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「原子論」を科学する(33) #原子論の歴史 #ストラトン #逍遙学派 #教訓茶碗 #ヘロンの噴水 #ふきあげ #原子論の勝利

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▼ずいぶん久しぶりに、昔なつかしいサイホンを利用した玩具『ふきあげ』を引っぱり出してきた。
 青いガラス玉が、カタカタくるくると回りはじめた!!なかなか涼しげで風流なものだ。

 はじめて出会ったのは今から38年も前の話だ。そのとき書いた図があった。
 原理はいたって簡単、海苔の空き瓶に『ふきあげ』を引っかけて、水をいっぱい入れるとサイホンで水を吸い上げ、外のひょうたん形の下までいって、「噴水」となった。
 横からも水は噴き出した。「噴水」にガラス玉をのせると、ガラス玉はカタカタくるくると回るという仕掛けだ。最高にお気に入り玩具のひとつだった!!

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▼「原子論」の歴史をつづけよう。
『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』を参照しながら

 デモクリトスの「原子論」は、エピクロスというすばらしい後継者の登場で、すぐれた「科学」となった。一方、「原子論」をきびしく批判したアリストテレスたち=逍遙学派の人たちはその後どうなったのでしょう。
 そのなかでも逍遙学派の第三代学頭ストラトンの活躍はめざましいものがあったようです。

 ストラトンは、とくに<気体と圧力>の研究で大きな成果を上げました。そして「気体は微細粒子から成る」と考え、アリストテレスの認めなかった「真空」の存在を認めました。<微粒子と真空>の両方の存在を認めてしまえば、原子論とそっくりです。しかし、彼は、「その微粒子は絶対に壊れない」とまでは言わず、逍遙学派の学頭に留まって、最終的には原子論と一線を画しました。彼はアリストテレスに従って、<基本原理は熱・冷という二つの基本的性質である>とも言いました。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p97より)

▼ここで著者のいちばん言いたかったと思われるところがでてきます。

 それどころか少し前の本になると、「古代の原子論は科学的でない空想的なものに過ぎなかった」として、それに対するアリストテレスの批判だけを取り上げました。そこで、「古代の原子論は何の科学的な成果も挙げずに、アリストテレスの批判の前に滅び去った」と間違って考える人がたくさんいます。
 しかし、そのような考えは間違っています。古代の原子論は、遅くともエピクロスの時代には、重さの重視によって科学研究と結びついていたのです。そして、ストラトンの研究によって、気体の科学的な研究とも結びついていたのです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p99より)

 ここにこの本 のタイトル『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』に、「誕生」と「追放」の間に「勝利」を入れた本意があるのです!!
 著者は「原子論」が一度は「勝利」したことを言わずにおれなかったのでしょう!!

▼ストラトンにこだわっての話はまだまだつづきます。

 ストラトンの<気体と圧力>の研究は、原子論の真実性を増すことになりました。それだけではありません。すでに触れたように、彼の研究は当時の技術者たちに受け継がれて、<空気と水>を使った技術の開発にも多くの貢献をしました。古代の技術者たちは、ストラトンが研究した<空気と水>の性質を巧妙に利用して、素晴しい発明をたくさんしていたのです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p113より)

 これにひきつづき
・教訓茶碗
・ヘロンの噴水
と話題は展開していくのだった。
 正直言って、そこまで「原子論」と関連させて考えているのには驚きでした。

 さらにこんなことも

 ストラトンが研究したのは、空気と圧力だけではありません。彼は
 「木炭は、炭焼き前の木材と大きさが同じかほとんど同じなのに、重さはまったく違う」という事実を指摘しています。これは、彼が<重さ>に目をつけて研究している証拠です。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p118より)

 ストラトンは、エピクロスと同じように、重さに注目して自然を研究していたのですが、この二人は、<軽さ>についての考えも一致していました。 (『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p120より)
 等々で  <原子論者のエピクロス>と<逍遙学派のストラトン>は、似たような考えをもっていたことは確かなようです。

 『ふきあげ』の青いガラス球はカタカタくるくると、水位がガラス管の端に達するまで回り続けているのだった。


●前286年頃 ストラトン(前340頃~前268)、アレクサンドリア市からアテナイに戻り、逍遙学派の第三代学頭に就任。「空虚について」「軽さと重さについて」「機械学」などを著し<自然学者>と呼ばれる。
(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P179より) 

(つづく)

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自然結実ヒガンバナの「種子」の発芽・発根は199個になった!!(2022/07/29) #ヒガンバナの種子 #実生ヒガンバナ #日本ヒガンバナ学会

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▼2021年に採集・回収した823個のヒガンバナの「種子」を使った実生実験!!
 前回の観察は2022/06/28であった。

●自然結実ヒガンバナの「種子」の発芽・発根は181個になった!!(2022/06/28)

 この段階で、すでに181個もが発芽・発根していた。

▼今年の実生実験は、これまでと違って発芽・発根した場合も植木鉢に植え替えずにいた。
 育苗トレーのなかにそのままにしていた。
 さすがにもうあらたに発芽・発根したものはないだろうと思いながらトレーのフタをとった。
 前回までに発芽・発根したものは、基本的に地上部から姿を消していた。
 根が地中へひっぱり込んだのだろうか。
 かろじて小さな「球根」(鱗茎)が顔をだしているのもあった。

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▼予想に反して、あらたに発芽・発根したものもあった!!
 ビックリである。
 前に発芽・発根していたものかMAPを見ながらチェックしていった。
 まるまると太ったもの、長くのびたものいろいろである。
 先の方に根毛のようなものがみられるのもあった!!
 前回まで多かった【安富】は、今回は1個だけだった。
 【夢前】は2個。
 多かったの【福崎】だった。15個もみられた。
 【その他】は、今回は0個だった。

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▼今回あらたに発芽・発根したものの総合計は18個!!
 前回までの181個に加えると 総合計199個である。

●2022/07/29現在、「発芽・発根」した種子の総合計199個である!!
 
 現段階の暫定発芽率は 199/823×100= 24.2%
 【安富】にいたっては 69/208×100= 33.1%

 全体にほぼ4個にひとつは発芽・発根している。
 【安富】にいたってはほぼ3個にひとつは発芽・発根している。
 これはもう「たまたま」の域を越えている!!
 
 この後、秋になっての「出葉」を待つことになる。はたしてどこまで「出葉」するだろう!?

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「原子論」を科学する(32) #原子論の歴史 #エピクロス #原子の重さ #ものの重さ #ものの軽さ #真空

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【2022/07/28 07:01:07】

コガネグモ9号は食事中だった!!

 私の「クモ学」は、コガネグモの狩りの目撃からはじまった。
しかし、それが「食事」のすべてではなかった。狩りで獲物を捕まえてから、ゆっくりゆっくり「食事」が続く。クモの「食事」は、ちょっと変わっていた。クモの唾液(消化液)は、口の外に分泌されるのだ。言わば「体外消化」を行なうのである。
 従って、クモは固形物を口の中に入れずに、消化液でどろどろになった液状の「食べ物」を摂取するのである。チュウチュウするのである!!
そこでとんでもない「こじつけ」珍問題だ!?

 コガネグモの体重+獲物の体重=総合計体重は、「食事」の前後で変化するか?
 あのエピクロスに聞いてみよう!!


▼「原子論」の歴史をつづけよう。
『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』を参照しながら

デモクリトスの「原子論」、あのアリストテレスにこてんぱんやられて、ポシャってしまったのだろうか。デモクリトスの後継者たちは現れなかったのだろうか。
 そこに登場したのが、強力な味方エピクロスたちだった。

 それなら、エピクロスの原子論はデモクリトスの原子論とどこがちがっていたのでしょう。彼はデモクリトスの原子論に何を加えたというのでしょうか。
 エピクロスの原子論がデモクリトスの原子論ともっとも違う点は、<原子の重さ>を重視したことでした。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p71より)

今から考えればアタリマエ!!
  しかし、それは画期的なことでした。

  ここから「原子論」は「科学」になったのです!!

▼例えばこうです。

 「この世のものはすべて、人間の身体も、胃や腸などの消化器も、飲食物も、みな原子でできている」とすると、それがあつまったものの重さは、どういうことになるでしょう。原子というものは、壊すことも無から生ずることもできないものです。そこで、その一個一個の原子の重さもかわらないとすると、それらの原子がどのように配置・結合しようと、その重さは変わらないことになります。<色や形の違う何種類もの粒子>を集めるとすると、その重さは、それらの粒子の並び方によって変わることはありません。それと同じように、原子の集まったものの重さは、変わらないのです。
 そして、新しい原子が加わればその分だけ重くなり、その原子の一部が外に出ていけば、重さも減ります。しかし、原子が出たり入ったりしなければ、その重さは変わらないのです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p78より)

 これが「原子論」が「科学」であるところのキモです!!
 このアタリマエこそが、時代を超えた物質探検の「鉄則」デス!!  

▼このアタリマエは、次なる展開にツナガル!!

 「すべての原子に重さがある」とすると、「すべてのものには重さがある」ことになります。「すべてのものには重さがある」と主張することは、「この世には<軽さ>などというものは存在しない」と主張することです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p85より)

 <軽さ>の否定は、とても重要な展開にツナガルのです。
 「アリストテレスは、<真空>の存在を認めない代わりに、<軽さ>の存在を認めていた。それに対して原子論者は、<軽さ>の存在を認めない代わりに、<真空>の存在を認めていた」といってもいいのです。
 原子論に反対な人びとは、「上に昇っていくものは、そのものの本来の性質に基づくのだ」と主張しました。「<軽さ>をもったものは、自然に上に昇っていくのだ」というわけです。ところがエピクロスは、「ものには<上に昇っていく性質=軽さ>などというものはない。それなのに上に昇っていくものがあるが、それはまわりのものに押し上げられるからだ」というのです。
 原子論者と反原子論者の対立は、上向きの運動を、<そのものの本来の性質による>と説明するか、<まわりのものの及ぼす力=浮力による>と機械的に説明するか、という対立になって現れたのです。 
 この対立は、この世の現象を<ものそのものの性質によって説明するか><機械的な力の働きによって説明するか>の違いにもなってきます。この対立は<世界観、自然観の対立>ともいわれます。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p86より)

ナルホド(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン

●前310年冬 エピクロス(前342~前271) この頃、重さと隙間=真空に目をつけた研究始まる。
(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P178より)


(つづく)

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「原子論」を科学する(31) #原子論の歴史 #アリストテレス #逍遙学派 #原子論批判 #ヘレニズム文化

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【2022/07/26 09:11:48】

3号大賀ハスにも「あこがれの4日間」はやって来た!!

 2022/07/24に一度は干上がってしまった「大賀ハス観察池」。
 それにもかかわらず観察池3つ目の蕾にも「あこがれの4日間」が、25日の早朝よりはじまった。
 何度観察しても、「あこがれの4日間」はやっぱり「ふしぎ!?」だった。

 この「ふしぎ!?」、あの ナンデモコイ のアリストテレスならどのように謎解きをしてくれるだろう!?


▼「原子論」の歴史をつづけよう。
続いて 『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』を参照しながら

 デモクリトスから遅れることやく80年。あの ナンデモコイ のアリストテレスの登場だ。アリストテレスのナンデモコイ!!ぶりは尋常ではなかった。
「哲学」、「天体論」、「宇宙論」、「気象論」「動物運動論」等々
「クジラは魚と違って、卵を生まずに、陸の哺乳類と同じように子どもに乳をやって育てる」ということまで発見していたというからビックリである。
 さすが「古代最大の哲学者」!!門人たちもたくさんいたようだ。

 ところで、アリストテレスの学派は、プラトンの<アカデメイア派>のように<リュケイオン派>と呼ばれることはありません。<逍遙学派>と呼ばれるほうが普通なのです。アリストテレスは教室で講義するよりも、散歩=逍遙しながら講義をするのが好きだったので、多くの人びとは<アリストテレス学派>のことを<逍遙学派>と呼ぶようになったからです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』P53より)

▼そんなナンデモコイのアリストテレスが、デモクリトスの「原子論」について黙っているわけはありません。「原子論」をきびしく批判しています。

 アリストテレスはデモクリトスの原子論に全面的に反対でした。彼はとくに二つの理由をあげて反対しました。
 その一つは、「<アトム=原子は大きさをもっている>というのだから、<もうそれ以上壊れない>というのはおかしい。大きさがあるものは、いくらでも壊すことができるはずではないか」というものでした。
 それから、もう一つの反対は、「原子が運動するという空間=<真空>の否定でした。
アリストテレスは、「からのコップの中には何もないように見えるが、空気が存在している」ということを知っていました。だから、からのコップを示して「ほら、ここに真空があるではないか」と言って説得することはできませんでした。それだけではありません。アリストテレスはさらに、「<真空=ものがまったくない場所だけの空間>など考えることもできない」と主張しました。
 <何もものがない場所がある>というのは、<無いものが有る>ということで、「論理そのものから矛盾している」というのです。「<無いものが有る>=<無が有る>なんて、そんな議論は議論そのものとして成り立たない」というのです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p60より)

?(゜_。)?(。_゜)?
頭が少し混乱してきたゾ!!

