本日(2020/10/02)、第265回オンライン「寅の日」!! #俳句の型式とその進化 #traday #寺田寅彦
▼『ヒガンバナ(曼珠沙華)と日本人 ~日本人の曼珠沙華との交流~』( 樽本 勲 著MyISBN - デザインエッグ社)で展開されている季語「曼珠沙華」についての樽本先生の仮説はたいへん興味深い!!
江戸期に不人気だった「曼珠沙華」という季語を、子規は戦略的季語として多用したのでないかという仮説だった。
事実、子規は「曼珠沙華」を多く詠んでいた。
子規としての秀逸の句ではないですが、曼珠沙華の赤さ、花の多さ、秋の趣を写生として詠んでいて、子規が因襲悪弊から脱却を図ろうとする強い意図が感じられます(同書p111より)
この後
・子規の曼珠沙華は明治期の小説、詩歌へ受け継がれた
・大正~昭和の短歌を季語「曼珠沙華」が先導
・曼珠沙華の俳句は大正、昭和に満開になった
へと続くドラスティクな展開もたいへん興味深い!!
最近、とてもお気に入りの子規の一句みつけた。
葉もなしに何をあわてゝ曼珠沙花 子規
▼本日(2020/10/02)は、第265回オンライン「寅の日」である。
10月のテーマは、8月、9月に引き続き
【10月テーマ】「寅彦と俳句」
である。本日はその一回目、「俳句の型式とその進化」を読む。
◆本日(2020/10/02)、第265回オンライン「寅の日」!!
▼寅彦が「科学」以外の「文学」や「芸術」「音楽」などを語るときも同じだった。
いつも寅彦は軸足を「科学者」に据えていた!!
今回の「俳句」を語るときも同じだった。次の文にそれがよく現われていた。
科学者流の目で見れば、これも一つの文化的自然現象であって可否の議論を超越したものであるとも考えられる。むしろわれわれはこの現象がどうして発生したかを研究し、またその将来がどうなるであろうかということを考察した上で、これに対する各自の態度を決めるのが合理的ではないかと思われるのである。
「科学者」としてとるべき態度の結論も導いていた。
とにかく、こういうふうに考えて来ると現在のいろいろさまざまな新型式の中にはあるいは将来の新種として固定し存続する資格をもったものがあるかもしれないし、またその中の多くは自然淘汰(しぜんとうた)で一代限りに死滅すべき運命をもっているかもしれない。しかし、現在のわれわれの知識でこれらの中のどれが永存しどれが死滅すべきかを予測することはなかなか容易なことではない。むしろ冷静な観察者となって自然の選択淘汰の手さばきを熟視するほかはないようにも思われるのである。
「突然変異」「自然淘汰」などの用語を使い「科学者」として切り口で語るのはいかにも寅彦らしい。
▼ここまでだったら、いかにも傍観者的だ!!
実は本意はそこにはない。
寅彦のほんとうの面白さは、いつも最後の方にある!!
長く読み続けてきた「成果」かも知れない。文脈の展開のしかただけは少し見えてきていた。
ここに本意ありとみた!!
そういう、現在のわれわれには夢のような不思議な詩形ができる日が到着したとして、そのときに現在の十七字定型の運命はどうなるであろうか。自分の見るところでは、たぶんその日になっても十七字俳句はやはり存続するであろうと思われる。
古くからあったという事実の裏には時の試練に堪えて長く存続すべき理由条件が具備しているという実証が印銘されているからである。
さあ、今月もオンライン句会「寅の日」で十七字俳句を!!
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