとより近づいて観察しておきたいと思った。
 ソシテ、エラク 唐突であるが

 「このコガネグモの脚も、胸、出糸突起、触肢等々も、そして隠れ帯もネットの糸も みんな みんな 原子でできている!!」

 このアタリマエ!!
 アタリマエすぎるほどアタリマエのこと!!
 だが「生きもの」のこととなると、ちょっとだけ躊躇するのはなぜ!?

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
『原子論の歴史-復活・確立-』を参照しながら

いよいよテキストも最終章(13章)である。
世紀の大「ふしぎ!?」があった。ブラウン運動の発見である。

 1826年秋もおそくなってからのことです。英国の著名な植物学者のブラウン(1773~1858)は、花粉を顕微鏡で観察しているときに不思議な現象を発見しました。顕微鏡といっても、うんと小さなレンズ一枚のものですが、倍率は300倍以上ありました。彼は花粉が膨潤して(水を含みふくれて)壊れたときに中から出てくる微粒子が、自然にあちらこちらに不自然に動きまわる現象を発見したのです。
 なぜ微粒子がそんな運動をするのか。不思議に思ったブラウンは、その後その正体を突き止めようと思って、つぎつぎといろんな微粒子を観察しました。花粉は生き物です。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P132より)

 世紀の大「ふしぎ!?」の謎解きがはじまります。
ブラウンもはじめ「生き物」にこだわりがあったようです。
 やがて、謎解きは解決します。
 その後、ブラウン運動は、数学的にも実験的にもずっと詳しく研究されました。そして、「数学的理論の結論と、実験結果がぴつたりとあう」ということが明らかになって、落着することになったのです。ブラウンが「もしかすると<生命のもと>のあらわれではないか」と密かに期待した<ブラウン運動>も、その正体が分かってみれば、微粒子が水の分子の乱雑な運動に突き動かされた結果だった、というわけだったのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P144より)
 
 最終章だけに、この章には他の興味深い話が次々とでてきます。
・熱はどこにたくわえられるか
・原子の個数に目をつける
・原子のほかに<生命のもと>や<霊気>もあるか
・生物の基本単位=細胞の発見
・進化論とキリスト教の対立
・分子運動の速度をさぐる
・ファン・デル・ワールス半径の発見
等々です。
 詳しくはまた別の機会に \(・_\)ソノハナシハ (/_・)/コッチニオイトイテ

▼話を少し急ぐ!!

 しかし、科学者の中には、とても疑り深い人もいるものです。とくに「最後の最後まで、原子の実在を認めようとしなかった」というので有名な科学者に、ドイツのオストヴァルト(1853~1932)がいます。
 オストヴァルトは、物理化学の分野の開拓者で、1909年にノーベル化学賞も受賞したすぐれた化学者です。『化学の学校』などすぐれた入門化学書も書いて、教育に熱心だったことでも有名です。ところが、この人は、「原子など実在しないものを、さも実存するかの如く教えるのは間違っている」と言い続けていました。
 ところが、1908年に、フランスのぺラン(1870~1942)が、ブラウン運動の精密な実験をして、水の分子運動の理論と一致することを明らかにして、水の分子の実在の証明に成功すると、はじめてその原子分子の実在を認めたのです。 
 彼は、1909年発行の『一般化学の原理(第四版)』の中で、はじめて<原子分子の実在>を認めることを表明しましたが、翌年改訂した『化学の学校(1910年改訂版)』では、
 「だれもまだ原子を見たものはいないし、また各々の目方を秤ったものもいない。しかし、多くの観察を行なった結果、<原子の実存>ということは、極めて確からしくなってきたので、学問的には原子の仮定について不安を感ずる必要はない」
と書いたのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P147より)

 ヤッター!!
 「原子論」の完全勝利ですね。 \(^O^)/
 たった100年ばかり前の話です。

▼さあ、この本の大詰めです。
 引用させてもらうのが長くなってしまっているのですが、つづけます。

 しかし、日本の中等教育や大学教育で、原子論の教育が本格的に開始されるようになったのは、日本が第二次世界大戦に負けて以降のことでした。いやその後もずっと、日本の多くの化学教育者は、「原子など目に見えないものを早くから教えるのは間違っている」といって、原子論教育を早くからはじめるのに反対を唱える始末でした。  その人びとは、何となく、「原子論を理解させるには、とても多くのことを教えなければならない」と、思っているのです。しかし、本書を見れば分かるように、特別な偏見さえもたなければ、原子論そのものは小さな子どもでもよく分かるのです。  しかも、原子論というのは、これまで見てきたことでも分かると思いますが、「あらゆる科学知識のうちでも、もっとも生産性の高い考え方」と言っていいのです。 (『原子論の歴史-復活・確立-』P148より)
 著者の主張が、集約して出ていますね。  まったく同感です!!

 「はじめに原子ありき」の授業は今どこまで!?
 
 最後に、これまたいろんなところで引用される文章が出ていました。
 私も引用させてもらいます!!

 そのことに関して、20世紀の米国のもっとも創造的な物理学者として名高いファインマン(1918~1988)は、その著書『ファインマン物理学・Ⅰ力学』(坪井忠二訳、岩波書店 1967)の4ページにこう書いています。
 「もしもいま何か大異変が起こって、科学的知識が全部なくなってしまい、たった一つの文章だけしか次の時代の生物に伝えられないということになったとしたら、最小の語数で最大の情報を与えるのはどんなことだろうか。  私の考えでは、それは原子仮説(原子事実、その他、好きな名前でよんでよい)だろうと思う。すなわち 、すべてのものはアトム-永久に動きまわっている小さな粒で、近い距離では互いに引き合うが、あまり近付くと互いに反駁する-からできている。というのである。これに少し洞察と思考を加えるならば、この文の中に、我々の自然界に関して実に厖大な情報量が含まれていることがわかる」
というのです。  私はこれに全面的に賛成です。「さすがにファインマン」と思うのですが、あなたはどう思いますか。[完] (『原子論の歴史-復活・確立-』P149より)  
いいですね!! 私も時々使わせてもらおう。ファインマンのコトバ!!

 「あらゆるモノは原子でできている!!」と。


●1827年 植物学者のブラウン(英国、1773~1858)、<花粉に含まれている微粒子が不自然な運動する現象=ブラウン運動>を発見。

● 1905年 アインシュタイン(ドイツ、1879~1955)、<ブラウン運動は、水の分子運動によるもの>とする数学理論を提出。

●1908年 ペラン(フランス、1870~1942)、ブラウン運動の実験により、水の分子運動説の理論と一致することを明らかにして、分子の存在の証明に成功。

●1909年 オストワルド(ドイツ、1853~1932)、『一般化学の原理』第4版の序文で<原子の実在>を認める。

●1965年  ファインマンほか、『ファインマン物理学』刊(坪井忠二ほか訳、岩波書店、1967年)。その冒頭に「躍るアトム」の章をおき、「最小の語数で最大の情報を与えるもの」は原子論だ、と指摘。 

(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P194、P196、P199より)


(つづく)

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本日(2022/08/17)、第324回オンライン「寅の日」!! #天文と俳句 #traday #寺田寅彦

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▼子規庵の糸瓜の実がやっと大きくなりはじめた!!
 寅日子先生も、俳句修業はじめた頃(明治31)、糸瓜を詠んでいた。
 「夏目漱石へ送りたる句稿 その二」より

 面白し背戸の糸瓜の長短  [漱石評 中七字改めたし]
 日一日ぶらりぶらりとへちま哉 [漱石評 ○少し陳腐の感あり]

▼本日(2022/08/17)は、第324回オンライン「寅の日」である。
 オンライン句会「寅の日」の方は、2年目が終わろうとしていた。
 それを記念して、8月テーマは次のようにしていた。

【8月テーマ】「寅彦と俳句」

 その第二弾として本日は、「天文と俳句」を読む。

◆本日(2022/08/17)、第324回オンライン「寅の日」!!

●「天文と俳句」(青空文庫より)

▼私はこの「天文と俳句」を、前回の「俳句の精神」とあわせて俳句修業必須テキストと思っていた。
 それは俳句の生命=「季語」について書かれているからだ。
 寅日子先生は「季語」について次のように教えてくれていた。

 季節の感じは俳句の生命であり第一要素である。此れを除去したものは最早俳句ではなくて、それは川柳であるか一種のエピグラムに過ぎない。俳句の内容としての具體的な世界像の構成に要する「時」の要素を決定するものが、此の季題に含まれた時期の指定である。時に無關係な「不易」な眞の宣明のみでは決して俳諧になり得ないのである。「流行」する時の流の中の一つの點を確實に把握して指示しなければ具象的な映像は現はれ得ないのである。
  さらにコトバはつづく。
無常な時の流れに浮ぶ現實の世界の中から切り取つた生きた一つの斷面像を、その生きた姿に於て活々と描寫しようといふ本來の目的から、自然に又必然に起つて來る要求の一つが此の「時の決定」であることは、恐らく容易に了解されるであらうと思はれる。花鳥風月を俳句で詠ずるのは植物動物氣象天文の科學的事實を述べるのではなくて、具體的な人間の生きた生活の一斷面の表象として此等のものが現はれるときに始めて詩になり俳句になるであらう。

▼そして、もっとも気になるキーワード「不易流行」へと話は及ぶ。

要するに俳句は抽象された不易の眞の言明だけではなくて具體的な流行の姿の一映像でなければならない。其れが爲めには一見偶然的な他物との配合を要する、しかも其配合物は偶然なやうであつても、其配合によつて其處に或必然な決定的の眞の相貌を描出しなければならないのである。
 「配合」!!  さらにステップアップして
此れは俳句が所謂モンタージュの藝術であることを明示する。
 「モンタージュ」!!  このあたりは来月への課題としたい。

 なかなか俳句修業の道は遠い。だから面白いとも!! 。
 理科教育について、チクリと「学ぶべき」示唆的なことも…!!