▼古代の「原子論」もこれまででポシャってしまったのではなかった。

 じつは、目にみることのできない原子も、地球や月の形と同じように、「原子はこんな性質をもっているに違いない」という仮説をもとにして、はじめてだんだん確からしくなり、ついにまったく疑うこともできないくらい確かなものになってきたのです。
 「もしも、古代の原子論がなかったら、現代の原子論もなかっただろう」と言ってもいいくらいなのです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』p63より)

●前355年 アリストテレス(前384~前322)、アテナイのリュケイオンに学校を開く。デモクリトスの原子論をきびしく批判。
(『原子論の歴史-復活・確立-』年表P178より)

(つづく)

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第24回オンライン句会「寅の日」8月例会案内!! #寅の日 #オンライン句会 #夏雲システム

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子規庵の糸瓜の花が咲き始めた!!

 ・「子規庵の糸瓜」4年目の種子を蒔いた!!(2022/05/06) #子規庵 #糸瓜 #糸瓜の種子
 ・「子規庵の糸瓜」4年目も発芽してきた!!(2022/05/18) #子規庵 #糸瓜 #糸瓜の種子 #発芽
 その糸瓜の花(雄花)が咲き始めたのである。
 今年は、今までとちがい地植えに挑戦していた。この方がとても元気に見える!!
 今年の糸瓜忌(子規忌)には間に合うかな。

▼その子規庵、松山市立子規博物館などを訪れるなかで、「句会」にあこがれるようになっていった。
 そのあこがれは、思わぬかたちで実現することとなった。
 オンライン句会「寅の日」デアル!!
 句会が起ち上がって、はや2年が過ぎようとしていた。
 はじめてみると、「あこがれ」以上のものがそこにはあった!!

▼あらためて、第24回オンライン句会「寅の日」8月例会の案内をあげておく。

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第24回オンライン句会「寅の日」8月例会実施案内

0.はじめに
 本会をオンライン句会「寅の日」と称する。
 オンライン「寅の日」から生まれたオンライン句会です。
 俳句結社「寅の日」が運営しています。
 寺田寅彦に師事します。 

0からはじめる人のためのオンライン句会です。

 本会は「夏雲システム」を利用させてもらっています。

1.原則として月一回の月例句会を実施します。

2. 参加者
 あらかじめ登録された者のみ。
 (「俳号」をきめて、【句会「寅の日」参加希望】のタイトルで楠田までメールを)
 
3.投句のお題
・当季雑詠(その季節の季語を自由に詠む。)

4.句数
・5句だし
・5句選(特1・並4)特選は2点 並選は 1点 扱い
・予選句は自由 

5.【投句期間】
 2022年8月1日0時から15日23時30分まで
 
6.【選句期間】
 2022年8月16日0時から25日23時30分まで  

7.【結果発表】
 2022年8月26日から
同時に「談話室」が書き込み可能になります。

8.賞について
 ・最高得点句は最優秀句であり、その句会の「寅日子」賞とする。
 ・特別賞として、次の賞を設ける。
 「これぞ科学!!」が詠まれた句 → 「牛頓」(ニュートン)賞!!
 「よくぞそこまで観察した!!」という句 → 「藪柑子」賞!!
  特別賞は、毎回でなくてよい。
  もちろん「寅日子」賞と重なることがあってもよい。
  参加者が、選評の際に書き込むようにようにしたい。複数票を獲得したときに受賞としたい。

9.注意事項
 参加する前に「夏雲システム」、「同意事項」をよく読んでおいてください。

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▼誰にも「はじめて」がある!!
 「はじめて」の方がスバラシイことも多々ある。それが俳句の世界だ!!
 はじめての方も、ベテランもフラットに俳句を愉しむのが、「句会」の醍醐味である!!
 お気に入りの俳号をきめてメールをください。
 まずは、その一歩を!!

 8月の「句会」からどんな句がうまれるかな楽しみである。
 

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「原子論」を科学する(30) #原子論の歴史 #古代ギリシア #哲学の誕生 #原子論の誕生 #デモクリトス

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「上弦まで と 下弦からは「地球照」が撮れる!!」

 それは、長年にわたる私の体験的ルールだった。
 可能なかぎり「地球照」の撮影に挑戦しはじめたのはいつの頃からだろう。
やっと、頭の中に「三球儀」の具体的イメージができつつあった。

 さて、古代ギリシアの人びともこの「地球照」を見ただろうか。
 いやきっと 見ているはず!! ナラバ これをどう解釈したのだろう!?

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
今度は 『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』を参照しながら

 古代ギリシアで「原子論」は誕生した。ではその古代ギリシアとはどんな世界だったのだろう?

 じつは、これ以前の人びとは、ふだん経験しない自然現象が起きると、それをみな「神様のしわざ」と考えて恐れるばかりだったのです。ところが、それらの学者たちは、自然現象を神様のしわざとは考えませんでした。
 どんな出来事でも、神様のせいにすると、それ以上の説明をしなくていいことになります。しかし、古代ギリシアはどんな現象も人間に理解できるものと考えて、その原因をさぐろうとする人びとが現れはじめたのです。「<自然や社会の現象のうちの最も根源的な問題>を、やたらに神様のせいにしないで理解しようとする学問」のことを、「哲学」といいます。そこで、上に名をあげたような学者たちのことを「哲学者」といいます。
 哲学という学問は、世界で最初に古代ギリシアで生まれたのです。じつは、「科学」というのは、こういう「哲学」があってはじめて生まれることができたのです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』P18より)

▼なんか今度はずいぶん遠回りをしているようにも感ずるが、すすめよう。

 だから、じかに目に見えないものを探る「科学研究」というのは、犯罪捜査ととても似ています。だから、科学研究の調べる「科学の歴史」の研究は、探偵小説を楽しむのと同じように楽しむことができるのです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』P39より)

少しだけ納得して、まあ次に行こう。

▼「科学の方法」に関して、こんなことが書いてありました。

 哲学者というのは、怪しげな議論ばかりしているようにも見えます。「この世のものはすべて、<それ以上分けられないアトム=原子>でできている」という考えだって、はじめのうちは、一つの想像・予想でしかありません。しかし、そういう想像があってはじめて、新しい発見が生み出されることがあるのです。そういう「新しい発見を生み出すような<仮りの説>のことを「仮説」といいます。多くの自然現象のなかでも、とくに捉えにくいものは、そういう仮説をもとにした予想をたててはじめて見えてくるのです。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』P40より)

●前370年頃 デモクリトス(前460~前370頃)、没。「すべてのものは<それ以上こわれないアトム=原子>と<空虚=真空>とからなる」という原子論を提唱。
(『原子論の歴史-復活・確立-』年表 P178より)
 

(つづく)


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【Web更新7/24】22-30 サイエンスコミュニケーター宣言 等 更新!!

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朝顔のさだめまもりて律儀かな 22/07/23撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】22-30
週末定例更新のお知らせ
 「夏休み」ダ!!
 なんという響きをもつコトバだろう!!
 このコトバを聞くだけで身も心もワクワクしてくる。o(^o^)o ワクワク
 しかし やっと 今年こそ !!
 の気持ちも萎えてきそうな気配も、こんなときこそフレキシブルに!!

◆表紙画像集2022 更新 朝顔
 昨年、こぼれ落ちた朝顔のタネが、芽生え つるをのばし そこかしこに花が咲き始めた。
 今朝はあんなに元気だったのに!?
 朝顔の「さだめ」とは言え、昼ごろまでに赤く萎んでしまうのははかない。
 考えてみると、この「からくり」もけっこう面白く「ふしぎ!?」だ。
 どんな「化学変化」が関与しているのだろう!?
 さあ、今朝はどこに花が咲くだろう!?

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 ファラデーラボ「かがく」カフェはいつもたくさんのことを学べるからうれしい!!
 「原子論」を科学する シリーズはまだまだつづけるつもりだ。
 「原子論」の歴史も、少し切り口を変えて続行だ。
 どこまで…!? はきめていない。面白くなくなったら、すぐやめよう!!

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 6月・7月と読み続けてきた「ルクレチウスと科学」は、いったん終わった。
 しかし、まだまだその余韻のなかにいた。
 「原子論」の歴史とも関連して、何度でもひっぱりだしてきたい。


 大賀ハス観察池は、蓮根の植え替えから17週目だった。
 葉のジャグルの中から、第3号大賀ハスのつぼみが突き出ていた。
 「あこがれの4日間」が近づいていると見た!!
 それは昨日(2022/07/24)朝のこと。悲劇はそのあとに起こった。
 池の水が干上がってしまったのだ。何度も雨がふったので安心していた。
 しかし、降った雨は葉のジャグルで受けられ池の外にこぼれてしまっていたのだ。
 さて、この後の展開は!?

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本日(2022/07/24)、第322回オンライン「寅の日」!! #ルクレチウスと科学 #traday #寺田寅彦

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▼あの銅像が建てられたのは、ちょうど4年前の今日だった。(2018/07/24)

●寅彦の銅像を訪ねて(2) #traday #寺田寅彦

 像の前に立てば
 「ねえ君 ふしぎだと思いませんか」
 と寅彦がやさしく語りかけてきてくれるだろう。
 今度、立てるのはいつかな。楽しみだ!!

 この銅像が、いつもオンライン「寅の日」を応援してくれていると勝手に思っている!!

▼そんな記念すべき本日(2022/07/24)は、第322回オンライン「寅の日」だ。
 7月テーマは

【7月テーマ】「寅彦とルクレチウス」

である。6月から引き続いて、「ルクレチウスと科学」を読んできた。
 本日はその5回目、最終回である。

◆本日(2022/07/24)、第322回オンライン「寅の日」!!

●「ルクレチウスと科学」(5)(青空文庫より)

▼いよいよ最終回である。
 六章(六巻)と後記を中心に読み解いていく。
 最初にこう書いていた。

 第六巻では主として地球物理学的の現象が取り扱われている。これは現在の気象学者や地震学者、地質学者にとってかなりに興味あるものを多分に包有し提供している。しかしここでこれらの詳細にわたって紹介し評注を加えることはできない。私はもし機会があったら、他日特に「ルクレチウスの地球物理学的所説」だけを取り出してどこかで紹介したいという希望をもっているだけである。

 寅彦的にはけっこう気に入っていたようである。
 そして、あの銅像の台座に書かれたコトバ
 「天災は忘れられたる頃来る」
 を思い出させるような文章がつづく。

 彼が雷電や地震噴火を詳説した目的は、畢竟(ひっきょう)これら現象の物質的解説によって、これらが神の所業でない事を明らかにし、同時にこれらに対する恐怖を除去するにあるらしい。これはまたそのままに現代の科学教育なるものの一つの目的であろう。しかし不幸にして二十世紀の民衆の大多数は紀元前一世紀の大多数と比較してこの点いくらも進歩していない。たとえば今のわが国の地震学者が口を酸(す)くして説くことに人は耳をかそうとしない。

 さらに続けてこうも言っていた。
そうして大正十二年の関東地震はあれだけの災害を及ぼすに至った。あの地震は実はたいした災害を生ずべきはずのものではなかった。災害の生じたおもなる原因は、東京市民の地震に対する非科学的恐怖であったのである。科学は進歩するが人間は昔も今も同じであるという事を痛切に感じないではいられない。同時に今の科学者がルクレチウスから科学そのものは教わらなくても、科学者というものの「人」について多くを教わりうるゆえんをここにも明らかに認めうると考えるのである。

 そして最後に興味深い言葉で結んでいる。
ルクレチウスはおそらく、この後にさらに何物かを付加する考えがあったのではないか。私はこの書に結末らしい結末のない事をかえっておもしろくも思うものである。実際科学の巻物には始めはあっても終わりはないはずである。

▼いよいよ最後の「後記」である。ここには、これまでのエキスをすべて詰め込んでいる!!そんな気がするのである。
 私がずっと問いつづけている
 
 「寅彦は、なぜかくも熱くルクレチウスを語るのか!?」

 の答えもここにありそうな気がする。だから、少し引用がたくさんになるが、お許し願いたい。
 まずルクレチウス礼賛の言葉を聞いてみよう。

 ルクレチウスの書によってわれわれの学ぶべきものは、その中の具体的事象の知識でもなくまたその論理でもなく、ただその中に貫流する科学的精神である。この意味でこの書は一部の貴重なる経典である。もし時代に応じて適当に釈注を加えさえすれば、これは永久に適用さるべき科学方法論の解説書である。

 現代科学の花や実の美しさを賛美するわれわれは、往々にしてその根幹を忘却しがちである。ルクレチウスは実にわれわれにこの科学系統の根幹を思い出させる。そうする事によってのみわれわれは科学の幹に新しい枝を発見する機会を得るのであろう。

 現代の科学がルクレチウスだけで進められようとは思われない。しかしルクレチウスなしにいかなる科学の部門でも未知の領域に一歩も踏み出すことは困難であろう。

 ここで寅彦はたいへん興味深い「作業仮説」を提案していた!!
 今かりに現代科学者が科学者として持つべき要素として三つのものを抽出する。一つはルクレチウス的直観能力の要素であってこれをLと名づける。次は数理的分析の能力でこれをSと名づける。第三は器械的実験によって現象を系統化し、帰納する能力である。これをKと名づける。今もしこの三つの能力が測定の可能な量であると仮定すれば、LSKの三つのものを座標として、三次元の八分一(オクタント)空間を考え、その空間の中の種々の領域に種々の科学者を配当する事ができるであろう。

L…ルクレチウス的直観能力
S…数理的分析能力
K…器械的実験より系統化・帰納する能力
面白い!! 
あなたはどこに位置するだろう? 私自身はどうだろ?

