マッチの祖・清水誠を追う!!(2)~神戸編(その1)~ #マッチ #燐寸 #清水誠
▼私はすでに「マッチの祖・清水誠」を追う旅をはじめていた。
なんでもゆっくりな私はさらにスピードダウンをしていた。前回の旅は清水誠・生誕の地「金沢」であった。
昨年の9月9日(2019.9.9)のことただった。
●マッチの祖・清水誠を追う!!(1)~金沢編~ #マッチ #燐寸 #清水誠
もうそれからでも、はや4ヶ月の月日がたとうとしていた。
▼今回の目的地は「神戸」だ。
まあ、言わば、地元である。いつでも行けるという思いが逆に次なる展開を遅らせてしまったのかもしれない。
なぜ「神戸」なのか?
清水誠がいかにすぐれた科学・技術者であったかを物語る「記録」が残っていた。
ときは1874(明治7)年。
清水誠はフランスに留学していた。なんとその年、文部省が海外留学制度を全廃したという。
そんなときフランス政府が清水誠を工芸大学院金星経過測検員に招聘したのだ。
清水誠は、フランス金星観測隊員として星学士ジャンサンとともに10月3日横浜に着き、12月9日海軍士官ドラクロワ率いる神戸支隊で諏訪山での観測を成功させた。写真撮影をし、15枚もの連続写真を撮ったという。
そのときの記念碑が、諏訪山の金星台に残っているという。
そして、うれしいことにその碑には「清水誠」の名前も記されているという。
「清水誠」を追う私としてはそれを見のがすわけにはいかなかった。
恥ずかしながら同じ県内に住みながらも「諏訪山」には一度も行ったことがなかった。大まかな場所も最近、人に聞くまで知らなかった。
JR元町駅で降りた。
あとはひたすら山にむかってあるいた。この点、私にも神戸はわかりやすい!!
「海に向かうか」「山に向かうか」の二者択一しかなかった。
やがて山にぶつかった。
そこに「諏訪山公園案内図」の大きな看板が立っていた!!
看板には「金星観測記念碑」「金星台」の説明もちゃんとあった!!
▼案内図によれば高度90mのところに「金星台」がある。
急な階段、坂道だが「目的地」がはっきりしているから足取りも軽い。
坂道がつづいていたのに急に広々として平らな「広場」に到着した!!
「金星台」だ!!
広場の北に円柱の「金星観測記念碑」が!!(案内図説明によれば、安政の大地震(1855年)のとき破損した生田神社の鳥居を再利用したものらしい。道理でみごとな円柱だ!!)
記念碑の前にはとてもくわしい説明のプレートがあった。
そのときの観測の様子がわかる「写真」も添えられていた。
「記念碑」さらに近づき、前から後ろから何枚も何枚も写真を撮らせてもらった。
私には「PASS」「VENUS」「JANSEN」などの文字が辛うじて読み取れるのみだ。
裏側にまわっても何枚も何枚も写真を撮った。
そして、ついにみつけた!!
そこにまちがいなく「清水誠」の名前があった!!
▼「金星観測記念碑」の説明を読みながら、思い出す観測「記録」があった。
2012年6月6日もやはり「清水誠」が観測したときのように金星が太陽面を通過していったのだった。
これから先、120年は見ることができないという貴重なものだった。
幸いなことに私はそのときの「記録」を残していた。
「清水誠」の名前をみつけたことで気をよくした私は、さらに上に登り「ビーナスブリッジ」まで行ってみた!!
スバラシイ!!\(^O^)/
こんなみごとな港町「神戸」を一望したのははじめてかもしれない!!
しばし、ここにとどまり「神戸」の空気をいっぱい吸い込んだ。
山を下りるときにもう一度、「清水誠」の名前を確認してみた!!
ここまで来て、このまま帰宅するてはなかった!!
「清水誠」の名前をすぐみつけることができるもうひとつの「目的地」に向かった。
(つづく)
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