Webテキスト『ヒガンバナ』(partⅡ)を構想する。(1) #ヒガンバナ
▼庭の定点ヒガンバナはすっかり萎れてしまった。
その庭の草むらからニョッキリと紫の綺麗な花が顔を出した。イヌサフランである。
まるでそれはヒガンバナと入れ替わりのようであった。
季節は前に進んでいるのである!!
イヌサフランもまた不思議な花だった。あんなみごとな花を咲かせながらも、葉が見あたらないのである。
花だけが地上に顔を出しているのである。
葉は花が咲き終わったあとに交代して「葉の季節」になるのだった。
これもまたヒガンバナとよく似ていた。
▼「あんなみごとな花を咲かせているのに葉が見あたらない!?」
このヒガンバナの第一の「ふしぎ!?」から、出発したのが
◆Webテキスト『ヒガンバナ』(2013年版 2013.09.01解説版)
だった。それから6年の歳月がたった。
6年のあいだには、あらたな「ふしぎ!?」にも出会った。
多くの発見もあった。それらを集約して、Webテキスト『ヒガンバナ』(partⅡ)をつくってみたいという思いがうまれていた。
▼Webテキスト『ヒガンバナ』(partⅡ)を構想するにあたり思い出すのは、やっぱり栗田子郎先生のあの言葉だった。
『進化生物学入門~宇宙発生からヒト誕生への137億年~』(栗田子郎著 講談社学術文庫 2013.4.10)の「まえがき」にあった。
ホモ・サピエンス(Homo sapiens 賢い者)と自らを名付けた我々「ヒト」も「チンパンジーとの遺伝的差はほとんどない」 としながらも、二つの大きな特徴があると書かれている。
しかしヒトという種にはほかのどんな生物にもない(と思われている)きわだった特徴が一つあります。自分自身の由来、ひいては万物のルーツを知りたがるとともに、まだ存在しない未来に思いを馳せるという性質です。チャールズ・ダーウィンが『種の起源』を著し進化論を説いたのもこの衝動に駆られたからでしょう。(中略) いま一つのヒトの特徴は、細胞外で複製・増殖することのできる遺伝因子、つまり言語(言葉、文字)と映像を操る能力です。生きとし生けるものはすべて、自らを存在させているプリン塩基とピリミジン塩基で記された基礎情報(遺伝子)を次の世代へ残そうとします。ヒトも例外ではありません。しかし、この情報は時間軸に沿って垂直にしか伝わりません。ところが言語や映像という形の情報は水平方向にも伝わります。しかも、細胞核内に収められた情報は親から子へと伝わるのみで、その逆は不可能です。言語情報はこれが可能です。この第二のヒトの特徴が、私をしてこのようなテキストを綴らせたようです。(『進化生物学入門』「まえがき」p11より)
Webテキスト『ヒガンバナ』をつくるのは、ヒガンバナの「ふしぎ!?」を「水平方向」に伝えたいからです!!
▼Webテキスト『ヒガンバナ』(partⅡ)のはじまりはやっぱり
「花は咲けども」の「ふしぎ!?」からはじめたい。
それはほんとうだろうか!?
ほんとうに日本のヒガンバナは「種子」をつくらないのだろうか?
「自然結実」ヒガンバナ探索を自分でやってみたくなるようなものになるといいな。
未来の共同研究者に「水平方向」に伝わるものに!!
ゆっくり 急ごう!!
(つづく)
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