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本日(2022/06/18)、第319回オンライン「寅の日」!! #ルクレチウスと科学 #traday #寺田寅彦

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▼不思議なタイトルの本がある。

◆『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』 (スティーヴン・グリーンブラット著 河野純治訳 柏書房)

 ずいぶん以前に手に入れながら、まだ読んでしまっていない。途中までで挫折してしまうのである。(^^ゞポリポリ
 読みたい気持ちは充分にある。それは、こんな興味深い歴史があるからだ。今度こそ…!!

●1417年 ポッジョ(イタリア、1380~1459)、ある修道院でルクレティウスの「事物の本性について」の全文を発見。


▼本日(2022/06/18)は、第319回オンライン「寅の日」である。
6月テーマは、

【6月テーマ】「寅彦とルクレチウス」

である。6月は3回とも連続して、「ルクレチウスと科学」を読む。
 本日はその二回目である。

◆本日(2022/06/18)、第319回オンライン「寅の日」!!

●「ルクレチウスと科学」(2)(青空文庫より)


▼今、「原子論」を科学する というシリーズで、「原子論」の歴史を追っている。
 それと関連して、ますますルクレチウスが興味深くなってきている。
 今の私にとっての最大のテーマは

 「寅彦は、なぜかくも熱くルクレチウスを語るのか!?」

 である。正直言って、内容が濃すぎて前にすすめない。
 前回は「緒言」を読み終わるのがやっとだった。
 今回は「一」から気になる部分をピックアップする作業からはじめる。

 現在の物理学における物質不滅則、原子の実在はだれも信ずるごとく実験によって帰納的に確かめられたものである。二千年前のルクレチウスの用いた方法はこれとはちがう。彼はただ目を眠りふところ手をして考えただけであった。それにかかわらず彼の考えが後代の学者の長い間の非常の労力の結果によって、だいたいにおいて確かめられた。これははたして偶然であろうか。私はここに物理学なるものの認識論的の意義についてきわめて重要な問題に逢着(ほうちゃく)する。約言すれば物理学その他物理的科学の系統はユニークであるや否やということである。しかし私は今ここでそういう岐路に立ち入るべきではない。ただルクレチウスの筆法を紹介すればよい。
 
 ではその「ルクレチウスの筆法」に話をすすめよう。

 今日の科学の方法に照らして見れば、彼が「無より有は生じない」という宣言は、要するに彼の前提であり作業仮説であると見られる。もっとも、無から有ができるとすれば、ある母体からちがった子が生まれるはずだといったような議論はしているが、これらは決して証明ではあり得ない事は明らかである。
そしてここに述べられたアルファベットが寄り集まっていろいろな語を作るように、若干の異種の原子がいろいろに結合していろいろのものを作るという彼の考えはほとんど現在の考え方と同様である。のみならずおもしろい事には現在われわれは原子の符号にアルファベットを用い、しかもまたいろいろの物質をこれら符号の組み合わせで表わすのである。これは全然ルクレチウスの直伝である。
 元子によって自然を説明しようとするのに、第一に必要となって来るものは空間である。彼はわれわれの空間を「空虚」(void)と名づけた。「空間がなければ物は動けない」のである。彼の空間は真の空虚であってエーテルのごときものでない。この点もむしろ近代的であると言われよう。
 物質原子の空間における配置と運動によってすべての物理的化学的現象を説明せんとするのが実に近代の少なくも十九世紀末までの物理学の理想であった。そうして二十世紀の初めに至るまでこの原子と空間に関するわれわれの考えはルクレチウスの考えから、本質的にはおそらく一歩も進んでいないものであった。

▼読めば読むほどルクレチウスの凄さが見えてくる!!
 同時に、いちはやくそれに注目した科学者・寺田寅彦の凄さにあらためて驚く!!
 私には、繰返しの反芻作業が必要な領域まで話が及んでいく。

しかしもともと相対性理論の存在を必要とするに至った根原は、畢竟(ひっきょう)時に関する従来の考えの曖昧(あいまいさ)に胚胎(はいたい)しているのではないかと考えられる。時間もそれ自身の存在を持たないと言ったルクレチウスの言葉がそこになんらかの関係をもつように思われる。「物の運動と静止を離れて時間を感ずる事はできない」という言葉も、深く深く考えてみる価値のある一つの啓示である。
 ともかくも物質元子に、物体と同様な第二次的属性を与える事を拒み、ただその幾何学的性質すなわちその形状と空間的排列とその運動とのみによって偶然的なる「無常」の現象を説明しようとしたのが、驚くべく近代的である。
 私は近代物理学によって設立された物質やエネルギーの素量の存在がいわゆる経験によった科学の事実である事を疑わないと同時に、またかくのごとき素量の存在の仮定が物理学の根本仮定のどこかにそもそもの初めから暗黙のうちに包含されているのではないかということをしばしば疑ってみる事がある。われわれが自然を系統化するために用いきたった思考形式の機巧(メカニズム)の中に最初から与えられたものの必然的な表象を近ごろになっておいおい認識しつつあるのではないかという気がするのである。ルクレチウスは別にこの疑問に対してなんらの明答を与えるものではないが、少なくも彼は私のこの疑いをもう少し深く追究する事を奨励するもののように見える。
科学は畢竟(ひっきょう)「経験によって確かめられた臆断(おくだん)」に過ぎないからである。
 この論議の中に、熱は元子の衝突運動であるという考えや、元子排列の順序の相違だけで物の変化が生じるというような近代的の考えも見えている。
ルクレチウスが今の科学に照らして最も不利益な地位に置かれるのは、彼がここで地を平面的に考え、「上」と「下」とを重力と離れて絶対的なものに考えている事である。
 この物質量の無限大を論ずる条下に現われているもう一つの重要な考えがある。元子が集合して物を生ずるのは、元子の混乱した衝突の間に偶然の機会でできあがるものであって、何物の命令や意志によるのでもない。そういう偶然によって物が合成されうるためには無限の物質元子の供給を要するというのである。この「偶然」の考えも実に近代の原子説の根底たる統計力学の内容を暗示するように見える。偶然のみ支配する宇宙ではエントロピーは無際限に増大して死滅への道をたどる。

 私の力量ではピックアップするだけが精一杯である。
 あわせて、次の本を読まれることをお薦めする。
 
◆『物の本質について』(ルクレーティウス 著 , 樋口 勝彦 訳 岩波文庫)

 
 この調子では、計画通りすすめることが困難に思えてきた。

 さあ、今日はファラデーラボでなにかヒントをもらえるかもしれない。楽しみである!!

(つづく)

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