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本日(2022/06/30)、第320回オンライン「寅の日」!! #ルクレチウスと科学 #traday #寺田寅彦

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「原子論的物質観」!!
 それが私の主「文脈」である。

 梅雨明けの青空はひときわ青かった。
 「“青空”は原子論の最も美しい証明だ!!」
 のコトバを思い出すのだった。

▼本日(2022/06/30)は、第320回オンライン「寅の日」である。
6月テーマは、

【6月テーマ】「寅彦とルクレチウス」

である。6月は3回とも連続して、「ルクレチウスと科学」を読む。
 本日はその三回目である。

◆本日(2022/06/30)、第320回オンライン「寅の日」!!

●「ルクレチウスと科学」(青空文庫より)

▼すでに提案のとおり、7月も同じテーマで「ルクレチウスと科学」を読むことにしていた。
 2回の延長である。
 しかし、正直言って、寅彦のこの長文を読み解く自信がなくしつつあった。
 これが、私の能力の限界かもしれない!!
 10年間オンライン「寅の日」を続けてきて、そのなかで身につけたこんなときの秘策があった!!

 徹底して自分自身の「文脈」に引き寄せて読み解く!!

 できるだけ寅彦の「文脈」に寄り添いたいという願いも抱きつつ。
 さあ、前置きが長くなってしまった。今回は「二章」「三章」を中心に読む。
 まず「二章」だ!!
 私自身の「文脈」で、すぐに思い出してしまうのは、「原子論的物質観」の授業だった。

「物質不滅説」

 元子は結合するが、その結合は固定的ではなく、不断に入れ代わり、離れまた捕われる。eternal give and take である。しかしその物質の総和は恒久不変であると考える。ここの考えは後代の物質不滅説を思わせる事はだれも認めるであろうが、また見方によっては、たとえば溶液分子のようなものの化学的平衡を思わせる何物かを含んでいるからおもしろい。

「三態変化」

 元子は互いに衝突する。その速度は一部は固有のものであり、一部は衝突によって得るものである。衝突の結果はいろいろである。ある元子はその複雑な形状のために互いに引っ掛かって結合して剛(かたい)物を造るが、あるものは反発して柔らかい物質となりあるいは全然離れ合ってしまう。これは言わば固液気三態の原子構造の説明と見られる。

「ブラウン運動」

 日光に踊る微塵(みじん)の有名な譬喩(ひゆ)の出て来るのはこの条である。私のおもしろいと思ったのは、元子の寄り合ってできる細粒が、不可視的元子の衝動によって動かされて、粒全体としての運動を生ずるという考えが述べてあることである。それがちょうどブラウン運動の記述に相当する事である。

「光の速度」
「物体の落下」
「分子生物学」(!?)
「百年後の整理学」
「近代科学精神の発現」 
「原子数」「原子模型」
 等などに言及し、とどまるところをしらない!!
 しかし、寅彦はすべてを闇雲にルクレチウスを礼賛しているのではなかった。
 二章最後にこう書いた。

この条下にこの世界の誕生、生長、老衰、死滅に関することも述べられている。これらを省略して直ちに第三巻に移ろう。

 寅彦も「省略」するところは省略し、自らの「文脈」に沿ってルクレチウスを読み解こうとしていたのだ。
 
▼三章では、そのスタンスはより顕著になっていた。
 しかし、ルクレチウスを熱く語ることはつづいていた。

 三章では、ぜひとも注目しておきたい一文が最後にあった。

 私は思う。直観と夢とは別物である。科学というものは畢竟(ひっきょう)「わかりやすい言葉に書き直した直観」であり、直観は「人間に読めない国語でしるされた科学書の最後の結論」ではないか。ルクレチウスを読みながら私はしばしばこのような妄想(もうそう)に襲われるのである。
 

 ここに、今の私にとっての最大のテーマ

 「寅彦は、なぜかくも熱くルクレチウスを語るのか!?」

 の答えのひとつがあるのではないか。
 それは
 「直観」!!

(つづく)

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自然結実ヒガンバナの「種子」の発芽・発根は181個になった!!(2022/06/28) #ヒガンバナの種子 #実生ヒガンバナ #日本ヒガンバナ学会

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▼2021年に採集・回収した823個のヒガンバナの「種子」を使った実生実験!!
 前回の観察は2022/05/30であった。

●自然結実ヒガンバナの「種子」の発芽・発根は131個になった!!(2022/05/30)

 この段階で、すでに131個もが発芽・発根していた。

▼それからおよそ1ヶ月!!
 なんともはやい梅雨明けを報された昨日(2022/06/28)、再び観察してみた。
 育苗プラグトレー12個は、できるだけ直射日光をさけて木陰に置いていた。
 さらには、もうひとつのトレーをかぶせてシェルターのようにしていた。

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▼シェルターのフタをとってビックリだ!!
 前回よりも、あきらかに発芽・発根したものは増えていた。
 あらかじめ作成しておいた「種子マップ」を参考にチェックしていった。

・やっぱり【安富】は追加分も多い!!
・前回確認したものも、さらに大きく成長していた。
・なかには、根に引き込まれ地上部から姿を消したものもある。
・地上で枯れ始めたものもある。
・はやい梅雨明けの影響がでるかも知れない。
・根の先に根毛のようなものがみられるものがある。
・たった今、発芽・発根したばかりというのもあるようだ。
・いろんな段階のものを見ることにより「発芽・発根」の全プロセスを見るようだ。
・今回は植木鉢に植え替えせずに、このままトレーのなかで育てる。
・さて、この後どんな展開になるやら楽しみである。

・結論として、昨日(2022/06/28)観察した「発芽・発根」追加分は50個である!!
・【安富】 15個
・【夢前】  2個
・【福崎】 18個
・【福崎B】 5個
・【福崎S】 4個
・【福崎M】 2個
・【福崎F】 0個
・【福崎N】 1個
・【香寺】  3個

 総合計は50個である!!


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▼前回までの131個に、今回の追加分50個を加えて

●2022/06/28現在、「発芽・発根」した種子は181個である!!
その内訳は
・【安富】 68個
・【夢前】  3個
・【福崎】 65個
・【福崎B】10個
・【福崎S】16個
・【福崎M】11個
・【福崎F】 1個
・【福崎N】 2個
・【香寺】  5個

 総合計は181個である!!

 現段階の暫定発芽率は 181/823×100= 21.9%
 【安富】にいたっては 68/208×100= 32.7%

 
 日本のヒガンバナは3倍体のハズ!!
 ねえ君、不思議だと思いませんか!?

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第23回オンライン句会「寅の日」7月例会案内!! #寅の日 #オンライン句会 #夏雲システム

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▼最上紅花が東の畑に咲きはじめた!!
 芭蕉の紅花二句
  眉掃を俤にして紅粉の花 
  行末は誰が肌ふれむ紅の花

 33年ぶりの「紅花を追って」の旅を思い出した。

▼オンライン句会「寅の日」が始まったは2020年9月だった。
 コロナ禍のなかはじまった。だからこそはじまったと言えるのかも知れない。
 やっと旅が再開できる環境ができつつある。
 この夏、ささやかな「吟行の旅」からはじめたい気分だ。

▼あらためて、7月例会の案内をあげておく。
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第23回オンライン句会「寅の日」7月例会実施案内

0.はじめに
 本会をオンライン句会「寅の日」と称する。
 オンライン「寅の日」から生まれたオンライン句会です。
 俳句結社「寅の日」が運営しています。
 寺田寅彦に師事します。 

0からはじめる人のためのオンライン句会です。

 本会は「夏雲システム」を利用させてもらっています。

1.原則として月一回の月例句会を実施します。

2. 参加者
 あらかじめ登録された者のみ。
 (「俳号」をきめて、【句会「寅の日」参加希望】のタイトルで楠田までメールを)
 
3.投句のお題
・当季雑詠(その季節の季語を自由に詠む。)

4.句数
・5句だし
・5句選(特1・並4)特選は2点 並選は 1点 扱い
・予選句は自由 

5.【投句期間】
 2022年7月1日0時から15日23時30分まで
 
6.【選句期間】
 2022年7月16日0時から25日23時30分まで  

7.【結果発表】
 2022年7月26日から
同時に「談話室」が書き込み可能になります。

8.賞について
 ・最高得点句は最優秀句であり、その句会の「寅日子」賞とする。
 ・特別賞として、次の賞を設ける。
 「これぞ科学!!」が詠まれた句 → 「牛頓」(ニュートン)賞!!
 「よくぞそこまで観察した!!」という句 → 「藪柑子」賞!!
  特別賞は、毎回でなくてよい。
  もちろん「寅日子」賞と重なることがあってもよい。
  参加者が、選評の際に書き込むようにようにしたい。複数票を獲得したときに受賞としたい。

9.注意事項
 参加する前に「夏雲システム」、「同意事項」をよく読んでおいてください。

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▼ずっと、「ひとり吟行」の散歩がつづいた。
 これからも、これは続けるつもりだ。
 なにしろこれで、作句の面白さを知ったのだから。
 さあ、この夏は「吟行の旅」に挑戦してみたい!!
 計画を立てるだけでもわくわくしてくるのである。
 
 オンライン句会は誰でもいつでもはじめられますよ。
 ぜひ、ご一緒に!!

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【Web更新6/26】22-26 サイエンスコミュニケーター宣言 等 更新!!

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花蓮や散りゆくまでにあと三日 22/06/21撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】22-26
週末定例更新のお知らせ
 夏が来た!!
 2022年の夏が来た!!
 梅雨明けはまだだが
 これはもう 夏だ!!
 
 2022年夏はなにをしようかな!? 

◆表紙画像集2022 更新 大賀ハス
 ここ10年以上、私の夏を象徴する花・大賀ハスが咲いて散っていった。
 第1号の「あこがれの4日間」は、2022/06/20~2022/06/23であった。
 なかでも二日目の朝がいつもみごとに開く。
 荷風に誘われて虫たちがやってくるはずだった。ところがあいにくの雨だった。
 さて、その結果は!?

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 ファラデーラボ「かがく」カフェのリアル参加を再開している。
 「共愉のかがく」は最高に愉しい!!
 「原子論」を科学する シリーズ 執拗につづけている。
 「原子論」の歴史を追いかけてみるといろんなことが見えてきた。
 実に面白い!!
 まだまだ続けてみたい。

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 「原子論」の歴史と関連して、「ルクレチウスと科学」はとても面白い!!
 6月に引き続き、7月も「寅彦とルクレチウス」のテーマ続投デアル。
 寅彦は、なぜかくも熱くルクレチウスを語るのか!?
 自分なりの答えをみつけたいものだ!!


 大賀ハス観察池は、蓮根の植え替えから13週目である。
 第1号の「あこがれの4日間」は終わったが、第2号の花芽が見えてきた
 \(^O^)/
 今度の「あこがれの4日間」はいつかな!?
 楽しみである。

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「原子論」を科学する(19) #原子論の歴史 #ニュートン #質量 #質量保存の法則 #ロモノソフ #原子と分子

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▼コガネグモ4号はたった2日で「引っ越し」してしまった!!
 「引っ越し」のときには、隠れ帯、ネットをつくる糸のすべてを回収してしまっていた。
 わずかに「橋糸」を残すのみだった。
 では、隠れ帯、ネットの糸のすべてを含むコガネグモの全体重(質量)は
 「引っ越し」前
 「引っ越し」後
 では変化しただろうか!?

 「質量保存の法則」は、自然界における謎解きの最強の「アイテム」デアル!!