寅彦の示唆することはこのあたりにあるようだ!!

以上の譬喩(ひゆ)は拙ではあるが、ルクレチウスが現代科学に対して占める独特の位地を説明する一助となるであろう。
 誤解のないために繰り返して言う。ルクレチウスのみでは科学は成立しない。しかしまたルクレチウスなしには科学はなんら本質的なる進展を遂げ得ない。

 最後の寅彦からの忠告・戒めは真摯に受け止めたい。
 私は科学の学生がただいたずらにL軸の上にのみ進む事を戒めたく思うと同時に、また科学教育に従事する権威者があまりにSK面の中にのみ学生を拘束して、L軸の方向に飛翔(ひしょう)せんとする翼を盲目的に切断せざらん事を切望するものである。

 ほんとうに引用ばかりが多くなって恐縮してしまうのだが、最後の寅彦の独白は捨てやることができなかった。
また一方私はルクレチウスをかりて自分の年来培養して来た科学観のあるものを読者に押し売りしつつあるのではないかと反省してみなければならない。しかし私がもしそういう罪を犯す危険が少しもないくらいであったら、私はおそらくルクレチウスの一巻を塵溜(ごみため)の中に投げ込んでしまったであろう。そうしてこの紹介のごときものに筆を執る機会は生涯(しょうがい)来なかったであろう。

ここに答えが!!

 これでいったん終わりとするが、「原子論」を科学する のなかでも繰返し話題としたい。

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「原子論」を科学する(29) #原子論の歴史 #板倉聖宣 #仮説社 #科学史

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▼「原子論」を科学する シリーズをつづけようと思う。
 さらに「原子論」の歴史 もまた続けたいと思う。
 少し切り口も変えてみようと思う。
 参考にする本も変えてみる。
 
◆ 『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』(板倉聖宣著 仮説社 2004.4.5初版)

▼さっそく、「目次」をあげてみよう。

第1章 ギリシアの社会と哲学の誕生
 ……原子論の誕生
第2章 アリストテレスの科学研究
 ……「古代最大の哲学者」の生涯と原子論
第3章 科学になった原子論
 ……重さに目をつけたエピクロス
第4章 その後の逍遥学派と原子論
 ……ストラトンの〈真空論〉と重さの研究
第5章 アルキメデスの科学と原子論
 ……付録:医学者エラシストラトスと原子論
第6章 ローマのエピクロス主義者たち
 ……「原子の詩人」ルクレティウスとその他の詩人たち
第7章 紀元1~2世紀の原子論
 ……セネカとルキアノスの時代
第8章 偽預言者事件と原子論者たち
 ……キリスト教の国教化とギリシア哲学の追放

▼あれ!?
 前回まで参照していた『原子論の誕生・追放・復活』とよく似たタイトルだ!!
 『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』
 微妙にタイトルがちがうのがわかるでしょうか!?
 そうです。「誕生」と「追放」のあいだに「勝利」が入っているのです。
 どうやらここに著者の強いこだわりがあるようです。
 「はしがき」に次のようにのべています。

 古代ギリシャの原子論は<まったく空想的なものに過ぎない>というのは間違いです。それは立派な実験的な根拠もっていて、アルキメデスなどの古代ギリシアの科学を生み育てていたのです。アリストテレスが原子論を懸命に論駁したことは確かですが、アリストテレス学派の3代目の学頭ストラトンは原子論に限りなく接近しました。古代ギリシアの時代においてさえ、原子論は事実上勝利していたのです。そして、古代ローマの時代にも原子論は多くの人びとに支持されていたのです。 
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』P1より)

 このように「勝利」を強調しています。

▼もうひとつこの本には大きな特徴があります。
 またまた「はしがき」でこうのべていました。

 さて、じつは私がこの本の原稿を書きはじめたのは、高等学校の『基礎理科』というコースで「科学史を中心とした授業」が始まることを知ったときでした。これまでの理科教育は、多くの「科学嫌い」を生産する結果になりましたが、高校で科学史の授業が始まると、またまた多くの「科学史嫌い」が生産される結果になるのではないかと、とても心配だったからです。
(中略)
 そこで、科学史と科学教育の研究の両方を専門にしている私としては、ごく一部分の授業でもいいから「私ならこうする」というプランが発表できないものか、と思い悩んできました。
(中略)
 そこで思いついたのは、「<原子論の歴史を中心にした科学史>の授業をやったら、高校生たちにも楽しい授業かも知れない」ということでした。
(『原子論の歴史-誕生・勝利・追放-』P2より)

 ナラバ
 本書をテキストとして、私自身が高校生になったつもりで、今一度、「原子論」の歴史を追いかけてみようと思った!!
 寄り道、脇道、道草もいっぱいに 気の向くままに!!  
 ゆっくり  ゆっくり 急ごう!!
   
(つづく)

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【お薦め本】『原子論の誕生・追放・復活』(田中 実著 新日本文庫 )

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▼誰にも、思考の「原点」とよべるような本がある。
 もうとっくに「内容」など忘れてしまっているが、その本に書かれた断片的なフレーズをふっと思い出したりする。
 「原子論的物質観」というコトバもそのひとつである。
 物質探検の学習で、常套句のように使って来た。
 いったいこのコトバにどこで最初に出会ったのだろう!?

 きっとこの本だろう思って、ゆっくりゆっくり読みなおした本が今回の【お薦め本】である。

▼読みなおしてみて、感動であった!!
 今回は 【お薦め本】の紹介というより、私自身の読書メモとして、「記録」に残して置きたかったのである。

◆『原子論の誕生・追放・復活』(田中 実著 新日本文庫 1977.7.25 初版)

 【お薦め本】紹介ではないと言いながら、矛盾するようだがいつものように、3つのお薦めポイントをあげる。

(1)「原子論」の歴史を概観できる!!

(2)「原子論的物質観」に基づく授業づくりのヒントがここにある!!

(3)これからの「原子論」の可能性を教えてくれている!!

▼これに従い少しずつ詳しくのべてみる。

(1)「原子論」の歴史を概観できる!!
 「はじめに」次のように書いてあった。

敗戦後まもなく、マッカーサー統治下の一九四九年に、私は『原子論の誕生・追放・復活ー原子と化学』(三一書房刊)とい小著を出した。(同書p3より)

 つまりこの本の元本は1949年に出されていたということになる。
 今から73年も前のことになる。
 さらに旧著のはしがきを引用しながら、こう語られていた。
 旧著のはしがきに私は次のように書いた。
 「(中略)またもう一つ私が強調したいのは、科学を凶器にしてはいけないということです。このことが今ほど切実に感じられるときはありません。この重要な歴史の瞬間に、ギリシアや中世紀の人々の意見などを聞いてみるのは、ひどくまのびのしたことと思われるかもしれません。真実は、いつでもたたかいの中からかちとられてきました。その歴史をながめることは、迂遠ではない教訓を与えてくれるとおもいます。《中世》ははたしてわれわれの前に、たちふさがってはいないでしょうか。この本を書きながら、私はいつでもそういうことを思い続けました。」 
 この心持ちは二八年たった今日、いささかも変わっていないことを書きそえておく。
(同書P4 より)

 1977年5月。著者・田中実氏はこう語った。
 それからでも、45年の歳月が経った。

 《中世》ははたしてわれわれの前に、たちふさがってはいないでしょうか。

の問いかけは、よりリアリティをもって響いてくるのだった。
 私は不勉強でほんとうに「世界史」に疎かった。しかし、この本を読み進めるなかで「歴史」を読み解く秘訣・コツのようなものがあるのに気づかされた。
 たとえばこうだ!!

  では原子論史上二人のDすなわちデモクリトスとドールトンとをつなぐ一本の赤い糸は何であったのだろうか。オリエント社会から高い物質文明、とくに鉄器文明を受けついだギリシア人の中から、自然と人工の事物についての豊富な知識にもとづいて、万物の根源を問う学問と思想が生まれた。彼らがさぐりあてたのは、物質不滅の原理であり、それと表裏一体の元素と原子にかんする概念であった。それは二〇〇〇年にわたる物質探究の源流となった。社会的生産力が高まって、人間が自然を加工する活動の発展につれて、物質的自然の知識はたくわえられ、物質不滅の原理は実践を助ける重量保存の法則に高められた。それとともに、元素と原子の概念は、より多く現実の物質と結びつけられたものに変貌し、これらを実験自然科学の理論の中に位置づける模索がつづけられた。
(同書P161より)

 そうだ!!
 ものごとをバラバラにみるのではなく、ツナゲて考えることだ!!
 ツナグ「赤い糸」をみつけることだ!!
 
 「原子論」こそ物質探究の歴史を読み解くときの「赤い糸」だ!!


(2)「原子論的物質観」に基づく授業づくりのヒントがここにある!!
最初に言っていた「原子論的物質観」というコトバ、ここでみつけた!!

 ドールトンがニュートンの影響を受けて、その原子論的物質観を、当然のこととして受け入れて、ラヴォアジエの元素各種の本体をそれぞれ固有の原子と考え、そうした原子を重さの測定のできるものにしたことは、前章に書いたとおりである。そしてニュートンの原子の出どころを源流までさかのぼればデモクリトスにたどりつくことはまちがいない。
(同書P161より)

 他所でも使われていたかも知れないが、はじめて気づいたのはここだった。
もう一度「目次」をあげてみる。

はじめに
一 火の技術
二 原子論の誕生と追放
三 原子の忘却
四 原子のルネッサンス
五 科学的元素から原子へ
六 仮説の原子から実存の原子へ

 なんとか読み終えた今、痛切に思う!!
 「原子論的物質観」に基づく授業とは、この「原子論の歴史」のどこかにその「授業」を位置づける作業なのだ。
 従って授業づくりのヒントは、ここにある!!
 生徒たちの物質認識の過程は、この「歴史」のなかにある!!

 もうひとつある!!
「はじめに原子ありき」の授業の可能性だ!!
 21世紀に生きる「原子論者」を育てよう!!

▼最後にいこう。
(3)これからの「原子論」の可能性を教えてくれている!!
最後の方に、きわめて示唆的な文章があった。

 科学的方法による自然認識が、人間が物質的世界にはたらきかけることによって描き出す客観的世界の像である以上は-そのことの真偽がまた現代の哲学の一大論争点でもあるのだが-どんなに不完全で、断片的な像であろうとも、より完全な、より全体的な像へ接近するための手がかりでなければならない。不完全な像を完全なものと断定し、部分の姿を全体像ときめつけたとき、そこに誤りが生まれ、挫折がおこり、ひいては科学的真理への不信が芽生える。
(同書 P175より)

 たとえ「原子論」と言えども、更新を怠るとき内なる《中世》が蘇ってくるのである!! いつまでも、自分自身の「ふしぎ!?」を大切しながら更新をつづけ、これからも21世紀を生きる「原子論者」でありつづけたいものだ!!

読み終えて、あらためて色褪せてしまった「表紙」を見た。あのドールトンの「こだわり」を思い出した。

 ドールトンは原子を面白い円形の記号であらわした。酸素原子はただの円、水素原子は中心に点を打った円等々。それは原子にたいするドールトンのゆるがぬ確信をあらわしているかのようだった。現在われわれが使っている酸素=O、水素=Hなどの記号がスウェーデンの化学者べルセリウスによって提案されると、彼は頑固にそれを拒否した。アルファベットで原子をあらわしては、ほんとうに存在し、結合し分離する原子というもののイメージがあいまいになってしまうと考えたのである。
(同書 P158より)

まちがいない!!
『原子論の誕生・追放・復活』は名著中の名著デアル!!

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2022年8月のオンライン「寅の日」は #寅彦と俳句 #traday #寺田寅彦

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▼手持ちの「歳時記」である『第三版 俳句歳時記』(角川文庫)の「序」は次の一文からはじまっていた。
 

「歳時記は日本人の感覚のインデックス(索引)である」と詩人寺田寅彦は言った。
 
 これが、私が「寅彦と俳句」を意識したはじまりだった。
 えっ 詩人寺田寅彦!?
 やがて、俳句結社「寅の日」を思いついたのだった。

▼そろそろ2022年8月オンライン「寅の日」の計画を立てる時期が来ていた。
 俳句結社「寅の日」がはじめたオンライン句会「寅の日」は、8月で2年間の取り組みが終わる。
 オンライン句会「寅の日」はすっかり定着してきた!!
 8月・9月のオンライン「寅の日」では、この二周年記念企画を考えたい。
 まず8月のテーマは

【8月テーマ】「寅彦と俳句」

 としたい。8月には3回あった。

■2022年8月オンライン「寅の日」!!
◆第323回オンライン「寅の日」 …8/05(金)
◆第324回オンライン「寅の日」 …8/17(水)
◆第325回オンライン「寅の日」 …8/29(月)

▼では何を読むか。
10年の歩みのなかで「◆寺田寅彦「俳句入門」十選 !!」というものをきめていた。
 このなかからベスト3を選びたい。
 「俳句の精神」「天文と俳句」「俳諧の本質的概論」 である。

■2022年8月オンライン「寅の日」!!

