「日本理科教育史」をプロットする!!(36) #やさしくて本質的な理科実験 #現代理科教材発展史
▼今一度、『やさしくて本質的な理科実験』を時系列にならべてみる。
●1972年7月10日 『やさしくて本質的な理科実験1』(科教協東北地区協議会編 評論社)
●1976年4月10日 『やさしくて本質的な理科実験2』(高橋金三郎・若生克雄共編 評論社)
●1985年4月10日 『やさしくて本質的な理科実験3』(高橋金三郎・鈴木清龍・若生克雄共編 評論社)
●2001年10月10日 『やさしくて本質的な理科実験4』(鈴木清龍・若生克雄共編 評論社)
もうこれだけで圧巻である!!
▼紹介された「実験」は
・第一巻 60
・第二巻 69
・第三巻 62
・第四巻 54
総合計 245 !!
これまた再び、第一巻の巻頭言のコトバをかりよう。
これは東北地方の科教協会員が主として開発した「誰にでもほとんど設備を必要とせず、しかも自然科学の本質をやさしく理解する実験」です。理科の中心は実験です。実験がうまくいかないかぎり、授業はうまくいきません。 「実験がうまくいく」とは決して「失敗しない」ことだけではありません。実験そのものが本質的なものであって、しかもその意味が子どもによく理解できるものでなければなりません。(同書P2より)
この「やさしくて本質的な理科実験」の趣旨は一貫していた!!
今度は第四巻の巻頭言の最後のコトバをかりよう。
理科ぎらい、理科ばなれがいわれますが、そんな状況のなかで実験書、ものづくりは花ざかりのようです。超教科は脱学校を生みだしています。(それはあだ花か。)私たちは脱学校のなかから、学校での学習が再構築されると考えていますが。 それは、これまでの蓄積の成果を自らのものとして、子どもの要求に敏感に反応し対応できるように自らをつくっていくことによるしかないのではないでしょうか。 2001年8月 鈴木清龍・若生克雄
それから19年です!!
▼まったく唐突な話ではあるが寅彦のコトバを思いだした。
新しい芸術的革命運動の影には却って古い芸術の復活が随伴するように、新しい科学が昔の研究に暗示を得る場合は甚だ多いようである。これに反して新しい方面のみの追究は却って陳腐を意味するようなパラドックスもないではない。かくのごとくにして科学の進歩は往々にして遅滞する。そしてこれに新しき衝動を与えるものは往々にして古き考えの余燼(よじん)から産れ出るのである。
自分は繰返して云いたい。新しい事はやがて古い事である。古い事はやがて新しい事である。
寺田寅彦「科学上の骨董趣味と温故知新」(青空文庫より)
▼今、私がやりたいことは2つだ。
(1) 「やさしくて本質的な理科実験」の「現在地」を知る!!
・あれから19年、どんな新しい「やさしくて本質的な理科実験」がうまれたのだろう?
・245の「実験」はどのように進化したのだろうか。
(2) 現代理科教材発展史を書く。
・いくつかの「定番」実験をとりあげて、その発展史を書く。
・今でなければ、その「はじまり」も取材できないこともある。
・ひとりの力では限界がある。協力のお願いをしながらも可能なかぎりということで…
・愉しみながら、ゆっくり ゆっくり 急ごう!!
「理科実験」の「不易流行」を追ってみよう!!
ホンモノの「流行」は、「不易」を内包する!!
ホンモノの「不易」は、「流行」を創造する!!
(つづく)
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