 氣象學教科書に引用し得るものであらう。古人の句には往々かういふ科學的の眞實を含んだ句があつて、理科教育を受けた今の人のに、そのわりに少ないやうに思はれるのも不思議である。昔の人は文部省流の理科を教はらないで、自分の眼で自然を見たのである。

最後に「まとめ」だ!!
 要するに此處で所謂「天文」の季題は俳句の第一要素たる「時」を決定すると同時に「天と地の間」の空間を暗示することによつて、或は廣大な景色の描寫となり、或は他の景物の背景となる。

 手持ちの歳時記の「天文」を開いてみる。
 私は、これまでほとんど「天文」にあがっている「季語」を使って来なかった。
 寅日子先生のコトバを思い出しながら来月の「オンライン句会」では挑戦してみたい。

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「原子論」を科学する(42) #原子論の歴史 #ラヴォアジエ #ドールトン #アボガドロ #カニッツァロ

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水=H2O !!

 今では誰もが知るアタリマエのこと!!
 しかし、ここにいたるまでに多くの「物語」があった。
 その「物語」は、私たちに多くのことを教えてくれる!!
 ときには「これから」も!!

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
『原子論の歴史-復活・確立-』を参照しながら

「原子論」の歴史の背景に社会の歴史が深く関係している。それは、これまででよくわかってきた!!
 しかし、ここではあえて、「原子論」にこだわり、そこにスポットあてることによって、その「時代」をも読み解くという方法ですすめてみたい。
 化学的原子論の時代がやってきた。まずはラヴォアジエ(フランス、1743~1794)だ。

 ラヴォアジエは、その燃焼の理論を中心にして「物質不滅の法則」を唱えました。「化学変化の前後では重さが変化しない」という法則です。それは原子論では当たり前のことでしたが、彼は注意深く「原子」という言葉を使いませんでした。その代わり彼は、これまでの化学者たちと違って、「化学変化の前後での物質の重さに目をつけて系統的に実験する」という習慣を確立しました。そして、「その化学変化に登場する各元素の重さも、反応前後で変化するはずがない」と考えたのです。
 そして彼は、<いろいろな化学変化の中で、変化することのない物質>に目をつけて、何が<根源的な元素>といえるか、一つずつ調べました。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P98より)

33種類の「元素」の名前をあげています。
  つづけてラヴォアジエの「元素」を次のように説明していました。

ところが、ラヴォアジエがその本の中で提出した<元素>は、化学変化がおきても変化することのないものでした。すなわち、彼の元素の考え方には、<原子は変化することがない>という考えが含まれていたのです。そこで、ラヴォアジエの化学理論の登場で、はじめて、誰でもが納得できる化学理論ができたのでした。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P100より)

 この後、「近代化学の父」=ラヴォアジエは、フランス革命のなか、1794年<元徴税請負人>の一人として処刑されてしまいます。

▼少し急ぎます。

 さて、いよいよ本格的な原子の登場です。
 すでに見たように、ラヴォアジエの<物質不滅の原理>にもとづく研究によって、化学は体系的・理論的になりました。「物質不滅の原理」はもともと、原子論独特の考え方にもとづくものだったのですが、ラヴォアジエは自分の理論に原子論を取り入れることはしませんでした。しかし、フラン革命の後のナポレオンの時代が1815年に終わる前に、英国のドールトンによって、化学にも原子論が導入されるようになりました。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P113より)

 つづけて、こうです。
 そこで彼は、ラヴォアジエの化学の成果を原子論と結びつける研究をはじめました。
 そこでまず、<各元素の原子の相対的な重さ>を決めることにしました。たとえば、ラヴォアジエの研究の結果、「酸素と水素は8:1の重さの比で化合して水になる」ということが分かっていました。そこで彼は、「酸素原子1個の重さは、水素原子1個の重さの8倍に違いない」などと考えていったわけです。
 その結果、彼は<各元素の原子の相対的な重さの表>をまとめることに成功して、1808年に『化学哲学の新体系』という本を著しました。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P114より)

 この<各元素の原子の相対的な重さの表>を見ていると、ドールトンの「原子」へのこだわりが見えてきます。私は今、勝手に思っています。
 この世界でいちばん最初に「原子」を見たのはドールトンだと!!

▼そこで「H2O物語」は終わりにならなかったのです。

 ドールトンは「水の原子[分子]は、酸素原子と水素原子が1個ずつ結合している」と考えていたのですが、今では「水分子は、酸素原子1個と水素原子2個でできている」と考えられています。どうして、そんなことが分かったのでしょうか。
 それはイタリアの科学者アボガドロ(1776~1856)が1811年に言いだしたことです。彼はその年、
 「同数の気体分子は、その種類によらず、温度と圧力が同じなら同じ体積を占める」
という仮説を提唱したのです。
 じつは、2種類の気体同士を化合させたり、1種類の分子を2種類の気体に分解するとき、「その気体の体積を調べると、不思議なことに、いつも同じ体積か、簡単な整数の比になっている」ということが知られていたのです。そこでアボガドロは、上記の仮説に気づいたというわけです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P118より)

さらに、こう結論づけたのです。

 そこでアボガドロは、その仮説にもとづいて、
 「酸素や水素は、1個の原子だけで飛び回っているのではなくて、同じ原子が2個結合して分子になっており、水の分子は酸素原子1個に水素原子2個が結合しているのだ」
と結論したのでした。
 これは今ではそのまま受け入れられている説ですが、当時の化学者たちは、この仮説を受け入れようとしませんでした。化学者たちは、「同じ原子が2個ずつ結合して、酸素分子や水素分子になっている」とは認めたくなかったのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P120より)

 今ではアタリマエが、当時の世界ではなかなか受け入れられなかったのです。

 アボガドロは自分の仮説が世界の化学界に採用されるのを見ることなく死んでしまいました。そこで同じイタリアの化学者カニッツァロ(1826~1910)が、その仮説の重要性を化学界に認めさせるように奮闘することになりました。
 1848年にイタリア全域で革命運動が起こって、若い化学者カニッツァロもそこに参加しました。しかしその革命に失敗したかれは、そのころまだ小国に分かれていたイタリア内のもっとも有力な国サルジニア王国に亡命しました。そして、1958年にアボガドロの仮説を知り、1860年の国際化学会議に参加してその重要性訴えて、世界に認めさせたのです。そこで、それ以後、水の分子式はH2O、酸素分子や水素分子はO2、H2などと表されるようになったのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P121より)

 「アボガドロの仮説」からなんと半世紀!!やっとデス!!
 これが「H2O物語」のほんの一部です!!
 それを知って、水の分子模型を見ていると、こんな気分に

「原子論」バンザイ\(^O^)/ 


●1789年 フランス大革命、はじまる。
ラヴォアジエ(フランス、1743~1794)、『化学の基礎的研究』刊。実験的な元素概念を提出。

●1794年 ラヴォアジエ(フランス、1743~1794)、処刑される。

●1808年 ドールトン(英、1766~1844)、『化学哲学の新体系』刊。化学的原子・分子論を提出。原子模型も作る。

●1811年 アヴォガドロ(イタリア、1776~1856)、<気体分子は種類によらず、温度と圧力が同じなら、同じ体積を占める>との仮説を提唱。

●1860年 国際化学会議、カニッツァロ(1826~1910)の働きかけにより<アボガドロの仮説>を採用する。

(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P193、P194、P195より)


(つづく)

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【Web更新8/14】22-33 サイエンスコミュニケーター宣言 等 更新!!

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粛々と残りし日過ぐ芙蓉哉 22/08/13撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】22-33
週末定例更新のお知らせ
 8月半ば!!
 「夏休み」もあと半月を残すのみ!!
 ひよっとしたら、一年中でいちばんメランコリーになる季節かも知れない。
 年中「夏休み」のような生活をしていても。
 これは一種の季節病なのかも!?

◆表紙画像集2022 更新!! 芙蓉 酔芙蓉
 「酔芙蓉」とはうまく言ったものだ!!
 花の色は朝方には白いが、昼過ぎるとやがて赤くなりしぼんでいく。
 日替わりに次々と花が咲いてはしぼんでいく。
 「夏休み」残りはあと何日!?

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 「原子論」の歴史 三昧の一週間だった。
 「テキスト」を代えて、切り口を変えてみると、またちがった「歴史」が見えてきた!!
 じつに 面白いものである。
 
 大賀ハス観察池は、蓮根の植え替えから20週目である。
 もう「あこがれの4日間」はやってこないのだろうか!?
 そう思うと、少し淋しい!! 