▼「原子論」の歴史をつづける。
 物質探検においても、もっとも大切にしたいアタリマエ!!=「質量保存の法則」
 もう少しこだわってみよう。

 重量というものは、地球上の物体と地球とのあいだにははたらく引力=重力のあらわれであって、その引力は物体の「質量」に比例するという考えを、力学から導き出したのは二ユートンである。「質量」とはいったい何かということは、物体の運動をあつかう力学から定義される。しかし、とニュートンはいう。結局のところ、質量というのは、物体を組み立てている原子の数のことだ。ニュートンの力学には、原子のことはおもてだっては出てこないのであるが、彼の物質観の土台は原子論であった。ラヴォアジエの後に出てきたドールトンは、いろいろな元素の本体は、それぞれきまった質量をもつ原子だと考えることができたのであるが、ニュートンには、現実の物質と原子とをつなぐ化学的知識の鎖はなかった。それでもニュートンにとっては変化の中での物質不滅と原子論とは一つに結びついた思想であった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P147より)

▼では次はロモノソフの「質量保存の法則」を見てみよう。

一七六〇になって、ようやく印刷されたある論文の中で、ロモノソフは次のように述べている。
「自然界に起こるあらゆる変化は、次のようにして起こる。もしどこかに何ものかが付け加えられれば、他のどこかから同じだけのものが取り去られる。一つの物体にいくらかの物質が与えられるなら、同じ分量が他の物体から出てゆくのである。……この法則はきわめて普遍的なものであるから運動の法則にもあてはまる。一つの物体が、それ自身の力によって他の物体を動かしたならば、後者の物体が伝えられて受けとった運動だけ、前者は力を失う。」
 この文の前半は、質量保存の法則をいいあらわしたものであり、後半はエネルギー保存の法則を洞察した言葉だとされている。
(『原子論の誕生・追放・復活』P147より)

より具体的な例もあがっていた。

たとえば、栓をした瓶の中に水を入れるとする。水は蒸発して、水蒸気は瓶の空所をみたす。瓶の空所には、はじめ空気だけしかない。そこに水蒸気がいっぱいになる。その水蒸気は、もちろんの液体の水が蒸発してできたもので、水蒸気になった分だけ、液体の水は減っていて、プラス・マイナス・ゼロ、つまり瓶全体の重さ(質量)に変りはない。こう説明してしまえば、わかりきったことだが、やさしい言葉でいうなら、「あちらでふえればこちらで減る」というふうに、質量保存の法則のとらえ方を定式化したところに、ロモノソフの新しさがある。
(『原子論の誕生・追放・復活』P148より)

▼まだまだ繰り返そう。

 原子論の立場をとっていたロモノソフは、気体の性質や熱などの物理現象を、粒子の運動のあらわれと考えて、いくつかの論文を発表したが、化学者であった彼の原子についての考え方には、化学にふさわしい特徴があった。彼は「数理的化学の基礎」という論文を書いて、化学という当時はまだ博物学に近かった学問を、物理学のように数字を応用することのできる学問にする土台をみつけようとした。その中で彼は、物質を形づくる粒子には二種類あって、一つは、これ以上分割できないもの-私たちの言葉ではアトム-、もう一つはいろいろないくつかのアトムがいっしょに集まってできたもの-私たちの言葉では分子-だといっている。といってもロモノソフはまだ原子と分子とを区別する化学的知識を持っていなかったので、原子と分子とが何であるかをいいあてることはできなかった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P149より)


(つづく)

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「原子論」を科学する(18) #原子論の歴史 #ラヴォアジエ #化学原論 #ドールトン #原子量 #元素重量不変の法則

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「それで…!?」
 と言われると、困ってしまうのだが、飽きもせずやっぱりこれをやってしまうのだった。
 池のなか、周辺から可能なかぎり「花びら」「雄しべ」を拾い集めた!!

 【2022大賀ハス1号】(観察池)
「あこがれの4日間」: 2022/06/20~2022/06/23
 花びら : 18枚(4枚?を含む)
 がく : 2枚
 雌しべ : 14
 雄しべ : 131本 

あのラボアジェも「法則」(アタリマエ)みつけるまでは飽きずにくりかえしたのかな!?

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
  再びラヴォアジエの仕事を見てみよう。

 ラヴォアジエはその理論と実験をいくつかの論文として発表したあと、それらの成果をまとめて一七八九年に『化学原論』と題する上下二巻の本を出版した。その英訳はすぐ翌年に、フランス語の題を忠実に英語に移した Elements of Chemistry という名前で出版された。Elementsという言葉には「入門」といった意味もある。ラヴォアジエ自身、初学者にもわかりやすいことを旨として執筆したといっているが、Elements-化学では元素のこと-は原理、原則という意味もある。だから私は『化学原論』をラヴォアジエの本の訳名とするのがふさわしいと思う。
(『原子論の誕生・追放・復活』P144より)

●1789年 ラヴォアジエ(フランス、1743~1794)『化学原論』を出版

▼次はドールトンに行こう。

 『化学原論』の出版からわずか一六年後の一八〇五年に、イギリスのマンチェスターで化学者のジョン・ドールトンの、その二年前発表した論文が印刷され、その論文の付録に「ガス状物質そのほかの物質の窮極粒子の相対的重量の表」というものがあった。「窮極粒子」とは原子のことである。それには、水素の原子の重量を一とすれば、酸素の原子の重量は五・五、水素原子と酸素原子とからできている水の分子の重量六・五などと書かれてあった。原子についての新しい考え方を述べたドールトンの著は『化学の新しい体系』と題して一八〇八年に出版された。ドールトンは原子の「相対的重量」のことを短く「原子重量」(atomic weight)といった。日本語では簡単に「原子量」といっている。
(『原子論の誕生・追放・復活』P145より)

●1808年 ドールトン(イギリス、1766~1844)『化学の新しい体系』出版

▼今一度、ラヴォアジエにもどろう。
 ここのところが、もっとも大切なところだからゆっくりゆっくり急ごう!!

ラヴォアジエは燃焼の理論から出発して、「元素」の概念を確立した。「元素」はもはや想像の産物ではなくて、つかまえ、重量をはかり、変化の過程のゆくえを追跡できるものとなった。そして元素は、どんな化学変化の中でも、不生不滅に保たれるものなので、一つの化学変化の前と後とで、変化にかかわりを持つ一つ一つの元素の重量は変わらず、したがって全体として見た重量も、変化の前後で変わらないことになる。
(『原子論の誕生・追放・復活』P145より)

くどいほど繰り返しておこう!!

 一つ一つの元素の重量は変わらず、したがって全体として見た重量は、変化の前後では変わらないことになる。このようにして、ギリシア人の考えた「物質不滅の原理」は、新しい意味での元素の言葉で、書き改められることになった。裏がえしにしていえば、ラヴォアジエは古来の物質不滅の原理に導かれて、元素の不生・不滅、元素の重量の保存をたしかめたのである。だからラヴォアジエにとって元素という概念の「発見」と「元素重量不変の法則」-今では物理学の正確な用語を採用して質量保存の法則という-の確立とは、一つのことだったといえる。化学の教科書などに質量保存の法則を確立したのはラヴォアジエであったように書いてあることがあるが、これは正しくない。
(『原子論の誕生・追放・復活』P146より)

(つづく)

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「原子論」を科学する(17) #原子論の歴史 #ラヴォアジエ #化学革命 #元素 #デーヴィ #電気分解

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2022/06/23 12:00
 大賀ハス「あこがれの4日間」第四日目
 花托の上に14個の雌しべ、周囲に雄しべ24本を残すのみ!!

 三日間のみごとな花の開閉、四日目には朝から次々と花びら、雄しべを落としていった!!
 これが「あこがれの4日間」!!
 やっぱり「ふしぎ!?」だ。どうして四日目とわかったのだろう!?
 このプログラムは、どこにどのように埋め込まれているのだろう!?
 この「からくり」の謎解きはまだまだつづく!!

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
 「化学変化」の謎解きの歴史を見ていこう。
 いよいよラヴォアジエの登場である。
 

そこでラヴォアジエはっきりと次のことを知った。
 (1)空気は物を燃やし、動物の呼吸を支える力のあるガスと、その力のないガスの混合物である。
 (2)空気中で熱せられた物質が燃焼するのは、それらの物質が空気中の一つの成分と化合するためである。
(『原子論の誕生・追放・復活』P139より) 

「私は化学に革命をおこして見せる。誰の手もかりずに、自分一人の力で。」
 ラヴォアジエは若いときにこういった。そのとおり、彼は独力で化学を変革した。もっとも酸素ガスを教えてくれたプリーストリがいた。しかし大切なのは、ラヴォアジエが酸素ガスの役割を発見した研究の方法、その思想の力である。
 化学にどんな革命がおこされたのだろう。
 誰もつかまえたことがなく、その存在を証明したことのないフロギストンが追放された。フロギストンは燃焼だけでなく、あらゆる化学変化の説明に使われていた。燃焼が架空でなはなく実際に存在している酸素と物質との化合であることをはっきりさせることは、化学全体の改革である。
 新しい化学はフロギストンのような架空物を許さない。ほんとうに実物としてつかまえ、それの性質を調べ、目方を測ることのできる物質だけが、化学の舞台にのぼる資格を許される。
(『原子論の誕生・追放・復活』P139より)


▼さらに一歩進んでラヴォアジエは「元素」をどう考えたのだろう。

そのほかどのような化学変化をさせても、酸素はあるときは酸素ガスとなり、あるときは種々の化合物の成分としてふくまれている。この事実をいいかえれば、酸素はどんな化学変化を受けても、結びつく相手を変えるだけで、自分自身は、より単純な成分に分解されることのない物質である。そういう物質をラヴォアジエは「元素」と考える。
(『原子論の誕生・追放・復活』P141より)

 このようにして、ラヴォアジエは合計三三種の元素の一覧表をつくった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P142より)

 しかし

 一八〇〇年、産業革命さなかのイギリスのロンドンに王立研究所という、今につづく科学研究所が設立された。金のかかる研究を個人の力ですすめるために、ラヴォアジエは徴税請負人という利益の多い仕事を財源にし、そのために人民の敵として一七九三年革命政府によってギロチンで処刑された。 
(『原子論の誕生・追放・復活』P143より)

▼一方

 これとちがって、自然科学上の発見とその応用が黄金の卵を産むことを期待する企業家や大地主を経営上のスポンサーとした王立研究所は、科学者に惜しみなく研究費を支出した。王立研究所の化学者デーヴィは、銅板と亜鉛版を組み合わせた大規模なヴォルタ電池を使って、電流の化学作用を研究した。
(『原子論の誕生・追放・復活』P143より)

デーヴィのあと、電気分解は物質を分解して、その成分を研究する重要な方法となった。発電機が発明されて、電力が工業に使われるようになってから、電気分解は物質に化学変化をおこさせて、新しい物質を製造するための工業的方法になった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P144より)

 カリウム、ナトリウムなどは、酸素と化合する作用が強いので、これをほかの金属酸化物とまぜると、酸素をうばいとって、金属を遊離させる。この性質を利用して珪素、硼素、そして一八二七年にはアルミニウムなど、いくつかの元素が発見された。またそれまで元素とわかっていながら、単体として得られていなかったものを、この方法でとりだすことができるようになった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P144より)

(つづく)

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2022年7月のオンライン「寅の日」は #寅彦とルクレチウス #traday #寺田寅彦

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2022/06/22 9:18
大賀ハス1号は「あこがれの4日間」のはや三日目になっていた!!

