本日(2020/11/19)、第269回オンライン「寅の日」!! #夏目漱石先生の追憶 #traday #寺田寅彦
▼これぞ小春日和!!
そんなポカポカ陽気のなか、今年最初のヒガンバナ「完熟種子」がまさにこぼれ落ちようとしていた!!
寅彦のこよなく敬愛した師・夏目漱石先生が亡くなったのは1916年(大正5)だった。
●1916年12月9日 夏目漱石死去(50歳)。
1918年(大正7)、寅彦は五島寛平氏のために「漱石全集」初版本第一巻の見返しに次のように詠んだ。
先生と話して居れば小春哉 (大正7年)
▼本日(2020/11/19)、第269回オンライン「寅の日」である。
ながらく続けて来たテーマ
「寅彦と俳句」
の最終回である。
最終回の本日は、今一度、寅彦にとっての俳句の原点にもどり「夏目漱石先生の追憶」を読む。
◆本日(2020/11/19)、第269回オンライン「寅の日」!!
▼我らが寅日子先生にとって、夏目漱石先生と出会いは、「俳句」との出会いのはじまりでもあった。
有名なエピソードが残っている。それが、ここにあった。
寅日子先生の「俳句とはいったいどんなものですか」という質問に答えて漱石先生はこう語った。
「俳句はレトリックの煎(せんじ)詰めたものである。」「扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである。」「花が散って雪のようだといったような常套(じょうとう)な描写を月並みという。」「秋風や白木の弓につる張らんといったような句は佳(よ)い句である。」「いくらやっても俳句のできない性質の人があるし、始めからうまい人もある。」こんな話を聞かされて、急に自分も俳句がやってみたくなった。
寅日子先生はいっきょに俳句に夢中になる。寅日子先生21歳の夏のことである。
▼寅日子先生が漱石先生を師として仰いだのは「俳句」だけではなかった。
人生すべての「師」であった。また漱石先生は寅日子先生の「科学」のよき理解者でもあった。
寅日子先生のコトバをかりよう。
先生からはいろいろのものを教えられた。俳句の技巧を教わったというだけではなくて、自然の美しさを自分自身の目で発見することを教わった。同じようにまた、人間の心の中の真なるものと偽なるものとを見分け、そうして真なるものを愛し偽なるものを憎むべき事を教えられた。
さらに続けてこうまで語られていた。
しかし自分の中にいる極端なエゴイストに言わせれば、自分にとっては先生が俳句がうまかろうが、まずかろうが、英文学に通じていようがいまいが、そんな事はどうでもよかった。いわんや先生が大文豪になろうがなるまいが、そんなことは問題にも何もならなかった。むしろ先生がいつまでも名もないただの学校の先生であってくれたほうがよかったではないかというような気がするくらいである。先生が大家にならなかったら少なくももっと長生きをされたであろうという気がするのである。
先生というものの存在そのものが心の糧(かて)となり医薬となるのであった。
大正7年の一句になっとくがいくのだった!!
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