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「原子論」を科学する(41) #原子論の歴史 #ニュートン #鉛の圧着 #分子の隙間 #気体の発見

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▼やっばり「ふしぎ!?」だ!!
 目にも見えない「気体」をあらたに発見したり、研究したりするなんて!!
 それも、これも
 「原子論」あってこそのこと!!
 それでも、やっぱり言いたい あのコトバ

 「ねえ君、不思議だと思いませんか?」

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
『原子論の歴史-復活・確立-』を参照しながら


 つづけよう。

 だから、1600年代=17世紀の半ば以降になると、思想的な話はうんと減るようになります。その代わり、原子論を基礎づける原子や分子の個々の性質が一つひとつ明らかになってきました。そこで、原子論を中心とした科学の研究は急速に進むようになったのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P68より)

 個別には
・音は粒子か、波動か
・光は粒子か、波動か-ホイヘンスの登場
 とつづいていきます。そしてきわめつけがやはりニュートン力学の登場でしょう。
ニュートン力学と原子論の関係は?

 「天体の法則と地上の物体の法則とは同じはずだ」というのはもともと、原子論者の主張でした。それがニュートンによって、ついに完全になし遂げられたのです。それまで「人間の手には届かない」とされてきた天体の運動の法則まで分かってしまったのです。これは、原子論の大きな勝利でした。これまでのように、「天体の法則は神様の支配するところで、地上の物体の法則とは別だ」などといって原子論者を攻撃することは、もうできなくなったのです。 
(『原子論の歴史-復活・確立-』P78より)

▼原子論でナルホドと納得できる事例が、次々とみつかります。

 なにしろ、原子は目には見えません。そこで、原子の研究はずっと、文字通りの<暗中模索>でした。しかし、原子のことを頭に抱いていると、原子はとんでもないところに姿を現わすことがありました。「ニュートン以降、最初に原子の姿をとらえた実験」というと、1725年にスウェーデン王国の技官だったトリーヴァルト(1691~1747)の<鉛玉の圧着実験>があります。
 (『原子論の歴史-復活・確立-』P80より)

 また、もうひとつ今ではよく知られた実験がありました。
  <鉛玉の圧着実験>が公表されたのは1725年のことでしたが、その6年後の1731年には、 
 「体積50ずつの水とアルコールとを混ぜ合わせると、その混合液体の体積は98にしかならない」
という不思議な実験事実が、フランスの有名な科学者レオミュール(1683~1757)によって発表されました。
 もちろん、水やアルコールがこぼれたり、蒸発してしまったというわけではありません。その証拠に混合液体の重さをはかったら、最初の水とアルコールの重さを足したのとちょうど同じだけありました。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P83より)

 これらから

①二つの同種類の金属を押しつけあうと、両方の金属の原子同士がしっかりと結合してしまうことがある。
②二種類の液体同士を混ぜ合わせると、小さいほうの分子が大きい分子のすきまに入り込むので、体積が減ったように見えることがある。
 1725年と1731年の以上二つの発見で、固体の原子同士、液体の分子同士の結合や混じり方が、目に見えるように明らかになりました。気体の原子分子の場合は、どうでしょう。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P85より)

ということで、気体の体積と圧力の関係等の研究が進みます。

▼さらには「気体」の研究が進み、次々と新たな「気体」の発見にツナガリます。
 最初の発見者は、英国の化学者ブラック(1728~1799)でした。<石灰岩に塩酸をかけたときにあぶくとなって出てくる気体>=固定空気(二酸化炭素)の発見です。

<固定空気>が発見されると、「ほかにも種類の違う気体があるのではないか」と考えて、それを研究する人が出てくるのは自然なことでした。じっさい、1766年には英国のキャベンディッシュ(1731~1810)が、<燃える気体=水素ガス>の発見を公表しました。すると、その6年後の1772年には、二種類の気体が発見されました。スウェーデンの化学者シェーレ(1742~1786)が、<ふつうの空気よりもずっとよく物を燃やす働きのある気体=酸素ガス>を発見し、英国のD.ラザフォード(1749~1819)が、<窒素ガス>を発見しました。そのまた2年後の1744年には、英国のプリーストリー(1733~1804)が『いろいろな<空気>に関する実験と考察』という本を著し、シェーレとは独立に<酸素>の発見を公表しました。そして、その翌1755年には、シェーレが<塩素ガス>の発見を発表しました。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P92より)

 驚きです!!
 見えないハズの「気体」が次から次へと!!

 やっぱり「ふしぎ!?」です。


●1687年 ニュートン(英国、1642~1727)、『自然哲学の数学的原理』刊。

●1718年 ニュートン(英国、1642~1727)、『光学』(1704)の第二版刊。

●1725年 トリーヴァルト(スウェーデン、1691~1747)、<二つの鉛の玉を手で持って押しつけ合わせると、結合する事実>を発見。

●1731年 レオミュール(フランス、1683~1757)、<体積50ずつのアルコールと水とを混合させると、混合液体の体積は98にしかならない>事実を発見。

●1754年 ブラック(英国、1728~1799)、普通の空気と異なる気体<固定空気=二酸化炭素ガス>を発見。

●1766年 キャベンディッシュ(英国、1731~1810)、水素ガスを発見。

●1772年 シェーレ(スウェーデン、1742~1786)、酸素ガスを発見。
      D.ラザフォード(英国、1749~1819)、窒素ガスを発見。

●1774年 プリーストリー(英国、1733~1804)、『いろいろな<空気>に関する実験と考察』刊。一酸化二窒素/(シェーレと独立に)酸素の発見を発表。 

●1775年 シェーレ(スウェーデン、1742~1786)、塩素ガスを発見。

(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P192、P193より)


(つづく)

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「原子論」を科学する(40) #原子論の歴史 #ガリレオ #真空 #サントリオ #王認学会 #フック #ミクログラフィア #結晶

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ミョウバンの「結晶」デアル!!
 美しい!!

 カリミョウバン=硫酸カリウムアルミニウム の「結晶」。
 ずいぶん昔に手に入れたものだが、今もまったく姿かたちを変えない美しさだ!!
 みごとな原子配列のなせる技である!!
 それこそ<神>わざならぬ、<かがく>わざである!!

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
『原子論の歴史-復活・確立-』を参照しながら

 まずはあの有名なガリレオ・ガリレイ(1564~1642)の話からはじまっていた。

 じつは、ガリレオは若いころからあきらかに原子論者でした。彼は、そのころ先進的な人びとから批判されていた<アリストテレスの力学>ではなく、<アルキメデスの力学>を出発点にすえて研究生活を始めたのです。1565年には、アルキメデスの『浮体論』もイタリアで出版されていました。そこで彼は、それを基礎にして<運動の力学>を構築することを考えました。ところが、そのアルキメデスの『浮体論』は原子論的な考え方に基づいていたので、彼もまた原子論的になるのは自然なことだったのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P38より)

 つづけて
 ガリレオは真空の実在を信じて、そのことを何とか実証したかったのに、ついにそれに成功しませんでした。しかし、彼の遺志は、彼の没後1年の1643年に、その弟子のトリチェリ(1608~1647)とヴィヴィアーニ(1622~1703)によって実現されました。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P41より)

 彼がそういうことを自然に考えることができたのは、彼が原子論を支持していたからです。原子論では、天体も地上の物体も同じ原子でできているわけですから、天体と地上の物体とが同じ法則によって動くことは自明のことだったのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P44より)

▼モノゴトを「原子論」的に考える、発想するのはアタリマエになりつつあったようです。

 たとえば、人間は飲食物を摂取すれば、いつもその重さだけ体重が増加します。しかし、うんこやおしっこや汗や呼気の中の水蒸気などを出せば、その重さだけ体重が減ります。それなら、まったく飲食物を取らなかったり、排泄をしなかったら、その体重はまったく変化しないでしょうか。
 その問題を実験で解明したのは、ガリレオの研究友だちのサントリオ(1561~1636)でした。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P45より)

 「原子論的」に考えるって面白いですよね!!
 でもかたくなにそれを拒否しつづけた人もいたようです。
しかし、それも認めざるを得ない厳しい状況もあったようです。
 じつは、パリの議会は1624年に、
「原子論またはアリストテレスに反する何らかの学説を支持したり教えたりする者は、死罪に処する」 
という恐ろしい法律を決めたことがあったのです。
 そのためでしょう。『哲学の原理』(1644)の出版された前の年にはトリチェリなどによって「真空」の存在が実験的に明らかにされたというのに、デカルトは真空の存在を認めませんでした。そして、<宇宙には仮想の微粒子が充満していて、その微粒子が渦状に運動している>として、天体の運動を説明しようとしました。原子の存在に関しても、その考えの骨子を受け継ぎながら、「この宇宙は<分割不可能なアトム>でなく、<分割できる微粒子>によって構成されている」と考えたのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P50より)

なかには変化球「原子論」も登場します。
 ところが、ガッサンディは「原子を創造したのも神だ」として、「原子論とキリスト教とは矛盾しない」と主張したのです。
 そこで、ガッサンディ以降、ヨーロッパの学者たちは、「異端」のレッテルを貼られることを心配することなく、原子論を支持できるようになりました。ガッサンディは、原子論から無神論を骨抜きにして、原子論をキリスト教的に改変して普及させることに成功したのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P52より)

▼自然科学研究に話をもどします。

 フランスのすぐれた数学者だったパスカル(1623~1662)は、デカルトとは違って、トリチェリの真空実験を知ると、すぐにそれを追試しました。そして、その研究成果を『真空に関する新実験』(1647)にまとめました。
 彼は、その実験装置を持って山に登りました。「山の上では、<空気の重さ=空気の圧力>が減少するかどうか」を確認するためです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P57より)

 そして、あの「マグデブルク半球の実験」へとつづきます。
 さらには、英国のボイル(1627~1691)は、真空ポンプの改良に成功して、「空気の圧力と体積の法則」の発見に成功した。

 自然科学研究史で忘れてはならないものがこのころスタートします。

 1660年の「王政復古」のとき、それまで各地でばらばらに科学研究のサークルをやっていた人びとがロンドンに集まって、新しい学会を発足させました。その学会は2年後、国王の許可を得て「ロンドン王認学会」と名付けられましたが、とくに初期の活動には目覚ましいものがありました。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P59より)

 その王認学会から1665年に出版されたフック(1635~1703)の著書『ミクログラフィア(微小世界図説)』は、原子論的に見ても重要なことを教えてくれていました。
 見えるものなら、彼は原子を見たかったに違いありません。しかし、その顕微鏡の倍率は小さすぎました。
 その代わり彼は、その本の中に、近代的な原子分子説のもっとも重要な発見の一つ、いや二つを書き込むことができました。
 私たちはいま、「固体の中の原子分子は、きれいに配列している」と教わり、「液体の中の原子分子は、たえず動き回っている」と教わっています。そういう固体と液体のイメージをはじめて提出したのは、フックのこの本だったのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P62より)

フックのもう一つの重要な発見は「結晶」です。

(『原子論の歴史-復活・確立-』P64より) 

その説明はおみごと!!