 今年も大賀ハス観察池には律儀に「あこがれの4日間」が始まっていた。
 花芽はふくらんできたが、少し元気なく見えたので「不安」だった。
 そうここに書いた日の朝(2022/06/20)が、なんと「あこがれの4日間」の第一日目だった。
 今日(2022/06/23)は4日目!!
 午前中には雄しべも花びらもすべてを落としてしまうだろうか。

オンライン「寅の日」の展開も少し予想外のことになってきていた。
 いや、これは想定できたことかも知れないが。
 6月に読んでいる「ルクレチウスと科学」が面白すぎるのである!!
 この調子では6月中にとても終わりそうにない。
 そこで計画を変更して7月中も「ルクレチウスと科学」を読むことにする。
 テーマも続行だ!!

【7月テーマ】「寅彦とルクレチウス」

 7月は2回ある。

■2022年7月オンライン「寅の日」!!
◆第321回オンライン「寅の日」 …7/12(火)
◆第322回オンライン「寅の日」 …7/24(日)

▼たった2回だけの延長で読みきれる自信はないが、ほんとうのテーマ
「寅彦は、なぜかくも熱くルクレチウスを語るのか!?」
の答えのいったんでもみつけることができればうれしい。

■2022年7月オンライン「寅の日」!!

◆第321回オンライン「寅の日」 …7/12(火)「ルクレチウスと科学」(4)

◆第322回オンライン「寅の日」 …7/24(日)「ルクレチウスと科学」(5)

 
▼今進めている「原子論」を科学する シリーズとリンクしながら、読み解きをすすめていきたい。
 「これから」の科学にとって、ルクレチウスがどんな意味をもつのか!?

 ゆっくり ゆっくり 急ごう!!

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ファラデーラボ「アインシュタイン来日100年を考える」(2) #ファラデーラボ #かがくカフェ

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▼ファラデーラボ「かがくカフェ」名物のホワイトボードが復活した!!
 ホワイトボードは一部と二部の合間の「休憩時」に書き込まれた。
 「予告」された場合もあるが、必ずしもそうとはかぎらない。
 それがうれしい!!
 愉しい!! 面白い!!
 百家争鳴!?
 なにが飛び出すかこのときまでわからない。
 必ずしも「予定調和」とならないところが、これまた魅力のひとつである。
 なお今回も、一部、二部ともにリアルとオンライン(zoom)両方のハイブリッド開催だった。

▼まずオンライン(zoom)の方からの質問からはじまった。
【この本は!?】(石原さん)
・何やら面白げなことが書かれたこのこの本は!?の問い合せであった。
・こんな利用の仕方もあるのかと興味深かった。
・『ソロモンの指輪』(!?)ではということだったが、正解だったのだろうか。後日談もぜひ聞きたいところだ。
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 今度はリアルの方からだ。
【中1力学の授業実践】(山本さん)
・現在進行形の実践報告(現在進行形というのがなんともうれしい!!楽しい!!)
・これからの授業ついての提案&質問
・質問、意見続出!!このワイワイガヤガヤが私は大好きだ!!
・山本さん「このごろ、なやむのもだんだん面白くなってきた」スゴイ!!スバラシイ!!

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▼次は案内がつづいた。
【TV『三度の飯よりアレが好き』取材裏話・エピソード】(上橋さん)
・ついにあの上橋さんがTVに登場だ!!
・まあ数々のすばらしい工作をみせてもらったり、つくらせてもらってきた私たちからすれば当然のことだと思うが、他の多くの人が見てもやっぱりそうなんだと思うと、やっぱりうれしい!!
・なんとも上橋さんにピッタリのタイトルの番組があるものだ!!

●『三度の飯よりアレが好き』(MBS 毎日放送 毎週土曜午後4時放送) 

・上橋さん登場にいたる経緯、8時間に及ぶ取材の裏話・エピソードをお聞きしていると放送がますます楽しみになるのだった。
・上橋さんが登場するのは 【必見】7/9(土)午後4時 !!
・後日、YouTube でも配信予定!!(全国でも見てもらえる) 楽しみだ o(^o^)o ワクワク

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 つづいて案内である。
【科教協 岡山大会 案内】(中谷さん)
・久しぶりに対面開催が決定している科教協の全国大会が、となりの岡山で開催される。
・岡山から参加してくださった中谷さんから紹介・案内があった。

●科学教育研究協議会 第68回全国研究大会岡山大会のご案内

・「恐竜学博物館」「記念講演」等の紹介もあった。

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▼最後に二人より報告があった。
【おもちゃ等お楽しみグッズの紹介】(円尾さん)
・毎回紹介してくださるお楽しみグッズ、小物は面白い!!
・紹介だけでなく、「おすそ分け」してもらえるからうれしい!!
・より安価に入手できるようになった「イオン発生器」
・USB充電器(超安価!!)
・3Dプリンター作品、使いモノになるもの多々アリ!!
・簡単自家製スタンプ「見ました」の。
・ポップコーンメーカー(「おすそ分け」していただけというからうれしい!!)
・次から次へといろんなものが飛び出す!!まるでドラえもんのポケットだ!!

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【最悪の侵略者、ナガエツルノゲイトウ】(觜本さん)
・ある雑誌に「わかる自然と科学の話」を連載されている。
・その10回目「最悪の侵略者、「ナガエツルノゲイトウ」」の紹介だ。
・聞けば聞くほどとんでもないやっかいもののようだ。
・完全駆除はなかなか困難のようだ。
・一つの特定のとんでもない外来種から、水辺の豊かな自然を守りたいものだ。

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ファラデーラボ「アインシュタイン来日100年を考える」(1) #ファラデーラボ #かがくカフェ

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▼楽しみにしていた第133回ファラデーラボ「かがくカフェ」が行なわれた。
 
◆第133回 ファラデーラボ「かがくカフェ」 
・日 時 :2022年6月18日(土) 14:00~18:00
・場 所 :ファラデーラボ(加古川)
●<テーマ>   
「アインシュタイン来日100年を考える」
●<話題提供>  
森本雄一さん かがく教育研究所 

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▼今から17年前の2005年はアインシュタインが矢継ぎ早に革命的論文を次々と発表した1905年から100年が経っていました。それを記念した「世界物理年」でした。
 その年、森本さんは「独逸・瑞西アインシュタインの旅」を企画し、アインシュタインの足跡を訪ね、ドイツ・スイスを二週間に渡って旅をされました。この貴重な体験をスライド・資料等を使いながら、面白いエピソードを交えながら紹介してもらいました。
・アインシュタインが「時計」に囲まれる生活をしていた。それが彼の物理学のはじまりに!?
・自由に「科学」語り合える場の必要性を感じた!!→ファラデーラボ創設に
等々の話が心に残った。そして、次のコトバがもっとも印象的だった。

現地に行って考える。風とか空気を感じることも大事!! 

 すばらしい旅の「おすそ分け」をいただいた気分だった。
   
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▼次に具体的な実験・観察を交えながらのレクチャーとなった。
 やっぱり実験は楽しい!!
 手製「箔検電器」を使った「光電効果」実験!!
 牛乳の脂肪球の「ブラウン運動」も各自顕微鏡で見せてもらった。
 
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▼そして、目玉のひとつでもある「相対性理論」についてである。
 もっとも肝から話ははじまった!!

「アインシュタインは平等性をだいじにしていた!!」
「どこにも特別なものはない!!」 

 ・同時性とは!?
 ・光速度一定の原理
 ・絶対座標とは!?

 いろいろわかりやすい実験を工夫されて見せてもらった。
 話は「重力波」「ブラックホール」「ブラックマター」にまで及んだ。
 私にはまだまだ反芻作業が必要なようだ!!
 
 来日100年を機に
 「100年もつような理論をつくりあげたアインシュタイン物語」を今一度!!

 最後のコトバが心に残った。ありがとうございました。深謝!!

(つづく)

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【Web更新6/19】22-25 サイエンスコミュニケーター宣言 等 更新!!

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南天の花割れてなほこぼれけり 22/06/18撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】22-25
週末定例更新のお知らせ
 Web更新のためのシステムに若干の「更新」があった。
 このような「更新」にはいつものことながら戸惑うことばかりだ!!
 どうしてこんなことするのだろう!?
 「更新」前の方が、私にははるかに「便利」に思えるのだが!?

 慣れるまではしばらくグチがつづきそうである。

◆表画像集2022 更新 南天の花
 卵が割れて、なかみの黄身が飛び出すように、南天の花が割れはじめていた。
 割れたと思ったら、こぼれ落ちた!!
 こぼれ落ちた花を梅雨の雨が流し去ってしまった。
 南天の黄身は、卵の黄身より黄色かった!!

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 飽きもせずに 「原子論」を科学する で、「原子論」の歴史を追いかけている。
 それは物質探検の歴史であり、「化学」という学問の歴史でもあった。
 追えば追うほど面白くなってきてしまった。しばらくは続けてしまいそうだ!!

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 「原子論」を科学する とリンクして、「ルクレチウスと科学」を読んでいる。
 読めば読むほど奥が深く、計画変更の必要性を感じている。
 これについては、あらためて提案したい。

 大賀ハス観察池は、蓮根の植え替えから12週目である。
 花芽第1号は、たしかにふくらんできた。
 しかし、少し黒ずみ、元気がなさそうに見える。
 「あこがれの4日間」は無事やって来るのだろうか!? 心配だ!!

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「原子論」を科学する(16) #原子論の歴史 #燃焼 #フロギストン説 #プリーストリ #酸素の発見

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▼スチールウール(鉄)を蚊取り線香の支柱に突き刺して燃焼してみた!!
 燃焼の前と後の皿ごとの重量を台所の「はかり」で測ってみた。
 燃焼前 45g
 燃焼後 47g
やっぱり!!でもほんとうかな!?

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▼「原子論」の歴史をつづけよう。
 自然研究者のつぎなる課題は「燃焼」だった。

 ギリシアの哲学者が元素の一つに火をかぞえたのは、火は物質変化の原動力だという考えからであった。多くの化学変化は熱するとめざましくおこるし、鉱物から金属をとるには火が必要である。化学変化に注目し錬金術を信じたファン・ヘルモントは「火の哲学者」と自称した。燃焼は物質の変化の中でも一番はっきりとしたものである。化学の研究が学問上の仕事として、とりあげられるようになって燃焼とは何かということが、一番大きな問題になったのは当然である。火、炎、熱、熱、高温度-関連しあうこれらのことを区別するのはむずかしい。その区別もつかぬままに、自然研究者は燃焼の問題に手をつけはじめた。
(『原子論の誕生・追放・復活』P127より)

▼ひとつの仮説が登場した。「フロギストン説」である。

十七世紀の終わりから十八世紀のはじめころにかけて、ドイツの学者ベッヒャーその弟子シュタールが、こんな考えを出した。それは物体が燃焼するのは、その中に火のもとになるあるもの(火のもとという意味をとってフロギストンと名づけられた)がふくまれていて、それが非常なはやさでとび出すからである。金属を焼くと灰化するのも、金属中のフロギストンが逃げてゆく現象である。つまり金属とは、灰にフロギストンが結びついてできた物質である。灰の方が金属よりも簡単な物質である。木炭のように、よく燃える物質には、フロギストンが非常に多いと考えられる。だから金属を空気の中で焼いてこしらえた灰を、木炭といっしょに熱すると、フロギストンは金属の灰と結びついて、もとの金属になる。燃焼や金属灰化によって物体からとびだしたフロギストンを飽和するまでいっぱいためこんだ空気の中では、もはや燃焼はおこらず、金属も灰にならない。このようにして、このようにして、フロギストンという仮想物質を使うことによって、たくさんの化学的事実が、つごうよく説明された。
(『原子論の誕生・追放・復活』P130より)