◆第323回オンライン「寅の日」 …8/05(金)「俳句の精神」(青空文庫より)

◆第324回オンライン「寅の日」 …8/17(水)「天文と俳句」(青空文庫より)

◆第325回オンライン「寅の日」 …8/29(月)「俳諧の本質的概論」(青空文庫より)

▼科学者寺田寅彦ばかりでなく、詩人寺田寅彦=寅日子先生のコトバにも耳を傾けてみよう。
 寅日子先生に学びながら、「俳句再入門」をしようとおもう。
 あなたもいっしょにどうですか!?

 この機会に「俳句」をはじめてみる人がひとりでもふえるとうれしいかぎりである。
 オンライン句会「寅の日」はいつでも待っています!!
 


 

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ファラデーラボ「科教協岡山大会プレ発表会」(2) #ファラデーラボ #かがくカフェ #科教協

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▼第2部もプレ発表がつづいた。

【ファラデーラボの楽しい実験・工作 上橋智恵さん】
・オンライン(zoom)での発表だった。
・これは「お楽しみ広場」「ナイター」用のプレ発表だった。
・すでに準備していただいてるものを次々と見せてもらった。なんとも楽しい!!
 「振ると色が変わるスティク」「ソーラーくるくる」「手回し扇風機で手回し発電」「風船クルクル」「ぶつからない車」等々
・「お楽しみ広場」で即売、ナイターではそのくわしい説明があるという!!
・今すぐにも手に入れたいものばかりだ!!まさに「お楽しみ」に!!
・ちなみに先日放送(2022/07/09)された上橋さん出演の毎日放送「三度の飯よりアレが好き」ですが、今、YouTube動画で配信されています。

 ●【三度の飯より「工作」が好き!】MBS三度の飯よりアレが好き!2022/7/9放送

 リアルには 岡山大会で !!

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【「回路カード」を活用した電磁気分野の実験 森本雄一さん】
【回路カード、空気ポンプ実験、箔検電器、電気盆など 森本雄一さん】
・簡単箔検電器、電気盆 超カンタン!!超安価!! いつでもどこでも「箔検電器」を!!
・100円ショップの空気ポンプで、「大気圧実験」も超カンタンに!!
・ひとつのポンプで「吸う」「押し出す」両用でいける。
・空気弁・パッキンとりつけのコツを伝授します。
・「空気の重さ」も、こんな簡単に!!
・進化しつづける「回路カード」の今!!
・「回路カード」が、ややこしい電磁気学習を超カンタン、楽しい・面白い!!に変える。

●『かがく教育研究所研究紀要 第2号』(特集「回路カード」を使った電磁気学習 )(かがく教育研究所発行)を同時販売予定!!

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▼ここより第2部に入る。

【電気工作、光スイッチ、光通信、凹面鏡、立方体プリズム、レンズ等々 石原諭さん】
・いろいろ面白いものをいっぱいみせてもらった。
・いろいろ手を出しやってみるのが一番!!
・焦点距離5mの凸レンズ (゜o゜)ゲッ!!
・みなさん部屋から外に出て、「実像」が見えるかためしてみた!!ワイワイガヤガヤと!!(これが大好きだ!!)

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【科教協岡山大会案内 中谷幸希さん】
<科学教育研究協議会 第68回全国研究大会岡山大会>
・岡山から中谷さんが駆けつけて岡山大会の案内をしてくださった。
・できたてのチラシの配布もあった。
・会場のくわしい案内もしてくださった。アリガタイ!!
・オマケ情報もうれしい!!

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【今年の梅雨は2回あるのか? 二宮直樹さん】
・「梅雨明け」したはずなのに、どうなっているの!?
・いつもタイムリーな気象情報をくわしく解説していただけるのはアリガタイ!!
・その解説がとってもわかりやすいというのがさらにうれしい!!
・「これって梅雨って言わないの!?」「2回目 ?(゜_。)?(。_゜)?」
・あれは「速報値」、9/1発表の「確定値」はいかに…??

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 今回も盛りだくさんで充実した「かがく」カフェであった。

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ファラデーラボ「科教協岡山大会プレ発表会」(1) #ファラデーラボ #かがくカフェ #科教協

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▼ファラデーラボの第134回 かがくカフェがおこなわれた。
 今回のテーマは、この夏、岡山で実施される<科学教育研究協議会 第68回全国研究大会岡山大会>のプレ発表会です。

●ファラデーラボ第134回「かがくカフェ」
・日 時 :2022年7月17日(日) 14:00~18:00
・<テーマ> 「科教協岡山大会プレ発表会」

▼今回のプレ発表は、一部と二部にまたがって行なわれた。また、一部と二部ともにオンライン(zoom)でも開催された。
 まずは、第一部で3本の報告があった。

【1人1実験の授業実践 箔検電器/簡易スタンド 山本理恵さん】
・「1人1実験」!! これをやってみたら面白いだろうと思った理科教師は多くいたかも知れない。しかし、実際にやった人は少ないのでは、ひょとしたら「はじめて」かも!?
・「自分がやってみたら楽しかったので、はじめてみた」説得力がある!!
・「ペア実験でも遠慮していた生徒が、やりたいことをどんどんと…」
・うまくいったこと、いかなかったこと 丸ごと報告だ!!
・とても楽しい面白い授業報告だ。くわしくは本番で…!!

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【学校周辺の地質に関連付けた地学授業のあり方 -「神戸JIBANKUN」を活用した地域教材- 西川徹さん】

・地学を「自分ごと」としてとらえさせたいという西川さん熱い思いの伝わってくる報告だ!!
・できるだけ身近な岩石にふれさせたり、地元の資料を活用されている!!
・なかでも「神戸JIBANKUN」の活用はたいへん興味深い!!
・西川さん自身が、いかにも楽しげに「あの手・この手」で地下断面図の「立体模型」を作成しておられるのに感動してしまった。
・この模型を見せてもらうだけでも、きっと自分の暮らす大地の「地下」はどうなっているのだろう!?と思い始めるだろう。

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【南海トラフ巨大地震に備える 觜本格さん】
・今回は授業というより、いろんな講座等でお話されていることをまとめて報告された。
・「南海トラフ巨大地震」今、もっとも注目されているテーマだ!!
・「中学校での授業の導入部」「地震はなぜ起こるのか?」「南海トラフ巨大地震とは?」「命を守る防災減災対策・教育」と話はつづいた!!
・時間の関係でそのさわりだけであったが、熱く語る觜本さんの話に引き込まれてしまった!!
・リアルが一番だが、話の内容の一部だけなら、今でている『理科教室 8月号』で読むことができる。

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(つづく)

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【Web更新7/17】22-29 サイエンスコミュニケーター宣言 等 更新!!

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絵日記のページはみ出す向日葵哉 22/07/17撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】22-29
週末定例更新のお知らせ
 話が違うではないか!?
 なんとも蒸し暑い!!二度目の「梅雨!?」

 そんなこと言ったら、自然は怒り出すかも知れない。
 「梅雨が終わった模様」の仮シナリオは人間が勝手につくたものと!!
 いやいや人間もまけてはいない。「もどり梅雨」のコトバもつくっていた!!
 さて、このあとの真のシナリオは!?

◆表紙画像集2022 更新 向日葵
 恒例になってきた我が家の向日葵が咲き始めた!!
 今年は「間引く」のを怠ってしまったので、あまり大きくならないだろうと思っていた。
 ところが、予想に反して今年もやっぱり 大きく大きく育ってきた。
 絵日記のページもはみ出してしまいそうな勢いだ!!

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 「原子論」を科学する シリーズを飽きもせずにつづけている。
 自分で面白くなくなったら、すぐやめようと思っていた。
 ところが、「原子論」の歴史は追えば追うほど面白く思えるようになってきた。
 どうやら私は勝手に「わかったつもり」になっていただけのようだ。(^^ゞポリポリ
 少し切り口を変えて、まだまだつづけるつもりである。

◆【大賀ハス観察日記】 更新!!
 2022年大賀ハス2号の「あこがれの4日間」を「記録」してみた。
 何度観察しても、やっぱり「ふしぎ!?」だ!!

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 2ヶ月連続してのテーマ「寅彦とルクレチウス」も、次回(7/24)で終わりである。
 しかし
 「寅彦は、なぜかくも熱くルクレチウスを語るのか!?」
 の謎解きはまだまだである。困ったものだ!!


 大賀ハス観察池は蓮根の植え替えから16週目だった。
 2号の「花托」は「果托」となり膨らもうとしていた!!
 ひょっとしたら、今年最初の「ハスの実」を手に入れることができるかも知れない。
 葉のジャングルと化した観察池には、3号の蕾も花茎をのばしてきた!!

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「原子論」を科学する(28) #原子論の歴史 #アヴォガドロの仮説 #カルルスルーエ国際会議 #メンデレーエフ #周期表

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「すべてのモノは原子からできている!!」
 このアタリマエ!!

 このアタリマエの「歴史」を長きわたり追い続けてきた。
 「原子論」の面白さをあらためて認識した!!
 どこまでも、やっぱり「ふしぎ!?」を大切にしたい。

▼長きにわたり続けてきた「原子論」の歴史を追う作業も終わりが近づいていた。

 原子と分子の重さを決定するために、これほど大きな有効性をもったアヴォガドロの仮説は約五〇年間はほとんどどんな化学文献にも引用されなかった。
 その理由は簡単ではないが、一口にいえば化学者には化学に固有の手法を重んずる態度が強かったことが大きな原因だったといえる。 
(『原子論の誕生・追放・復活』P171より)

と言われても、シロウトの私には納得できないものがあった。
「ふしぎ!?」だ!!

 そうこうするうちに五〇年だ!!大混乱収束のときが来たようだ。

 一八六〇年に原子量、分子量、化学式の大混乱の解決を求めて、ドイツのカルルスルーエで、自然科学で最初の国際会議が開かれた。イタリアの化学者で、イタリア独立のためにシチリア島でたたかっていたガリバルディ将軍の義勇兵であったカニッツァロが一つの報告をし、印刷物をくばった。それには現代の化学界の大混乱を解決し、最近の進歩に化学理論を適合させるためには、わが祖国の化学者アヴォガドロの仮説を分子量決定の基礎としなければならないことが、強い説得力をもって書かれてあった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P173より)

▼この国際会議でのカニッツァロの提案は、次々と波及効果もたらしていった。
  その成果のひとつが「周期表」である。

 メンデレーエフは統一された原子量にたよって元素周期性の法則(いわゆる周期律)を発見した(一八六九年)。その法則には当時知られた六〇種類以上の元素をそれらの原子量や価数から関連づけ、未知元素の存在を予見するという有効性のほかに、原子の内部構造への洞察までふくんでいた。
(『原子論の誕生・追放・復活』P174より)

 さらには

 物理学では一八五〇年代から、気体の原子論-気体分子運動論-が発展し、一八六〇年にはイギリスのマクスウェルがこれをほぼ完成させた。それはやがて熱力学とあいまって物質的世界の運動法則をとらえる新しい展望をきりひらくものとなった。力学と統計数学を基礎とするこの理論には、分子の質量を決めることが欠かせないのであるが、それには一八六〇年まで化学的原子論の成果が必要であった。
 現代に直接つながる近代原子論の歴史は、化学者のカルルスルーエ会議と、物理学における気体分子運動論の基礎づくりをもってはじまった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P174より)


▼さて、いよいよここまででいったん幕としよう。

 原子はまだ「仮説」であった。物理学と化学の大きな進歩に支えられて、その正当性を主張する根拠はしだいに強くなったが、原子と分子の存在を物理的方法によって直接的に証明することはまだできなかった。原子の存在、非存在ということをめぐって、またもっと深刻に原子を認識することの可能性をめぐって、やがて科学哲学上の大論争が展開されることとなる。その論争は哲学に関心のある自然科学者を唯物論と観念論の二大陣営に分裂させた。ギリシア時代の原子論、反原子論の対立がイデオロギーのたたかいであったのにも似た状況が出現するのである。それは自然科学がもたらす真理とは何であるかをめぐっての科学内部の論争でもあれば、激動する社会の中での思想闘争でもある複雑なできごとであった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P175より)

示唆的なコトバがつづいた。
 科学的方法による自然認識が、人間が物質的世界にはたらきかけることによって描き出す客観的世界の像である以上は-そのことの真偽がまた現代の哲学の一大論争点でもあるのだが-どんなに不完全で、断片的な像であろうとも、より完全な、より全体的な像へ接近するための手がかりでなければならない。不完全な像を完全なものと断定し、部分の姿を全体像ときめつけたとき、そこに誤りが生まれ、挫折がおこり、ひいては科学的真理への不信が芽生える。
(『原子論の誕生・追放・復活』P175より)


 ここまでで 
◆『原子論の誕生・追放・復活』(田中実著 新日本文庫 1977.7.25 初版)
 を参照しながらの「原子論」の歴史を追う作業はいったん終える。
 
 ただし、「原子論」を科学する シリーズはまだまだつづけるつもりである。

(つづく)

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「原子論」を科学する(27) #原子論の歴史 #アヴォガドロ #気体の物理学 #ベルヌーイ #アヴォガドロ数

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窒素 N2  酸素O2 !!

