そして、再び「磁石石」!!(1) #松山基範 #寺田寅彦 #堂面春雄 #磁石石
▼前回私は、『窮理10号』(窮理舎)の「チバニアンと松山基範、そして寺田寅彦」(前中一晃)を紹介させてもらった。
そしたら、窮理舎さんから、次の「備忘録」も参考になりますよと教えてもらった。
面白い!!
松山基範と寺田寅彦の関係がより深くわかる。
寅彦にとっても松山基範は重要な人物であったことがよくわかる。きわめて興味深い論考である!!
アリガタイ!!
まさに
情報は発信するところに集まる!!
である。
▼さて、松山基範の弟子にあたられる堂面春雄先生からの手紙の話題に入る前に、それまでの経緯に簡単にふれておきたい。
ことは1983年(昭和58年)の夏にはじまる。
島根豪雨(1983年7月23日)、昭和58年7月豪雨とも。
そのころ勤めていた学校の同僚に益田市出身の先生がおられた。そんなこともあって、夏休み職員室で『中学校社会科地図』(帝国書院)の「中国・四国地方」をながめていた。
とても不思議なものをみつけた。
場所は益田市の西、島根県と山口県の県境よりもさらに西、山口県「高山」だ。
「磁石石」
天然記念物「∴」のマークがついている。
なんだろう!?天然磁石の「磁鉄鉱」であろうか。それならその前年に柵原鉱山に行って手に入れていた。
でも、そうでもないようだ!!
今ではこんな説明があった。
▼これは面白い!!
落雷が原因で起こったものだとすると、あの「直線電流の回りの磁界」のすぐれた教材になる!!
しばらく、サークル(地下茎舎)で追ってみることにした。
やがてこのことについて、山口大学の堂面春雄先生がくわしいという情報を得た。
さっそく、あつかましく失礼も省みず堂面先生に手紙を出した。
手紙には、これまでの経緯といくつかの質問を書いた。
堂面先生からきわめて丁寧な返事の手紙と資料がおくられてきた。(Oct.6.1983)
私の質問と<堂面>先生のお答えを書いてみるとこうなる。
【質問1】須佐の高山というのはカミナリによって磁化したというのはほんとうでしょうか。
<堂面> カミナリによると現在までの結論
【質問2】そうだとすると、いつごろのことなんでしょう。
<堂面>いつのことか全く不明
【質問3】またどのように、磁化したものかくわしいところを教えて下さい。
<堂面>磁力は、山頂以外のものの数10倍。しかし、磁力をもちうる可能性(磁鉄鉱などの含有量)は、全山ハンレイ岩でほぼ同じ。
【質問4】この地以外では、全国で知られているところはないのでしょうか。
<堂面>こちらの方で何なりと情報を頂戴したいものです。何卒よろしく。
「磁石石」としては、和歌山・粉河のものが有名です。以前より採取にいきたい所存ですがまだ果たしていません。
【質問5】高山の近くで、島根にある「松島の磁石岩」というのは、この高山と同じものでしょうか。
<堂面>島根のものは、あまりしられていないよう、これについては、最近かなりくわしく調べました。
ほぼ高山のものと同様の原因と考えられます。
【質問6】その他、この磁石石のことについて、どんなことでも教えてください。
<堂面>国木田独歩が、山口市北方の山に、磁石石をとりにいく話しがありますが、それ以上のことはまだ不明。
日本アルプスの美ヶ原溶岩が、須佐のものとともに、カミナリの例として世界にしられている。
▼手紙の最後は
山口県にお出かけの折、お会いできるとよろしいのですが、お仲間の皆さんによろしくお伝えの程を、 以上取急ぎお返事まで ご発展を祈ります。
としめくくられていた。
このていねいなお返事の手紙にいたく感動してしまった!!
(つづく)
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