 ひょっとしたら、フックには「原子」は見えていたのかも!?


●1614年 サントリオ(イタリア、1561~1636)『釣り合いの医学』間。<人間が飲み食いしたり排便したりしたときの体重の変化>を解明。

●1624年 パリの議会<原子論またはアリストテレスに反する学説を支持したり教えたりする者は死罪に処する>との法令を定める。

●1632年 ガリレイ(イタリア、1564~1642)『天文学対話』刊。翌年、宗教裁判にかけられて、有罪となり、自宅に監禁される。

●1638年 ガリレイ、別荘に監禁の身で、密かにオランダで『新科学対話』を出版。<慣性の法則>を提出。<空気の重さ>を明らかにする。

●1643年  ガリレオの弟子のトリチェリ(イタリア、1608~1647)とヴィヴィアーニ(1622~1703)、水銀を入れたガラス管を倒立して真空の存在の実証に成功。

●1647年 パスカル(フランス、1623~1662)『真空に関する新実験』刊。

●1649年 ガッサンディ(フランス、1592~1655)『エピクロスの哲学体系』刊。

●1654年 ゲーリケ(ドイツ、1602~1686)、レーゲンスブルクでのドイツ平和会議で真空ポンプによる真空実験を公開披露。

●1660年 ボイル(英国、1627~1691)、フックの協力で真空ポンプを作り、『空気の弾性に関する新実験』を著し、翌年の改訂版で<気体の体積と圧力の法則>を一般化し、『懐疑的な化学者』を出版する。

●1665年 フック(英国、1635~1703)『ミクログラフィア』刊。液体の性質はその分子の振動で説明できるとし、結晶の分子配列説を提唱。

(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P191より)

(つづく)

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「原子論」を科学する(39) #原子論の歴史 #ルクレティウス #シェークスピア #ブルーノ #ギルバート

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▼私は、その本を数ヶ月かけて、まだちびりちびりと読んでいた。
 その本とは

◆『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』 (スティーヴン・グリーンブラット著 河野純治訳 柏書房)

である。「原子論」の歴史を追う作業が進むにつれて、この本を読むスピードもあがってきた。本のタイトルの意味が少しずつわかりはじめたからである。

▼「原子論」の歴史をつづけよう。これからは
『原子論の歴史-復活・確立-』を参照しながら

 さて、その後「古代の原子論」は、どんな運命をたどったのだろう。

 イスラム教の科学者たちは、原子論そのものにもほとんど興味をもちませんでした。キリスト教と同じ一神教のイスラム教からすると、無神論に帰結する原子論には興味を持ち得なかったのかも知れません。そこで、古代の原子論は、中世にはずっと忘れられたままでした。「中世」は、原子論にとってまったくの「暗黒時代」だったのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P11より)

 その「暗黒時代」に、一筋の光が射したのです!!
 そこから、すべてがはじまったのです。

 ルクレティウスの『宇宙をつくるものアトム』の抜粋は紀元9世紀から知られていたということですが、1417年にその全文が発見されました。1414~18年に南ドイツのコンスタンツで、中世最大の有名な宗教会議が開かれました。そのとき、ローマ教皇の書記としてその会議に同行したイタリアの人文学者のポッジョ・プラッチョリーニ(1380~1459)が、キリスト教の修道院のなかで、多数の古代の写本とともに、ルクレティウスの『宇宙をつくるものアトム』の写本を発見したのです。その本は、キリスト教にとっては「異端」だとしても、詩のかたちでとても感動的に書かれていました。そこで、<原子論の暗黒時代>にも、その本をキリスト教の修道院の中でこっそり書き写す人たちがいたというわけです。 
(『原子論の歴史-復活・確立-』P13より)

 著者・板倉聖宣氏は徹底してタイトル『宇宙をつくるものアトム』にこだわっていますね。そこに板倉氏の主張があるからでしょう!!

▼さあ、いよいよルネサンスのはじまりです。

 キリスト教以前の古代ギリシアやローマの文化は、もともと、キリスト教からすると「異端」の文化でした。ルネサンスというのは、そういう異端の文化を学ぶ運動であつたのです。ですから、ルネサンス運動の先進的な人びとは、キリスト教の規制を越えて前進しようともしました。そこで、長いあいだ知らずにいた古代の原子論を積極的に学ぶ運動も始まりました。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P14より)

 時代を代表するような人物、『無限、宇宙と諸世界について』の著者・ブルーノも登場してきます。
 ブルーノは、この本の中でデモクリトスやエピクロスをいつも肯定的に引用していて、批判的に言及したところは皆無です。そこで、「ブルーノは原子論者だったのではないか」とも思われそうです。しかし、そうではありません。そのことは、上の引用文の中に「普遍理性である霊魂の力」という言葉が出てきたことを見ても明らかです。彼は、原子論に強い親近感を抱きながら、霊魂の働きを残し、神の役割を残していたのです。だから、彼は原子論者とはいえません。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P25より)

▼さらにたいへん興味深い話が続きます。
 あの有名な<世界演劇史上最大の劇作家>シェークスピア(1564~1616)の演劇のなかにも、原子=アトムが登場するというのです。

 シェークスピアの時代の彼の観客は、芝居の中に「原子=アトム」と出てくると、その大げさな言葉の使い方を面白がる。それほどまでにアトムという言葉を知っていたというわけです。
 当時すでに、シェークスピアの演劇を見るような人びとの間では、ルクレティウスまたはルキアノス、またはブルーノやエラスムスなどの影響で、<アトム>という言葉が恰好のいい流行語の一つになっていたことは、原子論の歴史でなくとも注目すべきことではないでしょうか。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P29より)

(゜o゜)ゲッ!! <アトム>が流行語とは!!
 つづけて
 原子論は、そのギルバートの『磁石について』の中にも登場しています。エピクロスとルクレティウスの原子論的な磁石論にも数カ所で言及しているのです。この時代には、哲学の本だけでなく、科学の本も文学書も芝居も、さまざまな機会にアトムという言葉を使うようになっていたのです。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P31より)

 そして、こうまとめています。
エピクロスの原子論を詩にしてうたったルクレティウスは、「古来の宗教は神のご機嫌を伺うために、人間を生きながら犠牲にもしてきた」と強く訴え、そのような迷信を排除するためにも原子論を展開したのでした。ブルーノは、神を信じていたにもかかわらず原子論に親近感をいだいたのは、そういう原子論が好きだったからでもあったのでしょう。
(『原子論の歴史-復活・確立-』P34より)


●1417年 ポッジョ(イタリア、1380~1459)、ある修道院でルクレティウスの『事物の本性について』の全文を発見。

●1599年 シェークスピア著『ロミオとジュリエット』刊。<アトム>の語を用いる。『お気に召すまま』『ヘンリー4世・第二部』でも<アトム>の語を用いる。

●1600年 ブルーノ(イタリア、1548~1600)、火あぶりの刑に処せられる。
ギルバート(英国、1544~1603)『磁石について』刊。エピクロスとルクレティウスの原子論的な磁石論に言及。磁気と違って、電気はすべての物体の性質であることを明らかにする。

(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P189、P190より)

(つづく)

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「原子論」を科学する(38) #原子論の歴史 #板倉聖宣 #仮説社 #科学史年表

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▼ずっと『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』を参照させてもらいながら、「原子論」の歴史を追いかけてきた。あらたな「発見」もあってなかなか面白かった!!
 さて、その後半である。今度は次の本を参照させてもらいながらである。

◆『原子論の歴史-復活・確立-』(板倉聖宣著 仮説社 2004.4.5初版)


▼これまでの続きである。さっそく「目次」を見てみよう。

「もくじ」 
第9章 ルネサンスと原子論の復活
  ……ブルーノ,シェークスピアまで
第10章 ガリレオの時代と原子論
 ……〈液体分子の運動〉と〈結晶の中の分子の配列〉
第11章 近代科学の確立以後の原子論
 ……原子論の発展・勝利
第12章 革命の時代と科学的原子論
 ……ラヴォアジェとドールトンの時代
第13章 原子論の最後の最後の勝利
 ……ブラウン運動のなぞ
私の原子論とのつきあいと原子論の教育の歴史
 ……あとがきにかえて
原子論の歴史 年表
索引

▼『原子論の歴史-復活・確立-』で特に楽しみにしていることが2つある。

●「私の原子論とのつきあいと原子論の教育の歴史」
 ……あとがきにかえて
 ここにすべてが語られている気がする。楽しみだ o(^o^)o ワクワク

 もうひとつは
●「原子論の歴史 年表」
 すでに毎回引用させてもらっているように、とても役に立つ。
 後半で特に楽しみしているのは、「原子論」教育史である!!
 
