本日(2019/10/08)、第235回オンライン「寅の日」!!#traday #寺田寅彦
▼あれっ!?
いつの間にマメの実になってしまったのだ!!
昨日の朝、このアタリマエにいたく感動してしまったのだ。
クズはマメ科の植物、だからあのあでやかな花穂ができたあとにマメの実ができる。アタリマエすぎるほどアタリマエのこと!!
それに毎日、朝の散策で目にしていたはずではないか!!
でもやつぱり、私は昨日の朝はじめて、このアタリマエを「発見」したんだ!!
ふっと思った。
あの人だったらこの「発見」をどんな文章にしただろう?
▼本日(2019/10/08)は、あの人の文章を読む日だ。第235回オンライン「寅の日」である。
10月2回に分けて読むのは、またまた長編の「科学と文学」である。
なぜまたしてもここんな長編を読むのかはおいおいに語っていこう。
◆本日(2019/10/08)、第235回オンライン「寅の日」!!
▼なんとオンライン「寅の日」で、この「科学と文学」を読むのは7回目である。8年目にして7回目ということは、ほぼ毎年一回は読んでいるということである。
なぜこんな長編随筆にこだわるのか?
答えは2つある。
(1) この文章が好きである!!
(2) 寅彦「活用」のヒントがここにある!!
詳細は、のちほど。
長編だから小見出しだけリストアップしてみる。
・緒言
・言葉としての文学と科学
・実験としての文学と科学
・記録としての文学と科学
・芸術としての文学と科学
・文学と科学の国境
・随筆と科学
・広義の「学」としての文学と科学
・通俗科学と文学
・ジャーナリズムと科学
・文章と科学
・結語
▼いつも「反省」していることがある。
引用ばかりが多くなって、自分自身の「文脈」で読み解きができていないことだ。
今回はできるだけ引用をひかえることに挑戦してみる。
まず引用するのは「緒言」にある次の言葉である。
もう一つ断わっておかなければならないことは、自分がともかくも職業的に科学者であるということである。
これは一貫したスタンスであった。
多様な複眼的視点で語ってはいるが、けっして軸足を「科学者」からそらすことはなかった。
次が私がもっとも気に入っている言葉だった。「文学と科学の国境」のなかにあった。
顕微鏡で花の構造を子細に点検すれば、花の美しさが消滅するという考えは途方もない偏見である。花の美しさはかえってそのために深められるばかりである。花の植物生理的機能を学んで後に始めて充分に咲く花の喜びと散る花の哀れを感ずることもできるであろう。
ここに寅彦の本意がある!!そんな気がするのだがどうだろう。
たしか中谷宇吉郎も「お気に入り」とどこかで書いていたような。
最後にもうひとつだけ引用させてもらおう。それは「文学と科学の国境」の最後に出てくる言葉だ。
そういうことから考えても、科学者が科学者として文学に貢献しうるために選ぶべき一つの最も適当なる形式はいわゆるエッセーまた随筆の類であろうと思われる。
ここが次回のミソである。
今回はここまでとしたい。
(つづく)
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