 しかし

 しかし科学的方法という点から見ると、フロギストン説がつづいているかぎり化学者は大きな誤りをおかしていた。というのはフロギストンという「物質」を一つの根本仮定とするなら、この物質がほんとうに存在することを実験によって証明しなければならないのに、そのことを追究しなかったのである。フロギストンが物質だと考えるなら、それをとりだして容器の中につかまえ、重量を測り、性質を調べねばならない。これを目標として追求するのが、この場合、科学的方法というものである。しかし化学者たちは物の質的な変化や関係が、フロギストンで「説明がつく」ことで満足した。フロギストンの重量などは、むしろ第二義なことだった。物質の変化をほんとうに研究するためには、その変化に関係があると思われる物質を、想像の上ではなく、実際にのこらずつかまえ、重量を調べてたしかめなくてはならないのであった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P131より)

▼さていよいよ本格的に目に見えない「気体」の研究がはじまる。

 プルーストリが未知の気体の狩猟に熱中したのは、こうした物質探求の歴史があったからである。そのあくことを知らぬ狩猟の中で、プルストーリは赤降汞という物質を熱すると、それが分解して何かガスが出てくるのではないかと考えた。赤降汞は水銀を空気中で熱して得られる赤い粉末である。彼は水銀をみたしたガラス容器の中に、赤降汞をの粉末を浮かべ、外からレンズ(直径が一二インチもある大きなものであった)で太陽の光線をあて、赤降汞を熱してみた。するとこの粉末からガスが発生した。ガラス容器のなかにたまったガスを調べてみて、プルーストリはおどろいた。それはこのガスの中でロウソクが非常に明るい光を出して、はげしく燃えることだった。このガスをつめた容器の中にネズミをいれると、空気の中でよりも二倍も長い時間生きていた。プルーストリは自分でも、このガスを吸いこんでみた。すると非常に気持ちがよかった。彼は今まで知られなかった新しいガスを発見したのだと思った。
(『原子論の誕生・追放・復活』P135より)

 こう考えてプルーストリは、新しいガスを「フロギストンをぬいた空気」とよぶことにした。プルーストリが発見したガスこそ、酸素ガスである。酸素ガスが発見されたのは一七七四年であった。プルーストリは酸素ガスを吸うと気分がさっぱりするから、これはきっと病気をなおす薬になると思った。そのとおり酸素ガスは重い病人の吸入用として使われるようになっている。しかしこの発見の意義は、もっとはるかに大きいところにある。
(『原子論の誕生・追放・復活』P136より)

●1774年 プルーストリ(英国、1733~1819)、『いろいろな<空気>に関する実験と考察』刊。酸素の発見を発表。

(つづく)


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本日(2022/06/18)、第319回オンライン「寅の日」!! #ルクレチウスと科学 #traday #寺田寅彦

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▼不思議なタイトルの本がある。

◆『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』 (スティーヴン・グリーンブラット著 河野純治訳 柏書房)

 ずいぶん以前に手に入れながら、まだ読んでしまっていない。途中までで挫折してしまうのである。(^^ゞポリポリ
 読みたい気持ちは充分にある。それは、こんな興味深い歴史があるからだ。今度こそ…!!

●1417年 ポッジョ(イタリア、1380~1459)、ある修道院でルクレティウスの「事物の本性について」の全文を発見。


▼本日(2022/06/18)は、第319回オンライン「寅の日」である。
6月テーマは、

【6月テーマ】「寅彦とルクレチウス」

である。6月は3回とも連続して、「ルクレチウスと科学」を読む。
 本日はその二回目である。

◆本日(2022/06/18)、第319回オンライン「寅の日」!!

●「ルクレチウスと科学」(2)(青空文庫より)


▼今、「原子論」を科学する というシリーズで、「原子論」の歴史を追っている。
 それと関連して、ますますルクレチウスが興味深くなってきている。
 今の私にとっての最大のテーマは

 「寅彦は、なぜかくも熱くルクレチウスを語るのか!?」

 である。正直言って、内容が濃すぎて前にすすめない。
 前回は「緒言」を読み終わるのがやっとだった。
 今回は「一」から気になる部分をピックアップする作業からはじめる。

 現在の物理学における物質不滅則、原子の実在はだれも信ずるごとく実験によって帰納的に確かめられたものである。二千年前のルクレチウスの用いた方法はこれとはちがう。彼はただ目を眠りふところ手をして考えただけであった。それにかかわらず彼の考えが後代の学者の長い間の非常の労力の結果によって、だいたいにおいて確かめられた。これははたして偶然であろうか。私はここに物理学なるものの認識論的の意義についてきわめて重要な問題に逢着(ほうちゃく)する。約言すれば物理学その他物理的科学の系統はユニークであるや否やということである。しかし私は今ここでそういう岐路に立ち入るべきではない。ただルクレチウスの筆法を紹介すればよい。
 
 ではその「ルクレチウスの筆法」に話をすすめよう。

 今日の科学の方法に照らして見れば、彼が「無より有は生じない」という宣言は、要するに彼の前提であり作業仮説であると見られる。もっとも、無から有ができるとすれば、ある母体からちがった子が生まれるはずだといったような議論はしているが、これらは決して証明ではあり得ない事は明らかである。
そしてここに述べられたアルファベットが寄り集まっていろいろな語を作るように、若干の異種の原子がいろいろに結合していろいろのものを作るという彼の考えはほとんど現在の考え方と同様である。のみならずおもしろい事には現在われわれは原子の符号にアルファベットを用い、しかもまたいろいろの物質をこれら符号の組み合わせで表わすのである。これは全然ルクレチウスの直伝である。
 元子によって自然を説明しようとするのに、第一に必要となって来るものは空間である。彼はわれわれの空間を「空虚」(void)と名づけた。「空間がなければ物は動けない」のである。彼の空間は真の空虚であってエーテルのごときものでない。この点もむしろ近代的であると言われよう。
 物質原子の空間における配置と運動によってすべての物理的化学的現象を説明せんとするのが実に近代の少なくも十九世紀末までの物理学の理想であった。そうして二十世紀の初めに至るまでこの原子と空間に関するわれわれの考えはルクレチウスの考えから、本質的にはおそらく一歩も進んでいないものであった。

▼読めば読むほどルクレチウスの凄さが見えてくる!!
 同時に、いちはやくそれに注目した科学者・寺田寅彦の凄さにあらためて驚く!!
 私には、繰返しの反芻作業が必要な領域まで話が及んでいく。

しかしもともと相対性理論の存在を必要とするに至った根原は、畢竟(ひっきょう)時に関する従来の考えの曖昧(あいまいさ)に胚胎(はいたい)しているのではないかと考えられる。時間もそれ自身の存在を持たないと言ったルクレチウスの言葉がそこになんらかの関係をもつように思われる。「物の運動と静止を離れて時間を感ずる事はできない」という言葉も、深く深く考えてみる価値のある一つの啓示である。
 ともかくも物質元子に、物体と同様な第二次的属性を与える事を拒み、ただその幾何学的性質すなわちその形状と空間的排列とその運動とのみによって偶然的なる「無常」の現象を説明しようとしたのが、驚くべく近代的である。
 私は近代物理学によって設立された物質やエネルギーの素量の存在がいわゆる経験によった科学の事実である事を疑わないと同時に、またかくのごとき素量の存在の仮定が物理学の根本仮定のどこかにそもそもの初めから暗黙のうちに包含されているのではないかということをしばしば疑ってみる事がある。われわれが自然を系統化するために用いきたった思考形式の機巧(メカニズム)の中に最初から与えられたものの必然的な表象を近ごろになっておいおい認識しつつあるのではないかという気がするのである。ルクレチウスは別にこの疑問に対してなんらの明答を与えるものではないが、少なくも彼は私のこの疑いをもう少し深く追究する事を奨励するもののように見える。
科学は畢竟(ひっきょう)「経験によって確かめられた臆断(おくだん)」に過ぎないからである。
 この論議の中に、熱は元子の衝突運動であるという考えや、元子排列の順序の相違だけで物の変化が生じるというような近代的の考えも見えている。
ルクレチウスが今の科学に照らして最も不利益な地位に置かれるのは、彼がここで地を平面的に考え、「上」と「下」とを重力と離れて絶対的なものに考えている事である。
 この物質量の無限大を論ずる条下に現われているもう一つの重要な考えがある。元子が集合して物を生ずるのは、元子の混乱した衝突の間に偶然の機会でできあがるものであって、何物の命令や意志によるのでもない。そういう偶然によって物が合成されうるためには無限の物質元子の供給を要するというのである。この「偶然」の考えも実に近代の原子説の根底たる統計力学の内容を暗示するように見える。偶然のみ支配する宇宙ではエントロピーは無際限に増大して死滅への道をたどる。

 私の力量ではピックアップするだけが精一杯である。
 あわせて、次の本を読まれることをお薦めする。
 
◆『物の本質について』(ルクレーティウス 著 , 樋口 勝彦 訳 岩波文庫)

 
 この調子では、計画通りすすめることが困難に思えてきた。

 さあ、今日はファラデーラボでなにかヒントをもらえるかもしれない。楽しみである!!

(つづく)

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「原子論」を科学する(15) #原子論の歴史 #ボイル #化学独立宣言 #ヘルモント

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子規庵の糸瓜4年目は地植えで挑戦中!!
 プランタン・植木鉢で育てていたときより元気いっぱいに見えるのはどうしてだろう!?

 アリストテレスは言った「根は口である??」と。ほんとうかな!?
 あのファン・ヘルモントに聞いてみよう。

▼「原子論」の歴史をつづける。
 さあ、いよいよ「原子論」が「科学」になるときがやってきた。

 原子論の原点ともいえるデモクリトスの思想に立ちもどるなら、鉄の原子と大理石の原子とどうちがうのか、また鉄の原子は、鉄から生じる鉄サビの原子とどうちがうのかという疑問に答えが出せなければならない。つまり物の質的相違と質的変化が「原子」をコトバとすることによって語られるようになることを目ざして、物質の探求がすすめられなければならないのである。そうならなければ、原子論を空想の段階から科学の段階へ発展させることはできないわけである。こうした方向を模索する研究は、自然科学の中で天文学や力学にくらべればはるかにおくれて出発したかに見える化学によってすすめられたのである。
(『原子論の誕生・追放・復活』P121より) 

▼「化学」がひとつの学問として独立するときがやってきていた。

 イギリスのボイルは、化学が学問として成長する出発点をつくった人である。彼はこういった。
 「今まで化学者は医薬をつくり、金属をとり、また錬金術をやることを仕事としてきた。しかし私は化学を学問にしようという計画をもっている。そして、この計画は、実験と観察によって、実現できるだろうと思う。」
 こういう立場から、かれはギリシア人の哲学や中世の錬金術にいわれている「元素」という考えを批判した。これまでのように、元素が三つあるとか四つあるとか、想像できめてかかるのはまちがいだと考えた。そして元素というものは、物質を組み立てている根本的な材料なのだから、物質を単純な要素に分解し、それをさらに分解しつづけて一番おしまいに得られる窮極のものが元素であるといった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P122より)

 さらに続けて

そして実用から独立させた、新しい化学を建設しなくてはならないことを教えた点にあった。この本が出てからは、アルケミーという言葉は、もっぱら中世的な錬金術を意味することになった。学問としての化学はケミストリーという名で独立し、だんだん成長していくことになった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P123より)

 この本とは

●1660年 ボイル(英国、1627~1691)『懐疑的な化学者』を出版する。


▼「化学」という学問の独立は、他の分野の研究の蓄積のうえに成立したものだった。けっして偶然の産物ではなかった。
 ここで、あのファン・ヘルモントが登場する!!