(つづく)

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「原子論」を科学する(37) #原子論の歴史 #偽預言者アレクサンドロス #古代原子論の衰亡 #キリスト教の国教化

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▼灸花が咲いていた!!

 お盆が近づき、この花が咲いているのを見ると、なぜか昔のことを思い出すのだった!!
手の甲にうつ伏せにのせて「灸や、灸や!!」とよく遊んだものだ。
 なぜか唐突に寅彦のあのコトバを思い出した。

自分は繰返して云いたい。新しい事はやがて古い事である。古い事はやがて新しい事である。

「科学上の骨董趣味と温故知新」(青空文庫より)


 
▼「原子論」の歴史をつづけよう。
『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』を参照しながら

 ルキアスの書いたノンフィクション「偽預言者アレクサンドロス」にふれながら、かなりくわしく「偽預言者アレクサンドロス事件」の顛末の全容が語られています。なにか「現代」にも通ずるところがあり驚きです。
 身近なことにもふれて書かれており示唆的でした。

 手品を見る人の場合、どこかにタネが隠されていることは前提になっています。しかし、神秘をよそおう詐欺師がタネを隠しておいて、あくまで「これは神秘的な出来事なのだ」と言い張ったらどうでしょう。そういうとき、そのタネや仕掛けを暴き出すことができなかったら、その詐欺を信用するよりほかはないでしょうか。そんなことはありません。「無から何かが生ずることはあり得ない」という原子論者の立場からすると、「タネがどこに隠されているか分からなくても、タネはどこかにあるに違いない」と考えていいのです。こういうことは、原子論的に考えないと、みんな詐欺師の詐欺に引っかかることになるのです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p231より) 

▼たいへん興味深いことに、このあいだまで参照させてもらっていた 『原子論の誕生・追放・復活』(田中実著)にふれた部分がありました。

 少し前まで、日本の科学史家の大部分は「古代原子論は、アリストテレスにはげしく批判されて、ほとんど全滅した」と考えてきました。たとえば、田中実著『原子論の誕生・追放・復活』(三一書房、1949年)という表題の本には、
 「本来ならば、原子と非原子派とは、公平な論争の舞台の上で争うべきであった。しかし、論争のバックにはギリシアの民主政治の危機を前にして、原子派を追放したがっている政治的な力があった。デモクリトスの学問は無抵抗のままで引退するよりほかはなかった」

と書いてあります。
 この本によると、原子論が追放されたのは、アリストテレスとデモクリトスの時代-古代ギリシア時代だったというのです。
 しかし、これまで見てきたように、これは明らかに間違っています。デモクリトスとアリストテレスには、それぞれ、エピクロスとストラトンという後継者がありました。ところが、原子論が引き下がったのではなくて、アリストテレスの後継者のストラトンの方が原子論に近づいたのでした。それに、紀元2世紀のマルクス帝は、アテナイのエピクロス派を、アカデメイア派、逍遙学派、ストア派と共に支援していたことは、前に見た通りです。古代の原子論はその後もルクレティウス、ルキアノスという有力な人々を得て、詩や小説の世界でも優勢を誇ったのです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p247より) 

 著者がいちばん力点を置いているところだけに、ついつい引用が長くなってしまいました。
 ここが言いたくて、この本を書かれたのかも知れませんね。

▼ナラバ「古代原子論」は、いつごろどのように姿を消したのでしょう。

 それなら、古代の原子論は、いつごろどうして衰亡したのでしょうか。その理由と時期は、かなりはっきりしています。紀元313年、それまで迫害を受けていたキリスト教の信仰が、ローマ帝国のコンスタンチヌス大帝によって公認されました。そして、紀元389年には、ローマ帝国がキリスト教を国教に昇格させました。すると、今度はそれまで「異端」とされていたキリスト教に代わって、それまで「正統」とされていたものが「異端」のレッテルを貼られるようになったのです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p249より) 

さらにつづけて
 エピクロス学派の原子論は、古代ギリシアの哲学のうちでも最後まで元気だったのですが、キリスト教の国教化によって、きわめて大きな打撃を受けことになったに違いありません。250年代後半以降、原子論は急速に衰え、人々の前から姿を消すことになりました。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p251より)

 私たちのこの「原子論の歴史」を中心に考えると、「原子論が誕生して科学となり、生きる知恵として栄えた時代」を「古代」と考えてもいいわけです。

(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p251より)


 寅彦流に言えば「古代」はやがて「新しい時代」なのかも!?


●180~85頃 ルキアノス、ノンフィクション「偽預言者アレクサンドロス」を、エピクロス派の哲学者ケルソスあての手紙形式で書く。

●389年 ローマ帝国、キリスト教を国教に昇格させる。 

(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P187、P188より)

(つづく)

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「原子論」を科学する(36) #原子論の歴史 #セネカ #ルキアノス #ヘルクラネウムのパピルス

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▼クモの世界にも秋がはじまろうとしていた!!
 今年のコガネグモは9号まで来た。現在は8号だけがまだ近くに残っていてくれた。
 そのコガネグモにかわって、その小型!!名前もそのまま「コガタコガネグモ」が目立ち始めた。つづいて「ナガコガネグモ」「ジョロウグモ」たちが活躍するようになれば本格的な秋だ!!

 クモたちの祖先の祖先もまた古生代の海で誕生したのだろうか!?
 そして、どんな進化の「みちすじ」をたどって今、目の前にいるのか!?
 やっぱり「ふしぎ!?」だ。
 
 古代ギリシアで誕生した「原子論」然りデアル!!

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』を参照しながら

 「原子論」のその後はどうなっていったのでしょう?
 とりわけ紀元1~2世紀はどうなったでしょう。最初に焦点をあてた人物はセネカ(前4~後65)です。ローマの政治を背後から支えた人物のようです。

 セネカは、このようにエピクロスの教えをたくさん引用して、<楽しさを重視するエピクロス主義>を前面に出して、<禁欲主義的なストア哲学>を和らげようとしていたのです。皇帝の後見役をつとめていたセネカですら、こんなに原子論に近づいていたのです。皇帝の時代になったからといって、原子論やエピクロス主義は、弾圧されることがなかったのです。それどころか、それは、時代を代表する思想の一つにさえなっていたのです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p200より)

 また少し時代をおいて「風刺作家」ルキアノス(121~180)の場合の例があがっています。

  彼の制作活動が頂点に達したのは、あの哲学者皇帝マルクス・アウレリウスの在位した165~175年のころとみられています。ふつう彼は、「なんでもかでも笑いの種にする風刺作家」とのみ見られたりしています。しかし、「原子論」に着目してその作品を詳しく検討すると、彼は明らかに原子論の立場に立って、さまざまなことを風刺の対象にしたことが分かります。当時の社会は、原子論や無神論の立場から見ると、風刺に値することがたくさんあったのです。彼が書いたとされる作品は短編ばかり80篇ほど伝わっていますが、そのうち13編にはエピクロスまたはエピクロス派の人を登場させています。そして、いつもそれに好意的かその立場にたって書いていることが分かります。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p214より)

▼結論的に言うと

 ローマ帝国下の1~2世紀には、原子論、エピクロス主義は弾圧されたり衰退したりはしませんでした。それどころか、「エピクロスの原子論は、紀元前の時期よりもさらに多くの人びとの支持を集めていた」といってもいいでしょう。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p220より)

 私は真逆に思い込んでしまっていました。

▼79年8/24 ヴェスヴィウス火山大爆発。ポンペイ市とヘルクラネウムの町はわずか一日で埋没した。後に(1750年)に考古学者たちは、ヘルクラネウムの町の別荘の一角から図書室を発掘し1806巻のパピルスを発見した。
 そのパピルスに関係する興味深いエピソードが「追記」にありました。

しかし、原子論に関心をもつ科学者たちはガッカリするどころか、このニュースに大いに関心をもちました。その後知ったことですが、英国の大科学者のデーヴィ(1778~1829)は1813~15年にファラデー(1791~1867)を連れてヨーロッパ大旅行をしたとき、ヘルクラネウムにも出かけて行って、<自分の化学の知識を利用すればそのパピルスを何とか解読することができるのではないか>と挑戦しているのです。そればかりか、彼はその後1818年にもヘルクラネウムに出かけていって、そのパピルスの解読法を研究しています。 結局、彼の化学の知識を持ってしても、そのパピルスをうまく解読することはできなかったのですが、デーヴィは、このときに得た知見について、王認学会で発表した論文があります。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p221より)

 面白いですね!!
 言わば「原子論」の化石ですね!!

