「日本理科教育史」をプロットする!!(3) #日本理科教育史
▼そろそろ夏の終焉か!?
と思ったのはあくまで希望的観測であった。
午後から夕方にかけ、「雲見」の空は夏を主張しつづけた。
アメダスは、またしても37.2℃を記録していた。
▼ささやかな歩みのプロットをつづけよう。
今ふり返ってみてはっきりわかることがある。
私は自分で「理科の授業」をやってみることによって、はじめて「理科」の面白さを知っていったのだ。
あまり自慢することではないが、私は正直 不勉強であった。
今もつづくが あまりにものを知らなすぎた。
それが、逆に幸いした。
学ぶことが楽しかった!!「授業」で学ぶことが楽しくてしかたなかった!!
最もよく学ぶものが 最もよく教える!!
▼ひとりで学ぶよりも、他の人といっしょに学ぶほうがより愉しい!!
自分ひとりの学びでは気づかなかったことを仲間からいっぱい学んだ。
「地下茎のごとく、一時的に枯れたり 刈り取られようと何m 何㎞とのびていき、たくわえた栄養(教材研究)ですばらしい花(授業)をさかせよう。」
1981年夏。
こんな呼びかけから小さなサークルがはじまった。
この小さなサークルを「地下茎舎」(ひめじ理科サークル)と呼んでいた。
サークル誌『地下茎』を発行していた。
この歩みの一部を「記録」していた。
●地下茎舎DBⅠ(2号~30号)
▼少し「記録」の一部を読み返すだけでも、思い出すことが多々あった。
このときの学びが、生涯つづく学びの「原点」となった。
多くの人との「出会い」のはじまりでもあった。
このなかから、詳細な点をプロットしていくのは 「これから」の作業である。
(つづく)
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