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本日(2022/05/13)、第316回オンライン「寅の日」!! #科学上の骨董趣味と温故知新 #traday #寺田寅彦

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▼葉桜の間から、赤いかわいい桜の実(「さくらんぼ」と呼んでいいのかな!?)が顔を出していた。
 桜は典型的な「他家受粉」らしい。
 だからこれが見られるということは、近くにちがう種類の桜の木があるということらしい。

 <花>が咲けば<実>ができるは、ほんとうに自然界の「不易」と言っていいのだろうか!?

▼本日(2022/05/13)は、第316回オンライン「寅の日」である。
 5月テーマは、次のようになっていた。

【5月テーマ】「寅彦と科学教育」

である。その第二回目の本日は「科学上の骨董趣味と温故知新」を読む。


◆本日(2022/05/13)、第316回オンライン「寅の日」!!

●「科学上の骨董趣味と温故知新」(青空文庫より)


▼一見、【5月テーマ】「寅彦と科学教育」と直接関係なさそうなタイトルの随筆である。
 しかし、私には深いところでそれらがツナガッテイル と思えるのだった。
 まずは 読み進めてみよう。

 ちょっと序論だ。

 一口に科学者とはいうものの、科学者の中には種々の階級がある。科学の区別は別問題として、その人々の科学というものに対する見解やまたこれを修得する目的においても十人十色と云ってよいくらいに多種多様である。実際そのためにおのおの自己の立場から見た科学以外に科学はないと考えるために種々の誤解が生じる場合もある。

 あるあるだ!!
 さあ本論だ。

その種類の人には歴史という事は全く無意味である。古い研究などはどうでもよい。最新の知識すなわち真である。これに達した径路は問う所ではないのである。実際科学上の知識を絶対的または究極的なものと信じる立場から見ればこれも当然な事であろう。また応用という点から考えてもそれで十分らしく思われるのである。しかしこの傾向が極端になると、古いものは何物でも無価値と考え、新しきものは無差別に尊重するような傾向を生じやすいのである。

 ここで、寅彦からの警告だ!!本意も徐々に顔を出してくる。

 しかし自分の見る所では、科学上の骨董趣味はそれほど軽視すべきものではない。この世に全く新しき何物も存在せぬという古人の言葉は科学に対しても必ずしも無意義ではない。科学上の新知識、新事実、新学説といえども突然天外から落下するようなものではない。よくよく詮議すればどこかにその因(よ)って来るべき因縁系統がある。
 

▼そして、寅彦がもっとも言いたかったことになる。

このような類例を探せばまだいくらでもあるだろう。新しい芸術的革命運動の影には却って古い芸術の復活が随伴するように、新しい科学が昔の研究に暗示を得る場合は甚だ多いようである。これに反して新しい方面のみの追究は却って陳腐を意味するようなパラドックスもないではない。かくのごとくにして科学の進歩は往々にして遅滞する。そしてこれに新しき衝動を与えるものは往々にして古き考えの余燼(よじん)から産れ出るのである。
しかしその半面の随伴現象としていわゆる骨董趣味を邪道視し極端に排斥し、ついには巧利を度外視した純知識慾に基づく科学的研究を軽んずるような事があってはならぬと思う。直接の応用は眼前の知識の範囲を出づる事は出来ない。従ってこれには一定の限界がある。予想外の応用が意外な閑人的学究の骨董的探求から産出する事は珍しくない。

そして、最も強調しておきたいのは次のコトバである。

自分は繰返して云いたい。新しい事はやがて古い事である。古い事はやがて新しい事である。

 ここまできて、私は我田引水で
 「科学上の骨董趣味と温故知新」を「科学教育上の骨董趣味と温故知新」と読みかえたくなってくるのだった!!


ホンモノの「流行」は「不易」を内包する!!
ホンモノの「不易」は「流行」を創造する!!

 

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