本日(2021/12/31)、第304回オンライン「寅の日」!! #日本人の自然観 #traday #寺田寅彦
▼手持ちの「歳時記」(『俳句歳時記』角川文庫)には、次のようにあった。
【寅彦忌 とらひこき】
十二月三十一日。科学者・随筆家の寺田寅彦(一八七八~一九三五)の忌日。筆名吉村冬彦・藪柑子・寅日子など。(後略)
▼本日(2021/12/31)、第304回オンライン「寅の日」!!
【寅彦忌】特番オンライン「寅の日」である。
毎年の恒例としてきた。
読むものも決めていた。「日本人の自然観」である。
◆本日(2021/12/31)、第304回オンライン「寅の日」!!
▼この随筆の最後に初出はこう書いてあった。
(昭和十年十月、東洋思潮)
昭和十年つまり1935年は寅彦の最晩年である。この年の大晦日に亡くなったのである。
だから私はこれを勝手に寅彦の「遺言」であると思っている。86年の時空を超えての今を生きる私たちへのメッセージである!!
ここにすべてがあると思っていた。
幸いにも、明日、2022年元日も「寅の日」である。
そこで、二日連続してこの長編「日本人の自然観」を読む。
まさに「ゆく年くる年」は「寅の日」スペシャルだ!!
・緒言
・日本の自然
・日本人の日常生活
・日本人の精神生活
・結語
5つの章に分かれていた。
何度読んでも、読むたびにあらたな「発見」のある名随筆である。
<緒言>からまずはここを引用させてもらおう。
われわれは通例便宜上自然と人間とを対立させ両方別々の存在のように考える。これが現代の科学的方法の長所であると同時に短所である。この両者は実は合して一つの有機体を構成しているのであって究極的には独立に切り離して考えることのできないものである。人類もあらゆる植物や動物と同様に長い長い歳月の間に自然のふところにはぐくまれてその環境に適応するように育て上げられて来たものであって、あらゆる環境の特異性はその中に育って来たものにたとえわずかでもなんらか固有の印銘を残しているであろうと思われる。
ここに最も核心部分があるような気がする。
▼<日本の自然>を寅彦はどうとらえていたのだろう。
そこから考えて、私たちにどんなメッセージを遺してくれたのだろう。
非常にくわしい解説から、徐々に「核心」に近づいて行く!!
これを要するに日本の自然界は気候学的・地形学的・生物学的その他あらゆる方面から見ても時間的ならびに空間的にきわめて多様多彩な分化のあらゆる段階を具備し、そうした多彩の要素のスペクトラが、およそ考え得らるべき多種多様な結合をなしてわが邦土を色どっており、しかもその色彩は時々刻々に変化して自然の舞台を絶え間なく活動させているのである。
自然の神秘とその威力を知ることが深ければ深いほど人間は自然に対して従順になり、自然に逆らう代わりに自然を師として学び、自然自身の太古以来の経験をわが物として自然の環境に適応するように務めるであろう。前にも述べたとおり大自然は慈母であると同時に厳父である。厳父の厳訓に服することは慈母の慈愛に甘えるのと同等にわれわれの生活の安寧を保証するために必要なことである。
たとえば、昔の日本人が集落を作り架構を施すにはまず地を相することを知っていた。西欧科学を輸入した現代日本人は西洋と日本とで自然の環境に著しい相違のあることを無視し、従って伝来の相地の学を蔑視(べっし)して建てるべからざる所に人工を建設した。そうして克服し得たつもりの自然の厳父のふるった鞭(むち)のひと打ちで、その建設物が実にいくじもなく壊滅する、それを眼前に見ながら自己の錯誤を悟らないでいる、といったような場合が近ごろ頻繁(ひんぱん)に起こるように思われる。昭和九年十年の風水害史だけでもこれを実証して余りがある。
ここで最も重要なキーワード「相地の学」が登場する!!
さらに
しかるに現代の日本ではただ天恵の享楽にのみ夢中になって天災の回避のほうを全然忘れているように見えるのはまことに惜しむべきことと思われる。
あの警鐘「天災は忘れられたる頃来る」の原基がここにある!!
(つづく)
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