「日本理科教育史」をプロットする!!(2) #日本理科教育史 #実践記録
▼連日の酷暑で石榴の肌は例年以上に日焼けが進行しているように見えた!!
毎年アタリマエに観察しているこの石榴の木。
いったい いつからここにあったのだろう!?
記憶にあるかぎりでは ずっと ずっと前から… !!
「記録」はなかった。
▼「日本理科教育史」をプロットする!!をつづけよう。
私がはじめて公立中学校の理科教師として教壇に立ったのは1975(昭和50)年である。
●1975(昭和50)年 公立中学校理科教師として着任
先日、その頃の授業の感想文を読んだ。
赤面するようなことが多々あった。同時にとてもうれしい気分にもなった!!
▼この年、後に大いに影響に受ける一冊の本が出ていた。
◆『教育実践検討サークル 創造する東北の教師たち』(中村 敏弘著 国土社 1975.11.5)
である。今、読み返しても示唆的なことがいっぱい書かれていた。
たとえば教師の書く「実践記録」について次のように語られていた。
もうひとつ、記録を書くことと、思想性を高めることを統一して行う仕事がある。それは、自分の認識の変化を書くことである。子どもの認識をどのように変えようと思って、自分の認識がどのように変わったか-自分が先生になった時から、どういうことがあったからどう変わったか、自分の記録を書くことである。 実践を検討したり、批判したりするもと(基準)は、教師としての生活であり、それがこうすることによって、はっきりさせることができるのである。 ( 同書 P423より)
▼うれしいことに、私にとって「はじめての実践記録」の「記録」が残っていた。
それは、なんと前著の著者中村敏弘先生が、教育雑誌『わかる授業』にとりあげてくださったおかげである。深謝!!
その経緯も含めてページ化していた。
授業内容は「光の直進」からはじまり、「教室全体を巨大なピンホールカメラにする」というものだった。
拙い授業であるが、今読み返しても、あのワクワクドキドキが蘇ってくるのだった!!
ここらあたりに私の「原点」があるのだろう。
(つづく)
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