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「日本理科教育史」をプロットする!!(27) #1918年 #理科教育 #寺田寅彦

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▼「重錘式の自動張力調整装置」だと教えてもらった!!
 
 シルエットが、夕焼けに映える景だと気に入っていただけだった。
 でもそう教えてもらって、興味は次々と派生していった!!
 ついには、播但線の歴史にまで

●1894年(明治27年)7月26日:播但鉄道により姫路駅 - 寺前駅間(18M33C≒29.63km)が開業。

▼「日本理科教育史」をプロットする!! をつづける。
 ここからは、少し視点を変えて、より気儘に自分が思いつくがままに「日本理科教育史」をプロットしてみたい。
 自分に直接かかわらないことについても、できるだけ等身大にひきつけながら語っていきたい。

▼ちよっと古い時代のことだか、ずっと気になっている年があった。

●1918年(大正7年)!!

 である。今から102年前だ。すでに播但線は走っていた。
 『増補 日本理科教育史 付・年表』(板倉聖宣著 仮説社)の「年表」から1918年の一部を引用させてもらおう。

●1918年2月5日 文部省、師範学校・中学校の物理・化学に生徒実験を課すことを定め、「物理及化学生徒実験要目」を訓令。生徒実験設備費として臨時補助金20万円余を国庫支出。

 その前月には「理科教育研究会」が発足していた。

●1918年1月19日 理科教育研究会 東京帝国大学で発会式(会長 林博太郎)。 

 さらには

●1918年4月△日 理科教育研究会『理科教育』創刊

 と続いていた。
▼その『理科教育』に寺田寅彦(当時41歳)が寄稿していた。
 
●1918年10月 「研究的態度の養成」(寺田寅彦『理科教育』10月 青空文庫より)

 同じ年、少し前にも理科教育について興味深い発言をしていた。

●1918年6月 「物理学実験の教授について」(寺田寅彦『理学界』6月 青空文庫より)

 寅彦の2つの文章を読み返してみてあらためて思う。

 1918年(大正7年)は、「日本理科教育史」を語るうえでプロットされるべき年だ!!

(つづく)
 

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