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本日(2020/12/25)、第272回オンライン「寅の日」!! #科学と文学 #traday #寺田寅彦

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▼オンライン「寅の日」がスタートした2012年からはじめた「土佐の寅彦」詣(土佐に寺田寅彦を訪ねる旅を私は勝手にそう呼んでいた。)にはきめた基点(起点)があった。ここである!!

● 土佐の寅彦 寺田寅彦記念館友の会(公式HP)

 「土佐の寅彦」詣は11回に達していた。残念ながら今年は詣の機会は一回もなかった。
 詣の度に、私はこのことを自分自身に問いかけてきた。
 
 私にとって、「今、なぜ寺田寅彦なのか!?」と

▼本日(2020/12/25)、第272回オンライン「寅の日」である。
 12月のテーマは、「寅彦の科学と文学」である。

【12月テーマ】「寅彦の科学と文学」

 読むのはテーマ ずばりそのもの「科学と文学」
ある。3回に分けて読み進めてきた。
 本日はその3回目・最終回である。

◆本日(2020/12/25)、第272回オンライン「寅の日」!!

「科学と文学」(3)(青空文庫より)

▼最終回の本日は

・通俗科学と文学
・ジャーナリズムと科学
・文章と科学
・結語

 あたりを中心に読みたい。これまた私の勝手な思い込みかも知れないが、寅彦の随筆は後半いや最終段階になって、いちばん盛り上がり本意が現われてくると思っていた。今回もやはりそんな気がするのだった。
 少し文脈にそって引用させてもらおう。

 そういうものの中でもファラデー、ヘルムホルツ、マッハ、ブラグなどのものはすぐれた例である。それがすぐれている所因は単に事がらを教えるのみでなく、科学的なものの考え方を教え、科学的の精神を読者の中によびさますからである。そういうものを書きうるためには著者はやはりすぐれた科学的探究者であると同時にまた文学的創作者でもなければならない。
 科学者が自分の体験によって獲得した深い知識を、かみ砕きかみ締め、味わい尽くしてほんとうにその人の血となり肉となったものを、なんの飾りもなく最も平易な順序に最も平凡な言葉で記述すれば、それでこそ、読者は、むつかしいことをやさしく、ある程度までは正しく理解すると同時に無限の興趣と示唆とを受けるであろうと思われる。

 ありがたいことにホンモノとニセモノの見分け方も指南してくれていた。

 そういう永久的なものと、悪い意味でのジャーナリスチックなものとの区別は決してむつかしくはない。要するに読んだ後に、読まない前よりいくらか利口になるかならないかというだけのことである。そうして二度三度とちがった時に読み返してみるごとに新しき何物かを発見するかしないかである。
 

▼それでいよいよ結論である。
 それは「文章と科学」のなかにあった。

そういう種類のものにはやはり必ず何かしら独創的な内察があり暗示があり、新しい見地と把握(はあく)のしかたがあり、要するになんらかの「生産能」を包有しているある物がなければならないのである。
 それで、考え方によっては科学というものは結局言葉であり文章である。文章の拙劣な科学的名著というのは意味をなさないただの言葉であるとも言われよう。
 若い学生などからよく、どうしたら文章がうまくなれるか、という質問を受けることがある。そういう場合に、自分はいつも以上のような答えをするのである。何度繰り返して読んでみても、何を言うつもりなのかほとんどわからないような論文中の一節があれば、それは実はやはり書いた人にもよくわかっていない、条理混雑した欠陥の所在を標示するのが通例である。これと反対に、読んでおのずから胸の透くような箇所があれば、それはきっと著者のほんとうに骨髄に徹するように会得したことをなんの苦もなく書き流したところなのである。

ここに最初の
私にとって、「今、なぜ寺田寅彦なのか!?」
 の答えのひとつをみつけるのである。
 なぜ寅彦の文章を読み続けるか!?
 
 今、寅彦の文章を読み続けるのは、私にとっての最高の「文章修業」なのである!!

 2021年にはぜひ、12回目の「土佐の寅彦」詣に出かけたいものである。

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