 化学に縁の深い学問分野にも進歩があった。1644年になくなったブリュッセル生まれの学者ファン・ヘルモントは錬金術を信じ、またギリシアのタレスにしたがって、「水」が万物の元素だと考えた。にもかかわらず、彼は自然の中から本質的なことをとらえた。彼の研究の中に、「柳の実験」といわれる有名な仕事がある。植木鉢で柳の若木を育てる。柳に与えるのは水だけである。五年たって成長した柳を鉢からぬきとって重量を測る。植木鉢の土も、五年前の重量と五年後の重量をていねいにくらべる。土の重さには変化がない。柳の木を成長させた「もと」は「水」でしかない。木を燃やせば火を発し、あとに灰、すなわち土がのこる。「火」も「土」も水が転じてできたものだ。彼はこう主張した。このおかしな「実験」も、その方法を見ると、大事な原理でつらぬかれていることがわかる。それは「物質不滅」という古来の原理を変化するもの総体の重量の保存という形でとらえ、その原理を実験方法に適用していることである。
(『原子論の誕生・追放・復活』P124より)

「化学独立宣言」とは

 このように物質についての新しい認識、新しい知識がたくわえられ、提出されてきたことを背景にして、ボイルの「化学独立宣言」はなされたのである。そしてそれは化学の中での原子論の復権へとつながった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P126より)

(つづく)


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「原子論」を科学する(14) #原子論の歴史 #真空 #ガリレイ #トリチェリ #ゲーリケ #マグデブルク半球

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これぞ「究極のマグデブルク半球」!!

 大きなガラス板・鉄板を運ぶための吸盤(プロ仕様)を二つ重ね合わせた物。
 一斗缶に少量の水を入れ下から加熱して、湯気・水蒸気がいっぱい出だしたころフタをした。
 少しだけ冷やした。一斗缶は大きな音とともにベコベコに凹んだ!!
 歓声!!感嘆!!感動!!
 そして、ひとりの生徒が言った。
 「先生、今、その缶になに入とったん!?」

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
 帰ってきた「原子論」にも、もうひとつの大問題が残っていた。
 「真空」デアル!!
それは我らがガリレイにとっても同様であった。

 「自然は真空をきらう。」これは散歩学派の大切なテーゼであった。
 ガリレイが落体の法則を導き出したのは一六〇四年であった。彼は近世科学の実験的方法の模範をここで打ち立てた。(中略)落体の法則を発見するために、ガリレイは散歩学派の固定観念とたたかわねばならなかった。
 散歩学派はいう。物体が落下するのは、地球の中心にむかう志向が、物体に内在しているからである。物体が下へむかって運動すると、背後に真空がつくられる。しかし自然は真空をつくらせない。そのために空気が物体の後方に殺到して、下の方へ突く運動を与える。だから物体が落下するにつれて速度は大きくなる。物体は重いものほど、地球の地球の中心に向かう志向が大きい。だから落下速度は重量に比例する。
 散歩学派にとっては、空気は落体の加速度の原因であった。ガリレイは落体の加速度は、間断なく下方へ向けて加えられる重力がひきおこすと考えた。そして散歩学派と反対に、空気は速度をおそくする抵抗の原因だと判断した。(中略)ガリレイは、散歩学派に最後の一撃を加えるために、空気のない場所-真空で実験してみたいと思った。しかし彼の生涯は、人間が真空をつくるのを待たないで終わった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P109より)

▼それでも、「真空」をつくるという大きな仕事はガリレイの手引きではじめられた。
 ポンプは約10mより以上の深さでは、きかなくなるという事実の指摘からはじまった。

 トリチェリの実験は一六四三年、パスカルの実験は一六四八年におこなわれた。一六四八年にはマグデブルクの市長ゲーリケが、空気を汲み出して真空をつくるポンプ-空気ポンプを発明した。
 自然の真空嫌悪はこうして否定された。真空の中でおこるいろいろな現象が観察されるようになった。また気体の研究が科学の流行課題となった。
(『原子論の誕生・追放・復活』P112より)

●1654年 ゲーリケ(ドイツ、1602~1686)、レーゲンスブルクでのドイツ平和会議で真空ポンプによる真空実験を公開披露。(マグデブルク半球の実験)


▼そして、「原子論」はあらたな局面をむかえた!!

 真空嫌悪は追放された。唯物論者は原子をよびもどした。世界は運動し、引きあう原子によって組み立てられる。よびかえされた原子は王座にのぼった。
 ガリレイは彼の材料力学を金属を形つくる原子を頭に描きながらつくる。ニュートンはその万有引力を、粒子と粒子の引力の総和として考える。光を彼は直進する微粒子から説明する。光の屈折は、光微粒子と媒質の微粒子とのあいだの引力によると考える。ニュートンに反対したホイヘンスの波動説は、真空を否定するけれどもやはり原子論である。
(『原子論の誕生・追放・復活』P115より)

空虚な空間と不可分の原子に賛成できないデカルトもまた、原子からまぬがれることはできない。粒状組織を持った連続体からできあがった空間と物体。これがデカルトの世界である。連続体を形づくるデカルトの粒は、論理的には可分性をそなえているけれども 、現実にはめったにこわれない。デカルトの世界もやはり原子からなっている。

(『原子論の誕生・追放・復活』P116より)

 そして、次なる展開がはじまろうとしていた。

だが、考えられるかぎりのものを、数量と方程式で表現しなくては気のすまなかった科学者たちも、彼らの熱愛する原子に物指しをあてがい、それをはかりにかけることには、まだ手がつけられない。
(『原子論の誕生・追放・復活』P117より)


(つづく)

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「原子論」を科学する(13) #原子論の歴史 #原子のルネッサンス #ブルーノ #宗教裁判 #月世界旅行記

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▼『だいたい、このように半分にしました。半分にしてもアルミニウムです。』
『これをまた分けます。』
『そして、これを分けます。』
『…』
『そして、またまたこれを分けます。』

『えっ、?(゜_。)?(。_゜)?』

「はじめに原子ありき」の授業を思い出した。

▼「原子論」の歴史をつづけよう。

●1600年 ブルーノ(イタリア、1548~1600)、火あぶりの刑に処される。
  1592年に逮捕され、翌年に宗教裁判にかけられていた。

 「原子のルネッサンス」の章は、この衝撃の歴史からはじまっていた。

 法王の絶対権力に、真正面から素手ではりあって焼き殺されたむこう見ずの僧侶の名はジョルダノ・ブルーノである。

 断罪され、無視せられ、忘却された原子が近世に復活するためには教会権力にたいする鼻っ柱の強い戦闘的精神が要求された。原子論と唯物論は焼かれた灰の中からよみがえる思想史の不死鳥である。原子論は文字どおりに、この闘士の骨灰-それを異端審問所は空中にまいてすてた-から再生の一歩をふみだした。
(『原子論の誕生・追放・復活』P100より) 

 

▼ブルーノの考えにもう少し耳を傾けてみると

 ブルーノによると、このような実体はただ一つしかない。その展開と運動によって、現実の多様性がつくり出される。したがって現実をとらえて、実体を認識するためには、事物の中から、窮極の最小の、不可分の「一」を発見しなくてはならない。この窮極のものを、ブルーノは「極小物」または「モナス」と名づける。空間の「ミニムム」は点。物体の「ミニムム」は原子。これらはすべて普遍的な「ミニムム」の特殊なあらわれである。

 このようにしてブルーノは「散歩学派」の憎悪の的の原子と真空をとりあげる。真空は無ではない。現実のひろがりをもたない真空は存在しない。真空=空虚な空間とは、物体的なひろがりであり、あるときは一つのものを、あるときは他のものを、自分の中にふくむことのできるひろがりである。物体のない空間は現実ではなく、ただ抽象の中でしか考えられない。
 (『原子論の誕生・追放・復活』P103より)

 「異端審問所が灰にしてまきすてたブルーノから、原子の再生(ルネッサンス)の口火が切られたのは偶然ではない。」とまで言い切っていた!!

▼次にたいへん興味深い物語を紹介していた。
 シラノ・ド・ベルジュラックの『滑稽物語・月世界旅行記』である。
 こんな具合だ。

 奇妙な手段で月世界を訪れた物語の主人公は、月世界に住む魔神と対話する。魔神は宇宙が神によって創造されたという、地球の人間の信仰を批判する。

 (中略)
 そこで魔神は世界が種々の原子からなっていることを説き出す。渾沌と運動していた雑多な無数の原子が、どうして人間に、また樫の木になることができたか。それは原子のあらゆる偶然の組合わせをへているうちに、宇宙に存在している、すべての種類の物ができたのだという。
  (『原子論の誕生・追放・復活』P107より)

またこうも言っていた。

 哲学者でなく、民衆のイデオロギーに敏感な劇作家であったシラノが原子論をたずさえて登場してきた事実こそ意味深い。  (『原子論の誕生・追放・復活』P109より)

(つづく)
     

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「原子論」を科学する(12) #原子論の歴史 #錬金術時代 #賢者の石 #アルケミスト #冶金技術

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▼「日暈はだんだん雨に」
 はほんとうだろうか!?今日あたりからいよいよ梅雨入りになるだろうか。

 観天望気は今も有効な「科学」デアル!!

 21世紀の「原子論」はこれからも有効な「科学」だろうか!?

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
 今さら悔やんでみてもはじまらないが、不勉強がたたり「歴史」に疎い。
 とりわけ「世界史」はさっぱりである。ダカラ、「原子論」の歴史を追いながら、私自身が「世界史」を学んでいる。

 古代文明崩壊の後、「原子論」にとっては暗い谷間の中世に入って行く。
 私の理解では、「錬金術の時代」だ!!
 「卑しい金属」(金、銀の「貴金属」以外の金属をそうよんだ)を「金」に変える技術!?
 そんなことあるわけない!!今から考えればペテン(魔術)にすぎない。
 それがまことしやかに語られ、あの「賢者の石」(この本では「哲学者の石」P75として)まで登場する。
 「賢者の石」の正体をさぐるのもけっこう面白いかも知れないが、ここでは話を先に進める。

▼では、なぜ「原子論」は忘れ去られてしまったのだろう。
 田中実先生は、こう語っていた。

 存在している、考えられるすべての人間とすべての事物が、よりいっそう高位のもののために奉仕し、それを通して、最高のものに奉仕する目的と使命を持っている社会である。

 混沌や空虚や原子がつくりあげる、盲目で無目的な世界を主張するデモクリトスがどうして受け入れられよう。この社会に必要な学問は、アリストテレスがつくっておいてくれた。(中略)アリストテレスの学問-中世のはじめには異端とされたのだが-は神を探究する方法となった。その方法は物質を探究するためにも適用された。
(『原子論の誕生・追放・復活』P79より)

▼では、「錬金術の時代」とは、物質探究の歴史においてはどんな意味をもつのだろう。

 ベーコンの言葉をかりながら、次のように説明していた。

「錬金家はかなり多くの発見をしなかったのでもなく、人々に有用な発明品を贈らなかったのでもない。けれでも、彼らの場合は、ぶどう畑に埋めた黄金を遺産として息子たちにのこした老人の物語(イソップ)によく似ているといってもよかろう。彼は金の埋めてある正確な場所を知らないといつわったので、息子たちは一生懸命になって、ぶどう畑を掘りかえした。黄金は見つからなかったけれども、その掘りかえしのために、ぶどうの収穫はさらに多かったのであった。」

 中世の錬金術が化学の進歩、物質探究の歴史において果たした役割については、今でもこれと同じ解釈がおこなわれている。一面の真理がないでもない。 

 しかし物質の探究を中世紀にすすめた真の原動力は、冶金技術だった。錬金術はだいたいはその成果を利用したのだと考える方があたっているのではなかろうか。
(『原子論の誕生・追放・復活』P96より)

 そして、こうつないでいた。

古代社会の崩壊後に、千何百年つづいた原子忘却時代の歴史は、そろそろ終幕に近づく。 (『原子論の誕生・追放・復活』P97より)

(つづく)

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【Web更新6/12】22-24 サイエンスコミュニケーター宣言 等 更新!!