 こんなものが目の前をビュンビュンと猛スピードで飛び回っている!!
 にわかには信じがたい話だ。
 なに!? その数までわかっているなんて

 やっぱり「ふしぎ!?」な話だ!!

▼「原子論」の歴史つづけよう。

 どんな歴史もけっして「直線的」ではなかった。いろいろの矛盾を乗り越えて次なるステージにむかっていった。
 アヴォガドロは自分の仮説を、彼の目からすれば充分な根拠もとづいて考え出した。それはこうである。どんな気体もその体積は圧力に反比例して変化する。(ボイルの法則)。また体積は温度に比例して変化する(シャルルの法則)。すべての気体がその体積と圧力、温度との関係で、このように同じ法則にしたがうことは、どう考えれば説明がつくか。 
 一七三八年にスイスの物理学者ダニエル・ベルヌーイは気体ははげしく運動する粒子からできており、それら粒子はぶつかりあい、容器の壁につきあたってこれを圧迫する。このようにして気体は体積をもち、圧力をおよぼすのであると、ベルヌーイは力学的に説明している。これが気体の物理的性質を説明する近代の原子論のはじまりである。その考え方は遠くはアレクサンドリアのヘロン、近くはボイルなどに発している。
(『原子論の誕生・追放・復活』P170より)
 

▼気体の物理学!!
 そこまで「原子論」のステージは移っていく。

 アヴォガドロは自分の問題の解決に、気体の物理学の原子論をもちこんだ。気体の体積が物質のちがいを越えて同じ法則に従って変化することを説明するには、圧力と温度が同じなら同じ体積中に同数の粒子があると仮定するのがいちばん合理的だと考えた。これが第一の命題である。第二の命題は同国人の化学者ゲイ・リュサックによって示唆されていた。彼は水素ガスと酸素ガスの混合気体が爆発して水蒸気を生ずる化学反応では、三つの気体の体積の比がほとんど二対一対二になることに注目した。このほかいろいろな気体どうしの化学反応でも、それらの体積の比は、すべて整数の比に近い。ゲイ・リュサックは端数は切りすてて「気体の物質が反応する場合の体積比は整数である」と断定した。そう断定したのは気体物質は同体積中に同数の分子をふくむという直観があった。この法則を「気体反応体積の法則」という。体積から見た倍数比例の法則といってもよい。
(『原子論の誕生・追放・復活』P170より)

▼なんか頭が混乱してきた!!
 それは「そんな簡単でいいの!?」という私の戸惑いでもあった。

 アヴォガドロはこの法則から考えて、二体積の水素ガスと一体積の酸素が反応して二体積の水蒸気ができるためには、水素ガスも酸素ガスも二原子が結びついた分子からできていると見るのがいちばん合理的だと推論した。こうして、彼の仮説の第二命題が生まれた。 気体分子数同一の法則は現代の物理学と化学の基礎理念となっている。原子の実存が明らかになった現在では「仮説」といわず、アヴォガドロの法則という。そして、水素一グラム(Hの原子量の一にグラムの単位をつけた値)、酸素の一六グラム(Oは一六)水H2Oの一八グラム、水素ガスの二グラムなど原子量、分子量にグラムの単位をつけた質量(モルという)は、すべて6×1023個の原子または分子からできていることが明らかにされて、この数字をアヴォガドロ数という。水素の一グラムをこの数で割り算すれば、水素原子一個の質量が求められる。 
(『原子論の誕生・追放・復活』P171より)

(つづく)

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2022年大賀ハス2号「あこがれの4日間」第三日目、第四日目!!(2022/07/09~/10) #大賀ハス #あこがれの4日間

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2022年大賀ハス2号「あこがれの4日間」のまとめ
・「あこがれの4日間」: 2022/07/07~2022/07/10
・花びら : 17枚
・雌しべ : 14
・雄しべ : 220本

観察池に落ちたものを可能なかぎり回収しての結果である。散逸してしまったものもあるはず。

▼あらためて「あこがれの4日間」の第三日目、第四日目を「記録」しておく。
 「ものごとは、記憶せずに記録する。」(ウメサオタダオ)に従って

●2022年大賀ハス2号「あこがれの4日間」第三日目(前半)!! 
やっぱり朝は早かった。
第二日目につづいて、花は全開までいった!!
虫たちもやってきた。

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【2022/07/09 05:16:57】雨の中 三日目がはじまろうとしていた

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【2022/07/09 06:00:47】雨の中でも開こうとしていた

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【2022/07/09 06:27:55】どんどん開いてきた

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【2022/07/09 06:28:53】雌しべの先(柱頭)が黒ずんだものもあった

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【2022/07/09 07:02:35】ほぼ全開へ

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【2022/07/09 07:50:45】開ききった!!

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【2022/07/09 07:51:23】真横から見てみると

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【2022/07/09 08:36:01】最高に開いたか そこへ虫たちも

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【2022/07/09 08:36:35】虫たちもよく知っていた

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【2022/07/09 08:37:10】虫たちはゴソゴソ

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【2022/07/09 09:36:36】まだ全開はつづく

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【2022/07/09 09:39:06】ゾウムシのような!?

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【2022/07/09 10:41:07】虫はもういない 光は少ない

2022年大賀ハス2号「あこがれの4日間」第三日目(後半)!!
後半は少し閉じはじめたころ雨が降ってきた。
 何枚かの花びらが落ちてきた。
 雄しべはそれでも耐えて落ちなかった。
そして、そのまましぼんでいった。

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【2022/07/09 11:20:46】はげしい雨だった

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【2022/07/09 11:20:33】雨で花びらが3枚たたき落とされた

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【2022/07/09 11:57:50】それでも昼まではなんとか

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【2022/07/09 11:58:06】閉じかける気配も

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【2022/07/09 13:25:50】風強し 風に耐えながら

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【2022/07/09 13:27:25】花びらがまた落ちた

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【2022/07/09 13:29:11】葉の上に

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【2022/07/09 15:01:38】風強し それでも雄しべ落ちず!!

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【2022/07/09 15:42:58】なんとか丸く閉じようと

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【2022/07/09 10:41:07】片方が開いたまま閉じようとしていた


2022年大賀ハス2号「あこがれの4日間」第四日目!!
早朝4時頃はげしく雨が降った。
 それでも朝6時前には花びらが開きはじめた。
 雄しべ、花びらが約束通り次々と落ちていった。夕方まで雄しべのいくらかは最後までねばった。
 翌朝(7/11)まで落ちなかった雄しべは40本あった。

 それにしても、やっぱり「ふしぎ!?」だ!!
 「あこがれの4日間」の開閉システムのプログラムは、どこにどのように埋め込まれているのだろう!?
 この謎解きが一歩でも進むことを願って、「記録」をつづける!!
 

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【2022/07/10 06:00:42】雨に打たれてもかろうじて

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【2022/07/10 06:01:15】落ちた雄しべと花びら

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【2022/07/10 06:01:27】葉の上に花びらと雄しべが

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【2022/07/10 06:11:17】ぶらさがる雄しべ

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【2022/07/10 06:18:23】花托の拡大

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【2022/07/10 07:09:38】まだなんとかねばる

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【2022/07/10 07:13:26】ねばる雄しべ

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【2022/07/10 07:59:31】かろうじてぶらさがる

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【2022/07/10 09:17:33】ばさっと花びらすべてが落ちる

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【2022/07/10 09:17:53】落ちた花びらと雄しべ

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【2022/07/10 09:18:28】残った雄しべと花托

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【2022/07/10 09:25:10】葉の水たまりと雄しべ

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【2022/07/10 09:27:40】花托を横から

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【2022/07/10 10:50:38】雄しべ6本拾う

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【2022/07/10 12:26:56】また雄しべ2本落ちた

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【2022/07/10 14:46:44】もう落ちない

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【2022/07/10 16:09:51】変化なし

一夜明けて

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【2022/07/11 06:59:35】まだ雄しべ40本が残っていた


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「原子論」を科学する(26) #原子論の歴史 #原子仮説 #ドールトン #アヴォガドロ #アヴォガドロの法則

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ブドウ糖 C6H12O6 !!
炭素原子6個 水素原子12個 酸素原子6個

 私はこれをポケットに入れていつも携帯している。
 糖尿病で薬を飲んでコントロールしている。だから、ときに「低血糖」になったときに緊急対応するためだ。
 この模型を見ていると、そのブドウ糖が体内に入ったときの「化学変化」を想像してしまい面白い!!
 
 今年の夏の私の「自由研究」テーマは
 『暮らしと「原子論」』
 にしようかな!! 

▼「原子論」の歴史をたどる作業もだいぶん終わりが近づいてきた。

 科学の進歩、自然認識の深化・拡大の過程は、後になってみると原野を走るまっすぐな一本の道であったかのようにみえる。それには理由がある。原子の場合についていえば、科学的仮説として有効な原子の観念が目にみえるようになるには、その前面に立ちはだかっている物質の変化と種類についての、数知れない、そして雑然とした化学的事実を整理して、そこに化学的元素というものを見出さなければならなかった。その元素という物質の窮極成分が見えるようになるためには、石灰石にも、木灰を水で抽出して得られるアルカリにも、炭酸ガスが共通成分としてふくまれるといった「成分」の概念が用意されねばならなかった。(中略)これらの物質認識の一歩、一歩の到達点をつなげば、まっすぐな一本の道になる。ギリシア人の思索の世界にも同様なことがあったのである。そして彼らがたどりついた元素と原子、物資不滅の原理についての観念は、道を切り開いて進む探検者にとって磁針の役目をした。しかしその磁針は、歩き進むにつれて性質を変えてきた。
(『原子論の誕生・追放・復活』P167より)

「原子論」=物質探検の「磁針」!!
とはうまくいったものだ。

▼さらには次のコトバも

 歴史の現実の歩みには、一本の予定された道があったわけではない。歩かれた道は、まがりくねり、そして長かった。後もどりもあった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P168より)

 また続けて

 同じことはドールトン以後もくりかえされた。産業の発展が自然科学の成果を必要とするようになって、職業的科学者の数は、過去二〇〇〇年間にはたらいたすべての科学者の数をしのぐようになり、物質の探究にたずさわる化学者、物理学者、その他の専門研究者は、新しい発見の情報を専門誌に発表し、学会で討論するようになった。情報が多ければ、それだけ進歩も早いわけであるが、物質の本性について、一見したところ矛盾しあった側面が理論的に整理のつかないほどつぎつぎにわかってくれば、そこには混乱も生まれる。十九世紀自然科学の原子論は、化学の分野でも、物理学の分野-それについて本書では語る余裕はないのだが-でも、屈曲の多い長い道を歩まなければならなかった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P168より)

▼「原子論」の歴史においてたいへん興味深い展開が待ち受けていた!!

 ドールトンの『化学の新体系』の出版につづいてすぐ、一八一一年に化学においても物理学においても、原子論の発展にとってもきわめて重要な基本仮説が発表されたが、五〇年間はほとんど引用もされぬままにすてておかれた。
 その理論とはイタリアのアヴォガドロが考え出した「気体分子数同一の仮説」-今ではアヴォガドロの法則という-である。その仮説は二つの命題から成っている。第一は「すべて気体は、同じ温度、同じ圧力のもとでは同じ体積中に同数の粒子をふくむ。」第二は水素ガス、酸素ガスなど「単体の気体を形づくる粒子は、二原子からできている。」
(『原子論の誕生・追放・復活』P169より)

 (゜o゜)ゲッ!!
 かくも重要なことが半世紀も捨て置かれたとは!?

(つづく)

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「原子論」を科学する(25) #原子論の歴史 #原子仮説 #ヴェーラー #尿素 #有機物

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「イルカ飛行機!!」 

 それが制作者の弁だった。
 「えっ!?」、それはたしか前は「○○恐竜」ではなかったのかな!?
 ブロックの配置や組み替えをやるだけで、それはいろんなモノになった。

 多様なリアル物質の世界でも、こんな夢物語はおこらないのかな!?

