本日(2020/03/12)、第248回オンライン「寅の日」!!#traday #寺田寅彦
▼中谷宇吉郎はこのコトバについて次のように言っていた。
それでこれは、先生がペンを使わないで書かれた文字であるともいえる。(「天災は忘れた頃来る」青空文庫より)
寺田寅彦記念館でこのコトバの前に立つとき、寅彦の鳴らし続けた警鐘が聞こえてくる気がするのだった。
▼本日(2020/03/12)は、第248回オンライン「寅の日」である。
3月のテーマは、ズバリ
警鐘「天災は忘れられたる頃来る」
である。本日はその一回目、「地震雑感」を読む。
◆本日(2020/03/12)、第248回オンライン「寅の日」!!
▼まず私ごとをひとつ。
私は昨日のblogを書きながら、滅茶苦茶驚いたことがある。
あの3.11の三日前にこの「地震雑感」を読んでいた!!
後付けのとってつけたような話に聞こえるかも知れないが、その事実に昨日はじめて気づいた。
オンライン「寅の日」は、2012年4月からだから、まだはじまってはいなかった。オンライン「寅の日」のなかでも何回か読んできたが、まったくその事実に気づかなかった。
本論に入る。
この随筆は大正十三(1924)年五月『大正大震火災誌』に発表された。
東京・上野で関東大震災に遭遇した翌年である。「地震」に関しての認識を実にうまくまとめた随筆である。
「地震学」についてはこうだ。
これらのあらゆる断面を綜合して地震現象の全体を把握する事が地震学の使命でなくてはならない。勿論、現在少数の地震学者はとうにこの種の綜合に努力し、既に幾分の成果を齎(もたら)してはいるが、各断面の完全な融合はこれを将来に待たなければならない。
また、きわめて先駆的な発言もしていた。
かくのごとく直接観測し得らるべき与件の僅少な問題にたいしては種々の学説や仮説が可能であり、また必要でもある。ウェーゲナーの大陸漂移説や、最近ジョリーの提出した、放射能性物質の熱によって地質学的輪廻(りんね)変化を説明する仮説のごときも、あながち単なる科学的ロマンスとして捨つべきものでないと思われる。今回地震の起因のごときも、これを前記の定説や仮説に照らして考究するは無用の業ではない。これによって少なくも有益な暗示を得、また将来研究すべき事項に想い到るべき手懸りを得るのではあるまいか。 地震だけを調べるのでは、地震の本体は分りそうもない。
▼実に的を射たコトバがつづく。
要は、予報の問題とは独立に、地球の災害を予防する事にある。
そうだとすれば、この最大限の地震に対して安全なるべき施設をさえしておけば地震というものはあっても恐ろしいものではなくなるはずである。 そういう設備の可能性は、少なくも予報の可能性よりは大きいように私には思われる。
警鐘の本意はここにある!!
すでに寅彦は警鐘を鳴らし始めていた!!最晩年まで11年!!
より強くあの手この手を駆使して警鐘を鳴らし続けるのだった。
96年の時空を超えて警鐘は、今も聞こえてくるのだった!!
| 固定リンク
コメント