「原子論」を科学する(30) #原子論の歴史 #古代ギリシア #哲学の誕生 #原子論の誕生 #デモクリトス
▼「上弦まで と 下弦からは「地球照」が撮れる!!」
それは、長年にわたる私の体験的ルールだった。
可能なかぎり「地球照」の撮影に挑戦しはじめたのはいつの頃からだろう。
やっと、頭の中に「三球儀」の具体的イメージができつつあった。
さて、古代ギリシアの人びともこの「地球照」を見ただろうか。
いやきっと 見ているはず!! ナラバ これをどう解釈したのだろう!?
▼「原子論」の歴史をつづけよう。
今度は 『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』を参照しながら
古代ギリシアで「原子論」は誕生した。ではその古代ギリシアとはどんな世界だったのだろう?
じつは、これ以前の人びとは、ふだん経験しない自然現象が起きると、それをみな「神様のしわざ」と考えて恐れるばかりだったのです。ところが、それらの学者たちは、自然現象を神様のしわざとは考えませんでした。
どんな出来事でも、神様のせいにすると、それ以上の説明をしなくていいことになります。しかし、古代ギリシアはどんな現象も人間に理解できるものと考えて、その原因をさぐろうとする人びとが現れはじめたのです。「<自然や社会の現象のうちの最も根源的な問題>を、やたらに神様のせいにしないで理解しようとする学問」のことを、「哲学」といいます。そこで、上に名をあげたような学者たちのことを「哲学者」といいます。
哲学という学問は、世界で最初に古代ギリシアで生まれたのです。じつは、「科学」というのは、こういう「哲学」があってはじめて生まれることができたのです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』P18より)
▼なんか今度はずいぶん遠回りをしているようにも感ずるが、すすめよう。
だから、じかに目に見えないものを探る「科学研究」というのは、犯罪捜査ととても似ています。だから、科学研究の調べる「科学の歴史」の研究は、探偵小説を楽しむのと同じように楽しむことができるのです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』P39より)
少しだけ納得して、まあ次に行こう。
▼「科学の方法」に関して、こんなことが書いてありました。
哲学者というのは、怪しげな議論ばかりしているようにも見えます。「この世のものはすべて、<それ以上分けられないアトム=原子>でできている」という考えだって、はじめのうちは、一つの想像・予想でしかありません。しかし、そういう想像があってはじめて、新しい発見が生み出されることがあるのです。そういう「新しい発見を生み出すような<仮りの説>のことを「仮説」といいます。多くの自然現象のなかでも、とくに捉えにくいものは、そういう仮説をもとにした予想をたててはじめて見えてくるのです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』P40より)
●前370年頃 デモクリトス(前460~前370頃)、没。「すべてのものは<それ以上こわれないアトム=原子>と<空虚=真空>とからなる」という原子論を提唱。
(『原子論の歴史-復活・確立-』年表 P178より)
(つづく)
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