▼「原子論」の歴史をさらにつづけよう。

 原子仮説がみごとな成果をあげた実例の一つは尿素の合成である。一八二八年ドイツの化学者、二十八歳のヴェーラーは、数年前に自分がやったある実験の「失敗」の記録を読みかえした。
(『原子論の誕生・追放・復活』P164より)

 実験ノートを読みかえしているうちに、ヴェーラーは一つのことを思いついた。シアン・ガスはアンモニアと化合して、今の式で書けばNH4CNOという化合物-シアン酸アンモニウムをつくったのだろう。そして、もしかすると、この分子の内部で、原子が配列だけを変えて、ほかの物質になったのではなかろうか。シアン酸アンモニウムの分子と同種類、同数の原子からできているものとして知られている化合物は尿素である。それは今の式で書けば(NH2)2COである。そう推理したヴェーラーは「失敗」の実験をくりかえした。やってみると、はたして尿素の結晶がとれた。成分元素を分析し、既成の尿素の試料と比較しても、まちがいはなかった。

(『原子論の誕生・追放・復活』P166より)


▼この「失敗」実験の意味するところは大きかった。

 ヴェーラーはこの発見には、重大な意味があることを見てとった。というのは、尿素はもともとその名のとおり人間の尿から分離された物質である。当時動植物のからだから分離される物質や、それを化学変化させてつくられる物質は、砂糖も蛋白質も酢酸も、すべて「有機物」とよばれていた。「有機」とは「生命あるもの」という意味で、無生物の岩石や鉱物からつくられる物質は「無機物」とよばれた。そして「有機物」は「生命力」の作用によってはじめてつくられるもので、人工でこれを製造することは不可能だと一般に信じられていた。
 若いヴェーラーはこの「信仰」をやぶって、「有機物」といえども、結局は原子と原子の相互作用によってつくられる分子以上のものではない。明らかに自分は人間の腎臓のはたらきを借用せずに、フラスコの中で原子のはたらきを発動させることによって、尿素を合成したのだ。
(『原子論の誕生・追放・復活』P166より)

▼原子仮説は物質探検のあらたな道を切り拓いた!!

ヴェーラーの着想は「生命力」信仰を打破してゆく最初の衝撃となった。ヴェーラーの発見と着想は、原子仮説の導きによって実現したものである。彼がシアン酸アンモニウムの分子の内部で、この分子を形づくる原子が配列を変えて尿素に変化したと考えたことには、もう一つの重要な問題がかくれていた。それは分子を形づくる原子の配列という問題である。それは分子の構造という重要な問題へせまってゆくための第一歩となった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P167より)

(つづく)

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本日(2022/07/12)、第321回オンライン「寅の日」!! #ルクレチウスと科学 #traday #寺田寅彦

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どれもこれも真ん丸だ、まちがいないこれは 太陽の像だ!!
 いたくこのアタリマエに感動するのだった!!

 真っ昼間の「ひとり吟行」、途中の木陰に入るのがうれしかった。
 しばし、足をとめて木漏れ日が道路に映し出した太陽の像を楽しんだ。
 日食のときには、これが真ん丸ではなくなり欠けてくるのだろうと想像しながら。

 驚くべきことにルクレチウスはこの「像」についても言及していた!!


▼本日(2022/07/12)、第321回オンライン「寅の日」である。
 7月テーマは6月につづいて

【7月テーマ】「寅彦とルクレチウス」

である。7月も2回とも連続して、「ルクレチウスと科学」を読む。
 本日はその四回目ということになる。

◆本日(2022/07/12)、第321回オンライン「寅の日」!!

●「ルクレチウスと科学」(4)(青空文庫より)


▼ふた月目に入った。
 寅彦の文章と『物の本質について』(ルクレーティウス 著 , 樋口 勝彦 訳 岩波文庫)を交互に読みながら、ちびりちびりと進めている。
 何度も言うが、私には自らの「文脈」に引き寄せながら読むしかないのだ!!
 と自分に言い聞かせながら読み進めている。
 今回は4章、5章(ルクレチウスでは4巻、5巻)を中心に読み進めてみる。

 第4章に入って、寅彦の熱い語り口調は少しトーンダウンしたような気がする。
 まずはこうだ!!

 第四巻に移るに当たって、私は以上の三巻を取り扱って来た私の紹介の態度と方法に多少の変更を加える必要を感じる。
 以上紹介したところによって、私はルクレチウスの根底に存する科学的精神の一般的諸相と、彼の元子説のおもなる前提ならびにその運用方法の概念だけを不完全ながら伝えることができたように思う。以下の三巻に現われるこれらの根本的なものは、多く述べきたったものの変形であり敷衍(ふえん)であるとも見られる。

 要するに三巻までの繰りかえしが続くので、少し省略していこうというわけである。
 また、これまでも言っていたが、こんな「ことわり」を繰りかえす。
  
また一方、以下各巻に現わるる具体的の自然現象の具体的説明となれば、これらはそのままでは当然現在の科学に照らした批判に堪えうるものではない。

 それにしても、「光」「音」についてもたいへん興味深い論理が展開されている。
 たとえば

 第四巻の初めにおける重要題目は物体が吾人(ごじん)の視官によって知覚さるる機巧に関するものである。アリストテレスやピタゴラスらは、目から発射するある物が物体を打つために物が見えると考えたのに反して、この著者が物体から飛来する何物かが目を刺激するのであると考えた点は、ともかくも一歩だけ真に近い。しかしその物体から来るものは今日の光線でも光波でもなくて「像」(image)と名づける薄膜状の物質である。

そんな馬鹿な!!で終わりにせず
今一度自らに問いたい。
 「ルクレチウスにまけない観察眼が我々にあるだろうか?」と。
 寅彦が教育方針への疑問も投げかけている。ひょっとしたら今も有効なのかも!?

 多くの学生らは教科書に書いてない眼前の問題はあまり考えてみないものと思われる。そして教わったものなら、どんなめんどうな数式でも暗記していて、所問に当たろうが当たるまいが、そのままに答案用紙に書き並べるのである。二千年前のルクレチウスのほうがよりよき科学者であるのか、今の教育方針が悪いのか、これも問題である。

▼第5巻に入って、ルクレチウス自身も少し方向転換したようである。
 一読しただけではちんぷんかんぷんの「観念的」な言葉がならぶ。しかし、ルクレチウスの本意とはこのあたりにあるのかもしれない。

 第五巻の初めにおいて、ルクレチウスは、さらに鋒先(ほこさき)を取り直して彼の敵手たる目的論的学説に反抗している。そうして神を敬遠して世界と没交渉な天の一方に持ち込んでいる。
一は公理から演繹えんえきし一は事実から帰納するのである。この点からもルクレチウスのほうが自然科学的である。
たいへん興味深い展開もある。
最も興味あるは宇宙の生成に関する開闢論的(コスモゴニカル)考察である。元子的渾沌(こんとん)の中から偶然の結合で分離析出が起こるという考えは、日本その他多くの国々の伝説と同様であるが、それを元子論的に見た点がはなはだ近代的であることは前述のとおりである。
 この方法論は、実は、はなはだ科学的なものである。彼の考えを敷衍(ふえん)して言えば、経験によって明確に否定されないすべての可能性は、すべて真でありうることを認容してかからねばならないというのである。この事は意外にもかえって往々にして現時の科学者によって忘却される。精密という言葉、量的という標語を持ち出す前にまず考えなければならない出発点の質的のオルターネティヴが案外にしばしば粗略に取り扱われる。その結果は、はなはだしく独断的に誤れる仮定に基づいためんどうな数学的理論がひねり出されたりするような現象が起こる。そういう意味でルクレチウスのこの態度は、むしろ今の科学者に必須(ひっす)なものと考えなければならぬ。
これなど、自然科学の方法に関する重要な提言で、現代にも通用するものである。

 トーンダウンしたとは言え、寅彦はやっぱり熱く語っているのである!

 やっぱり問い続けよう!!

 「寅彦は、なぜかくも熱くルクレチウスを語るのか!?」

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【Web更新7/10】22-28 サイエンスコミュニケーター宣言 等 更新!!

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草刈り機まずはとめるや藪枯らし 22/07/09撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】22-28
週末定例更新のお知らせ
 大賀ハス「あこがれの4日間」の観察をつづけているうちにその「ふしぎ!?」に興味がますばかりであった。
 どんな「からくり」になっているのだろう!?
 まるで正確な「時計」がうめこまれているかのごとく!!

 私のからだのなかにも、なんらかの「時計」が…!?
 その「時計」もポンコツ度ましてきているのだろうか。

◆表紙画像集2022 更新 藪枯らし 
 「藪枯らし」が目立ってきた。「貧乏カズラ」というあまりうれしくない異名ももつ。
 手持ちの歳時記で調べてみた。
 あれっ!? 「夏編」にはなかった。「秋編」でやっとみつけた。
 変な話だが、私はこの厄介者の花が大好きだ!!
 夏草の中に、小さなピンクや橙の「燭台」のような花托(!?)は花びらや雄しべの落ちたあとか!?
 「蝋燭花」とはうまく言ったものだ!!
 思わず草刈り機をとめて魅入ってしまうのだった。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 「原子論」を科学する シリーズを執拗につづけている。
 『原子論の誕生・追放・復活』(田中実著 新日本文庫)の引用がつづいている。
 引用させてもらいながら、「原子論」の文脈を学びなおしている。
 ナルホド 面白い!!
 あらためて、これは名著デアルと実感する。

 大賀ハス観察池は、蓮根の植え替えから15週目であった。
 大賀ハス2号「あこがれの4日間」の4日目でもあった。
 花びらや大多数の雄しべは落ちてしまっていた。
 
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 【2022/07/10 16:09:00】

 

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2022年大賀ハス2号「あこがれの4日間」第二日目!!(2022/07/08) #大賀ハス #あこがれの4日間 #二日目

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【2022/07/08 08:02:00】これが二日目だ!!

▼2022年大賀ハス2号「あこがれの4日間」第二日目!!
 二日目もやっぱり朝は早かった。
 第一日目とほぼ同時刻に、開花ははじまった!!
 何度見てもやっぱり「ふしぎ!?」だ。
 どんな「からくり」になっているのだろう!?
 体内時計!? 光!? それとも…???

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【2022/07/08 04:57:00】まだ眠っていた

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【2022/07/08 05:50:53】少しだけ開きかけた

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【2022/07/08 05:51:58】パッカリと開いた!!

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【2022/07/08 05:55:19】あとはまたたくまのできごと

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【2022/07/08 06:01:41】雄しべ・雌しべが見えてきた!!

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【2022/07/08 06:11:01】ほぼ全開!!


▼「あこがれの4日間」のうちでも二日目、三日目は開花本番だ!!
 最初は朝日もあたり天気にめぐまれていたが、やがって曇ってきてしまった。
 それでも、これぞ二日目という展開であった。

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【2022/07/08 06:12:28】朝日が当たりきれいだ!!

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【2022/07/08 06:15:27】花托が一日目より緑っぽい

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【2022/07/08 06:16:00】雄しべ、雌しべもしっかり

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【2022/07/08 06:25:22】拡大!!

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【2022/07/08 06:36:51】さあ、いよいよ!!


▼7時近くからほぼ11時頃までもっとも開いていた時間帯だろう。
 それは「荷風」が漂い虫たちが集うときでもあった。
 ただし、これはかなりその日の天気に左右されるようだ。

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【2022/07/08 06:55:24】ほぼ全開状況!!

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【2022/07/08 06:55:57】そこへ一匹の蜂が

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【2022/07/08 06:58:24】可能な限り開ききったようだ。少し雲ってきた!!

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【2022/07/08 08:01:05】完全全開!!

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【2022/07/08 08:02:49】拡大!!

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【2022/07/08 09:10:35】せっかくなのに曇っている

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【2022/07/08 09:14:52】蜂が繰返しやってくる!!

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【2022/07/08 10:16:21】虫がこない!?

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【2022/07/08 10:17:31】花托にも少し変化が!?


▼11時すぎるころからはやくも変化が見えはじめ、12時過ぎから閉じ始め夕方にはすっかり元にもどっていた!!
 
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【2022/07/08 11:11:51】心持ち閉じ始める。

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【2022/07/08 11:11:59】ひとつの花びらが落ちた!!

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【2022/07/08 12:12:14】閉じはじまる!!

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【2022/07/08 12:12:47】花びらが立ちはじめる

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【2022/07/08 12:13:37】雄しべ、雌しべ本日の見納めだ!!

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【2022/07/08 13:25:50】すっかり閉じている!!

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【2022/07/08 13:26:06】開口部もつぐむように

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【2022/07/08 15:09:08】真ん丸に

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【2022/07/08 16:27:31】さらに外の花びらもくっつき元のままに!!

(つづく)

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2022年大賀ハス2号「あこがれの4日間」がはじまった!!(2022/07/07) #大賀ハス #あこがれの4日間 #開花音

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【2022/07/07 09:08:48】


ひらいた ひらいた
なんの花が ひらいた
レンゲの花が ひらいた
ひらいたと思ったら
いつのまにか つぼんだ

 これは明治時代のあそびうただ。
 ここでいう「レンゲの花」とは蓮の花を意味するという。
 このうたのとおり「ひらいたと思ったら」すぐに「つぼんだ」、4日間の開閉ののち散ってしまう!!
 いつしか私はこれを「あこがれの4日間」とよぶようになった。
 2008年に「おすそ分け」してもらった大賀ハスの種子から育てはじめて、何度この「あこがれの4日間」に出会ってきただろう!?
 何度出会ってもやっぱり感動してしまうのである!!
 今年、2度目の「あこがれの4日間」が2022/07/07にはじまった。
 ついつい「記録」してしまうのだった。

▼大賀ハスは早起きだった!!
 それもきまった時刻に開花がはじまるのだった。
 まるで「目覚まし時計」でもセットしてあるように!!
 開花の瞬間は「ポッ」と音でもしそうな感じだ。
 開花音の都市伝説も納得できるほどだ。(大賀一郎先生は実験観察されていた。無音は確認されていた。)
 開きはじめるといっきょにだ!!
 