 

●後50年 セネカ(前5/4~後65)、法務官となる。セネカは、52年頃までに『(兄ノバトックスあて)怒りについて』を著す。「われわれにとって、デモクリトスの、あの健康的な教えは役に立つだろう。そこで教えられているのは心の平静ということであって、私的にも公的にも、自分の能力に余るようなことを行なわないことである」と記す。

●79年8/24 ヴェスヴィウス火山大爆発。ポンペイ市とヘルクラネウムの町は埋没した。のち考古学者たちは、ヘルクラネウムの町の別荘の一角から図書室を発掘し1806巻のパピルスを発見。「パピルス荘」と名付けたが、そのパピルスの大部分はエピクロス派の哲学者ピロデモスの著書だつたという。

●165~175年 ルキアノス(120~185頃)の制作活動頂点に達する。とくに「空を飛ぶメニッポス」「二重に訴えられて」「悲劇役者ゼウス」で原子論の主張を支持し、ストア派を批判する。

(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P184、P185、P187より)

(つづく)

 

 

 

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【Web更新8/7】22-32 サイエンスコミュニケーター宣言 等 更新!!

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露草やラジオ体操はじまるよ 22/08/05撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】22-32
週末定例更新のお知らせ
 「立秋」を過ぎた!!
 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」
 今さらであるが、うまく詠んだものだ。
 ナラバ
 
 「俳句歳時記」秋編にかえてみようかな。

◆表紙画像集 更新 露草
 「露草」は、手持ちの『俳句歳時記』では秋編に登場した!!
 この花を見ると、思い出すのが「オオボウシバナ」(アオバナ)のことだ。
 もうあの季節はとっくに終わってしまったのだろうか!? いつか、もう一度!!
 ラジオ体操に向かう道端に、あの「露草」が。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 「原子論」を科学する シリーズはまだまだ続ける。
 「原子論」の歴史を追う作業はきわめて興味深い。
 その歴史に学ぶとは!?
 ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

◆Webテキスト『天気の変化』の可能性!?
 考えてみると、ずいぶんけったいなページ名をつけたものだ。
 今月の「雲見」と「俳句歳時記」を更新しただけである。
 Webテキスト試案の「これから」を考える取り組みをはじめたいものだ。

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 今月のテーマは「寅彦と俳句」だ!!
 オンライン句会「寅の日」二周年を記念しての取り組みである。
 今一度、寅日子先生のコトバを聴いてみよう。

◆新・クラウド「整理学」試論 更新!!
 「Twitterはじめて、○○日目に思うこと」の全記録がここにある。
 それを読み返してみるだけでもけっこう面白い!!
 ネットの「不易流行」とは!?


 大賀ハス観察池は、蓮根の植え替えから19週目であった。
 今年は、残念ながら観察池でまだ「蓮の実」に出会っていない。

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「原子論」を科学する(35) #原子論の歴史 #ルクレティウス #宇宙をつくるものアトム #物の本質について #寺田寅彦

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オンライン「寅の日」では、6月・7月と5回つづけて「寅彦とルクレチウス」のテーマのもと

●「ルクレチウスと科学」(寺田寅彦 青空文庫より)

 を、読んだ。
 ほんのわずかずつであるが
 「寅彦は、なぜかくも熱くルクレチウスを語るのか!?」
が見えはじめたと思っていた。

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』を参照しながら

 今回はそのルクレチウス(ここではルクレティウス)に焦点をあてて、「原子論」の歴史をみていこう。

 詩人と原子論とは、もっとも関係のなさそうな取り合わせのように思えます。しかし、ルクレティウスは、エピクロスの原子論を雄大な詩の形にして、人びとに知らせることに成功したのでした。ティトス・ルクレティウス・カルス(前95~前55)は、キケロ(前106~前43)より11歳年少で、キケロが亡くなる12年前に亡くなった人です。だからこの詩は、キケロがその哲学書でエピクロスの哲学を解説する前に書かれいたのです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p173より)
 

▼さらに詳しく説明がつづきます。これだけみていても、著者・板倉聖宣氏の思い入れの程が伝わってきます。

 その詩の表題は、ふつう『自然の事物について』と訳されています。しかし、その著者の言いたかったことを現代的に表現すると、『宇宙を作るものアトム』となります。この本は「詩」とはいっても原著で全6巻からなっていて、今日の日本のふつうの本にしても、ゆうに1冊の本になります。この本の日本語訳には
①岩田義一・藤沢令夫訳「事物の本性について-宇宙論」『(世界古典文学全集21)ウェルギリウス/ルクレティウス』(筑摩書房、1965)所収
②樋口勝彦訳『物の本質について』(岩波文庫、1961)
③国分一太郎意訳「宇宙をつくるものアトム」『(少年少女科学名著全集4)宇宙をつくるものアトム』(国土社、1965)
があります。 
 このうち、岩田義一ほか訳のものは、詩の形式に訳していますが、樋口勝彦訳のものは、詩の形式をとってはいません。国分一太郎意訳のものは大胆な意訳で、抄訳です。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p173より)

 いずれかを手に入れてぜひ読んでみたいものです。
 手に入りやすいのは②です。
 なんといってもわかりやすいのは③です。

▼もう少しだけ「なかみ」にふれてのところを引用させてもらおう。

 エピクロスの原子論の主なねらいは、人びとを迷信と宗教から解放することにありました。そこで、その自然研究は「人びとを迷信や宗教へと駆り立てやすい自然現象-神々のしわざと見なされやすい現象の解明」が中心になりました。しかし、それらの現象を解きあかしたエピクロスの著書はほとんどまったく残っていません。しかし、ルクレティウスの『宇宙をつくるものアトム』には、それらの現象が詳しく解きあかされています。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p178より)

 さらにくわしく次のようなことも列記してあった。
 ルクレティウスがその『宇宙をつくるものアトム』の中で取り上げた自然科学上の問題をざっと列記すると、
 ・アトム=真空と原子の存在と運動-
 ・アトムの運動は、暗い部屋にさしこむ光の中の微粒子の運動で推察できる。
 ・真空中でのアトムの落下速度は一定である。
 ・雲は、水の粒子が空に昇って生ずる。
 ・味の違いは、アトムの形の違いによる。
 ・磁石が鉄を引きつけるのは、磁石から流れ出た微粒子が鉄との間の空気を追い払うからだ。
 ・雷と電光は、雲の中の風と光がぶつかって起こる。雷は細かなアトムからできているため、鋭い打撃を生ずる。
 ・地震は地下の空洞に風が集まって押したり、空洞を崩すときに生ずる。
 ・噴火のとき、地下からは有毒物質が流れ出る。
 ・身体と心-心のアトムは非常に小さく丸くて滑らかで身体と不可分。
となります。今日から見て、「そのままで正しい」とはいえなくとも、正しい考え方に近いもの、中には全く正しいものもあることが分かるでしょう。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p180より)


 驚くばかりです!!


●前58年 ルクレティウス(前95~前55)の保護者ガーイウス・メンミウス、小アジアの属州ビティニアに行くとき、詩人キンナおよびカトゥルスを伴う。この頃『宇宙をつくるものアトム』なるか。

●1417年 ポッジョ(イタリア、1380~1459)、ある修道院でルクレティウスの『事物の本性について』の全文を発見。

●1929年 寺田寅彦(日本、1878~1935)「ルクレチウスと科学」『(岩波講座)世界思潮』)に発表。

(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P182、P189、P196より)


(つづく)

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Twitterはじめて4,701日目に思うこと!! #原子論 #オンライン句会 #Twitter #Twitter的

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▼私は今、2つのことにはまっていた!!
・原子論
・オンライン句会
である。もともとなんでもゆっくりで、なおかつ不器用でひとつのことをやりだすと、まわりのことをほっておいて、それ「ばっかり」夢中になるたちである。
 それを私は勝手に名づけて「ばっかり病」と呼んでいた。
 「ばっかり病」は、ここまで来ると生涯つき合わざるを得ない私の持病であった。
 ダカラ それふうに言い換えると

 今、「原子論ばっかり病」と「オンライン句会ばっかり病」を発症中デアル!!

▼今から4,701日前、つまり 2009/09/23 。
 この日に、Twitterをはじめた。
 まったく偶然のアクシデントが、Twitterとの出会いとなった。
 出会いの10日ほど前の「記録」が残っていた。
 私はこのアクシデントにより、けっきょく新規にノートパソコンを購入した。
 そのノートに、そのころ話題になりつつあったTwitterがインストールされていたのだ。
 それがすべてのはじまりであった!!
 やがて私は「Twitterばっかり病」を発症していくのだった。
 そのころの「記録」も残っていた。

●今、Twitterが面白い!!(2009/09/27)

▼それ以来、100日ごとに私は
●「Twitterはじめて○○日目に思うこと!!」
 という「記事」を綴りつづけてきた。
 大げさに言うことはない。単なる「覚え書き」である!!
 そのなかでいつも語ってきたコトバがある、「Twitter的」デアル!!

 「Twitter的」とは
 私の勝手な造語である。6つのキーワード・概念からなる。

 Twitter的=
「リンク」
「シェア」
「フラット」
「等身大」
「リアルタイム」
「アクティブ」

 もちろん「Twitter的」はTwitterのみを意味しない!!
 少し大げさに言えば
 ネット世界における私の「流儀」「作法」である。
 いや、それを超えて、これが私の「哲学」であり「生き方」である!!
 いつも大げさに言うのは私の悪いクセ!! (^^ゞポリポリ

▼私は、この「Twitter的」を、そのときどきに発症している「ばっかり病」にあてはめてきた。
 今なら、とりわけ「オンライン句会ばっかり病」にあてはめてみた!!
 これは使える!!
 いつも、ひとり納得するのだった。

 さあ、次の100日後は どんな「ばっかり病」を発症しているだろう!?
  
