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【お薦め本】『細胞とはなんだろう』(武村政春著 ブルーバックス)

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▼4月に入り新型コロナウイルス感染状況は「第4波」を危惧される状況にある。
 毎日、「変異株」、ワクチンの話題、感染情報も時々刻々更新されていく。
 こんな状況下にあって、今一度

 生命体がウイルスに感染するとは!?
 そもそもウイルスとは!?
 細胞ではどんな営みが!?
 細胞とウイルスの関係は!?

等々を考えてみることは、「正しくこわがる」ためにも、またこれからの「未知」なる時代を生きていくうえでもとても意味あることかも知れない。

▼それらのことを考えるには、ピッタリの本が出ていた。
 それが今回の【お薦め本】である。

◆【お薦め本】『細胞とはなんだろう 「生命が宿る最小単位」のからくり』(武村政春著 講談社ブルーバックス 2020.10.20)
 
 いきなり核心をつくコトバがあった。

 新型コロナウイルスは僕たち人間の細胞に感染するが、感染するのはあくまでも人間の細胞であって、僕たち人間そのものではない。(同書P4より)

 こちらが意図する疑問にも答えてくれそうだ。期待をもたせてくれる。
 いつものように、前もってお薦めポイント3つをあげておこう。
 
(1)〝ウイルス目線〟からの細胞観を楽しむことができる。
(2) 細胞・ウイルス研究最前線の物語を面白く学ぶことができる。
(3) 究極の「ふしぎ!?」=生命とは!? を考えるヒントがある。

▼まずは(1)から行こう。
(1)〝ウイルス目線〟からの細胞観を楽しむことができる。
 著者・武村政春氏の専門は「巨大ウイルス学」である。
 「はじめに」のなかで、この本について次のように語っていた。

 冒頭で、「細胞を取り扱う研究をしている」と述べたが、じつは僕は、細胞の研究者でない。どちらかというと、現在の僕の専門は、ウイルス学である。そして、そのなかでも巨大ウイルス学という、ウイルス学会でもほとんど相手にされない(興味を示されない、というべきか)特殊で辺境のマイナー学だ。

 しかも、ウイルスは細胞ではない。細胞からできていないので、生物でもない。微生物の教科書で扱われてはいるけれども、どう考えたって微「生物」ではない。生物の仲間には入れてもらえないがゆえに、生物学者もあまりウイルスについて考えてくれたりはしない。

 べつに卑屈になっているわけではない。僕がいいたいのは、その生物ではないウイルスを研究している人間が細胞のことを書いたのが、この本だということだ。(同書P5より)  

 また次のようにも語っていた。

 しかし、細胞からできていないがために生物学者から無視され、高校生物の教科書からは追放状態にあり、名前そのものが元は「毒(virus)」の意味だから、いわば謂れのない悪評を一身に浴びているウイルスに対して(たとえば新型コロナウイルスなど、悪評が立つ謂れのあるウイルスももちろんいるが)、僕はきわめて同情しているから、罵詈雑言を浴びせないにしても、ウイルスのしくみを通して細胞を見つめる態度で臨みたいと思ったのだ。  いやむしろ、地球上に生物よりもたくさんいて、なおかつその生物のしくみを利用している彼らの存在を無視した生物学など、もはやあり得ないとさえ思っている。

 
 細胞とはなんだろう。
 ちょいと脇に逸れた視点、いうなれば〝ウイルス目線〟からの細胞観を、読者諸賢に楽しんでいただければ幸いである。 (同書P6より)

 〝ウイルス目線〟この本を読み解くキーワードだ。
 この時代に、こんなこというとやや顰蹙をかってしまうかも知れないが、著者の熱い〝ウイルス目線〟にほだされて、いつのまにやら「ウイルスもなかなか…」という感情がうまれてくるのもたしかだった。

(2) 細胞・ウイルス研究最前線の物語を面白く学ぶことができる。
〝ウイルス目線〟は徹底していた。
 やや長めの「プロローグ」からはじまり、第1章~第5章までその姿勢は貫かれていた。
 各章の「物語」を次のように導入していた。1章ごとに引用させてもらうと次のようになる。

第1章 細胞膜──細胞を形づくる「脂質二重層」の秘密

 細胞の形を決めるという重要な役割を果たすその一方で、細胞膜はじつのところ、細胞の弱点にもなり得る。細胞はつねに、ウイルスの侵入という非常事態にさらされており、細胞膜はその唯一の侵入経路となつているからだ。そしてウィルスが生き、増殖できるのもまた、細胞膜が存在するがゆえなのである。
 これは、そうした喜怒哀楽すべての表情を垣間見せる、愛すべき「脂質二重層」の物語である(同書P46より)

第2章 リボソーム──生命の必須条件を支える最重要粒子

 しかし、自己複製と代謝の二つは、ウイルスが決して自分たちだけではできない能力であるという点で、最初の一つとは決定的に異なっている。最初の一つは、エンベロープウイルスであれば、理論的にあてはまっているともいえるが、あと二つは、たとえエンベロープウイルスであっても自分たちだけでは不可能な能力だ。いったいどうしてなのだろう。
 これは、その能力を生み出すことができる唯一者、慈しむべき「粒子」の物語である。(同書P88より)