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紫陽花やモリアオガエル何処なり 22/06/10撮影@福崎

■楠田 純一の【理科の部屋】22-24
週末定例更新のお知らせ
 「自然は最高の教科書!!」
 スローガン的に使ってきたコトバである。今さらながらほんとうだ実感している。
 「自然を豊かにとらえる」とは、身近な自然のなかにいくつもの「ふしぎ!?」をみつけることである。
 その「ふしぎ!?」の答えも、かならず自然のなかにある!!

 今週はいくつの「ふしぎ!?」に出会えるかな。
 「ふしぎ!?」の謎解きは最高に面白く、楽しい!!

◆表紙画像集2022 更新  紫陽花
 螢と紫陽花の季節である。
 こうなると必ず思いだす生きものがいた。
 モリアオガエルである。水たまりの上の紫陽花の木に泡状の卵塊を生みつける。
 卵塊からポタリポタリとオタマジャクシが落ちてくる。下ではイモリくんたちが…。
 そうだ!! あの場所に行ってみたくなった。

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 「原子論」を科学する シリーズで、「原子論」の歴史を追っている。
 古代ギリシアにはじまった「原子論」!!
 それが、どのようにして21世紀の私たちのところまでやってきたのか!?
 0から等身大に学んでみる試みまだまだ続ける。

◆オンライン「寅の日」 更新!!
 6月のオンライン「寅の日」は、上記 「原子論」を科学する と大いに関係していた。
 3回とも「ルクレチウスと科学」を読む。
 寅彦がかくも熱く「ルクレチウス」を語るのはどうしてなんだろう!?

◆「クモ学」のすすめ 更新!!
 0号から2号コガネグモに昇格した彼女は、昨日も前の場所から10~20㎝のところにネットを張ってくれていた。
 いつまで、そこに居てくれるだろう!?
 今週は何をみせてくれるかな。楽しみである。

 大賀ハス観察池は、蓮根の植え替えから11週目である。
 1号花芽も大きくのびてきた。となりから大きな立葉も立ち上がってきた。
 こうなると2号花芽も期待できるかも知れない。
 また1号花芽の「あこがれの4日間」も、今週末にはやってくるかも知れない!!

 やっぱり自然は「ふしぎ!?」で面白い!!
 
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「原子論」を科学する(11) #原子論の歴史 #デモクリトス #錬金術 #化学の誕生

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▼それは、まさに「ミニトマト」そのものだった!!
 今年も我が家のジャガイモ畑で、ジャガイモの実を手に入れた。
 今年は枝についた状態ではなく、すでに落ちてしまっていた。4個は「キタアカリ」から、1個は不明だった。
 毎年のように出会うことから考えても、想像以上にジャガイモの実はできているようだ!!

 畑のジャガイモは南米のアンデス山脈からやって来た!!

 私たちの「原子論」はどうやら古代ギリシアからやって来たようだ!!

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
 デモクリトスの「原子論」はその後どうなったのだろう。

 タレス、デモクリトスにはじまった、古代社会の健康で、大胆な世界観、原子論と唯物論はついにこときれた。腐敗した土地の上に、弱々しくかえり咲いたルクレティウスの思想はしおれて、魔法と奇跡の新プラトン主義がグロテスクな茸となってあらわれた。   古代民主主義の成長と没落の歴史の中で、基本的な自然観、-原子論はこういう路を歩んだ。新プラトン主義は中世の神秘的科学-錬金術と占星術のために地盤を用意した。(『原子論の誕生・追放・復活』P54より)

▼さらにつづけよう。

正確な思索に裏づけられた実験的科学と、厳密な論理を持った数学は、アレクサンドロス王の死から三〇〇年くらいのあいだに、アレクサンドリアで創造された。

 それは古代の奴隷制社会が生んだ科学と技術の仕上げだといってよい。その原動力になったのは、ギリシアが商業の繁栄と民主的政治のもとで育てた旺盛な唯物論的思索であった。(『原子論の誕生・追放・復活』P60より)

 さていよいよ本論に迫っていく。

 鉱石から金属を製錬し、金属から合金を製造し、染料で織物を染め、薬品をつくり、酒を醸造し、ガラスを製造するなどは、化学変化にもとづいた技術である。機械や道具をつくる技術、それを使っていろいろな品物をつくる技術とちがって、化学的な技術では材料の質が変化する。

 化学的変化もデモクリトスの意見でいえば、原子の結合と分離の結果である。結合と分離がどんな具合におこるかは、もちろんデモクリトスにはわからなかった。しかし、彼にとっては、原子の結合と分離は客観的な法則性にしたがっておこる現象であった。

 しかし、にせデモクリトスたちにとっては、化学変化はまるで神秘的であった。彼らは神秘を愛し、それに中毒した。だから彼らは化学的技術を玄妙な神秘術にしたて、呪文めいた言葉でいやが上にも玄妙不可思議にした。(『原子論の誕生・追放・復活』P66より)

 そして「化学」という学問の誕生である。

化学的な知識と技術-キュメスのことを、アラビア人はアラビア語の冠詞アルをくっつけてアルケミーとよんだ。黄金製造の秘術、錬金術はヨーロッパにわたってアルケミーとよばれた。化学の中から錬金術の神秘がほうり出されて物質の質的変化を研究する学問、化学が成立しようとしたとき、神秘を象徴する接頭語はとりはずされて、イギリスではChemistry、フランス語ではChimie、ドイツ語ではChemie が、この学問の名前となった。日本語の「化学」は幕末の化学者が使いはじめたものである。もとは中国でつくられた訳語である。もっと前には、日本の学者は化学のことを「舎密」と書いてセーミとよんだ。オランダ語の発音によったものである。(『原子論の誕生・追放・復活』P67より)

▼「原子論の誕生と追放」の章は、次のようにしめくくられていた。

 デモクリトスの原子論は古代ギリシア・ローマ社会の複雑な変動、奴隷経済の興隆と衰亡の歴史、それにともなう政治と思想の変動の波にのせられて、数奇の運命をたどった。古代文明の崩壊が決定的となった時代に、幾人かのにせデモクリトスがあらわれた。にせデモクリトスたちは、化学的な現象と技術について、豊富な知識を持っていた。彼らはしかし、物質の変化の根源を、彼らがその名声の権威を利用した、ギリシアのデモクリトスの原子論によって解釈することはしなかった。(『原子論の誕生・追放・復活』P67より)


古代文明の崩壊のあとに、中世の長い谷間がつづいた。

 ルネッサンスの巨人たちが、人間の権威の復活と、神秘と魔術の追放のためにたたかったあと、そして元気で大胆な市民と抑圧にたいする怒りに爆発した農民が、生命をかけて生存と自由のためにたたかったあと、十七世紀に原子論が唯物論と手をたずさえて力強く生きかえった。 (『原子論の誕生・追放・復活』P68より)

 今回はずいぶんたくさん引用させてもらった。
 だからと言うわけではないが

◆『原子論の誕生・追放・復活』(田中実著 新日本文庫 1977.7.25 初版)

 は名著である!!
 もう手に入らないのだろうか?ネットで調べてみたが、古書店では手に入るようだ。
 もう少しお世話になって、「原子論」の歴史を読み解いてみたい。

(つづく) 

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コガネグモ0号は2号に!!(2022/06/10) #クモ学 #コガネグモ #隠れ帯

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▼あれっ!?
 彼女が居ない!!「X」字形の隠れ帯のセンター(「こしき」というらしい。)、それが彼女の定位置だった。
 少しあせった!!
 しかし、すぐわかった!!彼女は定位置からさほど離れないところに平気な顔して(表情までは読めるはずはないが(^^ゞポリポリ)居た。
 何をしているのだろう?
 散歩かな、狩りの見回り、それとも「引っ越し」の準備!?

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▼実は彼女に最初に出会ったの古かった。
 コガネグモ1号に出会う(2022/05/22)より以前だった。
 画像を残していた。(2022/05/19)
 その時の彼女はあまりにも小さすぎた。同じ「X」字形の隠れ帯をはる「コガタコガネグモ」かと思ったが、少し動きがちがうと思った。
 これまでの観察から「コガタコガネグモ」なら、もっと俊敏な動きをすると判断した。
 そこで、迷うところなので、彼女を「コガネグモ0号」と名づけた。
 彼女がいる場所は、なんと1号と出会った場所よりも近かった。
 我が家の庭である!!
 いつでも観察できた。毎日観察しようと思わなくても、その姿が目に入ってきた。
 なんと不思議なことに、彼女はいつまでその場所に居たのである。
 2022/06/07にも画像におさめていた。

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▼昨日(2022/06/10)で、最初に出会ってから3週間を越えていた。
 2013年からはじめたシロウト「クモ学」史上はじめてのことだった。
 コガネグモなら出会ってから一週間前後で「引っ越し」して、どこかに行ってしまう。
 今年の2022/05/22に出会ったコガネグモ1号も2022/05/26には、どこかに行ってしまった。
 3週間以上もここに居座っている彼女は、狩りもし大きく育ってきた。
 もう迷うことなく

 彼女を「コガネグモ2号」と呼ぶことにした!!

▼コガネグモ2号は昼ごろには定位置にもどるかと思って見ていたが、いっこうにその気配はなかった。
 ついに夕方になってしまった。
 それでも変化はなかった。
 コガネグモ2号のまわりに、あらたな糸が目立つように思えた。
 空き家となった隠れ帯に夕陽があたっていた!!

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「原子論」を科学する(10) #原子論の歴史 #アリストテレス #四元素説 #エピクロス #ルクレチウス

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▼ロウソクの「火」を見た!!
 やっぱり真っ先に思い出すのはあのファラデーである。

 ファラデーは「原子」を見たのだろうか!?

 それはまだもう少し先の話になりそうだ。

▼「原子論」の歴史をつづけよう。
 「原子」を批判したアリストテレスは、どのような「物質観」を持っていたのだろう。
 

 原子を追放したアリストテレスは、彼より前の思想家たちの説をとり入れて、非原子的物質観を組立てた。それによると万物の根本素材はただ一種、五感が触知することのできない、可能的存在たる「第一物質」である。「第一物質」は「性質」を附加されるとき、はじめて現実の存在となる。性質には二対のものがある。「熱」と「冷」および「乾」と「湿」。二つの対から一つずつ取り合わせた組が四通りできる。その四通りの組み合わせの性質が第一物質を四通りの「元素」として顕現させる。
 熱と乾は「火」、熱と湿は「気」、冷と乾は「土」、冷と湿は「水」。すべての存在は火、気、土、水の四元素の配合によってきまる。しかし、四つの「元素」は不生不滅ではない。それらは相互に転換される。性質の組合わせを外からの作用で取りかえればよいのである。(『原子論の誕生・追放・復活』P47より)

 そんなバカな!!
 と簡単にアリストテレスをあなどってはいけない。
 アリストテレスは他にもいっぱいいろんなことを言っていた。
 私たちは長く長くアリストテレスの「呪縛」とつき合うことになるのである。
 ひょっとしたら今も、「内なるアリストテレス」が!?

