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2021年・夏の「自由研究」は!?(2) #自由研究 #寺田寅彦 #理科教育 #雑感 #研究的態度の養成

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それはまるでクズが「もっと光を!!」と絶叫しているかのようだった!!

 凄絶な「光とり競争」の現場であった。
 クズは他の植物たちにからまり 巻きつき、少しでも高くなろうとしていた。
 光は上からやって来るのだから アタリマエ!!
 つる植物たちのみごとな戦略だった。
 
 何気ない景が、植物たちの世界を知るきっかけとなる。それが「自然を豊かにとらえる」ということ!!
 そんな「自由研究」になるといいな。

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▼そもそも「自由研究」っていつごろ始まったのだろう!?
 このコトバを寅彦の文章に見たのを思いだした。

●「雑感(「理科教育」より)」(1928(昭和3)年)

 こうである。

 小学校でも中学校でもせめて一週間に一時間でもいいから、こういう「自由研究」の時間を設けて、先生も生徒も一緒になって、何でも手近な題目を取扱い、そうして、自然が如何に分らない事だらけであるかという事、その分らない事が、熱と根気で向って行けば少しずつ少しずつ分って行く事、その少しずつ分って行く少なくも分ったような気がして行く事が如何に愉快なものであるかという事などを実習したらいいだろうと思う。先生の分らない事は大抵誰にも本当はよく分らない事である。分らない事は恥でも何でもない。分らない事を分ったような顔をするほど恥ずべき事はない。

 ここで言っている「自由研究」というのは、「授業」のことである。
 でもなんの違和感なく自然にこの「自由研究」とコトバを出しているということは、以前からこのコトバは使われていたということだろう。
 それから、もうひとつ注目しておきたいのは、寅彦は、教師自身の「自由研究」をすすめていることである。

こういう教案の作成に費やす時間があれば、むしろその時間に先生が、先生自身の題目の研究をした方がよいと思う。先生自身の研究の挿話は生きた実例としてどれだけ強く生徒に作用するか分らない。死んだ借り物の知識のこせこせとした羅列に優る事どれだけだか分らない。

 もちろん反駁したい気持ちも多々ある。
 しかし、きわめて示唆的であることも確かだ。

▼さらに、「自由研究」の源流を求めて、同じく寅彦の文章を見てみる。
 時代は10年ばかりさかのぼって、これまた雑誌「理科教育」に寄稿された文章だ。

●「研究的態度の養成」(1918(大正7)年)

 ここでは「自由研究」というコトバそのものは出てこない。
 しかし、児童自らの「研究的態度の養成」こそが、「理科教育」の最大の課題だと言いきっている。
 「自由研究」ツナガル提言である!!

 理科教授につき教師の最も注意してほしいと思うことは児童の研究的態度を養成することである。

▼寅彦が「研究的態度の養成」を書いた1918(大正7)年に注目してみよう。
  
『増補 日本理科教育史 付・年表』(板倉聖宣著 仮説社)の「年表」から1918年の一部を引用させてもらおう。

●1918年2月5日 文部省、師範学校・中学校の物理・化学に生徒実験を課すことを定め、「物理及化学生徒実験要目」を訓令。生徒実験設備費として臨時補助金20万円余を国庫支出。

 その前月には「理科教育研究会」が発足していた。

●1918年1月19日 理科教育研究会 東京帝国大学で発会式(会長 林博太郎)。 

 さらには

●1918年4月△日 理科教育研究会『理科教育』創刊

 と続いていた。その10月号に「研究的態度の養成」は寄稿された。

 「自由研究」の源流をさぐる旅はまだまだつづく!!
 
(つづく)

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