
▼私は、「フランクリンの末裔」くんからプレゼントしてもらったお宝本をこのまま本棚にしまい込んでおくのではモッイナイと思っていた。
「静電気」を科学するシリーズ をつづけている今こそもう少しなんとかしたかった。
とは言っても、「静電気」に関する絵・写真の資料は見ればなんとかわかるが、それ以上まったくわからなかった。思いはあっても、全文英語ではまったくお手上げだった。
こんなことならもう少し英語も勉強しとくんだったな。
▼そんなとき、ファラデーラボの森本雄一さんに「この本が面白いよ」と教えてもらった本がある。それが今回の【お薦め本】だ。
◆【お薦め本】『フランクリン』(板倉聖宣著 仮説社 1996.8.15)
読んでみたら、ほんとうに面白かった!!
人に語らずにはおれない面白さだ。そこで【お薦め本】にあげてみることにした。
話があちらこちらにとばないうちに、いつものようにお薦めポイント3つをあげておく。
(1)等身大の語り口調で人間「フランクリン」の魅力に迫る!!
(2)科学者「フランクリン」の面白さをやさしく熱く語る!!
(3)社会や暮らしのなかでの「科学」とは!? を問う!!
▼ではもう少しだけ詳しくひとつずついこう。
(1)等身大の語り口調で人間「フランクリン」の魅力に迫る!!
まず最初に正直に白状しておこう。
私はあまりに「フランクリン」のことを知らなすぎた!!
「凧をあげて、電気をあつめた男」程度の認識しかなかったのである。
著者はこの本の最後にこう言っていた。
そこで私はこの本で、かなりくわしくフランクリンの仕事をできるだけ視野広く見ようと試みたのですが、理解していただけたでしょうか。私のこの『フランクリン』が、新しいフランクリン像を多くの人びとに知らせることができるといいと思っています。(同書P269より)
この試みはみごとに成功しています。
「フランクリン」というのがこんなすばらしい魅力的な人間だったとは!!
感激です。
いかし、これまたふつうの偉人伝のように、別世界の人間のようには扱われていません。そこがまた著者板倉聖宣先生のうまいところですが、平易な等身大の語り口調で新たな「フランクリン」像を浮き彫りにしていきます。
ベンは年とった父親の子どもで、すでに五人の兄さんと五人の姉さんがいました。そのうち五人は前のお母さんの子どもでしたが、ベンを生み育てたお母さんはその後二人の妹を生んでいます。小さいときに亡くなった兄弟を除いて、子どもだけで十三人の大家族でした。手工業をやりながらそんな大家族を養っていくのは大変だったことでしょう。じつは私も九人兄弟の六番目で、似たような手工業の職人の家に育ったので察しがつくように思えるのです。(同書P14より)
こんな調子です。
読み進めるうちにわかってきます。板倉先生はこの「フランクリン」のことがとても気に入ったのだなあと。
読んでいるこちらもそれにつられてどんどん「フランクリン」が好きになっていくことまちがいないです。
(2)科学者「フランクリン」の面白さをやさしく熱く語る!!
私にとっては、ここがこの本を読む本命の部分でした。
しかし、彼は「科学者になろう」などとは全く思っていませんでしたから、その研究の成果を論文に書いて発表することなど、考えてもみませんでした。彼はただ仲間と一緒に実験したり議論したりして楽しむだけで満足していたのです。そして、その他にも彼の実験に興味をもってくれる人がいることがわかると、その人に喜んで手紙を書いて知らせました。そこで、このときの実験のことも、ずっと後になって書いた手紙の中に書かれて残っているだけなのです。(同書P44 より)
ここにフランクリンの「科学」の醍醐味とその「方法」が示唆されていた。
だからこそ
フランクリンの手紙の中の説明はとても簡単明瞭です。だから、その説明を読むだけでも、彼らがどんな実験を積み重ね、どんな議論をしていたか察することができます。(同書P96より)
これは生涯一貫した科学者「フランクリン」の姿勢でした。
板倉先生は、この本の中で、できるだけくわしく「フランクリンの手紙」をたくさん紹介してくれています。
シロウトの私にはそれがとてもアリガタイ!!
それは、きっとこんな思いからなんだろう。
私がもっとも知りたいと思っていた部分についても具体的な多数の手紙を紹介してくれています。これが実にアリガタイ!!
・先端放電現象
・電気の行方
・電気流体の過剰(+)と不足(-)という考え方
・電気一流体説=電気量保存の原理の確立
・ライデン瓶=コンデンサーの謎の解明
・フランクリンのカミナリ研究の起源
・カミナリの正体をつきとるための実験方法の提案
・『電気の実験と考察』の出版
等々です。
ますます「フランクリン」のファンになってしまいます!!
▼そして最後に
(3)社会や暮らしのなかでの「科学」とは!? を問う!!
フランクリンのマルチな活躍ぶりにはびっくりばかりであった。
・『貧しいリチャードの暦』
・フランクリン暖炉の発明
・アメリカ理学会の創立
・北東風の研究
・フランクリンの人口論
・アメリカ植民地全体の政治家
・義勇軍の連隊長
・『富みに至る道』
・「アーモニカ」の発明
・メキシコ湾流の海図の作成
・アメリカ独立宣言
・フランス駐在大使の仕事
・遠近両用眼鏡の発明
等々
ここでも、具体的な「フランクリンの手紙」を多数紹介してくれているのはアリガタイ!!
こんなマルチな活躍の強力なバックボーンになっているのは科学者「フランクリン」なのではないかと思う。
そして、今、問いかけてくるのである。
社会や暮らしのなかでの「科学」とは!?
最後に、著者・板倉先生のこんなコトバを引用させてもらおう。
フランクリンだけではありません。彼の時代の科学者たちには、自分がたのしんだ科学研究の感動をできるだけありのまま伝えたくて、その研究の経過をくわしく書く人が少なくありませんでした。しかし、最近の科学論文には、そういった生き生きとした表現がほとんど見られません。そこで、科学は多くの人びとにとって身近な存在でなくなってしまったのです。これは残念なことです。私は、科学の歴史を専門として、かつ科学教育の研究も専門としています。そこで「せめて私だけでも」と思って、専門的な論文でも自分の研究したことをできるだけ具体的に感動的に書くようにしています。すると、多くの人びとに喜ばれるだけでなく、フランクリンの場合と同じように、たくさんの人びとからいろいろなことを教えてもらうことができることを体験しています。(同書P214より)
【オマケ】最後のベンジャミン・フランクリン(1706~1790)年譜
スバラシイ\(^O^)/ 使いモノ二ナル!!(エラソウに (^^ゞポリポリ)
あの「お宝本」の資料が妙にリアルに見えてきた!!ウレシイ!!
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