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【2022/07/07 05:38:34】

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【2022/07/07 05:55:15】

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【2022/07/07 05:55:48】

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【2022/07/07 06:24:16】

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【2022/07/07 06:35:28】

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【2022/07/07 06:35:57】

▼やがて、花の本体である雄しべ、雌しべが見えてくる。
 花托のうえの雌しべは14個だ。
 雄しべの葯か白くまぶしい!!

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【2022/07/07 06:56:05】

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【2022/07/07 06:56:48】

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【2022/07/07 06:57:20】

 「荷風」が漂いはじめる!!
 誘われて小さな蜂がやって来た。花本番である!!
 しかし、その時間はそう長くはなかった。

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【2022/07/07 07:58:31】

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【2022/07/07 07:59:11】

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【2022/07/07 08:11:11】

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【2022/07/07 09:09:28】

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【2022/07/07 10:17:31】

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【2022/07/07 10:17:54】

▼そして、午前中にははや閉じはじめるのだった!!
 夕方には、すっかりなにもなかったかのようにもとにもどっていた。
 これが「あこがれの4日間」の第一日目であった。
 
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【2022/07/07 11:37:49】

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【2022/07/07 11:38:30】

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【2022/07/07 13:20:53】

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【2022/07/07 14:52:48】

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【2022/07/07 16:02:37】

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【2022/07/07 17:14:01】


(つづく)

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「原子論」を科学する(24) #原子論の歴史 #物質の電気的性質 #デーヴィ #電気分解 #ベルセリウス #イオン

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▼物質探検の謎解きに「原子論」がいかに有効かがわかりはじめていた!!
 しかし
 物質探検の「ふしぎ!?」は次々と生まれてくるのだった!!

 だから 「ふしぎ!?」の謎解き=科学 は面白い!!

▼「原子論」の歴史をつづけよう。

 生まれたばかりの原子論の前にたちはだかっていたもう一つの大きな問題があった。それは水素原子と酸素原子はなぜ結びつくか。結びつけるのはどんな力の作用なのか。なぜたいがいの金属は酸素と化合するか。金はなぜ酸素と結びつきにくいのか。こういった化合の原因は何かという問題であった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P163より)

▼この「ふしぎ!?」に、最初に答えを出したのはデーヴィだった。

 前章にイギリスのデーヴィが電気を使って化合物を分解して、金属のナトリウム、カリウムなどをとり出したことを書いた。苛性カリを強く熱すると水分が追い出されて、カリウムと酸素の化合物(酸化カリウム)になる。この物質が熱でとけているうちに電流を通すと、カリウムのほうは陰極にひきつけられ、ここで金属となって出てくる。酸素のほうは、陽極にひきよせられて酸素ガスになる。デーヴィはこのように考えた。そしてカリウムの「粒子」にはプラス電気が、酸素の「粒子」にはマイナスの電気がそなわっているために、酸素は陽極に、カリウムは陰極にひきよせられる。カリウムと酸素とが結びついて化合物をつくるのも、カリウムと酸素の「元素粒子」に反対の電気的性質があるためだ。「化合をおこす力の本性は電気力である」とデーヴィは考えた。
(『原子論の誕生・追放・復活』P163より)

 さすが我らがファラデーの師・デーヴィと思ったら、そう簡単ではなかったようである。

デーヴィは「元素粒子」という言葉で原子をいいあらわしていた。これはドールトンの原子量というものに疑いを持っていたためらしい。デーヴィの学説をドールトンの原子論と結びつけたのはベルセリウスである。彼はすべての元素の原子には、プラス電気とマイナス電気の両方がそなわっていて、プラス電気のほうが多ければプラス、マイナスの電気のほうが多ければマイナスの性質を示すと考えた。差し引きして酸素原子は電気的にマイナスの性質が一番強く、カリウム原子はプラスの性質が一番強い。カリウムと酸素を両端にしてすべての元素の原子を一列にならべると、この列の上で近くにある二つの元素は化合しにくく、遠くはなれている元素ほど化合しやすい。「電気化学的二元説」といわれるこの学説を、ペルセリウスは多くの研究の手がかりとした。やがてこの学説には事実と一致しない点が多いことがわかって、いったんは放棄された。
(『原子論の誕生・追放・復活』P164より)

▼しかし、時代は次なるステージに移った。

 しかし、十九世紀末から二十世紀へかけての物理学と化学の進歩によって、ベルセリウスの学説は、重要な客観的事実を、たとえ不完全にせよ写し出していることが明らかとなった。原子の構造が解明されるとともに、すべての原子はプラス電気を持った原子核と、そのプラス電気をちょうど打ち消すだけの数の電子(マイナス電気の粒子)からできている。ある原子が自分の電子を別の原子に与えると、電子を与えた原子はプラス電気を持ったイオンとなり、電子を受けとった原子はマイナス電気を持ったイオンになる。そのほか原子のこのような構造が原因となって、ベルセリウスが見出したような事実があらわれる。ベルセリウスは原子仮説に照らして、物質の電気的性質を研究することによって、原子の電気的性質を発見したのである。
(『原子論の誕生・追放・復活』P164より)

 やっぱり原子仮説は偉大ナリ!!
 
(つづく)

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「原子論」を科学する(23) #原子論の歴史 #原子論的物質観 #ドールトン #二人のD #ベルセリウス

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▼ドールトンのこだわりの「原子一覧表図」にもアンモニアはあった!!
 円に点の水素一個と円に縦棒の窒素一個が結びついてアンモニアになっていた。
 あれっ!? 今の分子模型とちがうではないか、とあなどってはいけない。
 その後の修正は他にもいっぱいある!!
 しかし、次のことはゆるぎない事実である。

 原子仮説を可視化してくれたのはドールトンである!!

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
 やっと、近代自然科学の「原子論」が誕生したばかりのところまでたどりついていた。

 ドールトンがニュートンの影響を受けて、その原子論的物質観を、当然のこととして受け入れて、ラヴォアジエの元素各種の本体をそれぞれ固有の原子と考え、そうした原子を重さの測定のできるものにしたことは、前章に書いたとおりである。そしてニュートンの原子の出どころを源流までさかのぼればデモクリトスにたどりつくことはまちがいない。
(『原子論の誕生・追放・復活』P161より)

 出た!!このフレーズ!!
 「原子論的物質観」!! 

▼いよいよ佳境に入って行く。

 では原子論史上二人のDすなわちデモクリトスとドールトンとをつなぐ一本の赤い糸は何であったのだろうか。オリエント社会から高い物質文明、とくに鉄器文明を受けついだギリシア人の中から、自然と人工の事物についての豊富な知識にもとづいて、万物の根源を問う学問と思想が生まれた。彼らがさぐりあてたのは、物質不滅の原理であり、それと表裏一体の元素と原子にかんする概念であった。それは二〇〇〇年にわたる物質探究の源流となった。社会的生産力が高まって、人間が自然を加工する活動の発展につれて、物質的自然の知識はたくわえられ、物質不滅の原理は実践を助ける重量保存の法則に高められた。それとともに、元素と原子の概念は、より多く現実の物質と結びつけられたものに変貌し、これらを実験自然科学の理論の中に位置づける模索がつづけられた。
(『原子論の誕生・追放・復活』P161より)

「原子論」の歴史でいちばん大切なところになった。つづけてこうだ。

 このように考えると、ドールトンが直接にデモクリトスから、たとえばルクレティウスの『物の本質について』を読むことによって示唆を受けることはなかったにせよ、ドールトンはやはりデモクリトスの直系の子孫だったといわないわけにはいかないのである。
 ドールトンが論文や本にして提示した原子論は、科学理論としては生まれたての赤ん坊のようなものであった。それでもこの仮説はドールトンその人を導いて倍数比例の法則という実験的事実を発見させることに役立った。
(『原子論の誕生・追放・復活』P162より)

▼ドールトンの波紋は広がった!!

 この新理論の波紋は広くヨーロッパ各国にひろがった。スウェーデンにはべルセリウスという化学者がいた。彼はドールトンのいくらかあやしげな不正確な実験データにもとづく原子量を正確なものにするために、二〇年にわたって原子量の決定をつづけた。それは化学分析をし、計算をするだけの作業ではなかった。酸素の原子量をきめるには、水の分子はドールトンが仮定したようにHOでよいかどうかという問題から出発しなければならなかった。そして、水素ガスと酸素ガスとが二対一の体積比で化合することに着目して水の分子はH2Oとすることにきめた。そうすると酸素原子は水素原子の一六倍重い、すなわち酸素の原子量は一六ということになる。
(『原子論の誕生・追放・復活』P162より)

 原子仮説はますます面白くなっていくのだった。

(つづく)

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「原子論」を科学する(22) #原子論の歴史 #二酸化炭素 #ドールトン #倍数比例の法則

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二酸化炭素 CO2 !!
 今や誰もが知る物質のひとつ。
 そして、今、世界が最も注目する物質のひとつかも知れない!!
 この姿を最初にあきらかにしようとしたのも ドールトン なのかも!!

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
 ドールトンをつづけよう。

 炭酸ガス(二酸化炭素)と「酸化炭素」(一酸化炭素のこと)の分子の場合を考えてみよう。それらの分子はそれぞれCO2とCOだとドールトンが仮定したわけはこうである。炭素と酸素からできているできる化合物には二種類のものがある。このように二つの元素から二種類の化合物ができる場合には、それらの化合物の分子は、一方はABと他の一方はAB2またはA2Bだ、と彼は仮定した。これも一般論としてはあまり根拠のない仮定である。
(『原子論の誕生・追放・復活』P156より)

▼ドールトンのすごいのは「仮定」をそのままにして置かないところだった。

 彼は原子の重さを「測り」、そして「計算」をした!!
 実際にドールトンが使った分析データは、かなり不正確なものだったが、同じ重さの炭素と化合する酸素の重さは、炭酸ガスでは「酸化炭素」のちょうど二倍になると見るのが、原子論に照らしてみて正しいと判断した。「ちょうど二倍」、つまり二対一という整数の比を、ドールトンはほかの化合物についても立証した。窒素と酸素の化合物に三種類のものがある。酸素の重さを同じにして、これと結びつく窒素の重さを三種類の化合物について分析データから計算すると、一対二対四という整数比が出た。
(『原子論の誕生・追放・復活』P157より)

 なんという執念としかいいようがない。「仮定」を確信していたからこその執念だろう。

 このように二つの元素AとBがいくつかの化合物をつくる場合に、Aの同じ重量と化合するBの重量は、簡単な整数比になるという法則を「倍数比例の法則」という。この法則の正しさは、まもなくほかの化学者たちによって、正確な分析データにもとづいて証明された。ドールトンが、この法則を原子論から導き出したのを、正確な実験がその正しさを証明したのである。そして、この法則は原子論の正しさを支持する有力な事実として認められるようになった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P158より)
  
「原子論」!!\(^O^)/デアル

▼どうやら最初に「原子」を見たのはドールトンのようだ。

 これでわかるとおり、ドールトンはそもそも原子論から出発し、その原子を「測る」ことへ到着したのである。化学分析のデータを丹念に整理した結果から、それを解釈することに役立つ原子を帰納したのではなかった。
 ドールトンの理論が発表されると、学者たちの見る目はいろいろだった。もちろん熱烈な賛成者もあらわれた。しかしドールトンの発表したことの中で、たしかなのは倍数比例という経験法則の発見であって、「原子重量」のほうはまゆつばだと思う学者はすくなくなかった。
 ドールトンは原子を面白い円形の記号であらわした。酸素原子はただの円、水素原子は中心に点を打った円等々。それは原子にたいするドールトンのゆるがぬ確信をあらわしているかのようだった。現在われわれが使っている酸素=O、水素=Hなどの記号がスウェーデンの化学者べルセリウスによって提案されると、彼は頑固にそれを拒否した。アルファベットで原子をあらわしては、ほんとうに存在し、結合し分離する原子というもののイメージがあいまいになってしまうと考えたのである。
(『原子論の誕生・追放・復活』P158より)

なんというこだわり!!
やっぱり、この世ではじめて「原子」を見たのはドールトンだ!!

(つづく)


 

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「原子論」を科学する(21) #原子論の歴史 #分子模型 #ドールトン #水の分子 #定比例の法則

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水の分子模型!!
 やっぱり手元に置いておきたくて手に入れてしまった。
 それにしても「ふしぎ!?」な話だ。
 小さい小さい原子・分子!!
 見えるわけないのに、こんな「模型」がどうしてわかったのだろう!?
 それにいたる物語をつづけよう。

▼「原子論」の歴史をつづける。
 小さな小さな「原子」をはじめに見たのは誰だろう!?

