本日(2021/02/11)、第277回オンライン「寅の日」!! #物理学と感覚 #traday #寺田寅彦
▼空気はまだまだつめたい!!
しかし
光の春はどこまでも律儀に進行する。
麦畑の緑も
桜のかたい蕾も やがて
▼本日(2021/02/11)は、第277回オンライン「寅の日」である。
2月のテーマは
【2月テーマ】「寺田物理学とは!?」
である。その第一回目の本日は「物理学と感覚」を読む。
◆本日(2021/02/11)、第277回オンライン「寅の日」!!
▼寅彦の随筆は、読む度に新しい「発見」をすることができる。
はじめて読んでも、いつのまにやらぐいぐいと寅彦の世界に引き込まれいくものが多い。
ところが、正直言って、何度読んでも新しい「発見」どころか、何を言わんとするのか私にはなかなか読み解けないものがいくつかある。
今回の「物理学と感覚」もそのうちのひとつだ。
まあ、最初からあきらめずに挑戦してみよう。
ちょっと自分でもひっかかるところを引用させてもらおう。
哲学者の中にはわれわれが普通外界の事物と称するものの客観的の実在を疑う者が多数あるようであるが、われわれ科学者としてはそこまでは疑わない事にする。世界の人間が全滅しても天然の事象はそのままに存在すると仮定する。これがすべての物理的科学の基礎となる第一の出発点であるからである。
今回、読んでいて納得するところも出てきた。
外界の事物の存在を吾人が感ずるのは前述べたとおり直接間接に吾人の五感の助けによるものである。これらの官能が刺激されたために生ずる個々の知覚が記憶によって連絡されるとこれが一つの経験になる。このような経験が幾回も幾回も繰り返されている間にそこに漠然(ばくぜん)とした知識が生じて来る。この原始的な知識がさらに経験によってだんだんに吟味され取捨されて個人的一時的からだんだんに普遍的なものに進化して来るとこれが科学の基礎となる事実というものになるのである。これって、「理科(科学)教育」にとってけっこう示唆的なことを言っているのでは…。 ちょっと面白くなってきたぞ!! つづけよう。
このように外界の存在を認めその現象を直接に感ずるのは吾人(ごじん)の感官によるほかはないのにその感官がすこぶる粗雑なものであってしかも人々個々に一致せぬものである。それで各人が自分の感覚のみをたよって互いに矛盾した事を主張し合っている間は普遍的すなわちだれにも通用のできる事実は成り立たぬ、すなわち科学は成り立ち得ぬのである。
それで物質界に関する普遍的な知識を成立させるには第一に吾人の直接の感覚すなわち主観的の標準をいったん放棄して自分以外の物質界自身に標準を移す必要がある。これが現代物理的科学にみなぎりわたっている非人間的自然観の根元である。
「理科(科学)教育」という文脈で読んでみると、けっこう面白くなってきた!!
▼ここまでで終わらないのが寅彦だ。
これはいつものこと、少しこれにはなれてきたぞ!!
「理科(科学)教育」に関連して、ほんとうにそうだなと思うところも出てきた。
今日のように非人間的に徹底したように見える物理学でもまだ徹底しない分子を捜せばいくらでも残っている。たとえば力という観念でも非人間的傾向を徹底させる立場から言えばなんらの具体的のものではなく、ただ「物質に加速度が生じた」という事を、これに「力が働いた」という言葉で象徴的に言いかえるに過ぎないが、普通この言葉が用いられる場合には何かそこに具体的な「力」というものがあるように了解されている。これは人間としてやみ難い傾向でまたそう考えるのが便宜である。
(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン
このあたりから寅彦なりの展開が「加速」していく。
このような考えからも自分はマッハの説により多く共鳴する者である。すなわち吾人に直接に与えられる実在はすなわち吾人の感覚である、いわゆる外界と自身の身体と精神との間に起こる現象である。このような単純な感覚が記憶や連想によって結合されて経験になる。これらの経験を総合して知識とし知識を総合して方則を作るまでには種々な抽象的概念を構成しそれを道具立てとして科学を組み立てて行くものである。この道具になる概念は必ずしも先験的な必然的なものでなくてもよい。以上のごとく科学を組み立て、知識の整理をするに最も便利なものを選べばよいのである。その便不便は人間の便不便である、すなわち思考の節約という事が選択の標準になるのである。
「思考の節約」!!
課題とすべきキーワードだ。
物理学を感覚に無関係にするという事はおそらく単に一つの見方を現わす見かけの意味であろう。この簡単な言葉に迷わされて感覚というものの基礎的の意義効用を忘れるのはむしろ極端な人間中心主義でかえって自然を蔑視(べっし)したものとも言われるのである。
寅彦の究極の本意は、いつも最後の一文にある!!
今回もそのことが言えそうだ。
私にとって、今回の成果は大きい。「物理学と感覚」が妙に面白く思えてきた!!
| 固定リンク
« 「寺田物理学」とは!?(2) #寺田物理学 #traday #寅の日 #寺田寅彦 #石原純 | トップページ | 「寺田物理学」とは!?(3) #寺田物理学 #traday #寅の日 #寺田寅彦 #石原純 »
コメント