本日(2020/06/16)、第256回オンライン「寅の日」!!#凌霄花 #花物語 #traday #寺田寅彦
▼寺田寅彦記念館を出て少しだけ歩いたところ、「花物語」の文学碑が建っている。
寅彦が少年時代このあたりで遊んだのだろうかと想像しながら、しばしゆっくり時をすごすのは楽しい。
「土佐の寅彦」詣のとき、時間があれば必ず立ち寄るようにしている。
▼本日(2020/06/16)は、第256回オンライン「寅の日」である。
6月のテーマは
「教科書に掲載された 寺田寅彦作品を読む」
である。
その2回目の本日は、「凌霄花」(「花物語」四)を読む。
◆本日(2020/06/16)、第256回オンライン「寅の日」!!
▼この作品は、明治四十一年(1908)寺田寅彦31歳のときに書かれたものである。
まずその若さに驚いてしまう。
この年の「寺田寅彦 略年譜」(『寺田寅彦』河出書房新社より)を引用させてもらう。
●1908年(明治41) 31歳(数え年)
七月、大学院卒業。十月、論文「尺八の音響学的研究」で理学博士号取得。十二月、文部省から宇宙物理学研究のため二年間のドイツ、イギリス留学が命じられる。
数え年31歳となっているが、寅彦の誕生日は11月28日であるから、十月では、満年齢は30歳である!!
やっぱり すごく若い!!
「花物語」は九編の物語からなる。
30年生きてきて、出会った「花」との物語である。それはみごとに寅彦自身の「履歴」を語る物語となっていた。
九編は次のとおりである。
一 昼顔
二 月見草
三 栗の花
四 のうせんかずら(凌霄花)
五 芭蕉の花
六 野ばら
七 常山の花(クサギ)
八 りんどう
九 棟(おうち)の花
この九編のうち六編までが、教科書に掲載されたというから、これまた驚きである!!
何故だろう!?
▼その疑問を解きたかった。
ヒントは発表したのが「ホトトギス」であるというところにあると思っていた。
夏目漱石が「吾輩は猫である」を「ホトトギス」に発表したのが1905年であるから、その3年後ということになる。
その当時、「ホトトギス」の写生文派の高浜虚子等の人々は、自らの作品を皆の前で読みあったのだそうだ。
声に出して読み合うことで、心地よいリズム感のある写生文がうまれていったのだろう。
そんなつもりで、今一度「凌霄花」を声に出していま一度読みなおしてみた。
裏の小川には美しい藻(も)が澄んだ水底にうねりを打って揺れている。 その間を小鮒(こぶな)の群れが白い腹を光らせて時々通る。 子供らが丸裸の背や胸に泥(どろ)を塗っては小川へはいってボチャボチャやっている。 付け木の水車を仕掛けているのもあれば、盥船(たらいぶね)に乗って流れて行くのもある。 自分はうらやましい心をおさえて川沿いの岸の草をむしりながら石盤をかかえて先生の家へ急ぐ。
座敷の縁側の軒下に投網(とあみ)がつり下げてあって、長押(なげし)のようなものに釣竿(つりざお)がたくさん掛けてある。 何時間で乙の旅人が甲の旅人に追い着くかという事がどうしてもわからぬ、考えていると頭が熱くなる、汗がすわっている足ににじみ出て、着物のひっつくのが心持ちが悪い。 頭をおさえて庭を見ると、笠松(かさまつ)の高い幹にはまっかなのうぜんの花が熱そうに咲いている。
ナルホド(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン
寅彦の文章が写生派の讃辞を受けたというのがわかる気がしてくるのだった。
そして教科書にたくさん掲載されたというのも…。
他の「花物語」も声に出して読んでみたくなってきた。
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