 ドールトンの考えはこうである。すべての元素は、それぞれ特有な原子からできている。原子はけっしてこわれることのない、またほかの何物からもつくられるることのない微粒子である。「一個の水素原子を創造することも消滅することもできない。われわれがひき起こすことのできる変化は、結びついている原子を分離するか、離ればなれになっている原子を結合させかの、どちらかである。」元素がちがうと、原子の重さもちがっている。種類のちがった元素の原子が、ある一定の割合で結びついたのが、化合物の一番小さい粒子、すなわち分子(ドールトンの言葉では「複合原子」)である。
(『原子論の誕生・追放・復活』P152より)

 では、この後原子と分子の重量を測り、一つの分子を形づくる諸原子の数をきめることができたのだろうか。

▼試行錯誤がつづいた。

 このような誤りがあったが、原子の重さをの測れるものとする方法を切りひらいた点で、ドールトンの功績は偉大なものであった。科学でいう「仮説」というものは、それを使うことによって、問題解決に新しい展望がひらかれるとか、未知の事実が発見されるものでなければならない。ドールトンの場合、原子の「仮説」はどんな成果をあげただろうか。 「すべての均質物質の窮極粒子はみな完全に同じである。水の分子はどれも同じである。」というドールトンの言葉を思い出そう。原子論の観点をとる以上、彼の時代の知識からすれば、ほかに考えようのない論理的帰結であった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P155より)

▼さていよいよだ!!

 水の分子がみな同じだということは、水の分子を形づくる水素原子と酸素原子の数はきまっているということである。それは水の元素組成-水素と酸素の重量比-がきまっているという事実にもとづいている。しかし、この当時、化合物は「それぞれ一定した元素組成を持っている」(定比例の法則という)という法則が正しいかどうかは、論争中の問題であった。このとおりになりそうもない事例がいくつかあって化学界の論争点になっていたのである。だからドールトンが、どんな化合物もそれぞれきまった重さを持ち、きまった原子数からなる分子でできていると断定的にいったのは、じつは原子論にもとづいて、「定比例の法則は真である」と予想したことになる。事実、定比例論争は一八一一年に結着がついて、この法則は化学の基本的な実験法則になった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P156より)

(つづく)
  

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【Web更新7/3】22-27 オンライン「寅の日」 等 更新!!

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  山寺の末摘花や棘多し 22/07/02撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】22-27
週末定例更新のお知らせ
 6月が終わった。
 7月がはじまった!!
 それは2022年の「折り返し地点」通過を意味した。

 「捨てる」「詠む」「発信する」はどこまで!?
 ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

◆表紙画像集2022 更新 末摘花 紅花
 「半夏ひとつ咲き」という言葉があるのを教えてもらった。
 今年の異常とも思える猛暑が、東の畑の最上紅花をせかせてしまったのだろうか。
 今が盛りと咲き始めた。
 棘が多いのも最上紅花の特徴とも教えてもらった。
 摘む作業を困難なものにしたことだろう。
 『おもひでぽろぽろ』の高瀬で見た紅花畑を思い出した!!

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 11年目の展開がつづいている。
 6月、7月とつづいて「ルクレチウスと科学」を読んでいる。
 読めば読むほどこの論考が、科学者・寺田寅彦にとって重要な意味をもつと思えてきた。
 どこまでも自らの「文脈」に引き寄せて読んでいきたい。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 「原子論」を科学する シリーズを継続中である。
 私にとっての「原子論」とは!?
 「原子論的物質観」とは!?
 まだまだ道は遠い!!
 ゆっくり ゆっくり 楽しみながら進めたい。

◆Webテキスト『天気の変化』の可能性!? 更新!!
 いつもながらの「雲見」と俳句「歳時記」だけの更新だ。
 「雲見」、吟行の旅の計画を立てる。
 計画を立てるだけでも ワクワクしてくる作業だ!!

◆【ヒガンバナ情報2022】 更新!!
 過去の実生ヒガンバナ実験、実生コヒガンバナ実験いずれもが、葉は枯れて地上部から姿を消している。
 2021年に採集・回収した「種子」の発芽・発根がつづいている。
 もはや「たまたま」の範疇を越えている。やっぱり「ふしぎ!?」だ。

 大賀ハス観察池は蓮根の植え替えから14週目だった。
 花芽2号は、花茎がぐんぐんのびて心持ちふくらんできた。
 「あこがれの4日間」は、今週中にもやってくるだろう。楽しみである!!

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「原子論」を科学する(20) #原子論の歴史 #ラヴォアジエ #化学原論 #元素と原子

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▼ラヴォアジエ(フランス、1743~1794)は、「雲見」をしただろうか!?
 ラヴォアジエには「雲」はどのように見えていたのだろうか!?
 彼の三三種の「元素の一覧表」にはすでに「酸素」「水素」はあがっていた!!

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
 今一度、今なお混乱している「元素」と「原子」についてみておこう。

 ラヴォアジエ自身の言葉で、彼が元素の概念をどのように説明したかを見ることにしよう。彼は『化学原論』の序文の中に次のように書いている。
「元素が何個あって、(それぞれ)どんな性質そなえているかを、あらかじめ語ろうとするのは、形而上学的な議論になってしまうと私は思う。……それ故、私は次のように語ることで満足しよう。(第一に)もしも元素とは単一で不可分な原子だというにしても、それで元素が何であるかの意味を知ることはできそうもない。(第二に)これとはちがって、元素ということばに、物質を分析して到達することのできる終点のもの、という観念をあてはめるとしよう。そうすれば、どんな手段を用いても、まだ分解することのできない物質は、すべてわれわれにとって元素だということになる。ところで、われわれがいま、ある物質を単一のものだとみなしているとしても、それが二種類またはもっと多くの元素からできているのではないと主張する資格は、われわれにはないのである。……われわれがこの物質からさらにいくつかの元素を分離する手段をいまのところは持っていないために、その物質は、われわれに対して元素としてふるまうのである。実験と観察が証拠を見せてくれるその瞬間までは、その物質を、われわれは化合物だと想像するわけにはいかないのである。」
 この言葉の中には、ラヴォアジエが元素というものをどのように定義づけようとしたかが読みとられる。彼はどちらかというと、元素とは何かを定義するよりは、元素はどのような実験と事実によってたしかめ、手に入れることができるかを説明しようとしているのである。
(『原子論の誕生・追放・復活』P150より)

 私自身が混乱しているから、とても長い引用になってしまった。

▼ラヴォアジエの考え方が少しわかりはじめた。さらに引用を続けよう。

 しかしラヴォアジエは原子をどのように考えたのだろう。彼は経験されないもの、実際につかまえられないものを、物質的存在としては認めないという信条を、かたくなに守ったので、化学の中に原子を持ち込まなかったのだと解釈することもできる。「元素の本体は原子だといっても、それで元素が何であるかがわかるものではない」と彼は書いている。もしかすると彼は「元素の本体は原子だといっても、それで原子が何であるかがわかるものではない」といったのかもしれない。私には、どちらの意味にも読まれるような気がする。もしかすると、後の翻訳文のほうが正しいかもしれないと思う。
(『原子論の誕生・追放・復活』P151より)

▼ラヴォアジエは「原子」を見たのだろうか!?

 その問いかけにはこう答えられていた。
 そこで私はこう想像する。彼の文に出てくる元素と原子の関係についての意見は、けっして原子否定論ではあるまい。彼には元素の本体は原子だという予想はあっただろう。しかしそうだと一度いってしまえば、次に原子とはどういうものか、もっと具体的にいったら、たとえば水素の原子と酸素の原子とは、どこがちがうのかを、科学的証拠にもとづいいわなければならない。それはまだ不可能だ。なぜなら、いろいろな元素がどのような法則によって化合するかを、われわれはまだ知らないから。
 もちろん、これは私の想像である。たぶんラヴォアジエの原稿などをさがしても、証拠のみつかりそうもない、歴史の謎である。
(『原子論の誕生・追放・復活』P152より)

(つづく)

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2022年7月(文月)の俳句「歳時記」!! #俳句 #歳時記 #オンライン句会

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▼われらが寅日子先生は夏が大好きだったようだ。
 <雲の峰>もたくさん詠んでおられた。

 雲の峰見るゝ雲を吐かんとす (「落穂集」明治32年)

▼さあ、今月も名句の鑑賞 より<俳句修業>をはじめよう!!
 名句の参考にさせてもらうのは、いつものように

◆NHK「俳句」 テキスト

である。ここより巻頭の名句11句を引用させてもらう。

(1) フェリーより降りし日傘を廻しけり 遠山陽子
(2) 絶えず人いこふ夏野の石一つ 正岡子規
(3) 夏山の大噴火口隠すなし 高野素十
(4) 沖が見えよき音となる貝風鈴 伊藤政美
(5) 睡蓮や聞き覚えある水の私語 中村苑子
(6) 蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな 高浜虚子
(7) 日盛や梯子貼りつくガスタンク 相子智恵
(8) トマト煮るもうすぐタイマーが鳴る 藤野武
(9) 大空に富士澄む罌粟の真夏かな 飯田蛇笏
(10) 暗く暑く大群衆と花火待つ 西東三鬼
(11) 街への投網のやうな花火が返事です 夏石番矢

▼<俳句修業>の第一歩は「選句」から!!
 シロウトの私が言うのも気が引けるが、「名句」を声に出して読んでみると、ナルホド(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウンだ!!
 そんななかでも、特に私の「お気に入り」がみつかる!!
 みつける作業を「選句」という。
 今月もシロウト「選句」を楽しむことからはじめてみよう!!

【私の選んだ名句ベスト3】

(5) 睡蓮や聞き覚えある水の私語 中村苑子

(4) 沖が見えよき音となる貝風鈴 伊藤政美

(6) 蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな 高浜虚子

【次点】

(11) 街への投網のやうな花火が返事です 夏石番矢

【選評】
・「水の私語」に一票です!!
・「よき音」聞こえてきそうですね。長いあいだ海水浴に行っていない。海も見ていないなぁ!!
「クモ学」ファンとしてははずせないですね。

・ここに「夏物語」を読んでしまいますよね。どんな「返事」かな!?きっと…

▼きっと究極の俳句修業が<句会>参加だ!!
 寅日子先生(寺田寅彦)に師事する私たちのオンライン句会「寅の日」も、はや第23回をむかえた。

◆第23回オンライン句会「寅の日」7月例会案内!!

 いつでも、誰でも はじめることができますよ!!
 「俳句」はじめての方、大歓迎です。

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2022年7月(文月)の「雲見」は!? #雲見 #もくもくシール

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▼暑い!!暑い!!
と叫んでいるまに7月となってしまった。
 7月の「雲見」を予想する前に6月の「雲見」のまとめをもくもくシールセットによる「雲見」カレンダーでふり返っておこう。
 使用した十種雲形シールは次のようになった。

・快晴    4 
・巻雲    0 
・巻積雲   2 
・巻層雲   4     
・高積雲   0  
・高層雲   3     
・層積雲   2 
・積雲    8 
・層雲    1  
・乱層雲   5  
・積乱雲   1

 「積乱雲」1+「乱層雲」5=6
 梅雨入り6/14~梅雨明け6/28
 これだけ見ても、雨の少ない短い「梅雨」であったことがわかる。
 それにくらべて
 「快晴」4+「積雲」8=12
 ・「夏日」=11日
 ・「真夏日」=12日
 そして、昨日(2022/06/30)ついに36.1℃まであがった!!
 ・「猛暑日」=1日
 暑い暑い「福崎の夏」がやって来た!!
 「雲見」はどんな展開をみせるだろう!?

▼7月(文月)の「雲見」の予想に入ろう。
 まずは昨年の7月の天気図を見てみる。

◆日々の天気図 2021年7月 (気象庁)

・今年の「梅雨明け」がいかにはやかったかがわかる。
・現在の二段重ねの高気圧いつまでつづくのだろう!?
・この猛暑はいつまでつづくのだろう!?
・台風の発生は!?
・「快晴」「積雲」のシールはどこまでふえるかな?
・やっぱりある程度は「乱層雲」「積乱雲」シールが欲しいな!!

▼7月の「雲見」予想をつづけよう。
 よりローカルな資料を使ってみよう。
 アメダス「福崎」のデータに基づく資料である。

◆兵庫県 福崎 の気候(雨温図最高気温、最低気温の推移

・7月が一年でいちばん雨量が多くなっているが、はたして今年は!?
・これを見てもやっぱり暑くなりそうだ。
・「猛暑日」は何日でてくるだろう。
・ここにはでてこないが注目しておきたいのは「海陸風」だ!!
・猛暑のなか少しでも快適に暮らすためには!?

▼さあ、いよいよ「雲見」の旅を再開できる環境ができつつある。
 「大気の物理学実験室」水平に移動して「雲見」を楽しむだけ!!
 もっとも簡単で、もっとも面白い!! 究極の道楽!!

 定点観測の【「雲見」の連帯】も!!

 

 

 

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