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「日本理科教育史」をプロットする!!(14) #日本理科教育史 #理科の部屋 #私の【理科の部屋】活用法 #新潟オフ

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 ここをあらたなヒガンバナ観察スポットにしよう!!

 そう決めたのは昨日の朝だった。
 雨が今にも降りそうだったが、いつものヒガンバナ散策にでかけた。
 日々刻々と定点観察地のヒガンバナの景は変化していた。変化の瞬間を見逃したくなかった。
 そんななか、川沿いの土手の変化に気づいた。先日、草刈りをしたばかりだったからこそこの変化にきづいた。
 流れ着いた球根が、あらたな「群生地」をつくろうとしていた!!
 この先何年間か経年観察をつづけてみようと思う。

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▼「日本理科教育史」をプロットする!!をつづけよう。
 インターネット版【理科の部屋】の誕生で、【理科の部屋】の交流は益々活気づいていった。
 これまでの取り組みを、一度「記録」しておきたいと思った。
 【理科の部屋】の編集で一冊の本を出版した。

●1997年8月10日 『私の【理科の部屋】活用法』(NIFTY-Serve教育実践フォーラム【理科の部屋】編 民衆社)出版!!

 多くの人の献身的なはたらきで実現した企画だった。
 今読み返してみても、当時のワクワク気分が蘇ってくる!!
▼この出版を記念して、記念オフまで実現した。

●1997年8月2日 【理科の部屋】オフ兼『化学の広場・放課後』オフin新潟 -1997/08/02 新潟市-

▼前著の「おわりに」に、私は次のように書いていた。

  この本の題を『【理科の部屋】活用法』とせず、あえて『私の【理科の部屋】活用法』としている。そこに、私たちの思い入れがある。これまでの研究活動等の多くが、組織や団体から出発する傾向が強かったのに対して、私たちの歩みは、「私」から出発したかったのである。もちろん集団的な取り組みを無視したり、軽視したりするつもりはさらさらない。その組織化された取り組みの「原点」を大切にしたいのである。
 (中略)
 「私」から出発して、徹底して「等身大」で語っていく、情報発信をしていく、それがつながり合っていくことで、「世界大」の情報になっていく、そんな道筋を教えてくれ提供してくれたのが、インターネットではないか。
 私は、インターネットを含めた電子ネットワークをそのようなものだと思っている。
 (『私の【理科の部屋】活用法』p246 より)

 23年たった今も、この思いは変わらない。

(つづく)

  
 

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