第3章 ミトコンドリア──数奇な運命をたどった「元」生物

 ミトコンドリアはそもそも、僕たち真核生物のもつ、一つの「細胞小器官」にすぎないはずだった。ところが、研究が進むにつれて、真核生物の進化にきわめて重要な役割を担ってきたことがわかってきた。そして、どうやらウイルスとの関係も、案外奥が深いかもしれない、いうこともー。
 これは、そうしたミステリアスなベールに包まれた、驚くべき「寄生者」の物語である。
(同書P124より)

第4章 細胞内膜系──ウイルスに悪用される輸送システム

 「そこに何かある」という経験。そこに何かがあって、前に行けなくなった経験。前後左右をやわらかいものに包まれて、異世界にでも迷い込んだかのように思った経験……。
 このような現象を、じつは僕たちの細胞の中で、ウイルスたちも経験しているかもしれないとしたら……?
 じつは新型コロナウイルスも、おそらくそれを経験している。いや、経験しているだけでなく、積極的にその経験を利用して、増殖している。
 これは、そうした懐かしい経験を彷彿させる、愉快な「膜」の物語である。(同書P158より)

第5章 細胞核──寄生者が生み出した真核細胞の司令塔

しかし、ほんとうにそうだろかー僕はいつもこう考える。細胞が生物の基本単位とするならば、その細胞の内部に包含される「細胞核」が、まるで独立した生物であるかのようにふるまうさまを、いったいどう考えればよいのか、と。
 最大の細胞小器官であり、かつ最大の〝寄生者〟でもある細胞核ー。
 これは、そうした矛盾をつねに抱えて苦しむ、尊敬すべき「司令塔」の物語である。(同書P192より)

 こう見てくると、耳慣れないコトバの連続で、私のようなシロウトは退屈してしまいそうだ。でもそこはふつうの単なる研究最前線の報告の書ではない特徴をこの本は持っていた。
 著者紹介のところに「趣味は」「落語、妖怪など」とある。
 そう武村氏は、水木しげるの「妖怪」の大ファンなのである。要所要所で「妖怪」が登場する。耳慣れないウイルスコトバも、いかにもの「妖怪」の登場で飽きさせない!!
 また、ときに飛び出す関西弁丸出しの突っ込みは、「落語」で鍛えられたのだろうか。

 いずれにしてもウイルス初学者の私にはアリガタイ!!
 飽きないで面白く学べる!!


▼最後はこれだ。
(3) 究極の「ふしぎ!?」=生命とは!? を考えるヒントがある。

 ここまでは、〝ウイルス目線〟にこだわるとは言いながらも、どこかやはり本のタイトル『細胞とはなんだろう』に遠慮しておられたのだろうか、少し「封印気味」(著者P238)だった。
 5章の終りの頃になって、こらえきれずに本意を吐露することとなった。それが実に面白い!!

 この地球はよく「水の惑星」といわれるけれども、じつのところ、「ウイルスの惑星」というべきものでもある。生物の個体とウイルス粒子のどちらが、この地球上に多いかと考えれば、ウイルス粒子の方が圧倒的に多いのだ。  しかも、進化的にも非常に古く、巨大ウイルスは真核生物の起源にまで、バクテリオファージはバクテリアの起源にまで、それぞれ遡れるであろう。コロナウイルスでさえ、五〇〇〇年から一万年まで、その起源を遡ることができるといわれる。なかには、生物の細胞はウイルス(のような単純な形をした何か)が元になってできたという考え方すら存在する。

 地球の「主」は、まさしくウイルスなのだ。(同書P234より)


 こうした視点から、果たして細胞は『生物の最小単位』であるか否か」を考えてみると、そもそも「単位」とか「最小」とか、そういう考え方そのものが実態にそぐわないのではないかという思いが頭をもたげてくる。細胞は確かに、生物が生きていくうえで一定の役割をもっているし、生まれてから死ぬまで、細胞をベースに生命現象は構築され、その上で生物その体を成長・維持し、やがて老いていく。
 しかし、どうやらそれは単なる「表向き」の様相にすぎないのではないか。じつは細胞は、ウイルスが長い年月をかけて構築した、自らの複製の「場」にすぎないのではないか。(同書P235より)

 そして、ついには次のように言い切るのである!!

 細胞とはなんだろう。

 この疑問を呈するとき、人々の頭に去来するものは、人それぞれであろう。しかし、そこにウイルスがひょっこりと顔を出すことによっで、細胞の違った一面が見えてくる。それは生物自身のことだけでなく、学問としての生物学・生命科学にとっても、同様にいえることではないだろうか。
 ウイルスを無視して細胞を語ることができないのであれば、ウイルスを無視した生物学もあり得ない。細胞はまさに、ウイルスのために存在するのだから。(同書P236より)

 ここまで言われると、やはりウイルスそのものことが気になってくるのである。
 そして、やがて究極の「ふしぎ!?」=「生命」とは!?にいきつくのである。

 この究極の「ふしぎ!?」を考えるためのヒントが満載さたれた、今もっともタイムリーな一冊と言えるかもしれない。

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