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【お薦め本】『原子論の誕生・追放・復活』(田中 実著 新日本文庫 )

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▼誰にも、思考の「原点」とよべるような本がある。
 もうとっくに「内容」など忘れてしまっているが、その本に書かれた断片的なフレーズをふっと思い出したりする。
 「原子論的物質観」というコトバもそのひとつである。
 物質探検の学習で、常套句のように使って来た。
 いったいこのコトバにどこで最初に出会ったのだろう!?

 きっとこの本だろう思って、ゆっくりゆっくり読みなおした本が今回の【お薦め本】である。

▼読みなおしてみて、感動であった!!
 今回は 【お薦め本】の紹介というより、私自身の読書メモとして、「記録」に残して置きたかったのである。

◆『原子論の誕生・追放・復活』(田中 実著 新日本文庫 1977.7.25 初版)

 【お薦め本】紹介ではないと言いながら、矛盾するようだがいつものように、3つのお薦めポイントをあげる。

(1)「原子論」の歴史を概観できる!!

(2)「原子論的物質観」に基づく授業づくりのヒントがここにある!!

(3)これからの「原子論」の可能性を教えてくれている!!

▼これに従い少しずつ詳しくのべてみる。

(1)「原子論」の歴史を概観できる!!
 「はじめに」次のように書いてあった。

敗戦後まもなく、マッカーサー統治下の一九四九年に、私は『原子論の誕生・追放・復活ー原子と化学』(三一書房刊)とい小著を出した。(同書p3より)

 つまりこの本の元本は1949年に出されていたということになる。
 今から73年も前のことになる。
 さらに旧著のはしがきを引用しながら、こう語られていた。
 旧著のはしがきに私は次のように書いた。
 「(中略)またもう一つ私が強調したいのは、科学を凶器にしてはいけないということです。このことが今ほど切実に感じられるときはありません。この重要な歴史の瞬間に、ギリシアや中世紀の人々の意見などを聞いてみるのは、ひどくまのびのしたことと思われるかもしれません。真実は、いつでもたたかいの中からかちとられてきました。その歴史をながめることは、迂遠ではない教訓を与えてくれるとおもいます。《中世》ははたしてわれわれの前に、たちふさがってはいないでしょうか。この本を書きながら、私はいつでもそういうことを思い続けました。」 
 この心持ちは二八年たった今日、いささかも変わっていないことを書きそえておく。
(同書P4 より)

 1977年5月。著者・田中実氏はこう語った。
 それからでも、45年の歳月が経った。

 《中世》ははたしてわれわれの前に、たちふさがってはいないでしょうか。

の問いかけは、よりリアリティをもって響いてくるのだった。
 私は不勉強でほんとうに「世界史」に疎かった。しかし、この本を読み進めるなかで「歴史」を読み解く秘訣・コツのようなものがあるのに気づかされた。
 たとえばこうだ!!

  では原子論史上二人のDすなわちデモクリトスとドールトンとをつなぐ一本の赤い糸は何であったのだろうか。オリエント社会から高い物質文明、とくに鉄器文明を受けついだギリシア人の中から、自然と人工の事物についての豊富な知識にもとづいて、万物の根源を問う学問と思想が生まれた。彼らがさぐりあてたのは、物質不滅の原理であり、それと表裏一体の元素と原子にかんする概念であった。それは二〇〇〇年にわたる物質探究の源流となった。社会的生産力が高まって、人間が自然を加工する活動の発展につれて、物質的自然の知識はたくわえられ、物質不滅の原理は実践を助ける重量保存の法則に高められた。それとともに、元素と原子の概念は、より多く現実の物質と結びつけられたものに変貌し、これらを実験自然科学の理論の中に位置づける模索がつづけられた。
(同書P161より)

 そうだ!!
 ものごとをバラバラにみるのではなく、ツナゲて考えることだ!!
 ツナグ「赤い糸」をみつけることだ!!
 
 「原子論」こそ物質探究の歴史を読み解くときの「赤い糸」だ!!


(2)「原子論的物質観」に基づく授業づくりのヒントがここにある!!
最初に言っていた「原子論的物質観」というコトバ、ここでみつけた!!

 ドールトンがニュートンの影響を受けて、その原子論的物質観を、当然のこととして受け入れて、ラヴォアジエの元素各種の本体をそれぞれ固有の原子と考え、そうした原子を重さの測定のできるものにしたことは、前章に書いたとおりである。そしてニュートンの原子の出どころを源流までさかのぼればデモクリトスにたどりつくことはまちがいない。
(同書P161より)

 他所でも使われていたかも知れないが、はじめて気づいたのはここだった。
もう一度「目次」をあげてみる。

はじめに
一 火の技術
二 原子論の誕生と追放
三 原子の忘却
四 原子のルネッサンス
五 科学的元素から原子へ
六 仮説の原子から実存の原子へ

 なんとか読み終えた今、痛切に思う!!
 「原子論的物質観」に基づく授業とは、この「原子論の歴史」のどこかにその「授業」を位置づける作業なのだ。
 従って授業づくりのヒントは、ここにある!!
 生徒たちの物質認識の過程は、この「歴史」のなかにある!!

 もうひとつある!!
「はじめに原子ありき」の授業の可能性だ!!
 21世紀に生きる「原子論者」を育てよう!!

▼最後にいこう。
(3)これからの「原子論」の可能性を教えてくれている!!
最後の方に、きわめて示唆的な文章があった。

 科学的方法による自然認識が、人間が物質的世界にはたらきかけることによって描き出す客観的世界の像である以上は-そのことの真偽がまた現代の哲学の一大論争点でもあるのだが-どんなに不完全で、断片的な像であろうとも、より完全な、より全体的な像へ接近するための手がかりでなければならない。不完全な像を完全なものと断定し、部分の姿を全体像ときめつけたとき、そこに誤りが生まれ、挫折がおこり、ひいては科学的真理への不信が芽生える。
(同書 P175より)

 たとえ「原子論」と言えども、更新を怠るとき内なる《中世》が蘇ってくるのである!! いつまでも、自分自身の「ふしぎ!?」を大切しながら更新をつづけ、これからも21世紀を生きる「原子論者」でありつづけたいものだ!!

読み終えて、あらためて色褪せてしまった「表紙」を見た。あのドールトンの「こだわり」を思い出した。

 ドールトンは原子を面白い円形の記号であらわした。酸素原子はただの円、水素原子は中心に点を打った円等々。それは原子にたいするドールトンのゆるがぬ確信をあらわしているかのようだった。現在われわれが使っている酸素=O、水素=Hなどの記号がスウェーデンの化学者べルセリウスによって提案されると、彼は頑固にそれを拒否した。アルファベットで原子をあらわしては、ほんとうに存在し、結合し分離する原子というもののイメージがあいまいになってしまうと考えたのである。
(同書 P158より)

まちがいない!!
『原子論の誕生・追放・復活』は名著中の名著デアル!!

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