本日(2022/03/14)、第311回オンライン「寅の日」!! #天災と国防 #traday #寺田寅彦
▼寅彦の警鐘「天災は忘れられたる頃来る」をコトバにして残してくれたのも、また中谷宇吉郎であった。
実はこの言葉は、先生の書かれたものの中には、ないのである。しかし話の間には、しばしば出た言葉で、かつ先生の代表的な随筆の一つとされている「天災と国防」の中には、これと全く同じことが、少しちがった表現で出ている。
それでこれは、先生がペンを使わないで書かれた文字であるともいえる。
▼本日(2022/03/14)は、第311回オンライン「寅の日」である。
3月のテーマは
【3月のテーマ】「寅彦の防災と減災」
である。本日はその「天災と国防」を読む。
◆本日(2022/03/14)、第311回オンライン「寅の日」!!
▼なぜかこの頃、「歴史」というものを意識するようになった。
この「天災と国防」は
(昭和九年十一月、経済往来)に発表されたものである。
つまり1934年、今から88年前である!!
今日から見ても、まったく古くない!!
きわめて、今日的な課題を示唆したコトバがつづく。
気象学的地球物理学的にもまたきわめて特殊な環境の支配を受けているために、その結果として特殊な天変地異に絶えず脅かされなければならない運命のもとに置かれていることを一日も忘れてはならないはずである。
しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。
文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻(おり)を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊(ほうかい)させて人命を危うくし財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである、災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きくするように努力しているものはたれあろう文明人そのものなのである。
それで、文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防御策を講じなければならないはずであるのに、それがいっこうにできていないのはどういうわけであるか。
▼そして、中谷宇吉郎が「これと全く同じことが、少しちがった表現」と指摘した部分にツナガルのだった。
そのおもなる原因は、畢竟(ひっきょう)そういう天災がきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の顛覆(てんぷく)を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。
古い民家の集落の分布は一見偶然のようであっても、多くの場合にそうした進化論的の意義があるからである。そのだいじな深い意義が、浅薄な「教科書学問」の横行のために蹂躙(じゅうりん)され忘却されてしまった。そうして付け焼き刃の文明に陶酔した人間はもうすっかり天然の支配に成功したとのみ思い上がって所きらわず薄弱な家を立て連ね、そうして枕(まくら)を高くしてきたるべき審判の日をうかうかと待っていたのではないかという疑いも起こし得られる。
戦争はぜひとも避けようと思えば人間の力で避けられなくはないであろうが、天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけには行かない。その上に、いついかなる程度の地震暴風津波洪水(こうずい)が来るか今のところ容易に予知することができない。
こういうこの世の地獄の出現は、歴史の教うるところから判断して決して単なる杞憂(きゆう)ではない。
今一度、寅彦の警鐘に耳を傾け、「歴史」のなかの「現在地」を確認したいものだ!!
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