 ひらけくるみちはたのしい。
 みちはこたえない。
 みちはかぎりなくさそうばかりだ。 (真壁仁「峠」より) 


 

 

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本日(2022/08/05)、第323回オンライン「寅の日」!! #俳句の精神 #traday #寺田寅彦

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私は写真が好きだ!!
 動画よりも写真の方が好きだ!!

 単にすばやい対応の必要な「動画」が苦手だというだけのことと言ってしまえば、身も蓋もない話だが(^^ゞポリポリ
 瞬間の景を、一枚の写真に「記録」する!!
 だからと言って、特別の技を持ち合わせぬ私は、いつも「ヘタな鉄砲方式」だ。
 同じような写真を何枚も何枚も撮りまくる。ときには「お気に入り」の一枚があるハズ!!
 「お気に入り」の一枚は動画以上に饒舌に物語を語り始める!!

 まったく同じ理由で、短歌より私は俳句が好きだ!!

▼本日(2022/08/05)、第323回オンライン「寅の日」である。
 オンライン句会「寅の日」をはじめて2年である。
 8月のオンライン「寅の日」では、それを記念してテーマをきめた。
 
【8月テーマ】「寅彦と俳句」

 である。その第一回目の本日は、定番中の定番「俳句の精神」を読む。

◆本日(2022/08/05)、第323回オンライン「寅の日」!!

●「俳句の精神」(青空文庫より)


▼これは寅日子先生に師事にする私たちにとっては、最高のテキスト(教科書)だった。
 寅日子先生の「俳句観」すべてがここに詰まっていた!!
 書かれたのは最晩年(昭和10)の10月である。
 まず一章は
 「俳句の成立と必然性」からはじまる。
 同時期にかかれた「日本人の自然観」といろんなところでリンクしているように思われる。

 日本人は西洋人のように自然と人間とを別々に切り離して対立させるという言わば物質科学的の態度をとる代わりに、人間と自然とをいっしょにしてそれを一つの全機的な有機体と見ようとする傾向を多分にもっているように見える。
また別の言い方をすれば西洋人は自然を征服しようとしているが、従来の日本人は自然に同化し、順応しようとして来たとも言われなくはない。
 この自然観の相違が一方では科学を発達させ、他方では俳句というきわめて特異な詩を発達させたとも言われなくはない。
 何度読んでも、なるほどと納得のいく文脈である!! 次に<季題>について、次のように語っていた。
「春雨」「秋風」というような言葉は、日本人にとっては決して単なる気象学上の術語ではなくて、それぞれ莫大(ばくだい)な空間と時間との間に広がる無限の事象とそれにつながる人間の肉体ならびに精神の活動の種々相を極度に圧縮し、煎(せん)じ詰めたエッセンスである。またそれらの言葉を耳に聞き目に見ることによって、その中に圧縮された内容を一度に呼び出し、出現させる呪文(じゅもん)の役目をつとめるものである。そういう意味での「象徴」なのである。
一つはすでに述べたとおり、日本人の自然観の特異性によるのである。ひと口に言えば自然の風物にわれわれの主観的生活を化合させ吸着(アドソーブ)させて自然と人間との化合物ないし膠質物(こうしつぶつ)を作るという可能性である。
 俳句における季題の重要性ということも同じ立場からおのずから明白であろう。限定され、そのために強度を高められた電気火花のごとき効果をもって連想の燃料に点火する役目をつとめるのがこれらの季題と称する若干の語彙(ごい)である。
そして、<俳句の可能性>について、次のようにまとめていた。
 十七字のパーミュテーション、コンビネーションが有限であるから俳句の数に限りがあるというようなことを言う人もあるが、それはたぶん数学というものを習いそこねたかと思われるような人たちの唱える俗説である。少なくも人間の思想が進化し新しい観念や概念が絶えず導入され、また人間の知恵が進歩して新しい事物が絶えず供給されている間は新しい俳句の種の尽きる心配は決してないであろう。
やっぱりまちがいない。 私たちには最高のテキストだ!!

▼第二章
「二 俳句の精神とその修得の反応」
 
 キーワード<不易流行>はこう語られた。

 「春雨」「秋風」は日本人には直ちにまた人生の一断面であって、それはまた一方で不易であると同時に、また一方では流行の諸相でもある。「実」であると同時に「虚」である。
 
「俳句」のキモはここにありと
 このように自然と人間との交渉を通じて自然を自己の内部に投射し、また自己を自然の表面に映写して、そうしてさらにちがった一段高い自己の目でその関係を静観するのである。

それどころか、ややもすればわれわれの中のさもしい小我のために失われんとする心の自由を見失わないように監視を怠らないわれわれの心の目の鋭さを訓練するという効果をもつことも不可能ではない。

 さていよいよ<俳句修業>の心得!!である。
 俳句の修業はその過程としてまず自然に対する観察力の練磨(れんま)を要求する。俳句をはじめるまではさっぱり気づかずにいた自然界の美しさがいったん俳句に入門するとまるで暗やみから一度に飛び出してでも来たかのように眼前に展開される。今までどうしてこれに気がつかなかったか不思議に思われるのである。これが修業の第一課である。
しかし自然の美しさを観察し自覚しただけでは句はできない。次にはその眼前の景物の中からその焦点となり象徴となるべきものを選択し抽出することが必要である。これはもはや外側に向けた目だけではできない仕事である。自己と外界との有機的関係を内省することによって始めて可能になる。

そして、<俳句修業>の極意を次のように語る。
 一般的に言って俳句で苦労した人の文章にはむだが少ないという傾向があるように見える。これは普通字句の簡潔とか用語の選択の妥当性によるものと解釈されるようであるが、しかしそれよりも根本的なことは、書く事の内容の取捨選択について積まれた修業の効果によるのではないかと思われる。俳句を作る場合のおもなる仕事は不用なものをきり捨て切り詰めることだからである。

 断捨離こそ<俳句修業>の極意デアル!!
 
 オンライン句会「寅の日」の最高テキストはすべての寅彦ファン必読!!
 さあ<俳句修業>第一課からはじめてみよう!! 

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「原子論」を科学する(34) #原子論の歴史 #ガリレオの温度計 #アルキメデス #浮力の法則 #アルキメデスの原理 #てこの法則 #球の体積

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「ガリレオ温度計」!!
 そんな名前がついているが、ガリレオが発明したものではないそうだ!!
 手に入れたのはずいぶん昔だ。なんか色褪せてしまっている。
 この度、思いきって新規に手に入れてみた!!
 ゆっくりした動きがなかなか面白い!!

 あれっ!?これでどうして「温度」測れることできるんだったかな!?
 「浮き沈み」問題だから、あのアルキメデスに聞いてみよう。

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』を参照しながら

 さあ、次はあのアルキメデスだ。「王冠の謎とき」や「浮力の法則」「アルキメデスの原理」などで有名なアルキメデスだ!!
 そのアルキメデスが、なぜ「原子論」と関係するのかにわかにはよくわからなかった。

 だから、アルキメデスは<王冠の謎とき>のために浮力の法則を発見したのではありません。「王冠の謎ときは、せいぜい浮力の研究のきっかけになった」というだけのことだったはずです。じつは、アルキメデスには「<浮力の法則>を研究して、その法則を発見する動機」はもっと他のところにもあったのです。
 そのことは、エピクロスとストラトンの重さの研究のことを思い出せば、思い当たるところがあるでしょう。この二人は、
 「この世には<軽さ>をもったものなど存在しない。<ものがときとして上のほうに動く>のは、まわりの物体から押し上げられるからだ」
と熱心に主張していたのです。つまり<浮力の現象の科学研究>を前面に押し出していたわけです。すぐれた数学者で科学者であったアルキメデスは、「二人のその主張に影響されて浮力の法則の研究をはじめた」とみて間違いないでしょう。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p140より)

 また、こうも言い切っています。
 アルキメデスは、その<浮力の法則>も、まったく幾何学的な形式で書いたのです。しかし、その浮力の考え方は、エピクロスやストラトンの<重さの不滅性>を前提とした原子論的なものであったことは明らかです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p143より)


▼では<てこの法則>についてはどうでしょう。

 古代ギリシアでも、同じような事情があったにちがいありません。<てこの法則>は、ギリシアでも長い間、無自覚的に利用されてきたに違いないのですが、アルキメデスがそれを数学的に明確にしてはじめて、<科学的な法則>として自覚されるようになったのです。
 それなら、<てこの法則>はなぜ、アルキメデスの時代になってはじめて証明されるようになったのでしょうか。これもおそらくエピクロスやストラトンの<重さの不滅性>を前提とした原子論的な考え方の出現によるものでしょう。その二人によって、<重さ>という概念の重要性が表面に出てきたので、アルキメデスがその<重さ>の概念を明確にするために、<浮力の法則>と<てこの法則>の解明に乗り出したというわけです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p145より)

▼それだけではなかったのです。

 <てこの法則>と<浮力の法則>とは<重さの科学>=力学の分野に属するものです。だから、そこで<重さ>の概念が重要な役割を果たすのは当然のことともいえます。しかし、アルキメデスが<重さの科学>以上に力を込めて研究したのは、<図形の数学=幾何学>の分野でした。ところが、その分野の研究でも、アルキメデスは原子論者デモクリトスの伝統を受け継ぐことになりました。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p145より)

