本日(2022/06/30)、第320回オンライン「寅の日」!! #ルクレチウスと科学 #traday #寺田寅彦
▼「原子論的物質観」!!
それが私の主「文脈」である。
梅雨明けの青空はひときわ青かった。
「“青空”は原子論の最も美しい証明だ!!」
のコトバを思い出すのだった。
▼本日(2022/06/30)は、第320回オンライン「寅の日」である。
6月テーマは、
【6月テーマ】「寅彦とルクレチウス」
である。6月は3回とも連続して、「ルクレチウスと科学」を読む。
本日はその三回目である。
◆本日(2022/06/30)、第320回オンライン「寅の日」!!
▼すでに提案のとおり、7月も同じテーマで「ルクレチウスと科学」を読むことにしていた。
2回の延長である。
しかし、正直言って、寅彦のこの長文を読み解く自信がなくしつつあった。
これが、私の能力の限界かもしれない!!
10年間オンライン「寅の日」を続けてきて、そのなかで身につけたこんなときの秘策があった!!
徹底して自分自身の「文脈」に引き寄せて読み解く!!
できるだけ寅彦の「文脈」に寄り添いたいという願いも抱きつつ。
さあ、前置きが長くなってしまった。今回は「二章」「三章」を中心に読む。
まず「二章」だ!!
私自身の「文脈」で、すぐに思い出してしまうのは、「原子論的物質観」の授業だった。
元子は結合するが、その結合は固定的ではなく、不断に入れ代わり、離れまた捕われる。eternal give and take である。しかしその物質の総和は恒久不変であると考える。ここの考えは後代の物質不滅説を思わせる事はだれも認めるであろうが、また見方によっては、たとえば溶液分子のようなものの化学的平衡を思わせる何物かを含んでいるからおもしろい。
元子は互いに衝突する。その速度は一部は固有のものであり、一部は衝突によって得るものである。衝突の結果はいろいろである。ある元子はその複雑な形状のために互いに引っ掛かって結合して剛(かたい)物を造るが、あるものは反発して柔らかい物質となりあるいは全然離れ合ってしまう。これは言わば固液気三態の原子構造の説明と見られる。
「ブラウン運動」
日光に踊る微塵(みじん)の有名な譬喩(ひゆ)の出て来るのはこの条である。私のおもしろいと思ったのは、元子の寄り合ってできる細粒が、不可視的元子の衝動によって動かされて、粒全体としての運動を生ずるという考えが述べてあることである。それがちょうどブラウン運動の記述に相当する事である。
「光の速度」
「物体の落下」
「分子生物学」(!?)
「百年後の整理学」
「近代科学精神の発現」
「原子数」「原子模型」
等などに言及し、とどまるところをしらない!!
しかし、寅彦はすべてを闇雲にルクレチウスを礼賛しているのではなかった。
二章最後にこう書いた。
この条下にこの世界の誕生、生長、老衰、死滅に関することも述べられている。これらを省略して直ちに第三巻に移ろう。
寅彦も「省略」するところは省略し、自らの「文脈」に沿ってルクレチウスを読み解こうとしていたのだ。
▼三章では、そのスタンスはより顕著になっていた。
しかし、ルクレチウスを熱く語ることはつづいていた。
三章では、ぜひとも注目しておきたい一文が最後にあった。
私は思う。直観と夢とは別物である。科学というものは畢竟(ひっきょう)「わかりやすい言葉に書き直した直観」であり、直観は「人間に読めない国語でしるされた科学書の最後の結論」ではないか。ルクレチウスを読みながら私はしばしばこのような妄想(もうそう)に襲われるのである。
ここに、今の私にとっての最大のテーマ
「寅彦は、なぜかくも熱くルクレチウスを語るのか!?」
の答えのひとつがあるのではないか。
それは
「直観」!!
(つづく)
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