▼デモクリトスの「原子」を引き継ぐ者もいた。
 エピクロスである。エピクロスは「原子論」を科学に近づけた。

 エピクロスはデモクリトスの原子に、いろいろな性質をつけ加えた。

 第一は形。原子には凹みや凸出がある。鉤と鉤がひっかかりあい、また凸出が凹みにはまって、原子の結合が行なわれると考えられた。

 第二は重さ。原子は種類によって、形だけでなく、目方もいろいろちがうとされた。

 もちろんエピクロスには、原子の形や目方について語る証拠は何もない。われわれの経験する世界におこなわれていることを、原子にあてはめてみただけである。
(『原子論の誕生・追放・復活』P51より)

▼そして、再びルクレチウスである。
 エピクロスを受けついだローマの学者・詩人ルクレチウスは『物の本質について』を書き残してくれていた。

 詳しくは6月オンライン「寅の日」で寅彦に聞いてみよう!!

(つづく)

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「原子論」を科学する(9) #原子論 #タレス #デモクリトス #アリストテレス

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▼蓮の葉の上の「水たまり」は丸くなっていた!!
「超撥水」!!
 どんなからくりになっているんだろう!?「ふしぎ!?」だ!!
 ほんとうに蓮の葉の表面にそんな小さな凸凹があるのかな。
 
 水の分子が見えるほど拡大して見たらどんなふうに見えるかな。

▼そう言えば、この「水」ですべてのものができていると唱えた哲学者もいた。
 デモクリトスより以前だ。

●紀元前7世紀 タレス(ギリシャ)は、すべてのものは「水」からできていると唱えた。

 テキスト『原子論の誕生・追放・復活』を見てみよう。
 

 タレスは宇宙を構成する根源について考えた。それは気ままなえたいの知れない神ではありえなかった。宇宙の根源は彼の考えによれば「水」であった。「水」というある根本物質が、さまざまに姿を変えて、世界の万物ができるのだった。(『原子論の誕生・追放・復活』P25より)

▼さて、デモクリトスの唱えた「原子論」であるが、その後どうなったのだろう。
 人々はそれを認めたのだろうか?批判はなかったのだろうか?
 そんなわけがなかった。
 ソクラテス、プラトン、アリストテレスなど次々と名前ぐらいしか知らない哲学者が登場する。
 なかでも、非原子派の急先鋒はあのアリストテレスである。
 アリストテレスの言い分に耳を傾けてみよう。

 アリストテレスの論理を手短にいえば次のようになる。   「第一原子はどんなに微小であるにせよ、考えられるだけの広がりを持っているのだから、自分自身の部分は持っているはずであって、原子がその部分に分割できないというのは、あり得ないことである。」  これはたしかに痛いところをついていた。

 (中略)

 第二の批判は、「空虚な空間」に向けられた。アリストテレスの空間論はひどくこみいっている。つづめていえば、空間とはその中に何かをとりかこんでおり、同時に外からほかの物体によってとりかこまれているようなものであるという。ところが「空虚な空間」は、自己の中に何物もとりかこんでいなくて、しかも外から何かでとりかこまれているものであって、そういう空間はありえないというのである。簡単にいってしまえば、それ自体何物でもないところの「空虚な空間」が、実在する何物かであるというのは論理の矛盾だというのである。
 (中略)

 非原子派がもう一つ許しがたいと考えたのは、生命や霊魂を、生命のない原子からひき出すやり方であった。
 (『原子論の誕生・追放・復活』P42より)


 思わず納得してしまいそうな自分がいた。
 内なるアリストテレスはいつまでも…。

▼アリストテレスの批判は批判だけにとどまらず、その後の「科学」の問いかけとなった。
 また引用させてもらおう。

 それにしてもアリストテレスが原子論に投げつけた批判は、原子論が抑圧された中世をのぞいては、いろいろな形でいつまでも持ちつづけられた。

 第一は物質は不連続であるか、連続であるかという問。
 第二は「空虚な空間」=真空は存在するかという問。

  (中略)

 第三は生命は生命なき物質からつくり出されるのでなはなくて、非物質的な永遠の存在ではないのかという問。
 
(『原子論の誕生・追放・復活』P44 より)

 う~ん!!深いな。

(つづく)

 

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「原子論」を科学する(8) #原子論 #原子論の誕生 #デモクリトス #ルクレチウス #物の本質について

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▼この頃よくあることだ!!
「あれっ!? 私は今、何をしていたのだったかな ?(゜_。)?(。_゜)?」と。
 今、自分がしていたことを見失ってしまうのだ。困ったものだ。
 そこで最初に自分に宣言しておく。

 私は、今
 『原子論の誕生・追放・復活』(田中実著 新日本文庫 1977.7.25 初版)
 をテキストとして、「原子論」の歴史を0から学んでいるのだ!!

▼できるだけ、ゆっくり ゆっくり いきたいと思う。
 そもそも 「原子論」なんて、最初に言い出したのは誰だったんだろう!?
 それはいつ頃ののことだったのだろう!?

●紀元前5世紀 デモクリトス(ギリシャの哲学者)が、「原子論」を唱えた!!

 紀元前とは驚いてしまう。

▼ではデモクリトスの唱えた「原子論」とはどんなものだったのだろう。
 テキストを見てみよう。

 デモクリトスは万物は目に見えない不可分の粒子ー原子からでき上がっていると考えた。彼の意見によると、原子はたえず運動している、原子がぶつかりあい、うずまいて運動しているうちに、この世界はつくられた。  原子が運動する場所、つまり空間は何物も存在していないところである。原子と空虚な空間、このほかには何も存在しない。(『原子論の誕生・追放・復活』P26より)
 

▼さらにもう少しだけすすめておく。
 

 デモクリトスより一二〇年あとに生まれたエピクロスというギリシャの哲学者が原子論を受けついだ。ギリシャ語では原子はアトムとよばれた。それは「分割できぬもの」という意味であった。(『原子論の誕生・追放・復活』P27より)

 デモクリトス、エピクロスの書き残したものをくわしく見てみたくなる。
 しかし、それはない!!
 だがうれしいものがある!!
 このころの「原子論」をルクレチウス(ローマ)が詩にしてくれていた。
 
◆『物の本質について』(ルクレーティウス 著 , 樋口 勝彦 訳 岩波文庫)


 ちなみにオンライン「寅の日」の6月では「ルクレチウスと科学」を読んでいる。

(つづく)

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【Web更新6/5】22-23 サイエンスコミュニケーター宣言 等 更新!!

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播磨路の空朱を挿すや花柘榴 22/06/04撮影@福崎


■楠田 純一の【理科の部屋】22-23
週末定例更新のお知らせ
 6月だ!!
 雨の季節がやってきた。降る雨を見ているとあのコトバを思い出した。
 

 アメバ、アメナテ
 カゼバ、カゼナテ
 ダレ、ツケタンダベナ
 イツバンハヤク、ダレツケタンダベナ。
 (「新しい綴り方教室」国分一太郎・新評論)

◆表紙画像集2022 更新 花柘榴  柘榴の花
 柘榴の花がきれいに咲いた!!
 この鮮やかな朱色を見ていると、「朱」=「丹生」思い出した。
 「丹生」を追う旅もそろそろ再開したいものだ。
 梅雨入り前の青空に挿したる朱がみごとであった!!

◆サイエンスコミュニケーター宣言 更新!!
 今さらの 「原子論」を科学する シリーズ、なかなか面白い展開になりそうだ。
 6月のオンライン「寅の日」で読むのは「ルクレチウスと科学」である。そこともリンクしながらゆっくりゆっくり進めたい!!

◆Webテキスト『天気の変化』の可能性!? 更新!!
 「雲見」と俳句「歳時記」だけの更新だ。
 「梅雨」を科学する も忘れないようにしたいものだ。

◆【ヒガンバナ情報2022】 更新!!
 昨年採集・回収した823個の「種子」のうち、「発芽・発根」したのは131個だ。(5月末現在)
 6月末にはどうなるだろう!?
 野のヒガンバナも、実生ヒガンバナも葉が枯れて地上から姿を消す時期である。


 大賀ハス観察池は蓮根の植え替えから10週目だった。
 予想外の展開となった。
 水栽培池の方が、立葉も多くて元気だ。きっとこちらから先に「花芽」が顔を出すものと思っていた。
 ハズレた!!
 最初に「花芽」が顔出したのは、観察池の方だった。
 最初に気づいたのは、2022/06/02であった。2022/06/05にはけっこう伸びてきていた。
 これで今年もまちがいなく「あこがれの4日間」に出会えるゾ!!
 
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本日(2022/06/06)、第318回オンライン「寅の日」!! #ルクレチウスと科学 #traday #寺田寅彦

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▼太古の昔より空は青かった!!
 空に浮かぶ雲は白かった!!
 なぜだろう!?

 このアタリマエの「ふしぎ!?」はどのように「原子論」とツナガルのか。
 寅彦に聞いてみよう。

▼本日(2022/06/06)は、第318回オンライン「寅の日」である。
6月テーマは、

【6月テーマ】「寅彦とルクレチウス」

である。6月は3回とも連続して、「ルクレチウスと科学」を読む。
 本日はその一回目である。

◆本日(2022/06/06)、第318回オンライン「寅の日」!!

●「ルクレチウスと科学」(1)(青空文庫より)

▼ともかく長編である!!
 その全編にわたり寅彦は熱く熱く「ルクレチウス」を語っていた。

 「緒言」からはじめよう。

 要するにルクレチウスは一つの偉大な科学的の黙示録(アポカリプス)である。そのままで現代の意味における科学書ではもちろんありうるはずがない。もしこの書の内容を逐次に点検して、これを現在の知識に照らして科学的批判を試み、いろいろな事実や論理の誤謬(ごびゅう)を指摘して、いい気持ちになろうとすれば、それは赤ん坊の腕をねじ上げるよりも容易であると同時にまたそれ以上におとなげないばかげた事でなければならない。

寅彦は最初から「ルクレチウス」を擁護していた。「ルクレチウス」のすごさはここにあると力説していた。

ヨハネは目的の上からすでに全然宗教的の幻想であるのに反して、ルクレチウスのほうは始めから科学的の対象を科学的精神によって取り扱ったものである。彼の描き出した元子の影像がたとえ現在の原子の模型とどれほど違っていようとも、彼の元子の目的とするところはやはり物質の究極組成分としての元子であり、これの結合や運動によって説明せんと試みた諸現象はまさしく現在われわれの原子によって説明しようと試みつつある物理的化学的現象である。

 「ルクレチウス」を語ることの意味を次のようにとらえていた。

現代の精密科学にとってルクレチウスの内容もしくはその思想精神がなんらかの役に立ちうるかということである。ルクレチウスの内容そのものよりはむしろ、ルクレチウス流の方法や精神が現在の科学の追究に有用であるかどうかということである。
ほとんどいかなる理論的あるいは実験的の仕事でも、少しでも独創的と名のつく仕事が全然直観なしにできようとは到底考えられない。「見当をつける」ことなしに何事が始め得られよう。「かぐ」ことなしにはいかなる実験も一歩も進捗(しんちょく)することはあり得ない。うそだと思う人があらば世界の学界を一目でも見ればわかることである。
実際ルクレチウスに現われた科学者魂といったようなものにはそれだけでも近代の科学者の肺腑(はいふ)に強い共鳴を感じさせないではおかないものがある。のみならず、たとえ具体的にはいかに現在の科学と齟齬(そご)しても、考えの方向において多くの場合にねらいをはずれていないこの書物の内容からいかに多くの暗示が得られるであろうかという事はだれでも自然に思い及ばないわけには行かないであろう。

寅彦の「ルクレチウス」への惚れ込みようが伝わってくるようだ。

▼まだまだ熱く語る!!