(゜o゜)ゲッ!!驚きです。
ここへ来て元祖「原子論者」デモクリトスまで登場するのです。
具体的にはこうです。
 この問題は、エウドクソス(前408~前355)という数学者によってはじめて数学的に証明されたのですが、結果を知ってしまえば簡単で、円錐や角錐の体積は、
 <底面積>×<高さ>÷3
という式で計算すればいいのでした。
 ところがです。アルキメデスは、その後、
 「原子論をはじめて提唱したあのデモクリトスは、エウドクソスがその定理を数学的に証明するのに成功するよりもずっと前に、その公式を知っていた」
ということを知って驚きました。
 デモクリトス(前460頃~前370頃)は証明抜きで、その定理を書いていたのです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p147より)

 ではデモクリトスはどうして、この事実を知ったのでしょう。デモクリトスは、<底面と高さが同じ円錐と円柱の模型>を作って、その重さ比べをしていたのです。
 さすが元祖「原子論者」です。
 アルキメデスも、原子論者デモクリトスの書いたものにも親しんでいて、そこから学んでいたのですから、やっぱりさすがです。
 アルキメデスの発見で、どうしてもふれておきたいもうひとつのことがあります。
 アルキメデスはさらに、球の体積の法則も発見しました。
 そこで、<円錐と球と円柱の体積を求める定理>を並べて書いてみました。底面の直径と高さが同じ<円錐と球と円柱>の体積を求める定理です。すると、なんと「その体積は、ちょうど1:2:3」になっているではありませんか。
 このことを発見したとき、アルキメデスはことのほか喜びました。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p149より)

 いずれにしても、アルキメデスの思考のバックボーンには、しっかりと「原子論」が根づいていたことはまちがいなさそうです。


●前267年 アルキメデス(前287~前212)、20歳に達する。この前後にシシリー島のシュラクサイからアレクサンドリア市のミューゼオンへ留学か? その著の『浮体について』は、明らかにエピクロスの<重さの保存法則>の発見を受けついで研究されたものだが、その他の『平面板の平衡について』『球と円柱について』『円錐状体と球状体について』『円の計測』『砂粒を数えるもの』なども、エピクロスの原子論で<重さの保存則>の主張に影響を受けて研究されるようになったものと思われる。
(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P179より)

(つづく)

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2022年8月(葉月)の俳句「歳時記」!! #俳句 #歳時記 #オンライン句会

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▼1898(明治31)年7月初め頃。我らが寅日子先生(寺田寅彦)は、夏目漱石先生を訪ね、俳句の話を聞いた。
 さっそく夏休み中に詠んだ俳句を漱石先生に送り添削を受けた。
 「夏目漱石へ送りたる句稿 その十七」は、ちょっと変わった題がつけられていた。
 「夏季廿四時」と題され、午前一時~午後十二時○○まで一時間に一句、全部で二十四句が詠まれていた。
 「午後四時」に詠まれた句は、次のようであった。

 寺の門に猿曳憩ふ百日紅


▼さあ、今月も名句の鑑賞 より<俳句修業>をはじめよう!!
 名句の参考にさせてもらうのは、いつものように

◆NHK「俳句」 テキスト

である。ここより巻頭の名句11句を引用させてもらう。

(1) 手花火の煙もくもく面白や 川崎展宏
(2) 大きな木大きな木蔭夏休み 宇多喜代子
(3) 氷水真赤広島被爆の日 矢島渚男
(4) 晩涼の幼な机の灯がひとつ 飯田龍太
(5) 新涼やたしなまねども洋酒の香 中村汀女
(6) 秋来れば秋の団扇となる団扇 三橋鷹女
(7) 荒海や佐渡に横たふ天の川 芭蕉
(8) 鬼太鼓の済みたる闇のきんひばり 佐怒賀正美
(9) 桃冷す水しろがねにうごきけり 百合山羽公
(10) 学校が好き朝顔に水をやる 津田清子
(11) 水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る 金子兜太

▼<俳句修業>の第一歩は「選句」から!!
 「名句」は声に出して読んでみると、ナルホドと 納得だ!!
 そんななかでも、特に私の「お気に入り」がみつける。
 この作業を「選句」という。
 今月もシロウト「選句」を楽しむことからはじめてみよう!!

【私の選んだ名句ベスト3】

(7) 荒海や佐渡に横たふ天の川 芭蕉

(2) 大きな木大きな木蔭夏休み 宇多喜代子

(9) 桃冷す水しろがねにうごきけり 百合山羽公

【次点】

(10)学校が好き朝顔に水をやる 津田清子

【選評】
・まずはスタンダードから。声に出して読んでみると景が浮かんでくるから不思議だ!!
・アタリマエをアタリマエに。「夏休み」という着地がみごと!!
・たしかに「あるある」ダ!!「水しろがねにうごきけり」の瞬間を切り取る技、おみごと!!
・こんなストレートに詠んで名句になる。やっぱり俳句は面白い!!


▼きっと究極の俳句修業が、自分で句を詠み、<句会>に参加することだ!!
 寅日子先生に師事する私たちのオンライン句会「寅の日」も、はや2年が経った。

◆第24回オンライン句会「寅の日」8月例会案内!!

 いつでも、誰でも はじめることができますよ!!
 「俳句」はじめての方、大歓迎です。
 私も 只今 修行中デス!!

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2022年8月(葉月)の「雲見」は!? #雲見 #もくもくシール

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▼またまた 暑い!!暑い!!
と叫んでいるまに8月(葉月)となってしまった。
 8月の「雲見」を予想する前に7月の「雲見」のまとめをもくもくシールセットによる「雲見」カレンダーでふり返っておこう。
 使用した十種雲形シールは次のようになった。

・快晴    2 
・巻雲    2 
・巻積雲   1 
・巻層雲   1     
・高積雲   1  
・高層雲   3     
・層積雲   2 
・積雲   11  
・層雲    0  
・乱層雲   7  
・積乱雲   1

 「快晴」2+「積雲」11=13
 「積乱雲」1+「乱層雲」7=8
 これだけ見ても、暑い日が続いたことが予想がつく。
 「二度目の梅雨!?」と思ったのは前半のことだった。
 ここのところ、メモ書きはアメダスの「記録」により「最高気温」~「最低気温」を書き込むようにしている。
 それによれば
 ・「猛暑日」=5日
 ・「真夏日」=20日
 ・「夏日」=6日
 やっぱり暑い暑い 「福崎の夏」が来ていたんだ!!
 8月はどうなるだろう。

▼8月(葉月)の「雲見」の予想に入ろう。
 まずは昨年の8月の天気図を見てみる。

◆日々の天気図 2021年8月 (気象庁)

・やっぱり昨年の夏も暑かったんだ!!今年もかな!?
・大雨も心配だ。ごくごくふつうに「線状降水帯」というコトバも使われるようになってきた。
・台風はどうだろう!?
・「雲見」とい視点で予想するならば、やっぱり多いのは「積雲」「快晴」だろうか!?
・「猛暑日」は何日になるだろう!?

▼8月の「雲見」予想をつづけよう。
 よりローカルな資料を使ってみよう。
 アメダス「福崎」のデータに基づく資料である。

◆兵庫県 福崎 の気候(雨温図 最高気温、最低気温の推移

・いがいと8月の降水量は下がっている。
・畑の水やりたいへんだ!!
・やっぱり8月は暑くなりそうだ。
・「猛暑日」県下第1位の記録は今年もだろうか!?

▼「雲見」と「宇宙見物」は、究極の道楽!!
 こんな無手勝流で、安直・簡単な「自然観察」は他にはない。
 180°の空をながめるだけ!!

 道楽のオプション=「雲見」の旅の計画を久しぶりに立てていたが。
 もう少し、様子をみておこう。
 定点観測で【「雲見」の連帯】という手もあることだし!!


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【Web更新7/31】22-31 サイエンスコミュニケーター宣言 等 更新!!

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未来形空へ咲きたる糸瓜かな 22/07/30撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】22-31
週末定例更新のお知らせ
 7月最後の週末定例更新であった。
 7月が終わってしまった!!
 「夏休み」はエネルギー充填の季節!!
 7月も終わると、「夏休み」も半ば過ぎたような気分になる。
 今年もやっぱり変則的「夏休み」になりそうだ。
 8月がはじまる!!

◆表紙画像集2022 更新 糸瓜の花
 子規庵の糸瓜の花が、今年も元気に咲き始めた。うれしい!!
 今年の子規忌(糸瓜忌)には、いくつの糸瓜をみることができるかな。
 たった5粒の種から出発した「子規庵の糸瓜」。
 「子規庵の糸瓜」はいつも未来形!!

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 「原子論」を科学する を継続している。
 切り口を変えて、『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』(板倉聖宣著 仮説社 )を参照しながらすすめている。
 あらたな発見・気づきもあって楽しい。
 ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

◆オンライン「寅の日」更新!!
 「寅彦とルクレチウス」の次のテーマは「寅彦と俳句」である。
 オンライン句会「寅の日」も、この8月で2年が終わる。
 今一度、「原点」にもどり寅日子先生のコトバに耳を傾けてみよう。

◆【ヒガンバナ情報2022】更新!!
 823個の「種子」を使った実生実験が続いている。
 199個の発芽・発根まで確認できた!!
 秋のお彼岸を過ぎて、「出葉」してくるのはどれほどあるだろう!?


 大賀ハス観察池は、蓮根の植え替えから18週目であった。
 2022/07/24に不注意で、観察池は干からびてしまった。
 それにもかかわらず、7/25より3号大賀ハスに「あこがれの4日間」はやってきた!!
 しかし、枯れてしまった葉はもとにはもどなかった。\(__ ) ハンセィ

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