十九世紀二十世紀を予言した彼がどうしてきたるべき第二十一世紀を予言していないと保証する事ができようか。今われわれがルクレチウスを読んで一笑に付し去るような考えが、百年の後に新たな意味で復活しないとだれが断言しうるであろうか。
 今もしルクレチウスが現代の科学者にとって有効に役立ちうるとすれば、それはまさにこの稲妻の役目をつとめうる点である。

 そして、若い人にこそ「ルクレチウス」を!!と。

要するに私がかりに、「科学学者」と名づける部類の人々には役に立たないが、「科学研究者」と名づけるべき階級の人々には、このルクレチウスは充分に何かの役に立つであろうと信じるのである。  一方において私は若い科学の学生にこの書の一読をすすめてもよいと思うものである。
実際現代の多くの科学の学生はこれとよく似た境遇にありはしないかと心配される。そういう学生にとってルクレチウスが確かに一種のヴィタミンの作用を生じうるであろうと考えるのである。

 なんと「緒言」だけで、第一回目は終わってしまいそうである。
 いよいよの本論については次回からということになる。
 今回もやっぱり私の「宿題」はつづいていた。

 寅彦はなぜかくも熱く「ルクレチウス」を語るのか!?

(つづく)

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「原子論」を科学する(7) #原子論 #原子論的物質観 #原子論の歴史 #原子論の誕生 #田中実

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▼そもそも
 「原子論」って何!?
 「原子論的物質観」って何!?

 自分でもよくわかっていないのに わかった風に言うのは、私の悪いクセだ!!
 今となっては急ぐ必要もない。
 今さらではあるが、この疑問に挑戦してみたい!!

▼そう思ったとき思い出した一冊の本がある。

◆『原子論の誕生・追放・復活』(田中実著 新日本文庫 1977.7.25 初版)


 表紙も色褪せてしまっていた。
 「はじめに」次のように書いてあった。
 

敗戦後まもなく、マッカーサー統治下の一九四九年に、私は『原子論の誕生・追放・復活ー原子と化学』(三一書房刊)とい小著を出した。

 つまりこの本の元本は1949年に出されていたということになる。
 今から73年も前のことになる。

▼「原子論」といコトバを知り、使うようになったのは、1977年にこの書が出されたころからではないかと思う。
 この本の「目次」をあげてみる。

はじめに
一 火の技術
二 原子論の誕生と追放
三 原子の忘却
四 原子のルネッサンス
五 科学的元素から原子へ
六 仮説の原子から実存の原子へ

▼本を読み解くスピードは恐ろしくダウンしてきている。
 まあ、もともとそんなに速いほうではないが。

 今度はそう簡単に「わかったつもり」にならずに、何度も何度も反芻作業を繰り返しながら

 ゆっくり ゆっくり 急ごう!!


(つづく)

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「原子論」を科学する(6) #原子論 #周期表 #立体周期表 #原子とつきあう本

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▼「断捨離」決行中デアル!!
 それにしても、我がことながら驚いてしまう。
 筆記用具の多さに!!捨ても捨ててもどこからか出てくる。こんなに使っていたかな!?
 それにあわせて、使わなくなった「筆立て」もいっぱいだ!!
 だいぶん処分した。しかし、どうしても処分できない思い出の「筆立て」があった。

●「立体周期表」の「筆立て」

 である。何十年も前に生徒と一緒につくったものだ。

▼今もあるのかな!?
 調べてみた。あった!!

◆原子の立体周期表・新版(30227) (仮説社)

 「ニホニウム」も加えて新版になっているようだ。
 なかなかのスグレモノであることには変わりはない。

▼確かこのとき、関連して出された本があったはずと調べてみた。
 やっぱりそれもあった!!

◆『原子とつきあう本』(板倉聖宣著 仮説社 初版1985.12.10 )

 本棚から引っぱりだしてきた。
 これまた興味深い本だ。現在進行中本棚に移しておこう。

▼ことのついでにと「周期表グッズ」て検索をかけてみた!!
 面白い!!

・元素周期表グラス
・元素周期表マグカップ
・元素周期表手ぬぐい
・周期表ネクタイ
・世界一美しい周期表下敷き
・実物 周期表 等々

 なんとも楽しいモノがいっぱいだ!!
 「断捨離」決行中!!を忘れてつい手が出てしまいそうだ。

(つづく)

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「原子論」を科学する(5) #原子論 #周期表 #理科ハウス #周期表トートバッグ #周期表Tシャツ

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▼「ねえ、あれ化学の勉強で習ったやつと…!?」
 「ああっ、水兵 リーベの !!」
 「あれカッコいいね!!」
 「あんなのどこかで売っているのかな?」
 「欲しいね!!」

 旅先の電車のなかで出会った中年カップルの会話だ。

▼「雲見」の旅の定番スタイルとなっていた。
 大きめのリュックとこの「元素周期表トートバッグ」が。
 「元素周期表トートバッグ」がとても便利だった。リュックには滅多にださないものを詰め込み、電車の乗り換え時には手元のものをとっさにトートバッグにほり込んで移動する。
 中年のカップルも旅の途中だったようだ。電車の座席は窓を背にして、向かい合わせになるようになっていた。
 中年のカップルは、対面の向かいの座席に座っていた。
 勇気(!?)をだして、座席を立ち近づいて 「ここに売っていますよ」と伝えようかと迷っている間に、中年カップルは電車を下車してしまった。

◆理科ハウス(ショップ 元素周期表トートバッグ)
 

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▼理科ハウスの「元素周期表トートバッグ」、気に入っているところがいくつもあった。

・いつも身近に「原子論」持ち歩いている気分になる!!
・Alの階段が明確である。(金属・非金属の境目)
・いつでも元素の周期表の位置が確認できる。
・物質(モノ)探検の地図を持ち歩いていることになる。
・ファッショナブルである!!(私が言ってもあまり説得力ないが、あの中年カップル言っていたように「カッコいい!!」)
・他にもとても興味深い(面白い)効用があるのです。これは、ぜひ自分で体験してみてください!!

▼理科ハウスの「元素周期表」と言えば、もっと有名なTシャツがある。
 
◆理科ハウス(ショップ 元素周期表Tシャツ)

 Tシャツのシーズンである!!
 この夏は、「元素周期表Tシャツ」を着て、「原子論」を科学する をはじめてみませんか。

(つづく)

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2022年6月(水無月)の俳句「歳時記」!! #俳句 #歳時記 #オンライン句会

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▼今年の「子規庵の糸瓜」は「地植え」で挑戦してみることにした。
 子規庵で「おすそ分け」してもらった5粒の種から出発した「子規庵の糸瓜」も今年で4年目であった。
 これまでは、プランタンまたは植木鉢で育ててきた。
 ところが、昨年度はに皮肉にも育苗トレーをそのまま地面に放置していた方が元気よく大きく育った。
 ナラバ と
 今年ははじめからすべての苗を「地植え」で育ててみることにした。
 どんな展開になることやら
 子規も見ていてくれるかな!?

▼今月も名句の鑑賞 より<俳句修業>をはじめよう!!
 名句の参考にさせてもらうのは、いつものように

◆NHK「俳句」 テキスト

である。ここより巻頭の名句11句を引用させてもらう。

(1) よりそひて静かなるかなかきつばた 高浜虚子
(2) 天上も淋しからんに燕子花 鈴木六林男
(3) 螢火の明滅滅の深かりき 細見綾子
(4) 螢の逃げ出しさうな螢籠 西村麒麟
(5) 捩花の五回ねぢれて空は青 細谷喨々
(6) 闇を濃くして十薬の咲きにけり 稲畑廣太郎
(7) 音合せ始まる夏至の広場かな 坂本宮尾
(8) 沈黙のあと噴水の立ち上がる 茅根知子
(9) 髭剃つてゐる父の日の父の唄 辻田克巳
(10) ハンガーに干されて蛸や雲低き 川上弘美
(11) 岩と波永遠にぶつかり沖縄忌 石倉夏生

▼<俳句修業>の第一歩は「選句」から!!
 今月もシロウト「選句」を楽しむことからはじめてみよう!!

【私の選んだ名句ベスト3】

(5) 捩花の五回ねぢれて空は青 細谷喨々

(3) 螢火の明滅滅の深かりき 細見綾子

(6) 闇を濃くして十薬の咲きにけり 稲畑廣太郎

【次点】

(10) ハンガーに干されて蛸や雲低き 川上弘美

【選評】
・「五回ねぢれて」なんて凄いな!!今度数えてみよう。こんなのを観察眼というのだろうか。
・「滅の深かりき」なんとも深いな!!滅を詠めるのは俳句だけ!!
・十薬の咲く景がいっぺんに眼前に浮かんでくるのは俳句の力か!!

・「雲低き」の着地がとっても気に入った。着地のすばらしさは全景をひきたたせる。


▼子規は漱石の友人であり、俳句の師でもあった。
 我らが寅日子先生は、漱石に俳句の手ほどきを受けた。
 ダカラ
 寅日子先生に師事する私たちにとっては、子規は大大先生だ!!
 そんなオンライン句会は、はや第22回目をむかえていた。

◆第22回オンライン句会「寅の日」6月例会案内!!


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2022年6月(水無月)の「雲見」は!? #雲見 #もくもくシール

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▼本日は「気象記念日」デアル。
 6月の「雲見」を予想する前に5月の「雲見」のまとめをもくもくシールセットによる「雲見」カレンダーでふり返っておこう。
 使用した十種雲形シールは次のようになった。

・快晴    5 
・巻雲    5 
・巻積雲   2 
・巻層雲   0     
・高積雲   1  
・高層雲   2     
・層積雲   2 
・積雲    4 
・層雲    0  
・乱層雲   9  
・積乱雲   1

 「乱層雲」9+「積乱雲」1=10 が目立つ!!やっぱり雨が多かったんだ。
 それから、メモ書きの気温は、アメダスの「記録」を見ながら、あとからつけ加えたものだ。
 作業しながら気づいた。やっぱり規則的に大気は動いているんだ!!
 月の後半を中心に「夏日」14日+「真夏日」1日=15日
 半分は暑かったんだ!!

▼6月(水無月)の「雲見」の予想に入ろう。
 まずは昨年の6月の天気図を見てみる。

◆日々の天気図 2021年6月 (気象庁)

・さあ、本格的な雨の季節の到来である。
・恵みの雨ではあるが、大雨には注意だ!!
・今年は何度聞くだろう!?「線状降水帯」というコトバ。大きな災害がないことを願うのみだ。
・「夏日」「真夏日」は何日までのびるだろう!?
・ふえるシールはもちろん「乱層雲」「積乱雲」かな!?

▼6月の「雲見」予想をつづけよう。
 よりローカルな資料を使ってみよう。
 アメダス「福崎」のデータに基づく資料である。

◆兵庫県 福崎 の気候(雨温図最高気温、最低気温の推移

・6月の月間降水量は、一年のうち第二位だ。7月についで多いんだ!!
・「夏日」がベースとなるのかな。「真夏日」はどのくらいでてくるだろうか!?
・本格的「梅雨入り」はいつだろう!?
・梅雨の晴れ間の日射しは厳しい!!そんな日は何日あるだろう。
・もっとも多いもくもくシールはやはり「乱層雲」かな!?

▼さあ、いよいよ「雲見」の旅再開の準備をしよう!!
 計画をたてるだけでもワクワクしてくるな。
 どの方面にするかな!?

 「線状降水帯」のコトバ聞いたときは
 垂直移動して、エマグラム鉄道「雲見」の旅にでかけよう!!

 

 

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